さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

【懐かしい歌No.87 明日は「長崎原爆の日」】「長崎の鐘」藤山一郎(1949)&全都道府県旅行記・長崎県

明日は、75回目となる「長崎原爆記念の日」です。

 

今日取り上げる歌は、

長崎の鐘」。

原爆にまつわる実話をモチーフにした作品です。

 

原作となったのは、長崎医科大学(現:長崎大学医学部)助教授だった永井隆博士が執筆した同名の手記です。

 

原爆の爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、自身重症を負いながらも、被爆者の救護活動に当たる様子を記録したものです。

被爆時に、大学をはじめとする長崎の市街地が破壊された様子や、火傷を負いながら死に行く同僚や市民たちの様子が克明に描かれています。

 

また、永井博士は、この原爆によって妻を亡くしています。

自らも危篤状態に陥りながら、一時は一命を取り留めますが、1951年に43歳の若さで亡くなっています。

 

長崎市原爆資料館

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資料館の近所には、彼の功績を称えた

長崎市永井隆記念館」が公開されています。

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 www.city.nagasaki.lg.jp

 

私にとって長崎は、祖父の出身地でもあるゆかりの地。

以前訪れた際にこの記念館にも立ち寄り、言葉にならない感慨を覚えました。

 

長崎の鐘とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、奇跡的に壊れずに掘り出された鐘のこと。

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後に平和のシンボルと呼ばれるようになりました。

この手記は1949年に出版され、当時としては空前の大ベストセラーとなりました。

 

これをモチーフにして、同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲により、楽曲長崎の鐘が完成。

著作同様、歌も大ヒット。

翌1950年には、映画化もされました。

 

歌ったのは藤山一郎911-1993。

東京藝術大学声楽科を首席で卒業した経歴を持つ、正統派の声楽家です。

 

その後国民的歌手・流行歌手として、数々のヒット曲を世に送り出しました。

1992年には、国民栄誉賞」も受賞しています。

歌手としては美空ひばりに続く2人目、存命中としては初の受賞者です。

それだけ、存在感の大きい歌い手だったことがわかります。

 

時代的にリアルタイムでは知らなくても、♬「わかくあかるい うたごえに」で始まる一番の代表作青い山脈は、今でも流れるスタンダードナンバーとしてご存知の方が多いのではないかと思います。

 

長崎の鐘も、「青い山脈」に並ぶ彼の大ヒット曲のひとつです。

2番の歌詞には、実話をもとにストレートに

「♬召されて妻は 天国へ」

「♬形見に残る ロザリオの」

のフレーズが織り込まれています。

そのため、より深いメッセージソングになっているように感じます。

 

曲調も、冒頭~前半は悲しい短調ですが、後半の

「♬なぐさめ はげまし 長崎の」

「♬ああ 長崎の 鐘が鳴る」

のところからは長調に転調し(当時としては非常に珍しい斬新な作曲技法です)、未来への明るい希望を願う楽曲構成になっています。

  

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ステージでの立ち居振る舞いや歌い方から、彼の実直な人間性がにじみ出ているように見受けられたことを記憶しています。

長崎は「はやり歌」の舞台によく登場する街。
ご当地ソング」も多くありますが、この曲には特別な思いがあります。

 

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「結果がすべて。プロセスは評価されない」だけではモチベーションがダウンし、チーム全体のパフォーマンスが落ちていく~企業組織の人事考課システム

勤務先では毎年2回、上期・下期(4月と10月)に

「人事考課」と呼ばれる業績評価システムがあります。

 

これまでに複数の企業を経験しましたが、そのベースはみな同じでした。

会社であれば、どこでも似たようなしくみがあるのだと思います。

 

期初に、今期の目標を何項目か立てる。

そして、期が終わった後に上司と個人面談を行い、どれだけその目標が達成できたかを判定する。

上司はそれぞれの目標の達成度を「計数化」し、その期の「点数」をつける。

学校だけでなく、

会社に入っても毎年「通信簿」を受け取る。

 

これが基本的なメカニズムです。

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この点数によって、夏・冬のボーナスの額が決まってきますし、何年間かの「通信簿」の成績はその後の昇進にもかかわってくるため、当事者にとってはまさに「死活問題」となります。

 

多くの場合評価は点数化されるため、立てる目標自体も客観的に数値化できるものの方が望ましいです。

営業職であれば、いわゆる「ノルマ」があるのが通常なので、目標設定はかなりクリアです。

「売り上げを〇〇パーセントアップする」

「新規訪問件数を〇〇軒増やす」

など。

 

一方、

ノルマ的な数値目標を持たない職種の場合、具体的に達成度を測れる目標設定自体が難しいことがよくあります。

 

「事務作業を効率化する」だけでは、その達成度が客観的に評価できません。

「資料枚数を〇〇枚削減する」では、仕事自体の目的を理解できていない目標設定になってしまいます。

 

若手社員であれば「通信教育の自己啓発プログラムを期限内に完遂する」といった目標を設定させることもあります。

しかし、そもそも自己啓発は業務のレベルアップの「手段」ですし、プログラムをやり遂げるのは当たり前。

それ自体を目標にすることは、本来的には疑問が残ります。

 

そうこうして、期末に目標の達成度を評価するわけですが、そこで反映されるのは、当然ながら「結果」のみです。

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1日何時間も汗水流し、靴底をすり減らして外回りをしても、新規のお客などそう簡単に獲得できるわけではない。

ましてや飽和状態のマーケットの中で、売り上げを伸ばすなど容易なことではない。

 

しかし、そうした「プロセス」は人事考課では評価されない。

途中どんなに努力をしても、当初の数値目標を実現できなければ、最終的な評価には結びつかない厳しい現実があります。

 

言うまでもなく、会社の存立意義は「営利追求」。

「もうけてナンボ」の世界

それが「組織の掟」です。

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おカネにならなければ、どんなに時間や手間をかけて頑張っても、ムダな仕事と判断されるのは、ある意味当たり前です。

しかし一方で社員としては、「結果には必ずしも結びつかなくても、あれだけ頑張ったのに!」という報われない空しさに、心が折れていくのも事実です。

 

それでも、会社という組織であれば、まったく救いがないわけではありません。

 

部署という「チーム」の中で、リーダーたる評価者は、チーム員の「評価には直結しない陰の努力」を目にしています。

そうした努力を「総合評価」にプラスアルファすることも可能です。

 

評価に使われる「人事考課シート」のフォーマットには「上司所見」欄があります。

そして、そうした「見えない頑張り」を点数に換算してプラスするしくみが整備されています。

 

評価者の実感としても、チーム員のモチベーション維持のために、多少なりともそうした「遊び・ゆとり」の要素は制度設計上必要だと感じます。

評価される側の社員も、「プロセス」が部分的にでも認められると、心情的に救われる面が少なからずあります。

こうした対応によって、チーム全体のモチベーションアップ⇒パフォーマンスの上昇を見込むことが出来ます。

 

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これがフリーランス・自営業であれば、そんな甘いことは言っていられないことでしょう。

 

厄介な組織の論理に縛られることなく、すべて自分の裁量で物事を決め、得られた成果はすべて自分のものに出来る。

「自由度」は高いです。

一方で、そうして認められるためには、まさに「結果」がすべて。

どんなに途中で頑張っても、それだけでは何の意味もありません。

「プロセス」は、評価されないのです。

 

フリーランスの入口をちょっとだけ覗いてみて、その魅力と現実の厳しさを体感した者の率直な思いです。 

 

「先生」とは、モノを教える人だけの呼び名ではなかった~”さえわたる”も「先生」と呼ばれる不思議

今日は「先生」という言葉についての話です。

まずは、「先生」をテーマにした歌を探してみました。

 

淡い初恋 消えた日は

雨がしとしと 降っていた

傘に隠れて 桟橋で

ひとり見つめて 泣いていた

 

森昌子が、担任の教師に恋心を抱く生徒を歌った、デビュー曲

「せんせい」の冒頭の歌詞です。

古い歌ですが、大ヒットしたので名前ぐらいはうっすらご存知か、と。

 

先生 私覚えてますか?

手編みのセーター 着てますか?

ところで 先生 17歳は

オトナでしょうか?子どもでしょうか?

 

だいぶ雰囲気の違う歌詞ですが、これもよく似たタイトル

「私の先生」という曲の冒頭部分です。

こちらはほとんど知られていませんが、榊原郁恵のデビュー曲。

やはり、学校で先生に憧れる高校生の姿を歌っています。

 

小さな町の 中学校に

初めて来たのは 春のこと

あれからいくたび 校庭に

桜の花が 咲いたろう

教えた子どもは 数え切れない

 

かつて「欽ちゃん・二郎サン」の名で一世を風靡した、萩本欽一坂上二郎によるコント55号というコンビがありました。

二郎サンは欽ちゃんよりずっと年上なのに、いつも欽ちゃんにコテンパンにやられてしまうのが、二人のコントの芸風でした。

 

上記の歌詞は、そんな「二郎サン」こと坂上二郎が、歌手としてリリースした

「学校の先生」という歌の1番です。

こちらは、小さな町の中学校に赴任した教師の立場から歌った曲です。

 

同じ「先生ソング」でも、中身はずいぶん違います。

 

このように、「先生」と言えば「学校で生徒に教える教師」をイメージするのが普通です。

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しかし、世の中には「人にモノを教えていないのに、『センセイ』と呼ばれる」職種の人がたくさんいることに気づきます。

 

「医師」「弁護士」「税理士」「公認会計士」「建築士などの「資格系職業」。

「作家」「作詞家・作曲家」「美術家」などの「創作系職業」。

「俳優」「歌手」も偉大になると先生の仲間入り。

そして、忘れてならないのが「政治家」

 

なぜ、彼らはモノを教えていないのに「先生」と呼ばれるのでしょう?

 

辞書によれば、

おおもとの意味は文字通り「自分より先に生まれた者」、つまり「年長者」を指す言葉だった。

そこから転じて、学問や技術・芸能などを「教える」立場の人を「先生」と呼ぶようになった。

さらに、直接「教える」という行為を伴わなくても、「学識のある人や指導的立場にある人」に対する「敬称」として使われるようになった。

とあります。

 

郵便物でも「様」の代わりに「先生」が使われていたりします。

「様」より格上の敬称のようにも思えます。

 

資格や才能があれば「先生」と呼ばれるのも何となく頷けますが、政治家センセイもやはり「学識・技能が優れている」…のでしょうね?

 

実は私自身も、ごく限られた世界でなぜか「先生」になっています。

 

大学生の最もポピュラーなバイトと言っても良い「家庭教師」。

一応モノを教えていたので、生徒の家に行くと「先生」と呼ばれました。

これは、ほとんど「ナンチャッテ先生」ですが・・・。

 

学生時代も、もっとオトナになってからも、ヴァイオリンの生徒を何人か持っていました。

これは「家庭教師の勉強」以上にちゃんと教えたので、その場では「先生気取り」になっていました。

 

不思議な感覚なのが「作曲家」の世界。

 

以前も触れていますが、私は現在日本作曲家協会」の会員になっており、この組織のもとで作曲・編曲活動を続けています。

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しかし、実際に人に何かを教えているわけではないし、ましてや学識・才能があるわけでもない。

もしあれば、とっくにプロデビューしています。

 

それなのに、協会という組織の中では、会員はみな「先生」です。

郵便物は「さえわたる先生」で送られてきます。

協会の会合では、会員同士「先生」と呼び合います。

全然崇められる気分ではないし、むしろ違和感アリアリです。

 

 

コント55号を久しぶりに思い出したので、二郎サンの歌を貼っておきます。

発売からだいぶトシを重ねた映像ですが、もともと歌手志望だった片鱗をうかがわせる本格的な歌唱ぶりです。

 

この歌の特徴は、なんと言っても長いセリフ。

歌詞が3番まである…

それ自体はそんなに珍しくありませんが、

「各コーラスのあとにそれぞれ長いセリフが続いている」!

しかも「セリフパートは、バックのカラオケがまるで別の作品のように様変わりする」のです。

 

短い朗読劇を聴いているような気分になる、大変ユニークな曲。 

素晴らしいステージです!

 

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【懐かしい歌No.86 ドラマ発。異色のジャニーズコンビヒット】「青春アミーゴ」修二と彰(2005)

この連載でジャニーズ系の楽曲を取り上げるのは非常に珍しいのですが、この曲は初めて聴いた時から、そのユニークさが耳に残っていました。

 

2005年、日本テレビ系で放送されていたドラマ「野ブタ。をプロデュースで共演した

亀梨和也KAT-TUN

山下智久 (当時NEWS)

による期間限定ユニット

修二と彰

によるシングルです。

 

毎週1位の座が入れ替わるのが当たり前のオリコンチャートで、2週連続、通算では3週も1位の座を獲得。

ミリオンを達成した大ヒット曲となりました。

 

ドラマとは別に、歌番組で楽曲だけを聴いた時、ちょっと過去にタイムスリップしたような懐かしい、それでいて日本っぽくないテイストを同時に感じたのです。

 

1970年代・80年代には、タイトルに「青春」の2文字が非常に多く使われました。

しかし、21世紀に入ったこの時代に改めて「青春」が使われると、ノスタルジックな印象を超えて、「1周回った」新鮮さがありました。

 

制作陣を調べてみると、

作詞: zopp、作曲・編曲: Shusui, Fredrik Hult, Jonas Engstrand, Ola Larsson

とヨコ文字が並んでいます。

 

作詞者のzoppも、作曲・編曲に名前の挙がっているShusuiも、実はれっきとした日本人です。

しかし、その次にある楽曲制作陣はスウェーデン人チーム。

そのあたりが、ユニークさとして「響いた」のかもしれません。

 

スウェーデン人が関わっていながら、タイトルの「アミーゴ(Amigo=友だち)」も、サビの冒頭に出てくる「Si(=イエス)」もスペイン語

スペイン語がJ-POP作品の歌詞に、たとえ単語レベルでも使われるのは、非常に珍しいケースです。

 

この曲を聴くと、メロディーが先に用意されて、そこにあとから歌詞をはめ込む「メロ先」スタイルと察せられます。

サビ頭に突出している「音符1個」に対して、どんな言葉を当てはめるか?

 

日本語の「あぁ!」でも歌える。

英語の「Yeah!」「Oh1」などでもOK。

しかし、それではありきたりでインパクトに欠ける。

そこで、

 スペイン語でYesを意味する「Si!」を持ってきた。

 

ここに、詞の上での大きな特徴があります。

ドラマのコンセプトとして「アウトローな二人の友情」があって、それがタイトルの「アミーゴ」につながったのかもしれません。

 

メロディーラインも特徴的です。

抑え気味のAメロ~Bメロから、「Si!」からのサビで一気に賑やかさが増しています。

バックのサウンドが増えている効果もあります。

同時に、サビ突入時にさりげなくキーが「+1」になっているのです。

これが「効いて」います。

 

さらにリフレインでは、このサビがさらに「+2」にキーアップしています。

エンディングでキーを上げるのはよくある作曲技法ですが、ハーモニーとの相性などを考慮して「+1」にする場合が多いのです。

そこをあえて「+2」にした・・・

これも、効果的な演出のひとつになっています。

 

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「若さが売り」の芸能界では、年齢はサバを読むのが当たり前?アイドルデビューに20歳超えは致命的。「芸能生活・歌手生活〇〇周年」を祝う時は「逆サバ」

「サバをよむ」という言葉があります。

 

漢字で書くと「鯖を読む」。

魚ヘンの「サバ」の字が当てられています。

意味としては、「自分の都合の良いように、数字や年齢をごまかすこと」と辞書にあります。

 

語源はさまざまあるようですが、最も有力な説は…

  • 江戸時代から使われていた言葉。
  • サバは傷みやすく、また収穫される数が多かった。
  • そのため、量が大雑把に早口で数えられた。
  • 結果として、実際の数と合わないことが多かった。
  • そこから転じて「いい加減に数を数える」意味になった。f:id:saewataru:20200105082321j:plain

「サバを読む」最もポピュラーなシチュエーションは、「年齢」でしょう。

 

人は誰しも「若く見られたい」願望があります。

saewataru.hatenablog.com

若く言われると、気持ちとしてはうれしい!

一方ビジネスの世界では、あまり若く見られると「舐められる」ことにもつながり、それはそれで考えものです。

 

純粋に「若さ」がウリになるのが、芸能界。 

実際は20歳過ぎなのに、たとえば18歳と偽る。

歌手や俳優のデビュー時に、よく使われるパターンです。

 

特にアイドルの場合には、「ハタチ過ぎ」だとそれだけでイメージ面でマイナスになってしまう。

そこで、「まだ10代」とごまかして売り出すことが多くありました。

 

昭和の終わりに活躍し、「伝説」となった名歌手、

テレサ・テン

 

1953年1月生まれの彼女は、1974年3月、21歳の時に日本デビューしています。

「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」の「ヒット3部作」で知られるように、彼女は「演歌とポップスの間を行く、歌謡曲歌手」のイメージが強い歌い手です。

 

しかし、デビュー時の売り出し戦略は「アイドル」として、でした。

デビュー曲は、ポップス色の強い「今夜かしら明日かしら」。

 

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アイドルにとって「20歳超え」は、致命的に不利です。

歌番組のインタビューで年齢を尋ねられた彼女は、まだ日本語が不自由だったため、英語ではっきりと

「Nineteen」

と答えていました。

事務所の方針で、そう指示されていたのでしょう。

 

もっと厳密に言うと、「19歳」と「18歳」が与えるイメージの違いも微妙に大きいもののようです。

 

同じく昭和の終わりに、アイドルとして一世を風靡した

田原俊彦

 

1961年2月生まれの彼は、1980年6月に歌手デビューしています。

19歳でしたが、公表されていた年齢は18歳でした。

 

 

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デビュー翌年の2月、歌番組のインタビューで誕生日を祝われた際、彼は

「ハタチになりました」

と明言した。

ここで「1歳のサバ読み」を認めたのです。

たのきんトリオの中で1番年長だったがゆえに、バランスをとるためにサバ読みを迫られていた、という話もあります。

 

ところが、たとえば現在のジャニーズ系アイドルを見てみると・・・

ジュニア時代の「下積み」が長く、さらに上がつかえていてなかなかチャンスが訪れないことから、デビューした時点ですでに「旬」を過ぎた20代半ば、などという状況が珍しくありません。

サバを読んでも、もはや「焼け石に水」状態です。

 

一方で、水商売の世界では、実際はまだ10代(しかも18歳未満)なのに、仕事に就きやすいように年齢を水増しすることがあります。

いわゆる「逆サバ」状態です。

 

ところが、歌手の世界でも「逆サバ」を読むことがあります。

それは年齢ではなく、デビューからの「年数」をカウントする時

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不思議なもので、年齢は若い方がイメージが良いとされているのに、芸能生活は長い方が「箔が付く」ため、その年数が大きい方が有利なのです。

芸能界では、売れていようがいまいが、年齢に関係なく1日でも早くデビューした方が「先輩」になり、その上下関係は部活の体育会など足元にも及ばない厳しさだと言います。

 

そのためか、芸能生活(芸歴)に関しては「長さ」を自慢してアピールする傾向が強いです。

たとえば、

デビューからちょうど9年経った時点で、すでに「10周年」になるのです。

本当は、まるまる10年経った時が「10周年」ではないかな?と思うのですが。

「10周年め」に入った時点で、すでに「周年イヤー」に突入しています。

 

周年記念を謳ってライブツアーやイベントを開催する。

その方が「興行」を打ちやすい。

そうしたコマーシャリズムの影響が大きいのだと思います。

「声」を失って強制的に引退できた「少年少女合唱団」の部活

小学生時代、父の仕事の都合で東京から宮城県石巻市に転校し、3年生から6年生までを過ごしました。

 

その頃のエピソードを、過去記事で何度か取り上げています。

saewataru.hatenablog.com

saewataru.hatenablog.com

 

その頃からやたら背が高く、小学生のくせにヴァイオリンなんぞを演奏する、田舎町に見知らぬ土地・東京から「異星人」のごとく転校してきた少年。

クラスメートからはちょっと浮いた存在でしたが、教師たちからは「規格外」に注目されていました。

 

その対象は、田舎町には馴染みの薄いヴァイオリンという楽器だけではありませんでした。

音楽の授業では、定期的に「独唱テスト」が行われていました。

そこで私が披露した「歌声」「歌いぶり」が、クラスの垣根を越えて教師たちの間に知れ渡ることとなっていたようです。

 

その頃市内では毎年、近隣地域を含めて

小学校対抗の「合唱コンクール」なるイベントが開かれていました。

我が校にも、もともと歌好きの生徒が集まっての「コーラス部」があったのですが、私がそこに参加することはありませんでした。

 

なぜか? 

ヴァイオリンのレッスンが週2回、レッスンの準備として毎日自宅での練習、おまけに当時は定番だった習い事として「習字」もやったりしていたので、下校後のスケジュールはいっぱいだったことが主因です。

 

一方で、

テレビの歌番組に夢中になり、最新のヒット曲をクチコピするのが楽しみだった私。

歌うことは決してイヤではなかったのですが、当時からヴァイオリンの発表会でのソロステージや、場違いなテレビ出演なども経験していたため・・・

 

saewataru.hatenablog.com

 

「ひとりで注目される快感」

を覚えてしまっていて、

「集団の一部として歌うのは好きではなかった」

そんな要因もありました。

とにもかくにも、ワガママで生意気な少年に育ってしまっていました。

 

でも、教師たちには「我が校をコンクール優勝へ」という並々ならぬ思いがあったようです。

そこで、正式な団員ではなかったにもかかわらず、上記の「4年4組の歌」騒動後、担任から急きょ合唱メンバーにと招集を受けるに至ったのです。

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帰宅したらやらなければならないことがたくさんあった中、放課後の練習は正直苦痛でした。

 

それに追い打ちをかけたのが、メンバー構成。

「少年少女」合唱団と銘打ちながら、メンバーのほとんどは女子で、男は自分ともう一人しかいなかった。

合唱が好きでたまらなくて合唱部に入った彼女らと、教師に言われてイヤイヤ練習に参加する私。

話が合うはずがありません。

 

今だったら、イヤなものは適当な言い訳を見つけて体よく断るところですが、小学生にはそこまでの知恵はありませんでした。

結局5年生の時に本選に出場。

何かトロフィーらしきものをもらった覚えがあるので、優勝ではないけれどそこそこの成績だったようです。

 

しかし、正直喜びはまったくなかった。

6年生になっても、その「苦行」に耐えなければならないのか、と思うと、さえわたる少年の心は真っ暗でした。

 

ところが、ここで絶好の「転機」が訪れました。

それまでの私の歌声は、「ニッポンのウィーン少年合唱団か!」と称されるほどの(クォリティーはともかく、その高さにおいて)超ボーイソプラノが大きな特徴でした。

 

しかし、6年生のある日、本当に突然カラダに変調が。

そう、男子なら誰でも経験する通過儀礼

 

「声変わり」です。

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そのパターンは人それぞれです。

 

日々少しずつ変わっていって、気が付いたらオトナの声になっていた。

ある日突然違う声になっていた。

大きくこの2パターンがありますが、私の場合典型的な後者。

本当に、ある朝目覚めたら「天使の声が男の野太い声」に変わっていたイメージでした。

音階で言えば、1オクターブくらい一気に声域が低くなった感じ。

 

他のクラスメートより若干早く訪れた変声期によって、合唱団員としての活動は強制終了となったのでした。

 

今でも決して楽しい思い出とは言えない合唱団エピソードですが、

ひとつだけ「良かった」と思えることがあります。

 

それは・・・

合唱練習の一環として一応専門家の指導の下、本格的な「発声法」を学ぶ機会が出来たこと。

短期間だったので成果レベルはまだまだではありましたが、その経験は多少ながら現在の「歌を作って自ら歌って表現する」活動に生かされている…

そう感じることがあります。

 

【500記事投稿突破】ホンネで語る「ブログ運営モチベーション継続の足かせとなるストレス&ジレンマ」

1年半前から地道に「毎日更新」を継続。

500記事投稿に到達しました。

今日が501回目の投稿となります。

 

毎日書きながら、「このまま続けるべきかどうか」を常に考えています。

この節目に、少しだけ詳しく自分の気持ちに素直に向き合ってみたいと思います。

 

現在、読者登録数はそれなりの数に至っています。

しかし実アクセス数は、ここのところすっかり「低位安定」。

この先どれだけ継続しても、現状がピークのようです。

 

それでも執筆を続ける支えになっているのは、毎日いただける★スターや「ブックマークコメント」です。

固定的な読者として、クリックのみにとどまらず「言葉付き」で返して下さるそのご厚意には、ただただ感謝のひと言です。

 

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ネット上を賑わせる「ブログでお小遣い稼ぎの自慢記事情報」には縛られることなく、自由な立場で日々好き勝手なことを書けているのですから、基本的にブログに接するのは「楽しいことばかり」であるはずですし、そうあって欲しいと思います。

 

「書く」ことが好きな気持ちに、変わりはありません。

従って、書くこと自体にストレスはまったくないのです。

しかし、ブログという世界を知ってしまった今、純粋に「ただ書いていれば楽しい」と思えない日が多い。

モチベーションは揺れ動き、ストレスにつながるのです。

 

「ストレスと感じるのなら、辞めてしまえばいい」。

カンタンなことです。

ところが、「書きたい欲望」はしっかり存在している。

辞めたら辞めたで、きっと物足りなさが押し寄せてくるはず。

そうたやすく辞めることは出来ない。

ここに、「欲望とストレス」の大きなジレンマが生じます。

 

「モチベーション維持」に、大きな葛藤を抱えている状態です。

 

 

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では具体的に、どんなことがモチベーションダウンやストレスになり、ジレンマに陥っているのか・・・

 

<得意ネタが不評で特化型ブログに踏み切れない>

 

ブログ名として「音楽・エンタメ日記」を名乗っていますから、それに沿った記事を多く書いています。

saewataru.hatenablog.com

 

「音楽・エンタメ」と言っても、ジャンルはさまざまあります。

その中で特に「軸」としているのが、ヴァイオリンのステージ活動「懐かしい歌」のレビューと、最近スタートした「さえわたるオリジナル作品」のご披露です。

 

本当は、「ここだけに特化したい」と思うくらい、書いていて楽しいひとときです。

 

ところが、日常生活の中でふと気づいて書きたいと思う「他のジャンル」のネタも頭に浮かんできます。

それを載せると、音楽ネタよりはるかに評判が良いことが多いのです。

「言われてみれば、確かにそうですね」

「指摘されるまで、気づきませんでした」

「視点が斬新で、面白かったです」

と言ったうれしいコメントが多く並ぶのです。

 

特化型に徹する方が、「固定ファン」がついて運営上は得だとよく言われます。

ところが私の場合、時として思惑とは違う反応が生まれる。

「反響はどうであれ、書いていて楽しい記事を優先するか?」

「やはり読まれたいから、評判の良い記事を意識して書くか?」

けっこうな葛藤です。

 

<〇〇砲に見放される> 

 

はてなブックマーク」の新着・人気エントリー

ここに掲載されると、アクセスが驚異的にアップします。

「スマニュー砲」も同様です。

 

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一度でも味わってしまうと、「期待感が病みつき」になります。 

一種の「麻薬」のようなものです。

 

それだけに、切れた時の「禁断症状」も無視できません。

このような「ご褒美」などないのが当たり前。

そう悟るべきなのですが、いったん「麻薬」に染まってしまった身体は、書いても書いてもずっと見放される状態に耐えるのが難しくなります。

 

「いっそ『知らぬが仏』の方が幸せだったのかも」と思うことさえあります。

 

掲載対象となる記事はAIで機械的に選ばれているらしいですが、それにしては同じ筆者が何度も登場していたりする。

自分の記事のクオリティーは棚に上げて、羨望の念を超えた嫉妬心が湧いて来てしまいます。

 

<読者登録の期待が外れる>

 

記事にスターやブックマークをひとつでもいただくことは、とても貴重かつ難しいこと。

それ以上に、登録読者をひとり殖やすことは大変です。

それだけに、「〇〇さんが読者になりました」のお知らせは、たまらなくうれしいことです。

新規読者さんのお名前は憶えておくようにしています。

 

ところが、その方々からのアクセスはいつまで経ってもありません。

「拙稿に興味が湧いたからこそ、読者登録をして下さったのでは?」

「登録は読むためではなかったのだろうか?」

とワガママな推測をしてしまいます。

 

<とにかく記事を読み続ける。それでも離れて行く読者>

 

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読者登録し、毎日定期購読しているブログ記事は数十に及びます。

そのほかに、レギュラーではない方から記事にスターやコメントをいただく場合があります。

その場合、お相手の記事を必ず読みに行きます。

絶対に「読まれっぱなしの放置行為」はしません。

 

読んだ記事のうち、かなりの割合で「コメント」を書きます。

コメントを書くために、記事を熟読します。

その結果、時には「記事執筆より時間がかかる」ことになります。

 

なぜそこまで精力を注ぐか?

ひとつには「純粋に楽しみながら読める、またためになる記事」と思うからです。

だからこそ、記事を登録しているのです。

 

もうひとつ。

「読みに来てコメントを下さった方の記事は、必ずご訪問して同様にコメントする」

という、自分なりのポリシーがあるからです。

それが「ご厚意へのお返し」~「誠意」だと思うのです。

 

「お前は、物事をそうやって堅苦しく考えるから、ストレスがたまるんだよ!」

とよく揶揄われます。

でも、検索流入などほとんど望めない弱小ブロガーとしては、「まず読みに行く」ことが先決。

そうやって自分から足跡を残さなければ、はてなブログの中で生き残っていくことは出来ません。

アクションを起こし続けなければ、読者は離れていく一方です。

 

また、たとえアクションを続けても、お相手が更新をやめてしまえばそれまでです。

大切な読者を、またひとり失うことになります。

 

<辞めるに辞められない>

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このポリシーを貫こうとすると、毎日ログインしての作業が必要になります。

1日休むと、未購読の記事は2倍になります。

1週間休むと、もう手が付けられなくなります。 

 

一般の感覚としては、「気が向いた時だけ」「気に入った記事にだけ」アクションをすれば良いのでしょう。

それが「ムリのない、マイペースで理想的なブログ運営」だと言えます。

アタマでは十分わかっているのです。

 

しかし、逆の立場になって考えてみると・・・

さえわたるの記事にせっかくブクマコメントを残してやったのに、さえわたるからは何の音沙汰もない。

それでもなお「さえわたるの記事を読みに行こう!」という気にはならなくなるはずです。

記事内容の魅力だけで、アクセスを集めることなど出来ない。

投稿しただけで大量集客できる「人気巨大ブロガーさん」とは事情が違うのです。

 

自分のブログを読んで欲しい⇒そのためには欠かさず読みに行く

この作業を続けるしかない。

自分から何もせずにただ「読まれたい」は、ムシが良すぎるのです。

アクションを辞めたとたん、我がブログは成り立たなくなるでしょう。

 

自作曲をYouTube化することを覚えて以来、一層「聴いて欲しい」願望が高まってしまいました。

プレイリストには、何十曲もストックが出来上がりました。

収録出来ていない作品が、手元にまだたくさんあります。

ブログ以上にアピールする場は、今のところ見つかっていません。

これらをお披露目するまで、「辞めるに辞められない」境地です。

自ら作ってしまった「抜けられないワナ」です。

 

そんなネガティブなことを言っていながら、予約投稿のストックは驚くほど多く、しかもその備蓄量は、日に日に増える一方。

ストレスだジレンマだ・・・と言っておきながら、自らの行動の矛盾に我ながら呆れています。

 

とは言え、

500記事積み重ねてきたからこそ、「思いを新たにする」こともあります。

本格的に決意を固めたら、また改めてご報告したいと思っています。

 

【懐かしい歌No.85 元祖グループアイドルのソロデビューヒット】「さらば恋人」堺正章(1971)

現在も司会者・タレントとして、幅広い活躍を続けている

堺正章

喜劇俳優を父に持つ「2世タレント」の走り的存在でもあります。

 

現在でこそ「司会者」のイメージが強い彼。

 

その昔マチャアキの愛称で親しまれ、森光子主演の国民的ドラマだった「時間ですよ」に、樹木希林(当時:悠木千帆)や天地真理浅田美代子らと共に出演した名俳優であったこと。

それ以前に、今のジャニーズタレントなど足元にも及ばぬほどの爆発的人気を誇った「歌手」であったこと。

そんな「実績」の数々は、もはやご存知ない方々のほうが多いのかもしれません。

 

今を去ること半世紀以上前。

1960年代半ば、ニッポンに

グループサウンズ

と呼ばれるブームが巻き起こりました。

 

中でも人気を誇ったのが…

ジュリーこと沢田研二(時に加橋かつみがリードヴォーカルを務めていたザ・タイガース

ショーケンこと萩原健一がメインだった「ザ・テンプターズ

そして、堺正章がメンバーだったザ・スパイダースです。

 

歌詞が替え歌になるほど国民的なヒットとなった「ブルー・シャトウ」のジャッキー吉川とブルー・コメッツ

「失神騒動」で有名だった「ジ・オックス」などのグループもありました。

 

スパイダースには、井上順や「ムッシュかまやつ」ことかまやつひろしも所属していました。

 

今のジャニーズタレント並みに「ルックス」だけを問うなら(もちろん個人の好みはあるにせよ)、若い頃の沢田研二の「美しさ」は群を抜いていたような気がします。

しかし、上記のメンバーの中で「現役」の2文字を追求するならば、マチャアキが圧倒的な「勝ち組」と言えるのではないかと思います。

 

あれこれ語り出すと、プロフィールの紹介だけで記事が終わってしまいそうです…

 

ブームが過ぎ去り、それぞれが単独の活動を始める中で、彼はグループ時代のメインヴォーカルのキャリアを受け、ソロ歌手として新たなスタートを切ります。

その「再デビュー曲」が、この

「さらば恋人」

です。

 

タイトル通り、基本的には「別れの悲しい歌」です。

ただ、決してジメジメとはしていない。

 

作詞は、医者の肩書を持ちながら人気フォークグループ、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成し、

「オラは死んじまっただぁ~!」の歌詞と独特な歌声が衝撃的だった

「帰って来た酔っ払い」

をヒットさせたほか、

戦争を知らない子供たち

「あの素晴しい愛をもう一度」

「白い色は恋人の色」

などの有名なフォークソングの作詞者としても知られる北山修

 

その淡々とした語り口が、AメロとBメロだけのシンプルで覚えやすいメロディーとともに、胸に迫ってきます。

これぞ「伝統的なはやり歌のお手本」のようなメロディーの構成。

これだけの音符使いで、「聴かせる」メロディーが作れる…

後々のアイドルブームに大きく貢献することになる巨匠作曲家:筒美京平の「天才」ぶりが、すでにこの時代から如何なく発揮されています。

 

saewataru.hatenablog.com

イントロから鳴り響くティンパニの音が、バックサウンドのスパイスになっています。

 

<Aメロ>

さよならと 書いた手紙

テーブルの 上に置いたよ

あなたの 眠る顔見て

黙って 外へ飛び出した

 

<Bメロ>

いつも 幸せ過ぎたのに

気づかない 二人だった

 

<A'メロ>

冷たい 風に吹かれて

夜明けの 街をひとり行く

悪いのは 僕の方さ

君じゃない

 

名作を得た「マチャアキ」は、スパイダース時代に培った表現力を生かし、味わいのあるヴォーカルを聴かせています。

 

「さよならと かいたてみ~」 

「いつも しあわせすたのに~」

の歌唱で明らかなように、現代の若手歌手(歌手に限らない?)の多くが発音出来なくなってしまった「がぎぐげご」の鼻濁音も、キレイに表現されています。

 

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【シンガーソングライター・さえわたるオリジナル作品 No.5 愛の救急箱で君の心の傷を癒す】「薬箱の中に」

オリジナル作品の連載、5回目。


本日のタイトルは

「薬箱の中に」

です。

 

何かつらいことがあった時・・・

「心の救急箱」にある君の笑顔という名の薬をつけると、傷や痛みが癒えていく。

君が寂しくてたまらない時・・・

「心の救急箱」にある僕の吐息で、君を優しく守ってあげる。

それでも治らない時は・・・

君をぎゅっと抱きしめてあげる。

 

「薬箱」を小道具に使った、優しさを前面に押し出したムードのラブソングです。

イントロ・間奏と本メロディーとでキーがいつの間にか変わっているのが、楽曲上の特徴です。

 

<歌詞>

心についた傷が 寂しさでしみる時は

たまらずそっと開ける 僕だけの薬箱を

 

両手に君の笑顔 すくって傷に浸す

不思議 不思議 薄れて行く痛み

 

誰にも憂い見せず ひとりきり嘆く夜は

必ずそっと開けて 君だけの薬箱を

 

両手に僕の吐息 すくって頬に当てて

いつも いつも 思っている君を

 

それでも涙こぼれ 悲しみつのる時は

ぎゅっと ぎゅっと 抱きしめたい君を

 

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収載作品リストです。
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ドラマ・CMでオフィスの仕事シーンに登場する書類は、なぜ「企画書」ばかりなのか?

テレビドラマやCMで、オフィスでの仕事が舞台になることがよくあります。

その時、業務書類のやりとりとして非常によく使われると感じるのが、

「企画書」という名称。

 

部下が上司に、

「部長!企画書が完成しました。ご確認下さい」

のような形で手渡す書類です。

 

「企画」と名が付くと、いかにも「仕事をしている書類」というイメージがあって、しかもスマートな感じがするのかもしれません。

しかし、画面に登場する書類イコールみんな「企画書」であることが、不思議でもありちょっと滑稽でもあります。

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確かに、何か新しい仕事を始める時、新規プロジェクトを立ち上げるような時、その実施計画を練る場面はあります。

実際、「〇〇実施計画書」なる書類を作成することもなくはありません。

でもそれは、日頃交わされる書類のほんの一部にすぎません。

 

そんなことを思うのは、自分自身のキャリアが影響しているのかもしれません。

 

いくつものセクションがある大規模な会社に新卒で入った場合、自分の希望する部署や赴任地が叶えられることはまずありません。

どういうキャリアパスを描くかの運命は、「会社にお任せ」になるのが普通です。

 

営業職を希望して入ったのに、実際はデスクワークばかりの内勤だったり。

またはその逆も。

本社勤務を希望していたのに、初めからとんでもない田舎に飛ばされたり。

 

また、人によって部署異動のパターンも異なります。

入社以来ひとつの部門にずっととどまって、その道の専門家になるスペシャリスト」型。

いろいろな部署を渡り歩きながら、広く浅く知識を身に着ける「ゼネラリスト」型でした。

 

先週の記事でも触れたように、私は典型的な「ゼネラリスト」になりました。

 saewataru.hatenablog.com

 

具体的な部署名を挙げれば、比較的長らく務めた「経理部」「財務部」のほかに、

「営業企画部」

「〇〇事業部 企画室」

「経営企画室」

「研究開発戦略部」

「製品戦略部」

のような「企画・戦略」の名前のついたセクションを、数年ごとのローテーションで渡り歩いてきました。

 

では、実際にそこで働いていて、ドラマにあるような

「企画書、完成しました」

「企画案のプレゼンテーションを行います」

のような「華々しい」場面があったかというと、それは皆無ではないけれど、ほんの一部分だと身に染みて感じています。

 

職場で「企画」と言えば、いわば「何もないところから新しいアイディアをひねり出す」作業。

 

ニュース寄りのバラエティー番組やドキュメンタリー番組でよく見かける場面。

「商品開発部」チームが、新商品を生み出すまでがオンエアされたりします。

あれの完成形は、具体的な「商品」。

 

それに対して、「事業の企画・立案」のゴールは、目に見えないビジネススタイルです。

  • 新しいビジネスのヒントになりそうなことを、入手できる限りの情報を駆使して調べ尽くす。
  • 同じチームの関係者と、まるでケンカでもしているような侃々諤々のディスカッションを行い尽くす。
  • データの裏付けとするため、地道で地味な、気が遠くなるほどの作業を積み重ね尽くす。

そんな「泥臭い」ことばかりです。

 

こうして実体験に照らし合わせて考えると・・・

ドラマで「オフィスの仕事と言えばこれ!」

と、ワンパターンのように繰り返される「企画書」という名の書類のやりとりシーン。

 

ある意味象徴的ではあるけれど、すごく表面的で薄っぺらなモノに感じられてしまうのでした。

【懐かしい歌No.84 衝撃のイントロから始まる海外への旅情】「異邦人~シルクロードのテーマ」久保田早紀(1979)

今になって振り返ると、歌謡界「激動の80年代」の幕開けを告げた「衝撃の1曲」だったと思います。

 

発売は1979年10月ですが、人気に火がついたのはその年末辺りから。

年をまたいで1980年に入るまで、1位の座をキープしました。

三洋電機テレビのCMソングとして流れていた曲に、それまでのはやり歌では耳にしたことのないようなテイストを感じ取りました。

 

歌手名:久保田早紀

まったく聞いたことのない名前でした。

それもそのはず、これが彼女のデビュー曲だったのです。

 

この曲の原題は「白い朝」でした。

デビュー曲の候補として、後にこのシングル盤のB面に収録された「夢飛行」と、次のシングルとなった「25時」の3曲が挙がった中、スポンサーの意向で「白い朝」に決定。

そして同時に、プロデューサーの判断で、タイトルが「異邦人」に変更されたのです。

 

タイトルが「白い朝」のままだったら、これほどまでに話題を呼ばなかったかもしれません。

 

この曲の「衝撃」の最大のポイントは、イントロのメロディーです。

 

サブタイトルに

「~シルクロードのテーマ」

と付けられているように、ヴォーカル部分のメロディーラインも中近東風で神秘的なムードを漂わせています。

しかし、何と言っても冒頭のイントロ4小節が、この曲の「運命」を決めたと言っても良いくらい…

この動画ではスタジオのため電子楽器で奏でられていますが、シングル盤ではストリングスで、一層迫力ある音色になっています。

この部分で、一気にはるかオリエンタルな世界に連れていかれた気分になります。

それまでのニッポンのはやり歌には考えられない音符の動きに、度肝を抜かれたものでした。

 

(曲自体は彼女本人の作詞・作曲によるものですが、このイントロのメロディーは編曲を担当した萩田光雄によるものだと知ったのは、後になってからのことです)

 

ワンコーラスの構成は、A-A'-B-A''の比較的シンプルなものです。

ただ、繰り返されながらメロディーの詳細が微妙に異なるAメロ自体と、それをバックで支える

「♬ズンタタ、ズッタ、ズンタタ、ズッタ~」

のリズム。

ラクダに乗って旅をするような」独特なトーンが、タイトル通りのオリエンタルなイメージを強く押し出したものになっていて、強いインパクトを残します。

 

そのムードを後押しするのが、中間部のBメロです。

「♬空と大地が 触れ合う彼方」の部分で、それまでの「ヘ短調」が8小節だけ「ヘ長調」にチェンジします。

ここでは、それまでのAメロで「砂漠をラクダで旅」気分が一転。

歌詞通り、広大な大地が目の前に開けるような、スケール感あるアレンジに変わります。

 

その後10作のシングルを残して、芸能活動から引退。

しかし、結婚後本名の「久米小百合」名義で、教会音楽家としての活動を続けています。

 

楽曲「異邦人」も、発売後四半世紀経った2003年、再び三洋電機のCMソングとして起用されています。

さらに、多くのミュージシャンによってカバーされる、息の長い歌となっています。

 

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「旅の悩み」。気に入った旅先を再び訪れるか?新しい目的地開拓に時間を充てるか?

まとまった休みが取れた時、まず考えるのは

「気兼ねなくどこかに旅行に行けたら…」。

ごく一般的な、今のご時世では非常にゼイタクな思いです。

 

スケジュールを考慮して、

「何日間時間をとるか」

「どこに出かけるか」

計画を立てている時点から、心が躍ります。

一方で、気まぐれの無計画な旅も、それはそれで楽しみがあります。

 

どんな旅であっても、「非日常を味わう」という旅の大きな目的は叶えられるので、家に戻ってからも「良い思い出」として残ることがほとんどです。

 

たとえそれが業務の出張だったとしても、

「国内外のふだん出かける機会のない土地に赴くことが出来た」

「そのために大好きな鉄道に乗ることも出来た」

そう思えば、楽しく振り返ることが出来ます。

 

「旅の思い出」カテゴリーで、記事を連載しています。

国内47都道府県は、だいぶ前に全踏破しています。

海外は、それほど多いわけではありませんが、10か国以上は訪れています。

複数回訪れた国もあります。

アメリカは合計4回、中国本土は3回行っています。

 

そんな中、当然のなりゆきとして「特にお気に入りの場所」が出来ます。

皆様は、

「ぜひ行きたい!」

「ぜひ、もう一度行ってみたい!」

と思われる場所はありますか?

 

私の具体例を挙げれば…

<国内編>

いろいろ思い出深い土地はありますが、代表的なのは「東西南北の突端」を巡った旅。

「はるばるやって来た」と、感慨深いものがありました。

 

旅行ライターとして昨年記事を書いた旅先。

北海道の「突端」であり、日本の最北端の宗谷岬・最東端である納沙布岬などは、はるばる出かけただけあって特に印象が深く、再び訪れたい場所のひとつとして今も心に残っています。

 

宗谷岬にある「日本最北端の碑」。

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本土「最東端」にある納沙布岬」。

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trip-partner.jp

しかし、何と言っても遠い!

その気になれば、時間が確保できれば、決して行けない場所ではないのですが…。

 

それ以上に、「北」と「東」を制覇したなら、「南」と「西」も、と考えます。

「本土で」「鉄道路線で行ける」という条件付きであれば、長崎県と鹿児島県でそれも達成しているのですが、離島を含めるとまだまだです。

 

言うまでもなく、ほかにも魅力的な観光スポットはたくさんありました。

 

<海外編>

国内レベルで「遠い」などとボヤいていられません。

海外の旅行先の魅力は、まさに無尽蔵です。

 

これまで、プライベートでの海外旅行は新婚旅行を含め3回しかなく、ほとんどは仕事がらみでした。

それでも、短い隙間時間を駆使してのプチ観光は、一生印象に残る思い出になっています。

 

特に印象深いのが、この2か所。

 

前記事ですでに個別に挙げましたが、

NY・マンハッタン(タイムズスクエア界隈)

の散策は、以前からの強いあこがれもあって、本気で「これで人生思い残すことはない」と真剣に思えた瞬間でした。

 

大雨の中、やっとの思いで撮影した「奇跡の1枚」です。

 

saewataru.hatenablog.com

 

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インド・ムンバイ観光も、まさに「魅惑のかたまり」でした。

saewataru.hatenablog.com

 

代表的な観光スポット

「インド門」。

ここも、一生忘れられない場所のひとつです。

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チャンスがあれば、ぜひ再訪したい!

 

しかし国内外とも、これまで行ったことのない目的地を「新規開拓」すれば、また新たな感動が得られるはずです。

 

一度行ったところを再訪して、感動の追体験も味わいたい。

でも時間は有限なのだから、新しい旅先に費やした方がきっと楽しい。

 

そんなジレンマを抱えながらも、カラダは常に「未体験ゾーン」に踏み出しています。

大きな感動を与えてくれた旅先を「一生に一度の思い出」として残しながら…

 

現在連載中の「全都道府県旅行記は、47すべてを網羅したいところですが、途中で終了する予定です。

と言うのも、現地を訪れた証拠である「写真」を残していない旅先がけっこうあるからです。

いつになるかわかりませんし、実現するかどうかも不確かですが、今度もしチャンスがあれば気ままな旅日記を書けるよう、撮影も忘れずに出かけてみたいと思っています。

 

遠近関係なく、行ってみたい場所は数限りなくあります。

せっかくブログに出会ったのだから、ブログを意識した旅にするのが良いのでしょう。

 

ただ一方、書くのが楽しくて毎日更新を続ける中で

「純粋に好きな旅行を楽しむ人生を送るなら、ブログのことは忘れた方が良いのかもしれない」

との思いも強くなってきています。

 

大きなジレンマです。

「野球・バレーボール」対「サッカー・バスケットボール」の決定的な違いは

カンタンすぎるクイズです。

代表的な球技。

「野球・バレーボール」vs.「サッカー・バスケットボール」。

この両者の違いは何でしょう?

 

試合の出場選手数の違いでもなければ、ボールの種類・大きさの違いでもない。

 

昔流行った(今もある?)「ある・なし」クイズ風に言えば、

「サッカー・バスケットボール」には「ある」。

「野球・バレーボール」には「ない」。

ちなみに、昨年ブームになったラグビーは、「ある」組です。

テニスやバドミントンは、「ない」組です。

 

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そう、「試合時間が決まっているか・いないか」です。

 

サッカー

前半・後半45分と決められています。

インターバルはたいてい10分、試合の展開によってアディショナルタイムも存在しますが、せいぜい数分。

トータルでだいたい2時間あれば、1試合が終わると前もって「計算」が出来ます。

バスケットボール

クオーターごとに、時間が定められています。

<高校生・大学生・プロ・国際大会>

1Qあたり10分、インターバル2分、ハーフタイム10分

<NBA>
1Qあたり12分、インターバル2分、ハーフタイム15分

4つのクオータープラスアルファでも、通常サッカーより短い時間でスピーディーに試合が終わります。

 

野球

同点時の扱い、プロ・アマによる違い、コールドなど細かい規定はありますが、基本的に表・裏9回は必ず戦う。

試合展開によって、9回が終わるまで何時間かかるか読むことは出来ません。

ここに挙げた4つの競技のうち、一般的に最も時間がかかります。

9回までで4時間・5時間かかることもざらにあります。

延長になれば、なおさらです。

 

バレーボール

第1~第5各セット、どちらかが25点(最終セットは15点)とるまで勝負はつかず、時間は計算できません。

ストレートで3セットまでで終了であれば早く終わりますが、フルセットまでもつれると長くなります。

以前の「1セット15点制でサーブ権のある時だけ得点」ルールの時は、もっと時間がかかっていました。

 

「制限時間がある」球技は、「時間が読める」メリットがあります。

一方、ある程度の時間で大差がついてしまった場合、試合終了前に「勝負あり!」になってしまいます。

たとえば、サッカーの1点は非常に重い!

後半40分を過ぎて2点以上差がついていたら、逆転は非常に難しいです。

応援しながらも、試合終了前に「あきらめ」ムードになってしまいます。

バスケットは点が入りやすいですが、それでも大差がついている場合、最終クオーターの途中で事実上勝敗が決まってしまう試合もあります。

 

「制限時間がない」競技は、野球なら9回まで、バレーなら1セット25点をとるまで、決められた「枠」を戦い切るまで、勝利の行方はわかりません。

「野球はツーアウトから」とよく言われますが、2~3点の差なら9回裏ツーアウトからでも十分逆転可能です。

バレーボールもリズムや波の影響が大きいので、連続ポイントをあげて逆転することがよくあります。

 

それぞれの競技をテレビ中継する場合に、延長時間を考慮しなくて良いという意味では、サッカーやバスケットボールはやりやすいですね。

 

昔、巨人戦を中心としたプロ野球が地上波で放送されていた頃。

ほとんど例外なく、「試合展開によって30分放送延長の場合あり」のおことわりがありました。

スポーツ生中継ですから、結果を見せることが最優先のシステムでした。

 

ですから、そのあとの番組を楽しみにしていた時など、延長されると小さな苛立ちを覚えたものです。

【シンガーソングライター・さえわたるオリジナル作品No.4 歌の世界には珍しい3拍子の野辺送りソング】「春霞」

自作オリジナル作品のご紹介。

4回目となる本日は

「春霞」

です。

 

タイトルには明確に示されていませんが、この歌は「葬送曲」です。

歌の冒頭に

「♬野辺の送りよ~ 君と二人よ~」

途中に

「♬(川の)向こうへ渡る小舟よ 少し待とうよ」

という歌詞が出てきます。

 

「野辺の送り」とは、「葬儀の後、火葬場や埋葬地まで行列を作った、亡くなった人を送っていく儀式」のことを言います。

どう作曲するか作詞者に問い合わせたのですが、幸いなことに「実話」ではなく、ちょっと特殊な世界を綴ってみたいとの話でした。

 

いつもは何かしら「凝ったこと」をしたくなる作業ですが、今回はきわめて「心を無にして」シンプルなメロディーを作り、レコーディングを行いました。 

「コーラス隊」として、2人ほど別の「さえわたる」を呼び込んでいます!

 

全然最近のJ-POPらしくなく、ちょっぴりしみじみとしてしまいますが、個人的には忘れられない1曲。

こんな歌も、自らのプレイリストのひとつに残しておきたいと思いました。

 

<歌詞>

野辺の送りよ 君と二人よ

宵の霞に 紛れ行こうよ

足元近くせせらぐ 流れ辿って

向こうへ渡る小舟に 間に合うように

 

川を埋めて 香る菜の花

明けの霞が 君を急かすよ

再び還らぬ君よ 少し待とうよ

向こうへ渡る小舟よ 少し待とうよ

 

岸辺の花がちぎれて 君は向こうへ

私の腕を離れて ゆらり向こうへ

 

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【懐かしい歌No.83 思い出深いウェディングソング】「Get Along Together~愛を贈りたいから~」山根康広(1993)

山根康広

彼の肩書は「ロック・シンガーソングライター」ということになっているようです。

しかし、代表作であるこの曲からは「ロック」のテイストは感じられません。

 

もともと米英のロックに影響を受けて音楽活動を始めた経緯があり、この曲以外のナンバーはアップビートの激しい曲調のものが多く見られます。

とは言え、山根康広と言えばこの曲」が、一般の認識かと思います。

 

1993年に、彼自身の友人の結婚式のために書き下ろした

「Get Along Together」でデビューするも、振るわず。

セカンドシングルとして、同曲をリメイクし、タイトルに

「~愛を贈りたいから~」

のサブタイトルを付けてリリースしたところ、これが爆発的なヒットに。

 

その年の日本レコード大賞最優秀新人賞」に選ばれるとともに、「紅白」にも出場しています。

 

サブタイトルを付けるだけでヒットするなら話は簡単で、きっと楽曲そのものにもかなり手を加えたものと思われますが、ファーストシングルからは「微修正」程度の似た曲調だったのか、まったく違うトーンだったのか、あいにく耳にした記憶がありません。

 

それはともかく…

ピアノソロのイントロがマイナー(短調)で始まるため、

「タイトルはハッピーなムードなのに、暗い曲なのか?なぜ?」

と一瞬思ってしまいます。

 

しかし、そんな懸念は歌が始まると一気に解消。

ただただ純粋でストレートに「君」へのラブコールが続きます。

 

1番の

「もう二度と放さない 君の瞳 僕はずっと君を守っていく」

2番の

「これからもずっとそばにいて 愛を贈りたいから」

これ以上はないと思えるような「愛の言葉」が繰り広げられます。

まさに「結婚式ソング」そのものです。

 

そして、ラストにようやくタイトルの英語フレーズが登場します。

 

バックサウンドについて。

バラード曲を取り上げる時には再三触れている特徴、つまり

「1番では抑えめにして静かに歌い、2番ではバックを厚めにして朗々と歌い上げる」

パターンが、この曲でも忠実に反映されています。

 

実は、私が友人の結婚披露宴で、実際に歌った経験のある曲なのです。

 

披露宴や「お見合いパーティー」の場には、スタッフとしてかなりの数出席しています。

saewataru.hatenablog.com

 

また、普通「音楽でお祝い」と言われると、圧倒的に「ヴァイオリンを演奏して欲しい」とのリクエストが多いのですが、「どうしてもこの歌をさえわたるに歌って欲しい」とのたっての希望がありました。

そこで、人生で後にも先にも1回だけ、披露宴の席で歌声を披露したことがあります。

 

それだけに、プレゼントした側でありながら、非常に印象に残っている1曲なのです。

 

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