【懐かしい歌No.87 明日は「長崎原爆の日」】「長崎の鐘」藤山一郎(1949)&全都道府県旅行記・長崎県
明日は、75回目となる「長崎原爆記念の日」です。
今日取り上げる歌は、
「長崎の鐘」。
原爆にまつわる実話をモチーフにした作品です。
原作となったのは、長崎医科大学(現:長崎大学医学部)助教授だった永井隆博士が執筆した同名の手記です。
原爆の爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、自身重症を負いながらも、被爆者の救護活動に当たる様子を記録したものです。
被爆時に、大学をはじめとする長崎の市街地が破壊された様子や、火傷を負いながら死に行く同僚や市民たちの様子が克明に描かれています。
また、永井博士は、この原爆によって妻を亡くしています。
自らも危篤状態に陥りながら、一時は一命を取り留めますが、1951年に43歳の若さで亡くなっています。
資料館の近所には、彼の功績を称えた
私にとって長崎は、祖父の出身地でもあるゆかりの地。
以前訪れた際にこの記念館にも立ち寄り、言葉にならない感慨を覚えました。
「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、奇跡的に壊れずに掘り出された鐘のこと。
後に平和のシンボルと呼ばれるようになりました。
この手記は1949年に出版され、当時としては空前の大ベストセラーとなりました。
これをモチーフにして、同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲により、楽曲「長崎の鐘」が完成。
著作同様、歌も大ヒット。
翌1950年には、映画化もされました。
東京藝術大学声楽科を首席で卒業した経歴を持つ、正統派の声楽家です。
その後国民的歌手・流行歌手として、数々のヒット曲を世に送り出しました。
1992年には、「国民栄誉賞」も受賞しています。
歌手としては美空ひばりに続く2人目、存命中としては初の受賞者です。
それだけ、存在感の大きい歌い手だったことがわかります。
時代的にリアルタイムでは知らなくても、♬「わかくあかるい うたごえに」で始まる一番の代表作「青い山脈」は、今でも流れるスタンダードナンバーとしてご存知の方が多いのではないかと思います。
「長崎の鐘」も、「青い山脈」に並ぶ彼の大ヒット曲のひとつです。
2番の歌詞には、実話をもとにストレートに
「♬召されて妻は 天国へ」
「♬形見に残る ロザリオの」
のフレーズが織り込まれています。
そのため、より深いメッセージソングになっているように感じます。
曲調も、冒頭~前半は悲しい短調ですが、後半の
「♬なぐさめ はげまし 長崎の」
「♬ああ 長崎の 鐘が鳴る」
のところからは長調に転調し(当時としては非常に珍しい斬新な作曲技法です)、未来への明るい希望を願う楽曲構成になっています。
ステージでの立ち居振る舞いや歌い方から、彼の実直な人間性がにじみ出ているように見受けられたことを記憶しています。
長崎は「はやり歌」の舞台によく登場する街。
「ご当地ソング」も多くありますが、この曲には特別な思いがあります。