さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

「声」を失って強制的に引退できた「少年少女合唱団」の部活

小学生時代、父の仕事の都合で東京から宮城県石巻市に転校し、3年生から6年生までを過ごしました。

 

その頃のエピソードを、過去記事で何度か取り上げています。

saewataru.hatenablog.com

saewataru.hatenablog.com

 

その頃からやたら背が高く、小学生のくせにヴァイオリンなんぞを演奏する、田舎町に見知らぬ土地・東京から「異星人」のごとく転校してきた少年。

クラスメートからはちょっと浮いた存在でしたが、教師たちからは「規格外」に注目されていました。

 

その対象は、田舎町には馴染みの薄いヴァイオリンという楽器だけではありませんでした。

音楽の授業では、定期的に「独唱テスト」が行われていました。

そこで私が披露した「歌声」「歌いぶり」が、クラスの垣根を越えて教師たちの間に知れ渡ることとなっていたようです。

 

その頃市内では毎年、近隣地域を含めて

小学校対抗の「合唱コンクール」なるイベントが開かれていました。

我が校にも、もともと歌好きの生徒が集まっての「コーラス部」があったのですが、私がそこに参加することはありませんでした。

 

なぜか? 

ヴァイオリンのレッスンが週2回、レッスンの準備として毎日自宅での練習、おまけに当時は定番だった習い事として「習字」もやったりしていたので、下校後のスケジュールはいっぱいだったことが主因です。

 

一方で、

テレビの歌番組に夢中になり、最新のヒット曲をクチコピするのが楽しみだった私。

歌うことは決してイヤではなかったのですが、当時からヴァイオリンの発表会でのソロステージや、場違いなテレビ出演なども経験していたため・・・

 

saewataru.hatenablog.com

 

「ひとりで注目される快感」

を覚えてしまっていて、

「集団の一部として歌うのは好きではなかった」

そんな要因もありました。

とにもかくにも、ワガママで生意気な少年に育ってしまっていました。

 

でも、教師たちには「我が校をコンクール優勝へ」という並々ならぬ思いがあったようです。

そこで、正式な団員ではなかったにもかかわらず、上記の「4年4組の歌」騒動後、担任から急きょ合唱メンバーにと招集を受けるに至ったのです。

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帰宅したらやらなければならないことがたくさんあった中、放課後の練習は正直苦痛でした。

 

それに追い打ちをかけたのが、メンバー構成。

「少年少女」合唱団と銘打ちながら、メンバーのほとんどは女子で、男は自分ともう一人しかいなかった。

合唱が好きでたまらなくて合唱部に入った彼女らと、教師に言われてイヤイヤ練習に参加する私。

話が合うはずがありません。

 

今だったら、イヤなものは適当な言い訳を見つけて体よく断るところですが、小学生にはそこまでの知恵はありませんでした。

結局5年生の時に本選に出場。

何かトロフィーらしきものをもらった覚えがあるので、優勝ではないけれどそこそこの成績だったようです。

 

しかし、正直喜びはまったくなかった。

6年生になっても、その「苦行」に耐えなければならないのか、と思うと、さえわたる少年の心は真っ暗でした。

 

ところが、ここで絶好の「転機」が訪れました。

それまでの私の歌声は、「ニッポンのウィーン少年合唱団か!」と称されるほどの(クォリティーはともかく、その高さにおいて)超ボーイソプラノが大きな特徴でした。

 

しかし、6年生のある日、本当に突然カラダに変調が。

そう、男子なら誰でも経験する通過儀礼

 

「声変わり」です。

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そのパターンは人それぞれです。

 

日々少しずつ変わっていって、気が付いたらオトナの声になっていた。

ある日突然違う声になっていた。

大きくこの2パターンがありますが、私の場合典型的な後者。

本当に、ある朝目覚めたら「天使の声が男の野太い声」に変わっていたイメージでした。

音階で言えば、1オクターブくらい一気に声域が低くなった感じ。

 

他のクラスメートより若干早く訪れた変声期によって、合唱団員としての活動は強制終了となったのでした。

 

今でも決して楽しい思い出とは言えない合唱団エピソードですが、

ひとつだけ「良かった」と思えることがあります。

 

それは・・・

合唱練習の一環として一応専門家の指導の下、本格的な「発声法」を学ぶ機会が出来たこと。

短期間だったので成果レベルはまだまだではありましたが、その経験は多少ながら現在の「歌を作って自ら歌って表現する」活動に生かされている…

そう感じることがあります。