さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

J-POP界でいちばん売れた作曲家。あの小室哲哉は2位だった。では1位は…

「根っからの歌好き」(聴くのが好き、歌うのが好き)の人も、その歌の作詞者・作曲者までは興味が及ばないのが普通でしょう。

 

私は、自分で歌作りを始める前、ただ歌番組が好きでテレビに夢中になっていた頃から、「特定の歌い手のファン」はあまり作らず、「楽曲本位」で歌を聴いていました。

そして、お気に入りの曲に出会うと「誰が作曲したのだろう?」に注目していました。

当時の歌番組では、タイトルとともに作詞者・作曲者名も字幕で紹介されており、まだアタマが柔らかかったさえわたる少年は、スポンジのように自然に彼らの名前を吸収し、暗記していました。

そして、当時全盛だったアイドルソングを中心に、「これぞニッポンのはやり歌!」と呼べる曲のほとんどが、同じ作曲家によって作り出されていることに気づいたのです。

 

それは、90年代に「ファミリー」と呼ばれ社会現象を巻き起こしたTK=小室哲哉をもしのぐ、70年代80年代の歌謡シーンを席巻する偉大な作曲家でした。

その名は「筒美京平」。

 

この名前にピンと来る方は、おそらく少数派かもしれません。

そもそも、何十年も前の話ですし。

しかし、作品名を聴くときっと「え?あの歌もこの歌も?」となるはずです。

1曲1曲、すべて単独の記事として【懐かしい歌】として取り上げたいくらい愛着のある曲ばかりですが、ここではタイトルだけを並べます。

 

1960年代から、その活躍は始まっていました。

ヴィレッジシンガーズ「バラ色の雲」が、彼の作曲家としての実質的なデビュー作と言えるでしょう。

そして、いしだあゆみ不朽の名作「ブルーライト・ヨコハマ」。

堺正章のソロ代表作「さらば恋人」。

 

70年代以降は、男女問わず「アイドルのデビュー・ヒット請負人」となります。

女性アイドルでは、

南沙織のデビュー曲「17才」「潮風のメロディー」「純潔」「色づく街」など、初期の一連のヒット曲。

麻丘めぐみのデビュー曲「芽生え」や、代表作となった5枚目のシングル「わたしの彼は左きき」。

桜田淳子の「ひとり歩き」。

浅田美代子のデビュー曲「赤い風船」。

岩崎宏美のデビュー曲「二重唱」や「ロマンス」「センチメンタル」。

太田裕美のデビュー曲「雨だれ」や代表曲となった4枚目のシングル「木綿のハンカチーフ」「九月の雨」。

中山美穂のデビュー曲「C」や「Be-Bop-Highschool」「WAKUWAKUさせて」。

松本伊代のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」。

小泉今日子を、5枚目のシングルでトップアイドルにした「真っ赤な女の子」や「なんてったってアイドル」。

早見優を、同じく5枚目のシングルでブレイクさせた「夏色のナンシー」。

斉藤由貴のデビュー曲「卒業」や「初戀」。

本田美奈子。のデビュー曲「殺意のバカンス」や「1986年のマリリン」「One way generation」。

 

男性陣でも、

郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」や「よろしく哀愁」。

野口五郎は、演歌デビューするも不振だったため、2枚目のシングルでポップスに転向し「青いリンゴ」や「オレンジの雨」「甘い生活」。

西城秀樹「勇気があれば」。

田原俊彦「君に薔薇薔薇…という感じ」「抱きしめてTonight」。

近藤真彦のデビュー曲「スニーカーぶる~す」「ギンギラギンにさりげなく」。

少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」「君だけに」。

TOKIO「Ambitious Japan」。

Kinki Kids「やめないでPURE」。

C-C-B「Romanticが止まらない」。

タイプの異なる「新御三家」の3人すべて、トシちゃん・マッチの双方に曲を提供しヒットさせているのは、驚異としか言いようがありません。

 

それぞれの歌い手の魅力を、さまざまなタイプの楽曲提供で最大限引き出すその能力!

普通同じ人が作るとどうしても曲調が似てきてしまうのですが、彼の作品を聴き比べると、とにかく同じパターンの曲がない!

それだけ多彩な「音符の引き出し」を持っていることの証でしょう。

 

アイドルソングだけでなく、「オトナの歌」も多数手がけています。

平山三起「真夏の出来事」

尾崎紀世彦また逢う日まで

ジュディ・オング「魅せられて」

庄野真代「飛んでイスタンブール

中原理恵「東京ららばい」

桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」

朝丘雪路「雨がやんだら」

大橋純子「たそがれマイラブ」

レベッカNOKKO「人魚」

などなど、今も輝きを失わない名作揃いです。

 

「彼なくしては、ニッポンのポップスは生まれなかった」と言っても過言ではないことだけは確かです。

 

最期にもうひとつ、忘れてならないのが、誰もが知るアニメの主題歌。

あの「サザエさん」のテーマも、彼の作曲によるものです。