さえわたる 音楽・エンタメ日記

【開設後毎日更新中】はやり歌の世界、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、テレビ番組の感想、旅行記などについて綴っています

総特集【懐かしい歌】。歌ってみて周囲から評判の良かった歌。男女別ベスト3

昨年の6月から毎週連載を続けている「懐かしい歌」

 

  • 最も多感な青春時代によく聴いた、大好きだった歌。
  • 「歌作り」に本格的に取り組むようになってから、楽曲分析の観点で「深く」聴き込んだ歌。
  • 仲間内や職場のメンバーを前にカラオケで披露したら、大好評だった歌。

 

経緯はさまざまながら、いずれも「忘れられない」思い出とともにある歌ばかりです。

 

これまでに、50曲以上を取り上げてきました。

ブログ開設以来の毎日更新も、先月無事1年が経過しましたし、このシリーズを今後も毎週定期的に掲載していく予定ですが、これまでの「歴史」をちょっと振り返ってみたいと思います。

 

私の交友関係のひとつに「カラオケ仲間」というカテゴリーがあります。

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いったん集まると数時間もボックスにこもって歌いまくる、かなり「本格的」(?)な歌好き連中です。

彼らとともに、何十曲・何百曲歌ったか、数えきれません。

 

「自分自身が個人的にその歌が好き」という観点もアリなのですが、「歌ってみたら、周囲から評判が良かった」という基準も面白いのでは?と思い立ちました。

 

先日、ブログで取り上げた曲(カラオケで歌った曲ばかりです)をリストアップし、

「どの歌が、歌い手:さえわたるに合っているか」

アンケートをとってみました。

(と言っても、サンプルはごく少数です…)

 

<男性編>

第3位。

saewataru.hatenablog.com

EXILEのナンバーの中で「突出して」好きな1曲。

ミディアムな16ビートは、大層な難曲。

しかも、演奏時間が長い!

「本家」はツインヴォーカルで役割分担していますが、これをひとりで歌うとかなりエネルギーを消耗します。

そんな「熱唱」がウケたのでしょうか。

 

第2位。

saewataru.hatenablog.com

「彼の名をよく知らない」が第一印象。

「こんなイイ歌、あったんだぁ!」が次の言葉。

毎年冬が近づくと、リクエストが出るほどになりました。

 

第1位。

saewataru.hatenablog.com

TUBEは知っていても、「夏限定営業」と思われている。

こんなバラードナンバーがあったことに、やはり驚かれたものでした。

自分自身でも、納得の結果です。

 

<女性編>

第3位。

saewataru.hatenablog.com

彼女がアイドルの第一線で活躍していた時期からは外れた作品です。

しかし、だからこそ逆に大事にしたい。

小室哲哉との「奇跡のコラボ」。

名曲です。

 

第2位。

saewataru.hatenablog.com

オリジナルのアレンジももちろん良いのですが、歌う時にいつも用いるのは、徳永英明のカバーによる「アコースティック・バージョン」。

ピアノ1本の伴奏で、じっくりと歌うことが出来ます。

 

第1位。

saewataru.hatenablog.com

全体で、最も評判の良かったのがこの曲でした。

個人的にも、もはや季節に関係なく「スタンダードナンバー」となりつつある名バラードです。

 

自分の好みと意外にフィットしていたので、妙に安心しました。

 

「さえわたるシングルコレクション」、絶賛配信中です! 

saewataru.hatenablog.com

 

「受動的」は自分らしい生き方か?誘いに乗るうち、誘い下手になっていた。主体的に行動を起こす大事さを思う

人を「誘う」ことが多いですか?

人に「誘われる」ことが多いですか?

 

私自身、問われたら

現状は、圧倒的に「誘われる」ことの方が多いです

 

仕事の流れで、行きたくもない会食や接待に誘われるのが多いのは、正直困りもの。

一方、親しい友人関係や好きな音楽関係での誘いがあるのは、当然ながら非常にうれしいことです。

 

「友だち」がらみ、に限定して言えば…

トシと共に、最近

「同窓会」的集まり

が多く開かれるようになりました。

 

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典型的なのが、学生時代の友人。

彼らのうち、現在もすぐ連絡がとれるのは「両手で数えられる」ほどです。

はっきり言って、数はそんなに多くありません。

でも、その「深さ」は格別です。

わざわざ仰々しく「同窓会」と銘打つまでもありません。

きっと、死ぬまで現役時代と同じトーンで付き合える「特別な仲」。

だとすれば、量はこれで十分です。

 

また、これに似ているのが…

現在も「仕事」の枠組みを超えて特別な絆で結ばれている

会社の同期入社のグループ。

彼らとも、ここ数年は年に1回程度のペースで集まりの機会を持っています。

新卒で入った会社を中途退職してしまった私にとっては、非常に貴重でありがたい場です。

 

それを可能にしてくれるのが、何十人もいる、また全国に散らばってしまっているメンバーに率先して声をかけ、場所や日程をアレンジして集まりを取り仕切ってくれる「幹事役」の存在です。

クチで言うのはたやすいですが、実際にコーディネートするのは並大抵のことではありません。

もちろん、その行動はボランティア。

彼らの尽力を、いつも心からありがたく思っています。

 

仕事以外ではどうか?

 

音楽制作にまつわる人との関わり。

「量的なつながり」で言えば、仕事関係よりずっと多いかもしれません。

 

「歌作り」のプロセスで、私は「作曲・編曲・歌唱」を担当しています。

作詞は別の人に委ねています。

 

当初は、作詞も含めた「シンガーソングライター」が夢でした。

しかし、残念ながら歌詞を作る才能はありませんでした。

逆にメリットとして、歌を「共同制作」する「作詞パートナーとの出会い」という人脈が出来上がりました。

一連の作業で、濃淡問わず関わったパートナー数は、これまでに500人をラクに超えています。

「さえわたる生涯作曲作品」

は、もうすぐ3000曲になります。

 

作詞家を志す人たちの同好会の集まりに、作曲の立場からゲストとして呼んでもらうこともあります。

過去記事で触れた「ソロコンサート」も、元はと言えばそうしたつながりからでした。

saewataru.hatenablog.com

歌詞を作る人にとって、「曲を作る」人は「自分の作品を歌にしてくれる存在」。

とてもありがたがられます。

人づてで、新たな出会いに恵まれることも多々あります。

 

レコーディング作業関係では… 

スタジオを取り仕切るディレクターや音響関係を担当するミキサーなど、レコーディングスタッフとの付き合いがあります。

CD1枚分のレコーディングが終了すると、「反省会」と称して、たいてい打ち上げが開かれる。

その仲間に入れてもらったりすることがあります。

そうした「ギョーカイ」の現場の面々は、いわゆる「職人肌」。

ふだん仕事で出会う人たちとは、まったく「別世界の人種」です。

価値観や考え方が自分とまったく違っていて、そのギャップに驚かされます。

 

 

 

仕事関係にせよ音楽関係にせよ、

自分の好みで交友関係を「選べた」学生時代とは異なり、ある種「与えられた環境」の下、偶然の運命で出来上がった人脈。

 

いずれも、「この出会いがなかったら、自分の今の人生はなかったのだ」と思うと、その不思議な運命のひとつひとつに、言葉にならない感慨を覚えることもよくあります。

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自分自身、人と接するのは大好きです。

自分で言うのもヘンですが、おしゃべりも決してヘタではなく、けっこう社交的・外向的な性格だと思っています。

 

上に述べたような多くの「お誘い」に恵まれることは、大変幸せだと思っています。

ただ、そうしてさまざまなイベントへの誘いに乗っているうちに、

自分の方から何か働きかけを行う前に、いつの間にか空き時間のスケジュールが埋まってしまうようになりました。

 

するとそのうち、

「自分から主体的に行動を起こさなくても、流れに任せていればけっこう楽しい」

と感じるようになってしまうのです。

 

自分から誘うとなると、まず相手の都合がOKか気になってしまう。

最近は、メールやLINEの一斉送信で簡単に連絡が取り合える方法もできてはいます。

ただ、ツールは揃っていても、相手が複数人いる場合、やはり個別に事情を勘案しなければいけないことに変わりはありません。

けっこう手間や時間がかかって、ついつい億劫に。

「誘い下手」人間の完成です。

 

結果的に、自分の行動様式も考え方も「受動的」になってしまっている。

一見アクティブに動いているようで、その根源は「受け身」スタンスなのです。

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 「PASSIVE」の意味を調べてみたら…

「受動性の、受身の」

ここまでは、まぁヨシとして。

ところが、そのあと

「消極的な、活気のない、無抵抗の、言いなりになる」

と続きます。

良くないです!

 

これって、「自分らしい生き方」と言えるのだろうか??

 

「用意してもらった神輿に乗っかっているだけの行動では、自分がダメになる」。

面倒くさがらずに、自らアクションを起こすことの大事さを改めて思う今日この頃です。

 

ブログライフにも、共通するところがあると感じることがあります。

ネット民からは「互助会」などとよく揶揄されますが、ブログは「自己表現」の場であると共に、「交流」あればこそ成り立っていることも事実。

フォロワー何百万人の人気ブロガーなら、話は別なのかもしれませんが。

「自分の記事を書いたらおしまい、あとはリアクション待ち」。

そんな「受動的スタンス」にはしたくないと思っています。

海外出張をしてみて、英語は「世界の標準語」だと痛感する~ヨーロッパはもちろんアジアでも

外国人観光客数は、昨年まで急ピッチで上昇していました。

統計の数字を見なくても、街を歩いているだけで実感したものでした。

 

政府が「2020年には4000万人」と言っていたような気がしますが、今年は果たしてどうなるのやら?

 

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ところで…

日本では「おもてなし」の文化からか、海外からの旅行客向けに「言葉のサービス」に力を入れています。

駅名案内に英語・中国語・韓国語表示が並記されることはもはや普通ですし、ホテルや飲食店においても、従業員の外国語トレーニングに必死です。

 

しかし、逆に

海外諸国に日本人が観光客として出かけたら、日本語対応をしてくれるのか?

もちろん、そんなことはまずありません。

 

ホテルのフロントや空港で日本語が通じるのは、せいぜい韓国や台湾ぐらいのもの。

それもごく限られたスタッフだけです。

 

アメリカ本土では、ごく当たり前ですが、会話はもちろんのこと、街や公共施設の案内板表示も英語しかありません。

 

ヨーロッパの場合

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ドイツ・フランス・イタリアなど、それぞれ英語と違う母国語があるわけですが、少なくとも公共の場所では、英語ならほぼ問題なく通じる場合が多いです。

 

オランダやベルギーでは、ほぼ全員英語がしゃべれると言われています。

 

ヨーロッパの言語は基本的に同じ文字(アルファベット)を使うし、言語構造が英語と日本語ほどかけ離れていないので、それだけ馴染みやすい面もあるのでしょう。

彼らが母国語と英語の差をどの程度感じているのかはわかりません。

日本国内の「標準語」と「方言」程度の差なのかもしれません。

それでも、ドイツ人やフランス人が普通に「外国顔」である英語を話しているのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 

欧米間はまだしも…

では、アジアではどうか?

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出張で、これまでいくつかのアジア諸国に出かけました。

中国・韓国・台湾は複数回。 

ほかにも、フィリピン・ベトナムインドネシアシンガポール・インドなど。

 

それぞれの国の「母国語」は、ヨーロッパとは異なり、英語とは構造的に相当違うはず。

それでも現地スタッフたちは、ビジネス上何の不自由もなく(もちろん土地特有の「訛り」はありますが)、普通に英語を使いこなしています。

 

個人的には、出張で日本本社の現地グループ会社に行くことが多かったので、ごく限られた範囲しか見ていませんが…

そこに働く日本人駐在員たちは、現地スタッフと英語で仕事を進めています。

中国本土でも北京・上海などの大都会、お隣の韓国でさえ事情は一緒です。

ネイティブでないのに、と素直に感心します。

唯一例外だったのが、台湾。

スタッフ全員が「日本語OK」だったので、非常に助かりました。

 

お互いの言葉が通じない時、「仲介」となる言語はやはり英語になります。

 

相手がネイティブであれば当然。

そうでなくても最低限英語は必須と痛感します。

 

通信簿での英語の成績は決して悪くなかったはずなのに、なぜビジネス英語にこんなに苦しむのだろう?

日常会話ぐらいまでならまだしも、込み入った仕事の話になると、とたんに厳しくなります。

また、「読み・書き」はなんとかなっても、「聞き・話し」になるととたんに弱くなる…

学ぶ時間も気力もあった時期に、どうしてもっと勉強しなかったのだろう?と後悔しています。

「隣の芝生は常に青い」。華やかさのウラには必ず「陰」があることに気づけば、羨望・嫉妬もエネルギーに変えられる~我が「音楽」人生を振り返って

ニンゲンが抱く最も「根源的な感情」は「嫉妬」

そんな風に感じたことがあります。

一番その人の「偽らざるホンネ」が出やすい部分かもしれません。

 

「あの人、カッコイイなぁ!」

「あの人、ルックスも性格も良くて素敵だなぁ!」

「あの人、仕事が出来て素晴らしいなぁ!」

例示すれば、キリがありません。

誰しも一度は経験することだと思います。

 

ブログ運営も、まさにそれに当てはまるものがありそうです。

「あのブロガーさん、たくさん読者がいてイイなぁ!」

「あのブロガーさん、たくさんブックマークやスターを集めていて、人気者だなぁ!」

「堂々と実績報告記事を書いているくらいだから、さぞ儲けているんだろうなぁ…」

などなど。

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そうした「自分にとって羨ましい状況」を、どう受けとめるか?

 

「ヨシ!あの人を目標にして、自分も頑張ろう!」

と前向きに物事を考えられたら、理想的です。

ただ、それはなかなか難しい!

 

往々にして 

「なぜあの人ばっかり…!それに比べて自分は…」

とネガティブに捉えてしまいがちです。

 

ここからが、私の具体的な「ジェラシーストーリー」。

まさに「若気の至り」の典型の、恥ずかしい話です。

 

誰しも幼い頃、「大きくなったら〇〇になりたい」願望があったと思います。

それが中学・高校~と進むうちに、当然の成り行きとして、その願望は「仮面ライダー」「ウルトラマン」「お姫様」「ケーキ屋さん」のような「夢物語」から、現実的な進路に変化していくものです。

 

継続して読んで下さっている方々ならご存知の通り、私は人生のほとんどを音楽と共に過ごしています。

物心ついた時から、常に隣に音楽がありました。

 

ヴァイオリンを習っていたこと、そこから派生して「はやり歌の制作」に手を出したことがきっかけとなって、音楽がらみで「周囲に注目される」機会が多くありました。

 

小学生の時経験したテレビへの出演。

saewataru.hatenablog.com

 

(これはオトナになってからですが)ラジオへの出演。

saewataru.hatenablog.com

 

ヴァイオリン奏者としてのオーケストラステージも多数経験。

  

「好きな音楽をやって人前でチヤホヤされる」ことが、当たり前になっていた。

いつしか、それを「人生最大の喜び」

と感じる人間になってしまっていたのです。

 

はるか昔の学生時代、歌手のオーディション番組が放送されていました。

saewataru.hatenablog.com

 

自分と同世代の人たちが次々にアイドルとしてデビューし、華やかなステージに立ってファンの歓声を浴びながら歌っている。

「自分より歌がヘタなのに、なぜあんなヤツがデビュー出来るのだろう?」

ルックスやスタイルなどの面で、人気者になれる要素などまったく持ち合わせていないのに、彼らを本気で妬んでいました。

 

その一方で、なぜかプロのヴァイオリニストに対しては、そんな感情は微塵も湧き上がって来ませんでした。

単に「ミーハー」的に注目されたかっただけです。

バカです。

 

一方で実際の自分は、と言えば。

そんなオーディションに関わることなど、まさに「非現実」の極致。

「世間の波」(≒親の圧力)にもまれながら、来る日も来る日も受験勉強の毎日。

ラッキーなことに、大学までエスカレーターの学校に合格は出来ました。

しかし、その時点で明確な「人生ビジョン」が描けていたわけではありませんでした。

 

「赤点」さえ取らなければ無事に進級し、無試験で大学に進学できる。

文系の学部だから、時期が来たら「普通に」就職活動をし、「普通に」どこかの会社員になるのだろう。

「将来」を漠然と受けとめながらも、アタマの中には「音楽」の2文字が常に渦巻いていました。

 

そんな私でも、会社に入り、家庭を持って、「社会人としておカネを稼ぎ、生活することの責任」を背負うようになると、若かりし頃に描いていた「理想の将来像」は、実態が見えていない単なる「憧れ」で、「嫉妬」に根差しただけのものであったことに気づくのでした。

 

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オーディションに合格しデビュー後、ほんのいっときだけチヤホヤされた華やかなスターたちでも、瞬く間に「あの人は今」の主役になっていく。

人気商売は、泡のようにはかないものです。

ずっと活躍し続けられる人は、まさに「選ばれしほんのひと握り」だけ。

テレビ番組を通じて改めて確かめるまでもなく、「華やかさのウラにはとてつもない厳しさや苦労がある」ことがわかってきます。

「隣の芝生は、常に青く見える」のです。

 

そこに気づくと、「人をうらやむ⇒嫉妬する」だけでなく、それをエネルギーにして現実を見据え、人生のバネにしていくことの大切さが理解出来るようになります。

 

おのずと、

「自身と、自分の一番好きなこととの適切な距離感」

が見えてきます。

 

「生活」や「稼ぎ」に囚われずに、「純粋に楽しめる存在」として音楽と付き合う。

それがベストなのだ、と。

心の中でいったん吹っ切れると、「社会人」(一般の会社員)をしながら音楽に関われる環境が、ものすごく貴重で愛おしいものに思えます。

 

「会社内」という小さな世界ではあるけれど、人前に出てパフォーマンスも出来た。

ほんのちょっぴり、チヤホヤもされた。

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幼い頃からの「音楽感覚」をベースに、自ら歌を作る楽しさも味わうことが出来た。

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自分で作った歌が、ささやかながら「世間」に評価されることもあった。

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そして歌い手として、ソロコンサートのステージに上ることも出来た。

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今になって振り返ると、

「誰に対して」「何を」「どれだけ」「なぜ」羨み、妬んでいたのだろう?

と感じることだらけです。

 

ここまで「その時その時」を存分に楽しんで来られたのだから、これ以上何を望むのか?と。

自分で自分に言ってやりたい。

「上等じゃないか!」と。

 

「モノは考えよう」。

まさに、このことです。

【懐かしい歌No.57】「離したくはない」T-BOLAN(1991)

1991年にビーイングからデビュー。

平成になりたてのこの頃、このカタカナ言葉は「流行語」的に取り上げられました。

 

T-BOLANにとって2枚目のシングル。

もともとは、バンド名と同じタイトルのデビューアルバム「T-BOLAN」収録曲からのシングルカット曲でした。

 

この曲のヒットで、前回取り上げたZARD同様ビーイング系バンド」の一員としての知名度が一気にアップしました。

途中解散・再結成を繰り返しながら、現在は一応「活動状態」となっているようですが…。

 

彼らの醸し出すロック基調のサウンドは、クラシック出身の私からすれば、本来ならばあまり興味を惹かれないところ。

「ロック」というジャンル自体、ふだん積極的に自らの「鑑賞&歌唱」リストに入ってくるものではありません。

 

しかし、この「離したくない」は、ちょっとばかりテイストが異なりました。

あえて名付ければ、「ロック調バラード」とも言える雰囲気です。

 

ピアノソロから始まるイントロ。

流れるようなメロディーラインの美しさ。

そして、何と言っても森友嵐士のヴォーカルのインパクトで、一気に歌の世界に引き込まれていく気分になります。

 

冒頭Aメロでの男っぽい低音部、そしてサビに入る前に突然グッと盛り上がる。

そして、お待ちかねのサビ。

「こんなにEvery day Every night~」

からの絞り出すようなヴォーカルは、心の底から発せられる「魂の叫び」のような魅力で、ずっと耳に残ります。

 

実のところこのヨコ文字フレーズは、英語としてのイントネーションとメロディーの上がり下がりが一致していないのですが、そこもあえて織り込みながらの作曲だと思っています。

 

いずれにせよ、「歌い上げるバラード」は、歌っても心地良いフレーズでもあります。

 

名目だけでない「活動状態」を見てみたいバンドのひとつです。

 

www.youtube.com

 

今どきのシニア世代は、そんな言葉づかいはしていない

以前の記事で、最近のシニア層に対する呼称を取り上げました。

 

本当の「おじいちゃん・おばあちゃん」(両親の親)ではなく、面識のない・知り合いでない高齢者に対して、いきなり「おじいちゃん・おばあちゃん」と呼びかけるのはいかがなものか?的内容でした。

saewataru.hatenablog.com

 

かつて、人生50年と言われた時代がありました。

本当に、平均寿命が50代だったのです!

 

そんな時代に70歳まで生きることはきわめて稀だった。

まさに「古稀」。

来稀なりで、珍しかったのです。

 

文字通りの意味でしたが、いまや75歳を「後期高齢者」呼ばわりすること自体、時代錯誤なのではないかと思われるほど、高齢化は進展しています。

 

今のシニア層は、(もちろん個人差は大いにありますが)男女問わず元気な人は本当に元気!

かつオシャレです。

 

見た目や体力的要素ももちろんそうなのですが、彼らの「言葉遣い」に関しても認識違いがあるのでは?と思うことがあります。

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男性はトシを重ねると、みな「ワシ」や「~じゃのぅ」としゃべる…?!

 

「方言」ではなく「老人ことば」として彼らはそうしゃべる。

そんな前時代的・時代錯誤的な感覚(偏見)があります。

 

たとえて言うなら…

ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさんのしゃべりが、まさに典型です。

また、サザエさん」の波平サンは、原作本では54歳という設定のはず。

漫画の連載が始まった頃の50代半ばの年代は、あのようなイメージだったのでしょう。

 

しかし、そのルックスもさることながら、アニメの中では「ワシはそんなことはしておらん!」的ニュアンスの発言が目立ちます。

今どきの50代は、そんなオヤジオヤジしたしゃべり方はしていません。

磯野家の「裏のおじいさん」の年齢になっても、まず「ワシ」や「~じゃのう」とはしゃべりません。

 

それから、これは必ずしも高齢層ではありませんが…

昔のドラマなどで、会社の上司役を演じる俳優が「〇〇しなさい!」の意味で「〇〇したまえ!」と言葉を発する場面がありましたが、この言い回しも今ではまず聞くことがありません。

 

現在の年齢は、かつて(戦前?高度成長期?)の「7掛け」でちょうどいい

という話があります。

 

今の30歳は、7割で21歳。

つまり、現在は30歳にしてようやく成人したオトナ。

なんとなくしっくり来る感じがします。

そうなると、今の70歳は7割で49歳。

70歳にして、昔の50代前半ぐらいのイメージで捉えられるのではないかと思います。

 

果たして、「若く見えるならそれでいい!」と手放しで喜んでいて良いことなのか?とも感じますが。

【どちらの座席がお好み?】飛行機は通路側。真ん中の席で国際線12時間は「試練」。新幹線は断然窓側の席。気分的な問題以上に大事なこと

公私含め、新幹線は月1回以上のペースで乗っています。

 

飛行機は仕事を変わってから急に増えましたが、それでも多くて年に数回。

ですから、断然新幹線利用の方が多いことになります。

 

ただ、1回当たり「乗っている時間」は飛行機の方が圧倒的に長い!

その分、大変なことがたくさんあります。 

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プライベートで飛行機に乗ったのはもう10年以上前のこと。

最近はもっぱら出張の、しかも国際線の長距離移動ばかりです。

 

数年前転職する前も、した後も、海外出張は日常的なイベント。

 

前の会社では、6時間以上のフライトの場合はビジネスクラスの使用が認められていました。

 

具体的に出かけた場所で言えば、

ソウル・台北・北京・上海・香港・マニラ・バンコクあたりまでだとエコノミーの距離。

フライト時間にして、4~5時間ぐらいまでです。

 

同じアジアでも、さらに遠方に位置する

シンガポールジャカルタ・ムンバイまで。

また米国各都市であれば、ビジネスクラスOK。

シンガポールで6~7時間、ジャカルタが8時間。

ムンバイは、地図を見ると一見近そうなのですが、10時間弱かかります。

太平洋を越えてアメリカまでとなると、「最低12時間コース」となります。

 

プレミアムエコノミーだと、通常のエコノミーより若干広い、程度の差ですが、ビジネスクラスとなると、その差は歴然!です。

 

直近で利用したのは、ANAのビジネスクラスでした。

 

座席は腰程度の高さのパーテーションで区切られていて、足元のスペースもリクライニングもゆったり。

窓側の座席でも、隣席を気にすることなく自由に通路と行き来できる配置になっています。

食事は、「CA呼び出しボタン」を押して、好きな時に好きなモノをオーダーできる…

小心者の一般市民にとって、「にわか殿様」のような気分です。

 

フライト時間が長いので、そこをどう過ごすかは大きなポイント。

緊張を強いられる出張の中にあって、ささやかな「ご褒美」でした。

 

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ところが、転職先ではこの「特典」がなかった。

12時間以上のフライトになる米国便でも、エコノミークラスでした。

 

座席配置は航空会社によって異なりますが、JALやANAだと

「左側窓際3席、中央4席、右側窓際3席」

が標準です。

 

国際線で長距離移動する場合。

その「閉塞感」は絶大なものがあります。

どの座席でも、座るとひざが前の席に当たってしまい、間にまったく隙間が確保できません。

 

窓際の席は、外の風景が眺められて、一見マシそうです。

しかし、離陸・着陸のわずかな時間を除けば、あとは単調な雲海が広がっているだけ。

最初はちょっと感動しますが、だんだん飽きてきます。

そのうち、困ったことが起こります。

トイレに立つ時、真ん中の人と通路側の人、2人に迷惑がかかってしまう。

3人掛けの真ん中の席は、ただただ「サイアク」です。

 

少しでもマシな環境をと思い、いつも通路側の席を予約するようにしています。

 

これに対して、

新幹線の場合は、迷うことなく窓側派です。

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東京~新大阪間の移動がメインなので、時間は長くても2時間半程度。

またグリーン車でなくても、前の席との空間は十分あります。

短時間ですから、その間席を立つ必要もありません。

壁側にいた方が、やはり気分が落ち着く。

おまけに窓側なら、外の景色を楽しむことも出来る(子どもみたいですが)。

 

仕事で乗る場合、スケジュールが変わって急に予約変更することもよくあります。

その際は、仕方なく通路側だったり3人掛けの中央席だったり。

それでも、そもそも仕事が終わるのは夜。

暗くなるから景色も見えないし、疲れていて外の景色にこだわっている余裕もありません。

 

そんな気分的なことも確かにありますが…

それ以上に、実際問題として考えてしまうのが「コンセント問題」。

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窓側の席だと、壁際の窓の下部にコンセントがついていて、パソコン作業やスマホの充電が自由に出来るようになっています。

ところが、通路側だとそれがやりにくいのです。

 

今度の車両モデルチェンジで、普通車全席の肘掛けの部分にコンセントが常備されるようになるとか。

ささやかながら、朗報です。

大好きな城巡り。国宝・松本城の天守を愛でる~全都道府県旅行記・長野県

私の旅の大きな目的は、以前から触れているように「鉄道に乗る」こと。

 

まず乗り鉄」が優先で、旅先は二の次だったりします。

そして、大小さまざまな駅舎を見るのも好きです。

 

駅も良いのですが、旅先での楽しみとしては、もっと大きな建造物である

「お城巡り」があります。

最も手軽に「歴史」を味わえる、「実物大の博物館」だと思います。

 

駅を降りてお城があるところには、必ず訪ねることにしています。

 

これまで訪ねたお城を(天守のあるところ)記憶の限りで挙げてみると、

弘前城小田原城松本城名古屋城犬山城大垣城彦根城、姫路城、岡山城松江城松山城宇和島城丸亀城高知城唐津城、熊本城。

ほかにもあったかもしれません。

 

昨年の夏に訪れた埼玉県・行田市にも、忍城(おしじょう)」という名の魅力的なお城がありました。

あまり知られていないゆえに観光客も少なく、じっくり雰囲気に浸ることが出来ました。

saewataru.hatenablog.com

 

大阪城ももちろん行ったことがありますが、あまり「観光地」感はありませんね。

城内は「ビル」と一緒ですから…

 

お城そのものの美しさ・豪華さ・規模の大きさという意味では、やはり姫路城(別名:白鷺城)が随一かと思います。

ただ、姫路城は平城のため、天守閣に登っても見える風景はビルの5~6階ぐらいの高さ程度。

天守閣から見える風景が、ちょっと残念?

お城自体は文句なしに美しいのですが、この点でいまひとつ爽快感がありません。

 

「眺め」の点では、小高い丘の上に建つ愛媛・松山城からの景色が抜群でした。

いずれこの連載の中で取り上げようと考えてはいるのですが、北海道から下ってきて今日は長野県。

愛媛県に到達するまで、続くかどうか…

 

今回は、松本城

漆黒の重厚な造りが特徴的な、美しいお城です。

地元では、その色合いから「烏城」(からすじょう)と呼ばれることもあるそうですが、同じ「烏城」としては「うじょう」と呼ばれる岡山城もあります。

 

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長野県の中心都市・松本駅から徒歩でも20分ほどで着けるアクセスです。

 

新幹線が通っていないので、東京(新宿駅)から在来線特急に乗っても最速でも2時間半以上。

東京~新大阪間より時間がかかります。

しかし、プライベートな旅であれば時間は気にならないもの。

むしろ、移動時間自体もかけがえのないものに思えて、距離のわりには「はるばる感」が味わえる土地です。

 

県庁所在地は当然長野市なのですが、お城があることによる街並みの賑やかさや伝統の香りと言い、また県内のロケーションと言い、松本が長野県の中心的存在と言っても良いほどです。

事実、明治の一時期長野県が「長野県」と「筑摩県」に分かれていた頃、松本は筑摩県の県庁所在地でした。

 

松本城は、天守が国宝指定されているわずか5つの城のうちのひとつです。

(他は姫路城、犬山城彦根城松江城

全国的に名のあるお城ばかり。

国宝だけあって、どれも素晴らしいです。

 

お城周辺はこれまた広大な松本城公園になっていて、ほかのお城でもよくあるように、桜の季節には絶好のお花見スポットになります。

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テレビにおける「ステブレレス」の横並び。民放各局がもっと「自由競争」できたら、今の過剰演出の悪循環は収まるのかも?

ネットの浸透によって、テレビ業界は苦境に立たされています。

「ニュース情報を得るだけなら、ネットニュースで十分」

「テレビはもはや不要」

といった論調も普通に聞かれる時代になっています。

 

特に情報が錯綜している昨今。

やたら「不安」を煽るだけ煽って、結果的に何ら有益な情報を提供していないマスコミの姿勢に嫌気が差す人が増えているのではないかと思います。

 

そんなテレビ業界、そしてそれを支えるスポンサーは、あの手この手で番組やCMを見せようと、相変わらず必死な取り組みを展開しています。

バラエティー番組で、進行をわざともったいぶらせて途中にCMを挟み込む「山場CM」は、もはや定番。

saewataru.hatenablog.com

他局よりも少しでも早く視聴者を取り込もうとする狙いの「ハンパ時刻始まり」。

saewataru.hatenablog.com

 

これに加え、最近定着しつつあるのが

「ステブレレス(ステーションブレイクレス)」

の動きです。

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かつて番組と番組の間には、必ずCMがありました。

 

その2~3分間のCMタイム(ステーションブレイク)を番組の中に取り込んでしまい、CMをはさまずに前の番組終了直後から次の番組がスタートする編成が、一般的になりつつあります。

「00分」の定時スタート直前に4~5分間あったスポットニュースさえも、いまや番組のなかに組み込まれてしまっています。

 

「なんとかしてCMを視聴者に見せつけよう」

「番組が変わる際のチャンネル切り替えを阻止しよう」

との姿勢が見え見えです。

 

しかしどんなことをしても、「CMに入ったらトイレタイム」は昔も今も常識です。

特に最近は3分4分間ずっとCMが流れること、CM明けはCM前と同じVTRが流れることがわかっているので、より安心して長時間席を外せます。

いくらステブレレスで番組間のCMをなくして2つの番組をつなげても、見たい番組があれば躊躇なくチャンネルを変えるのが「視聴者心理」というものです。

 

テレビ業界のこうした取り組みは、一層視聴者離れを加速する悪循環にしか思えません。

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さらに残念なのが、これがどのチャンネルもみな同様に見られる傾向である点です。

民放も民間企業なのですから、他局ともっと「自由競争」できればいいのに。

なぜどの局も談合的に「横並び」なのか?

 

VTRの巻き戻しはしない。

ヘンなところでCMを入れたりしない。

 

視聴者のストレスを招いている大きな要因。

この2つを取り除くだけで、かなり効果的に思えます。

そんな簡単な対応の出来る局、「伝統的独自色」を打ち出せる局が今どきあったら、それだけでけっこう視聴者が戻ってくるのではないか、と思います。

 

「民放連盟」(?)のような、民放チャンネルを束ねている上部組織があって、そこからのお達しがあって、「抜け駆け」は許されないしくみになっているのか?

それとも、どこまでもスポンサー企業サマの意向なのか?

詳しいことはわかりませんが…。

 

かと言って「ネットさえあればテレビなど要らない」とまでは割り切れない私です。

「気持ちはわかるんだけどねぇ…」に続く結論はたいてい「No」。言う方も実はつらいのかも?

ビジネスシーンでのコミュニケーションは、実に多種多様です。

 

コミュニケーションの持っていき方次第で、仕事がうまく運ぶかが決まる、と言っても過言ではない状況がたくさんあります。

 

頻繁に

「〇〇会議」

の名の下行われる「ミーティング」。

 

シンプルなスケジュール連絡のような内容ならば、差し迫って特に大きな問題は起こりません。

しかし、何らかの大きな方針を定める、意思決定をするための打合せ・ディスカッションは、企業にとっても個人にとっても重要な位置づけを占めます。

 

そうした場では、結論までに賛否両論が出ることが少なくありません。

 

たとえばA案優勢の時に、自分自身どうにも納得できない面があってB案を推そうと発言する。

途中の議論ではいろいろなプロセスをたどりつつも、

「君の気持ちはわかるんだけどねぇ、ここは諸般の状況からしてこっちにした方が良いんだよ」

として、結局はA案で押し切られてしまうケースも出てきます。

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 「気持ちはわかる…」の言葉で、一見文字通り「こちらの気持ち」に配慮したような言い回しにはなっています。

しかし、それを言われたからと言って、自分の意見が通り当初案が覆ることはありません。

 

ヘタに言葉の「緩衝材」を入れられることで、「何のための議論だったのだ?」と却って切ない気持ちがあとで残ってしまうことがあります。

本当にB案は検討に値するものと考えてくれているのか、とさえ思ってしまうことも。

 

一方で、自らのポジションが変わっていくにつれ、

「気持ちはわかるんだけどねぇ」と発言した側~意見を取りまとめる立場としても、実はつらい環境にいる

こともわかってきました。

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対案にも、確かに一理ある。

心情的には、議論のきっかけを出してくれた者の気持ちもくんでやりたい。

しかしもろもろの事情で(端的に言えば上層部の意向で)大枠の方針はすでに決まってしまっていることが多い。

ディスカッションの場は一応用意しながらも、実は結論ありきで、会議は単にそれを伝達するだけの場になってしまっている。

そこに至るまでに、関係者の「根回し」が周到に進んでいることが多々あります。

 

想定される反対意見をうまくまとめるために、それぞれの発言者の心を折らないようにフォローしなければならない。

 

対象は、会社の会議の場だけにとどまりません。

 

個人的な相談事であっても、「気持ちはわかるよ」発言が出るケースはよくあります。

ただ、会社と共通しているのは、そのあとに続く言葉が必ず「だけどね…」であること。

話は「心情的には理解できるところもあるけれど、最終的にそれに同意することは出来ない」とつながっていきます。

 

「気持ちはわかるんだけどねぇ」というこの言葉。

さまざまな場面で登場しますが、実際に使われてみると、字面の良さに比べて「癒し効果」はあまりないような気がしています。

「させていただく」大流行。芸能人:そこまで「謙遜」が必要か? 政治家:しょせん「他人事・上から目線」に聞こえる

数ある敬語表現の中で、どうしても気になって仕方がないのが

「いただく」「~させていただく」

の多用です。

 

これについては、使い方に違和感アリとして、ブログ開設初日に取り上げました。

saewataru.hatenablog.com

saewataru.hatenablog.com

 

ただ、上記の記事は、まだアクセスも読者もない時の記事。

誰にも読まれないまま、通り過ぎてしまいました。

 

あれからまる1年。

改めて考えても、やはり「~させていただく」に潜む違和感は拭えないモノがあります。

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芸能人がテレビや映画の宣伝といったイベントに出席する際のこと。

ここでのコメントで連発されるのが、

「〇〇の番組に出演させていただくことになりました」

「〇〇さんとは、以前共演させていただきました」

といった言い回しです。

 

これがさらにエスカレートした形として、

「〇〇の番組、拝見させていただきました」

もよく聞きます。

典型的な「二重敬語」誤りです。

 

これについては、また後日触れるとして…

 

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 「謹んで…」の意味を込めた謙遜として使っているであろうことは、なんとなくくみ取れます。

 

しかし、「~させていただく」の本来使われる場面とは?

 

基本的に、

相手の承認・許可を得て行動する場合に使う

という意味合いがあります。

 

そうした背景を鑑みず、それ以外のケースで必要以上にひたすら謹まれても、決して「好感度アップ」にはつながらないと思います。

却って、卑屈にさえ見えてしまいます。

 

上記の場合であれば、「出演しました」で十分。

誰かと共演して、どうしても敬意を表したいのであれば、「〇〇さんとご一緒しました」という便利な表現があります。

さ・せ・て」と「サ行」の音が続いて思わず「かんでしまう」心配もなくなります。

語数も少なくて済みますし、これだけで十分「丁寧さ」や「敬意」は伝わります。

 

芸能界と同様、「~させていただく」が多用される世界。

それが、政界での発言です。

 

タテマエとしては「国民・有権者の皆様に配慮して」の発言のつもりでいる。

ところが、実は全然心がこもっていないように聞こえてしまいます。

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最も象徴的と感じるのが、何かの不祥事や災害・事故が起こった時の大臣の答弁です。

現在の混乱にも当てはまるかもしれません。

 

「関係省庁と連携をとらせていただき、協議を重ねさせていただきながら、早急に対応をとらせていただきたく、現在調整を進めさせていただくべく、前向きに検討させていただいているところでございます」

 

1つの文章の中に3つも4つも「~させていただく」が入ってくる!

いかにもありそうな言い方ですよね?

全然前向きな言葉に聞こえません!

 

そもそも、非常に頻繁に使用される

「連携」「協議」「対応」「調整」「検討」

これらはいずれも、一見「何かやる」と言っていながら、なに一つ「具体的な行動」が伴っていない言葉であるように感じてしまいます。

 

政治家とは「言葉の職業」。

「一般国民はどうであれ、自分自身は無関係だから」の「他人事」発想。

有権者ファーストを考えるのは、選挙の時だけ」の「上から目線」や慇懃無礼なスタンスが、この言葉遣いからどうしても見え隠れしてしまいます。

【懐かしい歌No.56】「永遠」ZARD(1997)

坂井泉水(1967-2007)の事実上のソロプロジェクト、ZARD

1990年代前半の音楽シーンを席巻した「ビーイング系」と呼ばれる一人です。

 

坂井は、20代前半まではモデルやレースクイーンとして活動していましたが、1991年、自身によるソロプロジェクトZARD」のヴォーカルとして、歌手デビューを果たします。

以来、

「負けないで」

揺れる想い

「マイ・フレンド」

など、多くのヒット曲を生み出しました。


ビーインググループでは、女性アーティストのメディア露出を極力抑える戦略がとられていたことにより、プロジェクトとして大ブレイクしたあとも、ほとんどマスメディアに登場していません。

テレビで曲が紹介される時のバックの映像は、いつも同じ。

それだけ「残されているものが少ない」ということなのでしょう。

また、ライブもほとんど行われなかったようです。

 

1993年の「負けないで」がセールス的にはナンバーワン

確かに、タイトルのメッセージがストレートに反映された、元気の出る良い作品ではあります。

ただ、毎年恒例の「あのテレビ」の「あの名物(?)コーナー」で流れる歌、というイメージがあまりにも強く付き過ぎてしまった感もあります。

それがゆえの代表作か、と。

 

そう考えると、「ZARDには、ほかにもたくさんイイ曲はあるのに…」とつい思ってしまいます。

 

個人的に、その筆頭格に挙げたい歌。 

それが、1997年に発売された「永遠」です。

 

これも、オリコン初登場1位を果たしたロングヒット。

ZARDには珍しいバラードタッチの作品です。

当時、映画・テレビドラマ共に話題を呼びブームとなった失楽園のテーマソングでもありました。

 

メロディーライン上の一番の特徴は、Aメロ・Bメロ・サビ(Cメロ)のキーがすべて違うという点。

より細かく言えば、出だしのAメロは「ロ長調」。

中間部のBメロは「ニ長調」。

サビでは再び転調して「ホ長調」。

 

実に複雑な転調が施された作り方です。

しかし、それらを音楽的にうまくコントロールすることで、「サビ」がクリアになり、一気に展望が開けるような、効果的な演出につながっています。

 

バックのサウンドも、最初は抑えめに、メロディーの進行とともにだんだん楽器が加えられて、サビで盛り上がるように工夫されています。

さらに、2番では強力なドラムやヴォーカルのコーラスが加わって、一層の盛り上がりをサポートしています。

 

今こうして「歌声」は残っていますが、生で「歌う姿」を見ることは出来ません。

公式のMusic Videoにおいても、顔が真正面からアップで映されているシーンはありません。

 

「永遠」「神秘の存在」となってしまいました。

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そこは「爪痕を残す」じゃなくて「足跡を残す」だろう?…と信じているのだが

言葉は世につれ変わっていくもの。

ですから、何が正しいという絶対的基準などはないのでしょう。

それでも気になることは多々あって、「言葉の使い方」カテゴリーでも時々取り上げています。

 

そのひとつとして… 

開設当初でほとんどアクセスがなかった時期の記事で、「めっちゃ」の氾濫(!)についての記事を書きました。

語源は「めちゃくちゃ」。

つまり「滅茶滅茶にしてしまいたいほど~」との強調だと思われます。

強調の「非常に」の意味で使うのは、関西圏ではごく普通のこと。

東京から転勤して実際に暮らしてみて、初めて知りました。

saewataru.hatenablog.com

 

これまたごく普通に使われるようになっている「ヤバい」の連発も、本来の意味を考えたら「ヤバい状況」です。

saewataru.hatenablog.com

でも、そんな言葉の由来を考えるいとまもないほど、これらは日常会話の中に完全に定着してしまっています。

 

一方、ニュアンスに気を遣い過ぎる(?)あまり、言葉そのものをわざわざ言い換えているかのような不自然な表現も最近耳にします。

 

その代表例が「におい」と「かおり」の使い分け。

使い分けと言うよりむしろ、「におい」という言葉自体が「臭い」を連想させて(?)NGワードになりつつあり、悪いニュアンスの少ない「かおり」に何でもかんでも言い換えられているような印象を抱きます。

saewataru.hatenablog.com

今日の話は「におい・香り」の使い分けに近い話かもしれません。

 

テレビで、何かのインタビューで今後の抱負を尋ねられた某タレントが

「しっかり爪痕を残せるよう頑張ります!」

と答えたのです。

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おいおい!そこは「爪痕」ではなく「足跡」(そくせき)ではないのか?!

と、思わずひとりでツッコミました。

 

「きちんとした実績を残したい」と言いたかったことは、文脈から十分理解できます。

 

しかし、そもそも「爪痕」とは災害や不幸ごとなど「好ましくないこと」の痕跡。

「台風による豪雨の爪痕が、今も残されています」のように使われる言葉…

そう理解していました。

「爪痕」は「爪跡」とも書きますが、「痕」は部首がやまいだれでもあるように、本来は好ましくない物事のはずです。

 

少なくとも、前向きな良い意味でのインパクトという意味では、通常使いません。

いや、使わないはずです。

…と私は解釈していましたが、だんだん自信がなくなってきました。

 

「ヤバい」は、もともとの意味でなく

「非常にうれしい」

「(良い意味で)驚いた」

時に発せられる言葉として、完全に定着してしまいました。

 

「爪痕を残す」も、いつしか「痕」が「跡」に変化して、

良い結果の実績報告をしたい時も、とにかく大きなインパクトを残したい、という意味で「残る」方向に行ってしまうのか…

「2位じゃダメなんですか?」「ダメなんです!」作曲家協会オリジナルソングコンテストの顛末

もう10年以上前、民主党政権の時代に事業仕分けなる言葉が流行りました。

スパコン導入議論の中で、某レンホウ議員の

「2位じゃダメなんですか?」

が取り沙汰されました。

 

もちろん、その話を持ち出すわけではありません。

自分に直接関係した話です。

 

私は2002年から公益社団法人 日本作曲家協会の会員として活動しています。

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そこでは、「理事会」や会員が一堂に会しての「年次総会」や「勉強会」という名の宿泊旅行など、さまざまな活動が行われています。

 

一番世の中に知られた活動としては、毎年末に放送される日本レコード大賞」の主催組織である、ということでしょうか。

 

そんな中、個人的に一番興味深く取り組んでいるのが、会員向けの募集企画として毎年行われている

「オリジナルソングコンテスト」です

 

紅白への出場経験もあるような、ある程度知名度の高い歌手が毎年選定されます。

その歌手の「新曲」を、会員から提出された作品から採用するという、いわば「オーディション」です。

この企画に、いち会員として毎年応募しています。

saewataru.hatenablog.com

 

忘れもしない、2013年のこと。

その年の想定歌手は、演歌歌手・大月みやこでした。

 

平成の初めの頃、J-POPの躍進、演歌のあまりの衰退ぶりに、「レコード大賞」が「ポップス部門」と「演歌・歌謡曲部門」に分けられた時期が数年間ありました。

そうでもしないと「演歌からは大賞が選出されない」と、制作サイドに危機感があったのです。

そんな中、1992年に「白い海峡」で「演歌・歌謡曲」部門の大賞を獲得した、演歌のジャンルでは「大物」の部類に入る歌手です。

 

このコンテストで最優秀賞をとれば、彼女の新曲シングルに採用される…

歌作りを手がける者にとっては、夢のような企画です。

 

と言っても、自由に歌が作れるわけではありません。

まず、会員たちに「課題詞」が提示されるのです。

これは、事前に「日本作詞家協会」のコンテストで最優秀賞を獲得した作品です。

この詞に曲を付けるオーディション、という形をとります。

 

タイトルは「ひとり越前~明日への旅」

 

う~ん、タイトルからし「真正面からド演歌」です。

ふだん自由に作曲する時のアタマの中は、完全にポップス。

演歌を作曲する習慣はありません。

それだけで、ハードルが一気に上昇します。

でも、この詞にチャレンジするしかありません。

 

過去記事でも触れていますが、これまで「一般公募」ではグランプリを獲得したことがありました。

 

鳥取県米子市が募集した「米子市の歌」の作曲。

saewataru.hatenablog.com

 

鹿児島県南九州市が募集した「南九州市民音頭」の作曲。

saewataru.hatenablog.com

 

この時、ほかにどんな立場の人たちが応募したのかはわかりません。

しかし、作曲家協会主催のこのコンテストの応募者は、全員が「会員」資格を持っている人たちばかり。

プロの作曲家との競争で、勝ち残っていかねばなりません。

 

募集締め切りから1か月後。

事務局から1本のTELが入りました。

 

「さえわたるさん、おめでとうございます!優秀賞に選ばれました!」

 

一瞬だけ、舞い上がりました。

しかしほんの数秒後、それが「ぬか喜び」だったことに気づきました。

 

そう。

「優秀賞」であって、「最優秀賞」ではなかった!

「1位」ではなく、「2位」だったのです。

 

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「金メダル」の作品が、その年に彼女の新曲として華々しく発売されました。

それほどヒットはしませんでしたが、歌手がポップスであれ演歌であれ、「シングルA面」の作曲者という肩書は、当事者にとってはとてつもなく大きい実績です。

 

そして、2位だった私には「表彰状」が贈られてきました。

協会の会報に、名前が載りました。

確かに、名誉あることではあります。

しかし、言い方は悪いですが「紙きれ1枚」が結果のすべてでした。

 

1位と2位には、文字通り「天と地」の差がありました。

「2位じゃダメなんです!」。

それを、イタイほどかみしめた瞬間でした。

 

でも、今年も来年もまた次の年も、チャレンジは続きます…

【懐かしい歌No.55】「桜の栞」AKB48(2010)

まず初めに。

この歌は、ポップスのジャンルではありません。

「合唱曲」です。

 

AKB48という「ユニット自体」の構成や「姉妹グループ」、「公式ライバルユニット」などについて。

存在自体はもちろん知っていますが、この連載記事の主体は「楽曲」

グループ誕生の経緯やチーム編成等の詳細までは、とても語り尽くせません。

そもそも、ひとりでCDを何十枚も買ったり、「握手会」に行きたいと願ったり…といった熱狂的ファンでもありません。

 

saewataru.hatenablog.com

 

かつて「神7」という言葉が健在だった頃には、主要メンバーの顔と名前はかなりの程度一致していました。

しかし、それもいまや「過去形」になりつつあります。

 

そして、これは客観的な根拠のあるものではなく、あくまで感覚的な話ですが…

「ご本家」の「48」グループ(東京:AKB、名古屋:SKE、大阪:NMBなど)よりも、

「公式ライバル」と位置づけられた「坂道46」グループ(乃木坂・欅坂・日向坂)

の方に、勢いがシフトしている感もあります。

 

ただし…

さまざまに形を変えながらも、このユニットの名称が生まれてから今年で結成15年目を迎える「長寿グループ」になった、という厳然たる事実は消えることはありません。

「1曲売れること」は至難の業。

仮に大ヒットが生まれてもすぐ忘れられてしまう芸能界にあって、15年という歳月は限りなく重いものがあります!

「良い・悪い」、「好き・嫌い」の議論は別として、本人たち・プロデューサーをはじめとする周囲のスタッフ…

いろいろな意味で「大したモノ」だと感じています。

 

30年以上前、同じ秋元康プロデュースのもと「瞬間風速」的にブームになった「おニャン子クラブは、実質2年程度でその活動を終えています。

それと似た経緯を辿るであろうとの想定が、このような形で(良い意味で?)裏切られたこと、これだけの長期間にわたって支持され続けてきたことに、長年の「はやり歌愛好家」として、ある種の感慨を禁じ得ません。

 

近年でも、「新曲を出せば即ミリオン」の状況は大きくは変わっていません。

しかし、発売後すでに7年を経過した(レトロなムードを醸し出す名曲と評価している)

恋するフォーチュンクッキー

を超えるような、「記録よりも記憶に残るヒット作」が今後生まれることは難しいのでは?と見ています。

 

彼女らがこれほどの「旋風」を巻き起こす前。

つまり、CDをリリースしても「初動ミリオン」まではまだ届かなかった2010年。

シングルの歴史の中に「超・異色作」が存在していました。

 

どこを彼女たちのスタートとするかによって変わりますが、インディーズでない「メジャーデビュー曲」である「会いたかった」から数えると15作目に当たる

「桜の栞」です。

 

リンクをお聴きいただければおわかりの通り、およそ「J-POPの」「アイドルの」楽曲ではない!

学校の音楽の教科書に載っていてもおかしくないような、徹底した「女声混成合唱曲」のスタイルです。

 

作詞はもちろん秋元康

作曲の上杉洋史は、自身も合唱の国際コンクールへの参加経験を持つ作曲・編曲家。

ゆえに、「合唱曲」として見た場合、楽曲の完成度は非常に高いものがあります。

 

シングルとして発売し「卒業式の定番ソング」になったら、との思惑ももちろんあってのことでしょう。

しかし、最近は「仰げば尊し」ではなく「旅立ちの日に」が主流となりつつあり、さらに卒業をモチーフにした数々のJ-POP作品が公式の場でも歌われるようになっているご時世。

そんな中、あえて「式典らしいテイストの歌」という「原点回帰」を狙って制作されたのではないか、と思わせる作りです。

 

バックは、ピアノ伴奏がメイン。

CD化に当たって、若干のストリングスアレンジが重ねられていますが、通常のポップス作品であれば普通に入っているベース・ドラムの音はありません。

サウンド面でも、あくまで「合唱曲」スタイルが貫かれています。

 

完成した作品では、かなり重層的かつ凝ったコーラスが披露されています。

ただ、ワンコーラスの終わりではちゃんと「ド」の音ひとつに集約されている。

気持ちの良い終わり方です。

 

誰がどのパートを歌っているかは、判別できません。

もっと言えば、本人たちがどこまで歌っているのかさえもわかりません。

これが高度な「レコーディングテクニック」によるものではなく「ナマのステージでこのレベルで」聴けたとしたら、合唱コンクールでもかなりイイ線まで進めるかもしれませんが(!)。

 

そんなヘリクツは抜きにして…

楽曲そのものは、印象的な美しいメロディーライン、そして旅立ちの時を桜に絡ませた歌詞の世界を純粋な気持ちで聴くと、「けっこうグッとくる歌」です。

 

10年前のメンバーたちの顔も、「懐かしい」です。

(曲は1分50秒くらいから)

 

<1番歌詞抜粋>

春のそよ風が どこからか吹き
通い慣れた道 彩りを着替える

喜びも悲しみも 過ぎ去った季節
新しい道 歩き始める

桜の花は 別れの栞
ひらひらと手を振った
友の顔が浮かぶ
桜の花は 涙の栞
大切なこの瞬間(とき)を
いつまでも忘れぬように…

 

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