さえわたる 音楽・エンタメ日記

はやり歌の世界、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、テレビ番組の感想、旅行記などについて綴っています

【懐かしい歌No.77 オトナの階段上る~】「想い出がいっぱい」H2O(1983)

発売は、今から37年前の1983年。

 

フジテレビ系で放映されていたアニメ「みゆき」のエンディングテーマに起用され大ヒットした、彼らにとって5枚目のシングルです。

 

その後、中学や高校の音楽の授業で使われたり、合唱コンクールの課題曲になったり。

また、歌詞の内容から「卒業式ソング」の定番にもなっています。

 

21世紀に入ってからもCMソングとして起用。

今でも「おとなの自動車保険」のCMで、香川照之がサビフレーズを歌唱しています。

彼ら自身がセルフカバーしたり、他の歌手によってカバーされたり…。

発売されて年月が経っている割には、各世代に耳馴染みの歌なのではないかと思います。

 

ステージでの彼らは、ギターを片手に歌う2人組。

典型的な「フォークデュオ」のいで立ちです。

サビでは、リードヴォーカルの中沢堅司(現・なかざわけんじ)と 赤塩正樹。

デュオならではの「ハモリ」も利かせています。

 

キーは、ギターの弾き語りに最も演奏しやすい「ハ長調」。

特に複雑で難しいコードも使われていません。

Aメロが繰り返された後、シンプルながら耳に残る印象的な歌詞

「♬おとなの階段上る 君はまだシンデレラさ」

のフレーズがやって来る。

何十年経っても、歌い継がれる・・・

シンプルながら、この1行が「決めゼリフ」です。

 

小難しい細工は、一切見られない。

だからこそ、素直に人の心にスッと入ってくる。

時代を超えた、清々しい魅力をたたえた歌だと感じます。

 

作曲は、高橋真梨子の代表作のひとつである名バラード「for you…」や徳永英明「輝きながら」などで知られる鈴木キサブロー

渡辺徹の歌手デビュー曲「約束」も、彼の手によるものです。

 

作詞は、あの阿木燿子

「あんた あの娘の なんなのさ」の決めゼリフで一世を風靡したダウンタウンブギウギバンドの

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

伝説のアイドル・山口百恵のブレイクのきっかけとなった

「これっきり これっきり もう これっきりですか?」の横須賀ストーリーをはじめ、彼女の代表作の多くを手がけて話題になりました。

また、サビの英語が斬新過ぎて、それが却って話題を呼び大ヒットとなったジュディ・オング「魅せられて」も彼女の作詞によるもの。

ほかにも、多数のヒット作を持っています。

 

中森明菜「Desire~情熱」の作詞・作曲を手がけたのは、同じこの2人。

作風の幅広さに、改めて驚かされます。 

 

一流の作家の制作による楽曲でヒットを得た二人ですが、それまでの楽曲は「自作自演」であっただけに、「他者の歌によってヒットした」ことに関してどんな感慨があったのか…

レベル・次元はまったく違いますが、同じく曲を作り歌う立場として、ふとそんな思いが頭をよぎります。

 

経緯はどうであれ、生涯の「代表曲」を持てたのは幸せなことです。

 

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「親戚」の範囲とは?わざわざ「親戚の~」をつけるのは、「おじさん」「おばさん」だけ。親子・祖父母・孫には使われない言葉

主に冠婚葬祭の場で集まる機会のある、いわゆる「親戚(親族)一同」

その人の家族構成により、「親戚」の人数も、その範囲もそれぞれに違います。

 

ただ、祖父母・両親・子ども・孫…といった「タテ」の関係に対しては「親戚」という言葉は通常使いません。

 

「親戚」として対象となるのは、親の兄弟姉妹である(自分にとって直接血のつながりのある)「おじ・おば(叔父・伯父・叔母・伯母)」やその配偶者(「義理の〇〇」の関係)、自分の兄弟姉妹およびその配偶者、場合によっていとこ(従兄弟姉妹)夫婦あたり、といった、「親を通じてのヨコの関係」かと思います。

さらに「またいとこ・はとこ」など、より遠く複雑な血縁関係もあるにはありますが…

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日常会話の中で、こうした親族について語る時。

「おじさん」「おばさん」の時だけ、あえて「親戚の~」を付けます。

「ウチの親戚のおじさんがね…」的な使われ方です。

 

親子や祖父母・孫といった「直系の家族」に対しては、たとえば「親戚の孫」という言い方はしません。

兄弟姉妹であっても、普通に「あに」「あね」「おとうと」「いもうと」と呼び、その配偶者である義理の関係でも、「義理の兄」と呼ぶことはあっても「親戚の兄」と呼ぶのを聞いたことはありません。

「親戚のいとこ」とも、まず言いません。

 

「親戚の子」という言い方はたまに耳にしますが、具体的にどんな間柄の子を指してそう呼んでいるのでしょう?

自分の甥っ子・姪っ子ぐらいの近さ?

自分の従兄弟姉妹(いとこ)の子どもぐらいの距離?

 

なぜ、親の兄弟姉妹(時に甥っ子姪っ子)だけ「親戚の~」が付くのか?

 

これは、「おじさん」「おばさん」には、親戚の一員である親の兄弟姉妹およびその配偶者、というだけでなく、世間一般の中年男女に対する意味合いも含まれているせいかと思われます。

 

漢字で書けば、「叔父・伯父・叔母・伯母」ではなく、「小父さん」「小母さん」。

どちらも発音は一緒。

すなわち、親戚でない

「一般の(よその)オトナの(中年)男女」

「となり近所のおじさん・おばさん」

と区別するため、「親戚のおじさん・おばさん」とあえて接頭語を付けて呼んでいるのでしょうね。

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それはまぁ理解出来なくもありません。

ただ、単純に「ぼくの・わたしのおじさん・おばさん」あるいは「ウチのおじさん・おばさん」と言えば、血縁者関係であることは十分通じそうなところを、あえて「親戚のおじさん・おばさん」という言い方をする。

あくまで慣例上の話で、深い意味はないのでしょうが、ちょっと考えると不思議な話だなぁと思いました。

 

家系図上もっと遠い関係になると、単に「ウチの親戚」と呼ばれます。 

 

ちなみに、親に兄弟姉妹が多数いれば、血縁関係のある「おじ・おば」はひとりではなく、複数いることになります。

配偶者がいれば、その数は倍増します。

 

「親戚」一同が集まった時など、その「呼び分け」をどうするか?

「〇〇おじさん」と、下の名前を付けて呼ぶことが多いと思います。

私の場合は、住んでいる場所の地名を付けて、たとえば「大阪のおじさん」「北海道のおじさん」と区別して呼んでいました。

 

【懐かしい歌No.76 明らかに演歌ではない!ジャズナンバー風】「ウイスキーがお好きでしょ」石川さゆり(1990)

現在の石川さゆりのイメージと言えば・・・ 

何かよくわからないけれど、「ベテランの演歌歌手」。

最近目立ったヒットはないけれど、なぜか紅白には毎年出場している。

その回数、なんと42回!

女性歌手では最多記録を更新中です。

 

そして、その紅白では津軽海峡・冬景色天城越えを交互に歌うのが定番になっている。

どちらの曲も、すでに10回以上紅白のステージで歌われています。

 

では、演歌歌手が歌えば、その楽曲は「演歌」になるのか?

楽曲は、歌い手でジャンル分けされるものではないと思います。

 

少し前、ド演歌歌手の代表格とも言える坂本冬美が、畑違いのフォークデュオ、ビリーバンバンのシングル「また君に恋してる」をカバー、持ち前のこぶしを一切封印して歌い、自身最高位のヒットを飛ばしました。

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また古いところでは、1983年。

これまた演歌(ブルース)歌手であった森進一が、ポップス作家の代表である作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一による冬のリヴィエラをリリースし、これも彼の代表曲のひとつになりました。

 

石川さゆりの発表した楽曲の中で、超異色作とも言える「ウイスキーがお好きでしょ」。

明らかに「演歌」ではなく、シャレたジャズのスタンダードナンバー的な味わいのある楽曲です。

そのタイトルが示す通り、サントリーウイスキーのCMソングに起用されました。

(逆に、まずCMのアイディア・コンセプトがあって制作されたのでしょう)

 

その後もCMは継続し、多くの歌手によってアレンジを変えながらカバーされているので、曲そのものは耳馴染みがあるかもしれません。

 

最近のステージ衣装は着物が定番になっていますが、津軽海峡・冬景色を発売した頃はドレス姿でした。

この曲も、当然ながら洋装での歌唱です。

 

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彼女がアイドル歌手としてデビューしたのは、15歳だった1973年。

「花の中3トリオ」と呼ばれ一世を風靡した森昌子桜田淳子山口百恵とほぼ同期、同年代です。

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デビュー曲のタイトルは「かくれんぼ」

前年にヒットした森昌子「せんせい」に似た「和テイストの歌謡曲路線」でした。

また、初期の桜田淳子と同様「白い帽子」が定番の衣裳でした。

 

このように歌手生活のスタートは、いでたちも楽曲も「2番手」的。

「中3トリオ」たちの活躍に隠れる形で、あまり注目される存在ではありませんでした。

 

デビュー3年目ぐらいから、アイドル⇒演歌歌手に転身を図ります。

発表されるシングルも「ちいさな秘密」「あなたの私」など、本格演歌に近いものになっていきましたが、それでもヒットに結びつく作品にはなかなか恵まれませんでした。

 

津軽海峡・冬景色で大ブレイクするのは、デビューして5年目の1977年でした。

ちなみに、天城越えはさらに時代を下った1986年の発売です。

 

15歳でデビューして、周囲が華々しく売れていく中で、焦りや苦悩もあったことと思います。

しかし「あれから40数年」。

かつてアイドルとしてもてはやされた同年代の歌手たちが、みな「伝説」や「あの人は今」になってしまった現在、形はともあれ現役歌手として今も活動を続けている…

 

堂々の「ひとり勝ち」状態です。

値下げセールの価格設定。「98」に弱い日本人、「99」に弱いアメリカ人

スーパーやディスカウントストアの価格設定を眺めていると、半端な値段になっていることが多いですよね。

そこには、少しでも価格を安くして購買意欲をあおるための工夫・努力がうかがえます。

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消費者としても、1円でも2円でも安い方がありがたい。

 

すべて、というわけではありませんが、その「価格設定(値引き幅)」を見ていると、末尾の部分に「98」の数字がからんでいるケースが圧倒的に多い

ことに気づきます。

 

たとえば、

200円ではなく、「198円」。

5000円ではなく、「4980円」。

なぜか2円、20円の幅で値下げされています。

 

店頭で、このようなポップを目にする機会が多いのでは?と思います。

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非常に細かい話ながら、なぜか「199円」ではなく「198円」なんですね。

このポップはたまたま「税込み」ベースですが、税抜きだと、実際に払う値段は200円を超えることになるわけです。

 

この「2円」「20円」が消費者心理に与える影響は、きっとマーケティング戦略的にもいろいろ検証されているのでしょう。

ほんの1円の差ですが、「197円」や「196円」まで値下げしたポップにお目にかかることはほとんどありません。

きっと「99」だと、お客が振り向かない。

「97」まで下げると、お店側の利益に影響するのでしょう。

 

口に出す時も、ゴロの良さからか「〇〇キュッパ」という言い方が浸透しています。

 

一方、アメリカで同様のお店に立ち寄ってみると…

「98」もなくはないのでしょうが、とにかく目立つのは

末尾「99」の数字です。

「$4.99」や「$9.99」のように。

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わずか1セントであっても、2ケタの10ドルを割って1ケタの9ドル台になれば、

「お!安い!」

そんな心理が働いて、売れやすくなるのかもしれません。

日本と同じです。

 

ところが、その幅は日本式の「〇〇キュッパ」ではなく、あくまで「99」であって、「$4.98」や「$9.98」の表示を見ることはほとんどありません。

 

さらに、日本では「税込み」「税抜き」表示が混在しています。

最近は、少しでも見た目を安くするために、税抜き表示の方が優勢になっている印象もあります。

ところが、アメリカではほとんどが「税抜き」ベースの表示。

 

そもそもアメリカでは「消費税」ではなく「小売売上税」と呼ばれているようで、その制度も日本とは異なっているのですが、いずれにしても消費者は、表示価格プラス税額を支払うことになります。

 

厄介なのは、州ごとに税率が違うこと。

0%から10%ぐらいまでの幅があります。

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また、課税対象になる製品によっても税率が違ってきます。

日本でも、軽減税率の登場で2つの税率が登場しましたが、もっと複雑な制度のようです。

 

欧州ではもっと高い税率が一般的のようですし、日本もいつまで10%を維持できるかわかりませんね。

 

ネットショッピングで、「〇〇キュッパでお得!」の商品を見つけて購入しようとしたら、実は

「税抜き」「送料別」。

ガッカリしたことが何回もあります。 

心に残る3大偉人伝「野口英世」「リンカーン」「ナイチンゲール」~「伝記」が本になる人物は今後現れるのか

幼い頃、私は「音楽少年」「日記少年」であると同時に「読書少年」でもありました。

 

自分の部屋には、年齢には不釣り合いな大きな本棚が据えられ、絵本や児童書にまじって「〇〇文学全集」や、いまや骨董品的存在となった「百科事典」1巻~〇巻のような、りっぱなカバー箱に入った分厚い本がたくさん並んでいました。

 

フィクションの童話を読むのも嫌いではありませんでしたが、興味を惹かれたのは歴史上の人物の生涯を描いた実話である「偉人伝」。

俗に言う「伝記本」です。

 

中でも印象深く心に刻まれているのが、この3人の伝記です。

 

野口英世

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「千円札の顔」としてお馴染み。

医師であり、細菌研究に人生を捧げた学者として知られています。

福島県に生まれ、1歳の時に囲炉裏に落ちて左手を大やけどし、「てんぼう」と呼ばれいじめられた話から物語は始まります。

やけどのために実家の農作業を手伝えず、学問で身を立てようと決意し、貧しくまたハンディキャップを負った中、努力して学業に専念。

上京し医師になった後、渡米しロックフェラー医学研究所研究員となって細菌の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で名声を馳せました。

ノーベル賞の候補に指名されながらも、自ら黄熱病に罹患し、アフリカ・ガーナにて51歳の若さで亡くなります。

遠く離れた祖国の母との手紙のやりとり(もともと文字の読み書きが出来なかった母・シカが、息子にあてて必死に「ひらがな」を勉強して書いた)のエピソードは、今でも心に響きます。

 

彼の出身地、福島県には野口英世記念館」があります。

 

エイブラハム・リンカーン

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弁護士・イリノイ州議員・上院議員を経て、アメリカの第16代大統領に就任。

アメリカ初の共和党所属の大統領でもあります。

彼の生きた19世紀半ば、アメリカ南部では奴隷制が合法だったものの、北部では違法。

これをきっかけに「南北戦争」が勃発。

そして、これを収束させて南北分断の危機を救い、「奴隷解放」を実現させました。

一方、その混乱が影響して、志半ばで暗殺される運命に。

歴代の大統領の中で最も偉大な人物とも称されます。

彼の行った演説の一節「人民の、人民による、人民のための政治」は、あまりにも有名です。

 

フローレンス・ナイチンゲール

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イギリスの看護師。

統計学者や看護教育学者としても有名な人物です。

彼女の誕生日である5月12日は、「国際看護師の日」に指定されています。

19世紀後半、ナポレオン以降のヨーロッパ域内のナショナリズム台頭による文化的・

宗教的対立から勃発した「クリミア戦争」に、従軍看護師として参加。

現地の看護師の総責任者として活躍しました。

その働きぶりから、「クリミアの天使」とも呼ばれました。

看護師がよく「白衣の天使」と呼ばれるのは、ナイチンゲールに由来するとも言われています。

 

いずれも、何百年も昔ではない「近い世代」の歴史上の人物。

日本で言えば、江戸末期から明治あたりです。

 

こうした人物を通じた「現代史」の教育は、現在行われていないのかもしれません。

 

自分の経験からしても、たとえば高校の歴史の授業は、日本史も世界史も超古代から始まっていき、たいていはなかなか教科書通りに授業が進まず、中世ぐらいで止まってしまっていた記憶があります。

附属高校出身で大学受験が関係なかったという面も十分あると思いますが…。

 

時代を下った20世紀以降、彼らに匹敵するような「偉人伝・伝記」として語り継がれる人物に出会うことはあるのでしょうか?

 

功績をあげた大物政治家?

経済発展に貢献した財界の実業家?

名作を世に残した作家・芸術家?

大活躍したスポーツ選手?

有名な芸能人?

該当者は、なかなか見つからないような気がします。

 

人並み外れて「タッパ」があると、こんなに困ることが多い。同様の人を見かけたら、そっと見守って下さいね!

「タッパ」という言葉って、一般的ですか?

 

漢字で書くと「立っ端」

「モノの高さ」のこと、あるいは「人の身長(の高さ)」を意味する言葉のようです。

ある世代特有の言葉ではないようで、年長者からも若い人からも発せられます。

 

「おまえ、タッパスゴイよねぇ!」

「タッパありますねぇ!」

自身では使うことのなかった言葉で自分のことをこのように言われることが、けっこうな頻度であります。

 

日本人としては、否、人種関係なくきわめて珍しい190センチ超。

人並み外れて「タッパのある」私は、それだけで「キャラが立ちまくって」います

人は、体重は努力である程度コントロールできますが、身長は自分の力ではどうにもなりません。

大きくても小さくても、それが自分の運命だと受けとめるしかありません。

 

長身であることをメリットに感じることも皆無ではないですが

困ることの方が圧倒的に多いです。

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ほとんどの「標準体型者」の方には想像もつかないようなことを、日常生活でたくさん経験することになります。

 

ブログ開設早々にも、自己紹介を兼ねて同様の記事を載せましたが、もう1年以上前の話で読者層もだいぶ入れ替わっていて、初耳の方も多いと思われるため、重複をいとわず改めてまとめるとともに、新たなエピソードも添えたいと思います。

saewataru.hatenablog.com

 

<同じ会話を無限に繰り返さなければならない> 

初対面の方とお話しする際、間違いなく発せられる感想や質問の数々。

  • 「大きいですねぇ!」(そして冒頭の「タッパありますねぇ!」)⇒「はぁ、はい。」と愛想笑いをするしかない。
  • 「身長何センチあるんですか?」⇒仕方なく数字を答える。
  • 「すごぉ~い!昔バレーかバスケットやってたんですか?」⇒(やってないので)「いいえ、特には…」。
  • 「えぇぇ、何にもやってなかったんですか?もったいないなぁ!」⇒(別にイイだろう?と思いつつ)「そうですねぇ」。
  • 「お父さん・お母さんも大きいんですか?」⇒(これは事実なので)「はい、両親とも」。
  • 「お子さんも大きいんですか?」⇒(娘は180センチ、息子は186センチあるので)「はい、大きいです」。
  • 「何を食べたら、そんなに大きくなれるんですか?」⇒「食生活は特に意識していません」と。
  • (主に160センチ台以下と思われる男性から)「オレもせめて170センチは欲しかったよ!何センチか分けてくれねぇかな?」⇒「はい。出来ることならぜひそうしたいです」。

なんと、ここまでがほぼルーティン。

ひとり二人ならまだしも、会う人会う人すべてにこの対応。

肥満度を示す「BMI値」=19の痩せ型なので、余計に身長が目立つのかもしれません。

 

相手に悪意がないことはわかっているのです。

自分で言うのも妙ですが、そこには「うらやましい」気持ちも含まれていそうです。

これが、仮に「ヨコ方向に大きい」人だった場合、面と向かって「太ってますねぇ!」とは決して言いませんよね?

 

ですから、「あぁ、またかぁ!」と思いつつ、イヤな顔はできません。

面倒くさがらずに対応する忍耐力が鍛えられます。

 

<サイズの合う服がない>

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スーツ・ワイシャツはすべてオーダーになってしまい、かなり高くつきます。

袖丈も股下も、既製品のLサイズより10センチ以上長いのですから…

 

しかも、使われる生地自体も限定されることがあります。

そんなに高級な服は要らないのですが、安い生地だと反物の段階ですでに短い寸法に切り取られていて、仕立てができないようなのです。

従って、長いサイズの服をオーダーする際には、必然的に高価な生地を選ばなければならないはめに陥ります。

ただでさえ割高なのに、まさにダブルショックです。

 

<体型が変わると大変>

上とも関連しますが、フォーマルな服はみな「オーダー」で調達せざるを得ません。

当然「現在の体型」に合わせて作るのが基本。

従って、「太ったりやせたり」が発生すると、気軽に買い替えが出来ないのです。

体型維持への努力は、並大抵ではありません。

 

<ホテルのベッドが窮屈>

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宿泊で使用するホテルのベッドの長さは、たいてい2メートルに届きません。

確実に足がはみ出てしまいます。

 

海外出張では、日本のビジネスホテルとは格の違う高いホテルに泊まらせてもらうこともあります。

ベッドがキングサイズであることも。

しかし、「キング」なのは横方向だけ。

つまり、ダブルベッド仕様になっていたとしても、長さはシングルと変わりません。

「対角線状」に寝てみたりするのですが、やはり不自然です。

 

<乗り物が窮屈>

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電車のドアは、必ずくぐって入ります。

車内にある吊り広告が頭に当たって、実にジャマです。

つり革のぶら下がっているヨコ方向の保護棒。

あれが、だいたいおでこの位置に来ます。

 

ふだん使いの路線バスは、天井が低くて立てません。

最近は低床のノンステップバスで比較的天井の高い車両も増えていますが、一方後部座席が階段状で、天井が低くなっていたりします。

 

飛行機はこの頃はめったに乗りませんが、エコノミークラスの座席は新幹線よりはるかに狭く、ひざが前の席にぶつかってしまって、身動きがとれません。

 

<仕事のデスク・椅子が低い>

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働く時間の多くを過ごすことになる仕事のデスク・椅子のサイズ(高さ)が、まったく合っていません。

しかも、作業は小さいノートパソコンで行うことがほとんどです。

首・肩や腰に、大きな負担がかかります。

 

<外出先で、好奇の目にさらされる>

街を歩いていると、すれ違う人の多くが明らかに振り向きます。

時に「異星人」に遭遇したかのような視線を感じることもあります。

小さく傷つきます。

 

自分より年上の「人生のベテラン」からは、まったく面識がないのに、いきなり上記の「ルーティン質問」を投げかけられることもあります。

駅のホームで待っていても。

お店に入っても。

驚くことに、「日本人なの?」と尋ねられることさえあります。

 

一方、小学生の集団と出会うと、あからさまに指をさして「でかッ!」と叫ばれたりもします。

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子どもは正直で、時に残酷です。

これも悪意からではない純粋な反応なので、大人げなくムカつくわけにもいきません。

 

もし同じような人を見かけることがあったら、ぜひそっと見守ってあげて下さいね(笑)。

【懐かしい歌No.75 切なくも温かいマイラバNo.1ソング】「Hello, Again~昔からある場所~」My Little Lover(1995)

女性をメインヴォーカルに据え、バックを2人の男性が固める形のユニット。

Dreams Come Trueのあと、ELTことEvery Little Thing

Hysteric Blueが出たと思ったら、「色つながり」でBrilliant Greenなども登場。

いきものがかりも、同じ構成です。

それぞれにヒット曲を残し、「ドリカム」編成は一種のファッションになりました。

(もっと古くには「青い三角定規」などというユニットもありましたが…)

 

マイラバ」ことMy Little Loverも、そうした3人組のひとつです。

マイラバの場合、楽曲制作者兼プロデューサー役の小林武史をバンドの正式メンバーとするのか、微妙な部分もありますが)

 

1995年5月のデビュー曲「Man & Woman/My Painting」

7月に発売された「白いカイト」

が立て続けにヒットし、スタートダッシュは快調。

一躍有名グループの仲間入りをしました。

 

2曲とも、リードヴォーカル・Akkoのちょっと甘えた感のある歌声に乗せた「さわやかソング」。

それぞれ明るい曲調は、心地良いものでありました。

しかし、正直熱心に「聴き入る」レベルまではいかず、ヒットに合わせ自然に耳に入ってくるくらいの感覚でした。

 

ところが、休む間もなく8月に発売された3作目となるシングルである

「Hello, Again ~昔からある場所~」

が一気に爆発的なヒットにつながり、必然的に彼らの音楽に注目することになったのです。

 

単にドラマ主題歌としてのタイアップがあったからだけではなく、その曲調と詞の世界のパワーが圧倒的で、それに一気に引き寄せられた印象でした。

 

切ない別れを懐かしむ、どちらかと言えば「悲しい歌」ですが、長調に設定されたキーは極度に暗くなく、むしろ「温かさ」を感じさせます。

ミディアムなテンポは、速すぎず遅すぎず。

ちょうど人が歩く速さぐらいで、歌いやすく構成されています。

 

イントロのエレキギターのメロディーが、シンプルながら一度に「心をわしづかみにされる」ような忘れられないインパクトを残し、そのままヴォーカルへ。

Aメロとサビとで大きく異なる点…

リズムやサウンドは、ワンコーラス一貫して大きな差はありませんが、サビフレーズの歌詞

 

記憶の中で ずっと二人は生きていける

君の声が 今も胸に響くよ それは愛が彷徨う影

君は少し泣いた? あの時見えなかった

 

に入る部分での「転調」が非常に効果的に作用しています。

言葉の上でも、それまで淡々と抑えていた想いがここで一気に噴き出すように綴られ、胸に残ります。

 

女性が「僕」目線で歌っているのも、一種ユニークな演出でした。

タイトルフレーズが「1番ではなく2番に登場」するのも、珍しい作詞手法です。

 

今振り返ってみると・・・

世紀末の1990年代は、70~80年代そして2010年代に新たな形で顕著になったアイドルブームの「狭間」であった時代。

 

一概にアイドルが悪いわけではありません。

私もミーハー的にファンになった時期がありました。

ただ、小室ファミリーが幅を利かせる一方で、「本当の歌を聴かせる」それぞれのアーティスト(グループが主体だった)がしのぎを削り、年月が経っても色あせない個性ある名曲が「百花繚乱」状態だったようにも感じます。

 

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【リスクマネジメント】起こってしまったあとの「再発予防策」より「事前対応策」の充実が重要。いま流行りの言葉「リスク」とは「危険」ではなく「不確実性」

事件や事故・不祥事が起こった時に、その後の記者会見で必ずと言ってよいほど聞かれるのが、

「今後、再発防止策の徹底に努めてまいります」

のひと言。

 

事故が起こってしまってから、その原因を深く究明すること。

もちろんそうした行為は、同じような事態が今後繰り返されないようにするための大事なアクションだとは思います。

 

では、そもそも

事態が起こらないように「未然に防ぐ」準備はできていたのか?

その対策が十分でなかったから、起こってしまったのではないか?

もっとしっかりした「事前対応策」ができていれば、最悪の事態は防げたのではないか?

「再発防止」の言葉を耳にするたびに、いつもそうした思いにかられます。

 

こうした「事前対応策」を総称して「リスクマネジメント」と呼んでいます。

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以前、社内でこれを専門的に扱う部署に所属していたことがありました。

 

最近非常に頻繁に使われる「リスク」という言葉。

この言葉を耳にするたびに、本来の用法に思いを巡らせています。

 

「リスク」とは本来、事態が変動する「不確実性」を意味します

「リスク」というと「危険」と直訳して、「悪い方向性」ばかりを想定してしまいがちです。

「その考え、リスキーだね!」のような用法も一般的です。

しかし、「危険」に対しては「クライシス」という別の単語があります。

「リスク」は、現状が良い方に変化する可能性をもはらんでいます。

 

業務活動に沿って言えば、リスクマネジメントにはいくつかのステップがあります。

 

<リスクの特定>=PLAN

現状は何も起こっていないけれど、将来何か起こるかもしれない要因を「想像しながら」洗い出します。

各部署で、ブレーンストーミング的に。

 

たとえば、

 

今は1ドル100円だけど、将来為替変動のリスクがある。

円高」「円安」どちらに振れても「リスク」になります。

円安は、輸出企業にとっては「リスク」ではあっても悪いものではなく、むしろ基本的に「追い風」です。

それが「リスク=不確実性」たる所以です。

 

今はきちんと決算を行っているけれど、作業に必要なデータが間違っているかもしれない。

誰かが悪意をもって改ざんするかもしれない。

会計システムに何らかの故障が発生するかもしれない。

その「不確実性」がリスクになります。

 

今は工場の生産活動は順調に進んでいるけれど、設備・機器に何らかの不具合が生じるかもしれない。

天災が起こって、施設が被害を受けるかもしれない。

見えていない「不確実性」、それがリスクになります。

 

部署ごとに、「リスク=不確実な心配事」の種は無尽蔵にあります。

 

<リスクの評価>=CHECK

社内のあらゆる部署から集まって来た業務関連の「不確実性」項目が出そろったら、今度はそれを「評価」します。

何事にも「優先順位」があるものです。

懸念があるからと、すべての対策を講じる経済的・人的な余裕はありません。

 

そこで、その事態が発生する「頻度(確率)」と、起きてしまった際の「インパクトの大きさ」をそれぞれ縦軸と横軸にとり、スコア化して評価します。

しょっちゅう起こることには、しっかり対策を講じておかなければならない。

たまにしか起こらないことでも、起こった時の被害が甚大になることが想定される場合は、やはり相応の対応が必要になる。

 

リスクの大きさ=影響度×頻度

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このスコアが、優先順位を決める際の指針となります。

「考え方」はクリアでシンプルなのですが、実務上担当していた時には、まったく色合いの異なる事象をどう統一的に見るか、「スコアの客観性」を保つのに非常に苦労しました。

 

<リスク対応実施>=DO

取り組むべきリスクを、実際に「つぶしにかかる」プロセスです。

 

為替変動の例で言えば、いま持っている資金の一部を現状のレートで固定して為替変動に備える。

決算不正対策であれば、基礎となるデータを単独ではなく複数で相互チェックする、決裁のプロセスを厳格化する。

生産設備の災害対応であれば、十分な在庫の蓄積、設備点検内容やスケジュールの見直し、定期的な避難訓練の実施など。

 

実務上、この「CHECK」と「DO」は相前後して行われることが多いです。

実際に対応を行った後に、その実績をチェックする意味合いでも、評価は行われます。

 

<計画改善>=ACTION

こうして行われた対応策を組織全体に浸透させて、実際に行動する。

さらに、時代・情勢の変化に応じて常に最新のリスク把握を行える体制作りが出来るよう、継続的な計画改善に努める。

 

PLAN・DO・CHECK・ACTION

この4単語の頭文字をとってPDCAサイクルと呼び、このサイクルを着実にまわすことが「事前対応策」の強化につながるとされています。

 

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リスクマネジメントは、仕事の場面だけでなく、学校教育の現場でも一般家庭でも、どこにでもあてはまりうる考え方です。

 

登下校時に交通事故が起こる危険性がある(リスク)

 ⇒通学路に監視員を置いて、見守りをする。

 

気候が不順になると、体調を崩しがちになる(リスク)

 ⇒十分な栄養や睡眠をとり、体調維持・管理に努める。

 

出かける時、ちゃんとカギをかけたかどうか不安になる(リスク)

 ⇒指差確認を行う。口に出して「カギ、良し!」を習慣にする。

 

みな、身近なリスクマネジメントと考えることが出来ます。

 

「備えあれば憂いなし」は、アタマではわかっているつもりでも、確実に実践するのはけっこう難しいモノがあります。

リスクマネジメントは、実際に起こっていない事象を相手にするがために、しっかり意識しないと実体が把握できなくて、いざと言う時に対応がとれないことがあります。

 

仕事だけでなく、ふだんの生活からしっかりと取り組みたい事柄です。

【懐かしい歌No.74 「夏のお嬢さん」だけじゃない!】「イエスタディ ドリーマー」榊原郁恵(1982)

「自分らしいブログアイコン」に出会えたので、今日から取り入れてみました。

 

さて、

1976年からスタートし、これまで多数のタレントを世に輩出してきた、今も続く新人発掘オーディション

ホリプロ・タレントスカウトキャラバン」の第1回グランプリ受賞者。

 

翌1977年1月1日に、華々しくアイドル歌手としてデビューします。

「元日デビュー」というところに、プロダクションの期待と力の入れようがうかがえます。

 

以来、すでに芸能生活40年以上。

今でも、現役タレントとしてテレビに出演し続けています。

 

歌手稼業を続けているわけでもない。

女優に転身して、大活躍しているでもない。

お笑いのセンスに長けた「バラエティータレント」でもない。

ハイレベルな教養を披露する「文化人タレント」とも呼べない。

でも「あの人は今」的な存在にはなっていない。

 

改めて考えると、実に不思議かつ絶妙なポジショニングに位置しています。

いずれにしても、「現役感を維持しているタレント」であることは確かです。

 

彼女のデビュー曲が「私の先生」という歌であったことは、ほとんど知られていません。

現在認知されているヒット曲と言えば、唯一「夏のお嬢さん」ぐらいかと思います。

それ以外に彼女のシングル曲を複数挙げられるとすれば、古くからのよほど熱狂的なファンか、私のような「はやり歌マニア(!)」ぐらいでしょうか?

 

途中「アルパシーノ+アランドロン<あなた」なるユニークなタイトルのシングルもありましたが、それほど大きな話題には結びつきませんでした。 

本格的なヒットにたどり着くまでに、デビューから1年半がかかっています。

7作目のシングルにして、ようやく「代表作」と呼べる作品に巡り会えたのです。

 

80年代に入ると、アイドルからの転身の一環として、ホリプロが初めて手掛けたミュージカル「ピーターパン」の主役に抜擢され、その後渡辺徹と結婚するまで、7年間公演を続けました。

昔活躍していたイメージとしては、この役柄が大きかったかもしれません。

 

今日掲載した「イエスタディ ドリーマー」。

この曲は、彼女が「ピーターパン」として再び脚光を浴びていた頃、デビューからちょうど5年経った1982年のシングルです。

やはり1月1日に発売されています。

20代に入り、歌い手としてもアイドルからの転換期を考え始める時期。

それまでの「元気印いっぱい」から「オトナ路線」への脱皮を模索する楽曲として制作されました。

 

イメージチェンジを図った、彼女のディスコグラフィーの中では珍しい、王道のバラードナンバーです。

 

40年近く前の映像なのに、現在のイメージとあまり変わりがないように見えます。

素晴らしい「現状維持」ぶりです。

 

www.youtube.com

絶賛広告展開中!「副業から本業にする人も!テレビで紹介された今話題の『書かないブログ副業』」tool+に無料資料請求してみた

無料版のブログで執筆していると、はてなサイドからおススメの広告が入れ替わり立ち代わり掲載されます。

広告を非表示にするには「Pro仕様」にして、「有料版」に申し込まなければなりません。

 

あくまで個人的な感覚ですが、

「有料版」申請は、自分のブログライフにとって「越えてはならない一線」だと認識しています。

 

自分の性格からして、たとえ少額であっても、仮に有料版申請という名の「先行投資」を行ったら、それを取り返そうと必死になって、

「ブログにとりつかれる=ブログにのめり込む=日常生活が破綻する」

そんな結果に陥ることが、目に見えているからです。

 

「Pro仕様にすればこんなにもメリットがあるのに、もったいない・・・」

と言われることは承知の上です。

そもそも、収益など考慮していない「好きなことを書く、自己満足の趣味ブログ」なのですから、無料版で十分なのです。

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というわけで、無料版ゆえに自由自在に広告が掲載されることは容認していたのですが・・・

 

その中で、ずば抜けてその頻度が高い広告がありました。

もうかなり長い期間にわたって、です。

しかもそれは、「はてなブログ」のサイトを越えて、ふだん使いのYahooフリーメールの画面にまで進出していました。

果ては、Yahooニュースの記事にも紛れて広告が!

「なぜ、この場所にこの広告ばかりが掲載されるのか?」

詳細な掲載基準などは知る由もありませんが、ブログを運営していることによって、それに関連した広告が多く流れる仕組みがどこかで構築されているのでしょう。

 

それこそが、タイトルにも触れた

「副業ブログおススメ」広告です。

 

副業から本業にする人も!

テレビで紹介された、今話題の「書かないブログ副業」!

一読しただけで、「これ以上オイシイ宣伝文句はない!」と確信する名キャッチコピーです。

 

「イヤイヤ、ブログは自ら書くからこそ楽しめるんじゃないか?」

「書かずに稼ぐって、どういうこと??」

と素朴な疑問を抱きつつ、あまりに頻繁な広告の「登場回数」とその「威力」に好奇心が負けてしまい、クリックするだけなら実害はないだろうと思って、開けてみました。

tool-plus.net

 

予想通りそこには、健康食品やサプリメントなどの広告によくある二大手法

「効果だけを全面的に押し出す美辞麗句」

「(実在だか架空だか不明の)利用者による絶賛のコメント」

が展開されていました。

 

健康食品やサプリメントであれば、「初回のみサンプル無料プレゼント!」という特典がよくあります。

そこで、それに申し込んで無料分だけありがたくいただく・・・

そんなことをよくやっていました。

 

ところが、この「書かないブログ」サイト広告には、その進め方についての具体的内容が一切書かれていません。

唯一の手掛かりは「無料資料請求」のボタンだけ。

 

ちなみに、関連記事を検索しても、絶賛情報ばかりが並んでいて、参考になりません。

 

よせばいいのに・・・

この類のブログ記事には、さんざん心を「ざわつかせて」いたのに・・・

saewataru.hatenablog.com

パンフレットならば、もう少し具体的な手順が書かれているだろう・・・

ついつい好奇心で、ボタンを押してしまいました。

 

「無料版ブログ」で十分と言っておきながら、「副業」の言葉に引っかかるなんて、なんと愚かしい自己矛盾!とお思いでしょう。

いささか言い訳がましいのですが・・・

単に「乗っかってみた」だけで、「引っかかった」わけではない。

実は「引っかかっている」のですけどね🥵

ただ、迷惑メールのリンクや怪しい添付ファイルを興味本位でクリックしてしまうよりは、はるかに実害が少ないはず、との「自制心」は働いていました。

 

すると、なんという早業!

翌日には、郵便受けにパンフレットが投函されていました。

クリアファイルに包まれた、20ページもあるA4版のしっかりした作りです。

  • 「今から始めることで、未来が大きく変わる!?」のだそうです。
  • 「ブログで稼ぐ人が急増中」なのだそうです。
  • 「稼ぐ成功者が続出!?」なのだそうです。

1番目と3番目の項目には、なぜか「!?」が付いていました。

パンフレットの段階で、はじめから「?」を付けられたら、見る側はどう感じるのでしょうか?

 

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この会社独特のなんらかの手法で、「収益を生むブログ」を「執筆することなく」作成できるのだそうです。

ひとつ明らかにわかったことは、一般的なアフィリエイトと同じく「広告を画面上に添付することで集客し、収益につなげる」というもの。

 

違うのは、「そのために自分から記事を書くことに時間を割く必要はなく、あちらこちらから既存の情報を集めて記事に「まとめる」だけ。

あとは、それに広告を添付するだけ・・・

それが「書かないブログ」の実態、ということのようです。

もちろん、「しっかりしたサポートシステムが整備されているので、初心者でも安心」の常套句も、決して忘れられていません。

 

そして、毎度おなじみ「利用者の声」として、3人の(イメージモデルの)顔写真と「絶賛コメント」が載っていました。

  • 50代会社員(♂):利用歴1年半、副収入年間260万円
  • 30代主婦(♀):利用歴1年、副収入年間150万円
  • 60代定年退職者(♂):利用歴3年、副収入年間500万円

それが、毎日1~2時間の「作業」で達成できるのだそうです。

何という魅惑的な、かつ絶妙な「金額設定」でしょう!

「小市民」は、思わず「時給換算」してしまいました!

 

ここまでで、20ページのうちすでに15ページ。

まだ、記事の「具体的な作り方」についてはまったく触れられていません。

 

気になるのは、「利用料金」です。

非常に重要な情報なのに、ネット広告には掲載されていませんでした。

先ほどの「無料サンプル」のように、「無料お試し期間」があるわけではなさそうです。

そして16ページ目。

その明細がようやく登場しました。

 

その内容は・・・ 

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(いずれも年間サーバー費用込み) 

  • ブログ運営ノウハウに長けた上級者向けプランで、20万円。
  • 初心者標準プランで、60万円。
  • オプションの付いたVIPプランで、90万円。

 

その後、最後のページまで読んでも、結局具体的な記事作成法は(画面イメージさえも)書かれていませんでした。

詳細を知るためには、まずはこの金額を無条件に支払うことが先決のようです。

要するに、「料金を支払って初めて具体的な記事作成ノウハウを伝授するけれど、パンフレットの情報はあくまで一例であって、実際に稼げるかどうかはあなた次第」ということのようです。

実際のところ、この収益シミュレーションは「1日10個もの記事」を3か月継続して書くことが最低限の必須条件になっている・・・

そうした実態は、明かされていません。

 

これを見て、

  • 「副業収入を得るために、このレベルの初期投資を行うことは妥当」だと捉えるか
  • 「趣味で好きなことを書いているブログで、目の前にチラつかされた『お小遣い』の魅力に囚われ、捕らぬ狸の皮算用となるか」

については、さまざまな考え方があると思います。

「こうした事業を展開する会社が存在している」ということは、「ビジネスが成立している」=「一定数の利用者がいる」証であることだけは確かでしょう。

 

何の因果か、この広告の隣には、

「100万円から始める小口投資」の名目で、某不動産投資のPR広告が掲載されていました。

フィールドは違うはずなのに、話の進め方がまったく同じであることに感動しました。

 

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読者の方々の中に、すでにこのサービスをご利用中の方がいらっしゃるかもしれないので、私からはとりあえずパンフレット取り寄せのご報告と感想だけ・・・

 

ひとつだけ確実に思ったこと。

それは、

「書く」という楽しい行為を伴わないのだったら、「時間を価値に変える」の言葉は心に響かない・・・

 

ブログを書いていたおかげで、またひとつ

「さえわたるの知らない世界」

に出会うことが出来ました。

本州以外出身の人が、出身県を明言しない不思議

初対面の人と話す。

また必ずしも初対面でなくても、

出身地・地元

を話のネタにすることはよくあると思います。

話を始めるきっかけとして、比較的無難な世間話のひとつになる話題です。

 

定期的に購読して下さっている方はすでにお気づきと思いますが、私は「地理」ネタが大好き。

それぞれの土地に対する興味が、ハンパなく強いのです。

これまた当ブログの「全都道府県旅行記で連載しているように、マニアックに大好きな鉄道に乗って実際にその場所を訪問もしますし、話を聞くだけでもとても楽しい!

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話が詰まって微妙な沈黙の雰囲気に包まれそうになった時、再開のきっかけとして

「ご出身はどちらですか?」

フレーズを使うことが多いです。

すると相手からは、たいていは「〇〇県」と、県名で返されます。

 

ところが、(統計をとったわけでもない感覚的な話ですが)

本州以外の出身の人は、なぜかはっきり県名を明かさないケースが多いのです。

「ご出身は?」

「四国です」

「九州です」と。

 

四国のどこなのか、具体的に何県なのか知られたくないから、という意識からなのでしょうか?

それとも「四国は4県で1つ」という強い団結力があるからなのでしょうか?

否、県民性的にはむしろ、それぞれのアイデンティティーがほかの地域より強い県が集まっているようにも思えます。

 

四国ほどではありませんが、九州出身の人も、ただ「九州です」回答の傾向が強いです。

(福岡だけは、ちょっと例外っぽい感がありますが…)

私自身、生まれたのは熊本県で(父の転勤赴任地でたまたま生まれて3歳までを過ごしただけで、本籍は東京ですし、育ちもずっと東京ですが)、父方の祖父は長崎県出身ということもあって、個人的に九州には愛着がある。

同じ九州出身とわかったら、たとえ違う県でも話を盛り上げることが出来そう。

 

そして、北海道は地理的事情でちょっと特殊ですが、反応はほぼ同様です。

「北海道出身です」で終わる。

「北海道は北海道で都府県と同等のひとつの『道』なんだから、そこまでで終わりじゃないの?」

普通はそうですよね?

さらに「北海道のどの辺ですか?」と尋ねると、ようやく近辺の主要な市の名前が出てくる。

興味本位であまり突っ込むと失礼になるので言いませんが、本当はもっと知りたい。

だって、4つの県を擁する四国や、7つの県のある九州より、北海道単体の方が面積が広いのですから!

 

北海道の中は、「石狩」「胆振」「宗谷」「十勝」「宗谷」などの「支庁」(それぞれが県レベルの面積を持つ)に分かれています。

ところが、その地名が表に出ることはあまりありません。


たとえば札幌市は誰でも知っているけれど、札幌が「石狩支庁」にあることはほとんど意識されていません。

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それで、たいていはまとめて「北海道出身です」で終わってしまう。

同じ北海道でも、函館と稚内では風土も気候も全然違うのに。

双方を移動しようと思ったら、たとえ飛行機を駆使しても、東京~大阪間の何倍も時間がかかるほど遠いのに。

 

以上、ふだんは誰も考えないけれど、個人的にはちょっと気になる「重箱の隅」エピソードでした。

「やりたい」と「やらなければならない」は紙一重?Mustに縛られない「何もしない時間」の大切さも感じ取りたい

なにかと忙しい現代人の生活。

仕事・家事・育児・食事・入浴・睡眠…

「行きて行くために、どうしてもしなければならない」ことはたくさんあります。

 

平たく言えば、最低限の「お金を得るために働く」「食べる」「寝る」だけで1日が終わってしまいそうです。

社会的な「人間」として、また「生物」として命をつなぐ、必要な「やるべきこと」はもちろんあります。

 

24時間という、誰にとっても平等かつ有限の時間。

真に「最低限=Must」の「食べる」「寝る」を差引いた時間をどうとらえ、どう活用し、どう過ごすか…

ここに、その人の生き方の真価が現われるのだと思っています。

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特に、一番時間を要している仕事。

 

上層部や外部から指示されて「動かなければならない」ことが多いのは仕方ありません。

その一方で、「自主的に」現状の行動をもっと実りあるものに変える余地も、きっとあるはずです。

 

目の前にあるパソコンに「標準装備」されているスケジュール表。

打合せ・〇〇会議・取引先訪問などの「予定表」があって、本日・明日の「実際」の動きが一覧できるようになっています。

実に便利な機能です。

 

そのほかに、はやり(?)の「to do リスト」なる便利(?)な機能も入っています。

 

すでに決まっている「本日・近日中」以外の「中期的な目標」をどうこなすか?を書き入れる欄です。

これも、「備忘録」としては有効です。

 

ただしその「余白スペース」を、その意味合いを深く考えることもせず、ただただ物理的に「to do」で埋めて、バリバリ働いた気になっていることはないのだろうか?とふと感じることがあります。

先日の「働き方改革」記事で取り上げた伝統的な労働観・・・

 

saewataru.hatenablog.com

「玉石混交の用件をスケジュール表に埋めて、それをこなすのに物理的に長時間働くことこそが美徳」

そんな考え方が、やはり社会人のとるべき道?

サクッと帰ることのできる時はサッサと帰る。

そうした行動様式がいまだに容認されていない、重い雰囲気があります。

 

「やらなければならないこと」の代表格である仕事(会社だけでなく、家事・育児も含みます)から解放されたら、その他のプライベートな時間はもっと自由でありたい。

 

今度は、

「存分に好きに過ごしてよい時間」をどう過ごすか?

 

人によって好きなことは違いますが、やりたいこと・好きなことに没頭し、「空き時間を埋める」。

それが楽しくて幸せなのは間違いありません。

 

「時を忘れて、何かに夢中になる…」

素晴らしいことです。

自分自身そうなので、そこに異議をとなえるつもりはないのですが…

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「やりたい」と「やらなければならない」とは、実は紙一重なのではないか?と感じる瞬間があります。

 

  • ジムに行くなら、費用を払ってせっかく時間を作って通っているのだから、自分で決めたメニューは何としてもこなさなければ。
  • ゲームをやっていても、ここの関門をクリアするまではやり遂げなければ。
  • 面白そうな番組があるから、遅い時間帯で寝不足になりそうだけど、生中継だから録画ではなくリアルタイムで見ておかなければ。
  • せっかく人から誘われたのだし、明日ちょっと忙しいけど、しばらく会っていないから出かけなければ。

 

それらに集中している時は、自分で決めたスケジュールを思い通りに「埋め尽くした」ことに満足して、「幸せアドレナリン」がたくさん放出されています。

 

しかし、そうして得られた幸福感への欲望には限界がありません。

それが高じると、かつて感じた「幸福感」をさらに得るために、常に何かのイベントを求め、「やりたいことを」なんとかして作り出そうとするようになる。

言わば「刺激依存」状態に陥ります。

ムリしてやらなくてもいいことなのに、「やりたい」がいつしか「やらなければ」になり、もしそれが成し遂げられないと、反動で欲求不満や不安に陥ってしまう。

 

そう考えると、逆に

「何もすることがない」「何もせずに過ごせる」ひとときに穏やかな幸福を見出すことに目を向ける。

そんなことの大切さも考える必要があるのではないか?と思ったりします。

 

いつも、でなくてもいい。

何回かに1回は、「何もしない」自由な時間の大切さに思いをはせてみても良いのでは、と。

「空き時間を何かで埋め尽くす」ことだけが過ごし方のすべてではないのではないか?と。

BGMで一番「場面とリンクする定番」と言えば、誰もが知るあの曲!通常「聞き流す」存在なのに、つい「聴き入って」しまうのは「職業病」?

大規模な商業施設やホテルのロビーでは、何かしらのBGMが流れていることが多いです。

街のクリニックでも、待合室には音楽が聞こえていたりします。

テレビのVTRでも、映像やナレーションのバックに使われています。

 

BGM=「バックグラウンドミュージック」。

その名の通り、音楽はあくまでその場においては「脇役」「引き立て役」的存在。

何も音がないと「間が持たない」のでその埋め合わせに、あるいは患者の不安感を少しでも癒すために使われている音楽です。

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ゆえに、この種の音楽は通常「聞き流される」のが当たり前。

しかし、その音楽についつい「聴き入って」しまうのが、クセになっているのです。

一種の「職業病」(?)かもしれません。

 

ちなみに

「聞く」=「意識せずとも自然に耳に入ってくる」

「聴く」=「身を入れて積極的に耳に入れる」

ということで、あえて漢字も使い分けています。

 

なぜだろう?と考えてみたところ、音楽が好きなのは大前提として、BGMによく使われる音楽ジャンルが大きく3つあることがわかりました。

 

ひとつめは「クラシック音楽」。

ひと口にクラシックと言っても幅広いですが、その中でもフルオーケストラの大音響で聴くシンフォニーのような大曲ではなく、ピアノソロだったり、ヴァイオリンとピアノだけで演奏される小品が選ばれることがよくあります。

その中には、幼い頃レッスンに通っていた時に、実際に練習曲として演奏したことのある曲も含まれていたりする。

昔から馴染んでいれば、無視しろと言われても、つい耳を傾けてしまいます。

 

ふたつめは「はやり歌のインストバージョン」。

比較的静かな曲調のヒット曲の「歌ナシ版」。

クリニックの待合室や歯科医院の診察室などでは、ヒーリングミュージックとして、J-POPのオリジナルソングをオルゴール風の優しい音色にアレンジしたものをよく耳にします。

これも、聴きながら「あれ?この歌、なんだったっけ?」と、ついつい元歌を探りに行きたくなります。

病院にいる雰囲気を忘れるという意味では、効果的かもしれません。

 

みっつめは、かつて「イージーリスニング」と呼ばれたジャンルの音楽。

ピアノを中心に、静かにギター・ベース・ドラムなどが含まれる 静かなサウンド。

弦楽器は入っているものの、フルオーケストラの編成とは違う。

エレクトリックな楽器は、通常あまり使用されません。

その名の通り「耳に心地良いライトな雰囲気の音楽」を奏でます。

代表的なところでは、ポール・モーリアやレーモン・ルフェーブル、ピエール・ポルトリチャード・クレイダーマンなどが思い出されます。

 

このように、BGMが使われる「場面」やその際に使用される「素材」としての音楽は数多くあります。

 

この中で、

「場面」と「音楽」が一番リンクしていると思うのが、マジックショー。

どういう経緯からかは不明ですが、ポール・モーリア

「オリーブの首飾り」

がBGMになるのが、もはや「お約束」ですよね。

 

意外に「聴いたことはあるけれど、タイトルまでは意識していなかった」という方も多いのでは?

だからこそBGMなのだ、とも言えそうです。

この音楽を聴いただけで、テレビの画面を見ていなくても、

「あ、マジックやっているな!」

とわかってしまうくらいです。

その意味で、「最も定番のBGM」と言えるのではないかと感じます。

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ほかにも、たとえ作曲者はアタマになくても、きっとどこかで聴いたことのある作品が多数あることと思います。

 

今日は珍しく、クラシックのジャンルからも曲をご紹介します。

これもまた、BGMとして耳にする機会が非常に多い楽曲です。

ヴァイオリン奏者として飽きるほど演奏し、目をつぶっていても弾けるモーツァルトの代表作のひとつ。

 

アイネ・クライネ・ナハトムジークです。

オリジナルのドイツ語を英語表記すれば「A Little(Small) Night Music」。

日本語で「小夜曲」と呼ばれることもまれにありますが、オリジナルタイトルのままが主流です。

練習中は「アイネク」と呼んでいました。

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【懐かしい歌No.73 タイトルの意味は不明だが、イチオシの代表作】「HOWEVER」GLAY(1997)

1994年にメジャーデビューした頃から、彼らの存在は知っていました。

バンド名は「白でも黒でもない世界」を表現するもの、という話を聞いて、

色の「グレイ」を言いたいなら、「GLAY」じゃなく「GRAY」では?

とツッコミを入れる。

その程度の認識でした。

 

しかし、熱狂的なファンならずとも、この時代を知る音楽ファンの耳には、無意識のうちに彼らの音楽が入ってくる…

一種の「ブーム」を巻き起こしたと言っても過言ではない、多数のヒット曲・輝かしい実績を持つバンドです。

 

ヴォーカルを受け持つのはTERU。

作詞・作曲を行うのはTAKURO

メインヴォーカルが楽曲制作のすべてを担当するケースが多いバンドの中では、珍しい「役割分担」です。

それがガッチリとスクラムを組んで、数々の名曲を世に送り出してきました。

 

彼らの実績を裏付ける要素は、シングル・アルバムの売り上げ枚数や1位獲得曲数はもちろんですが、「タイアップ」が非常に多いところにも見てとれます。

 

メジャーデビュー以降、シングルをはじめとするほとんどの楽曲が、CMソングやドラマ・映画主題歌あるいはイメージソングなど、何らかの形でタイアップを展開しています。

そのトレンドは、本年オンエアのCM(「Into the Wild」SUBARUのCMソングに起用)まで継続しています。

 

最初は、ヴィジュアルの奇抜さや高音部の多いシャウト系のヴォーカルばかりに耳を奪われがちでしたが、実のところそこに表現されているのは、優しく情感溢れる歌詞の世界と美しいメロディーラインでした。

 

その「頂点」を極めたと思えるのが、この「HOWEVER」です。

 

クラシックの小品でも始まるのかと思われるようなピアノと弦楽器アンサンブルのイントロに乗せて、後に登場するサビの「一部分」だけがヴォーカルで表現されています。

聴いた後になってから、このイントロのインスト部分とヴォーカルがセットで「サビ全体」であったことに気づきます。

 

そしてこのサビが、1番・2番・その後のリフレインの部分でそれぞれ微妙にメロディーやコード進行・歌詞の文字数をアドリブ的に変化させており、歌が進むにつれての高揚感アップを演出しています。

 

全体としてはスローテンポのバラード形式ですが、エレキギター・ベースのサウンドインパクトあるビート、加えて細かくシャッフル(スウィング)をかけたリズムが、より強烈な印象を残します。

エレキばかりかと言うと、随所にピアノの音も大きく入っていて、アレンジ上絶妙なスパイスになっています。

 

驚くのは、この種のロックナンバーにありがちな「英文フレーズ」が歌詞の中に一切入っていないこと。

日本語のみで、情緒感あふれる世界を表現しています。

 

耳に残るサビの歌詞。

「絶え間なく注ぐ愛の名を 永遠と呼ぶことが出来たなら」

「言葉では伝えることがどうしてもできなかった 愛しさの意味を知る」

一流の作詞家は、「愛してる」のひと言をこのように表現するのか…と。

 

さらに、これも意図的なことだと思いますが、歌い出しと結びの歌詞が(メロディーは違いますが)なんと一緒。

「柔らかな風が吹く この場所で」

 

さらにさらに…

タイトルが歌詞にない。

「HOWEVER」は、日本語にすれば「しかしながら」。

この言葉の意味するところは、何なのでしょう?

 

もはや、凡人には理解し難い境地です。 

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【たまには童謡もいかが?】作曲コンクールで、誰もが知るあの「夏」「秋」「冬」の童謡作曲家に直接会って受けた最初で最後のメッセージ~全都道府県旅行記・鳥取県

昨年の記事で、「創作童謡コンクール」なるイベントに参加したことに触れました。

このコンクールには通算5回入賞。

本選に出場するたびに、会場となった鳥取県の各都市を訪れています。

47都道府県の中で最も人口の少ない鳥取県ですが、個人的には今でも非常に思い入れの強い土地のひとつです。

 

saewataru.hatenablog.com

コンクールの際に審査員のひとりであったのが、20世紀を代表する作曲家・中田喜直先生でした。

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「作曲家」と言っても、ふだん取り上げているいわゆる「はやり歌」の作り手ではなく、童謡や文部省唱歌・合唱曲などが主なジャンルです。

 

ここに挙げた「夏の思い出」「ちいさい秋見つけた」「雪の降る街をは、いずれも先生の作曲によるものです。

いずれの歌も、いっときの流行ではなく、老若男女問わず誰もがそのメロディーを知っていて、時代を超えて長く歌い継がれる「国民的唱歌と言える名作ばかりだと思います。

 

ほかに、「童謡」のスタンダードナンバーになっている「めだかの学校」「かわいいかくれんぼ」などの作品もあります。

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コンクール終了後の打ち上げで先生と初めてお会いし、いろいろお話をしたり、やコンクール出展作へのアドバイスなども受けたりする機会がありました。

 

その場で直接お聞きしたエピソード。

 

ここに挙げた3作は、「夏と言えば『夏の思い出』、秋が来れば『ちいさい秋見つけた』、冬になり雪が降れば『雪の降る街を』がすぐ出てくる」ほど、どれも有名な曲ばかり。

しかし、なぜか「春」を歌った曲がない

 

「不思議ですねぇ?」と尋ねたところ、すかさず先生曰く…

「父が作曲した有名な春の歌があるから、私は父に敬意を表して、春のヒット曲は作らないことにしたのです」と、半ば冗談めかして語られました。

それが、お父上の中田章氏が作曲された代表作、「早春賦」だったのです。

言ってみれば、親子で「四季」を完成させた、ということだったのですね。

 

そして、「歌づくり」をする上で先生から直接受けた「最初で最後の」アドバイス

 

「メロディーは言葉に乗せて歌われて、初めて『歌』として完成する存在」

「美しい日本語のリズムやイントネーションを崩さずに大事に扱って、曲を作るように」

 

そう言われてみて、先生の作品を改めて聴いてみると…

本当に、歌詞のアクセント・イントネーションを大切に、忠実にメロディーが付けられていることに気づき、驚かされます。

 

たとえば「夏の思い出」の冒頭の一節

「なつがれば おもいだす はるかなぜ とおいそら」

を「音符なしで朗読」してみると、本当にイントネーションの高低に合わせて、きわめて自然な形でメロディーが付けられていることがよくわかります。

 

歌づくりを手がける人間として今も忘れることのできない、「座右の銘」にしている重いメッセージです。