さえ わたる・コメントあれこれ

言葉の使い方、TVの感想、好きなモノ(音楽・旅行など)について綴っていきます

「笑点」

「TVに思うこと」カテゴリーで、最近の番組(特にバラエティー)やCMに関して、どちらかと言うと批判的なコメントを並べてしまっていますが。根底には「TV好き」の気持ちがあります。

今は忙しくて、時間を確保するためにTVを見るのをガマンせざるを得ない状況がある。

でも、自由な時間ができたらTV三昧の時間に浸ってみたい。

だからこそ、TVには魅力的な存在であって欲しいのです。

そこで、現在見ている、あるいは過去放送されていて今も印象に残っている番組について、思いつくままに触れていきたいと思います。

 

まず第1回目は、「現役最長寿(?)」の「お笑い番組」(バラエティー枠とはもはや別格の気がする)、「笑点」です。

 

毎週日曜夕刻に放送されて、なんと50年以上。

放送回数2500回超え。

視聴率も、それ自体が話題になるほど毎回高い水準をキープしています。

日本国民であれば、見ていなくてもその存在を知らない人はおそらくいないであろう「オバケ番組」であります。

かつては40分番組で、最初の10分が漫才・コントなどの演芸、次の10分で対談、そして「大喜利」という3つのコーナーがありましたが、今は真ん中の10分がなくなり、「演芸」と「大喜利」の2本立てで構成されています。

 

初代司会は立川談志でしたが、2代目前田武彦の時代は短く、印象深かったのは70年代から10年以上司会を務めた3代目、三波伸介の時代でした。

4代目三遊亭圓楽、5代目桂歌丸の時代は視聴からしばらく遠ざかっていましたが、3年前に春風亭昇太が6代目に就任してから、再びレギュラー視聴者になりました。

それまでの司会者は(特に落語家だった時は)番組の「リーダー」「まとめ役」的存在でしたが、現在の春風亭昇太は、他の6名の出演者の中に小遊三・好楽・木久扇・円楽と年上が4名もおり、司会者でありながら彼らから(時にはたい平も含め)「いじられる」立ち位置にいるのが、個人的に興味深いポイントです。

 

演芸系番組と言うと、ファンは中高年ばかりかと思いきや(大喜利の際の笑い声を聴いていると、年長者が多い気もしますが)、観客席が映るオープニングの映像を見ていると、老若男女問わず観客から幅広い人気を得ていることがわかります。

 

スタジオにコメントゲストを並べての、特徴のないゴールデンタイムの各種バラエティー番組が林立する中、「大喜利」という独特のスタイルを50年以上維持している。

サザエさん」同様、TVという存在がある限り、終わりを迎えることはない番組のようにさえ感じます。

 

【動画】「朝日のあたる家」ちあきなおみ

 連載している「ソロアイドル史」も1970年代が終わり、次は80年代に入りますが、この「はやり歌とともに」カテゴリーでは、歌を歌い、歌を作り、歌を愛する私が心惹かれる歌の数々も同時に取り上げていきたいと思っています。

 

その第1回目は、今昔多数(自分が生まれる前に活躍していた歌手も多数含まれます)出会った中で最も素晴らしいと感じている歌手、ちあきなおみです。

 

1992年に芸能活動を休止して以来、表舞台から姿を消してしまっている彼女。

年代的にも、もはや彼女の存在自体を知らない人々の方が多いのかもしれません。

少し上の世代の方であれば、札幌オリンピックが開かれ、沖縄が本土復帰した1972年、まだ一般大衆の間で権威(?)のあったレコード大賞を(「瀬戸の花嫁」がとるだろうとの下馬評に反して)「喝采」で獲得した歌手、ぐらいの記憶はあるかと思います。

80年代に入ってから、コロッケがこの曲を形態模写して「面白おかしく」クローズアップされた時期もありましたが、本当は亡き愛する人を思う(歌詞の中に「黒いふちどりがありました」「喪服の私は」といった言葉が入るのは衝撃的だった)悲しい歌なのです。

 

その「喝采」は、デビューから4年目での大ヒット。

25歳の若さだったとは思えぬ貫禄ある歌唱にグッと引き寄せられるものがありましたが、今回ここで取り上げるのはオリジナルのヒット曲ではなく、もともとアメリカ民謡(フォークソング)だったメロディーに浅川マキが歌詞を付けた「朝日のあたる家」です。

「洋楽」なので、ボブディランバージョン、アニマルズバージョンなどが知られていますが、やはり日本人には日本語詞がしっくり来ます。 

 

ちあきなおみに関してはほかにも挙げたい歌がたくさんある中で、爆発的にヒットしたわけでもない(そもそもヒットチャートにも上っていない?)この楽曲を選んだのは、単に歌が「ウマイ・ヘタ」の次元では語り尽くせない、歌の世界を「演じる」ことの出来る彼女の稀有な魅力がこの5分の中に凝縮されていると感じたからです。

通常、現代のヒット曲はAメロBメロがあってサビがあって、という構成ですが、この歌、ワンコーラスが8小節しかありません。

童謡並みの短さです。

メロディー的にはシンプルな構成のはずなのに、それをまったく感じさせない。

極限のスローテンポに乗せ、その8小節ごとにすべて違った世界を歌い分けています。

 

また、普通は生歌よりもCDの方が(レコーディングのやり直しや加工がいくらでも利くため)うまく聞こえるものですが、彼女の場合は(もちろんCD音源も良いのですが)ステージで実際に歌っている姿の方がはるかに迫力があります。

とにかく、歌う「表情」にただただ圧倒されるのです。

間奏パートでさえも、「朝日楼という名の女郎屋」…娼婦に身を落とした女性の切なさを、表情と全身の動きで表現しています。

「歌」を超えた、ひとつのドラマを見せられた気分になります。

 


ちあきなおみ 朝日のあたる家 Naomi Chiaki - House of The Rising Sun [Live] 1989

全都道府県旅行記~秋田県

秋田県東能代駅五能線を降り、奥羽本線に乗り換えて秋田駅に向かいます。

この日はたまたま、雪国の東北でも特に雪の多い日で、列車のダイヤも乱れ気味。

五能線が予定よりかなり遅れて到着したため、乗ろうと思っていた秋田駅行きの列車に乗れず、1時間以上東能代駅で待たされることになってしまいました。

 

寒さをしのぐ待合室は改札の外にしかなく、本来ならば手持ちの乗車券を手放さなければそこには入ることができないところだったのですが、駅員さんの優しい心配りのおかげで、寒風吹きすさぶホームではなく暖かい待合室で列車の到着を待つことが出来ました。

 

そして日もすっかり暮れた夕刻、なんとか秋田駅までは着いたのですが、この時点で外は猛吹雪。

駅前にビジネスホテルもあったのでそこを予約しておけば良かったのですが、せっかくプライベートな旅なのだからと、駅から少し離れた個人旅館を手配していました。

この天候のために、通常なら徒歩でもなんとか行ける距離と見込んでいたのが、立ち往生状態になってしまいました。

仕方なく宿に連絡して事情を説明し、駅まで車で迎えに来ていただくことに。

 

到着後わかったのですが、この日の宿泊客はなんと私ひとりだったのです。

そのひとりのために駅までの送迎をし(翌朝も雪で東京行きの新幹線も大幅に遅れました)、夕食・朝食を作り、お風呂の用意をし、世間話の相手までしてくれた旅館のご主人夫婦。

 

列車のダイヤが乱れて、予定していた周辺観光の時間をとることは叶いませんでしたし、窓に打ち付ける雪嵐が凄まじく、寝るのが怖いほどの夜を過ごしましたが、その分旅館で温かい人情味に触れることができたのは何よりの収穫。

ささやかなその1泊で、秋田が忘れられない思い出の地になりました。

 

 

全都道府県旅行記~青森県その2

出発後、高崎あたりまでは車窓を流れる夜の景色を堪能していましたが、いつしか眠りに落ち…。

翌朝目覚めたのは奥羽本線山形県秋田県の県境あたりでした。

この時点ですでに辺りは一面の雪景色。

朝9時過ぎに降り立った終着駅・青森も、冷たい雪の中でした。

駅前には、あの「津軽海峡・冬景色」の歌碑が建っています。

その後、青函連絡船の記念館を見学、駅前を若干散策して、その次の目的地&宿泊地、弘前へ列車で小1時間移動しました。

 

私自身「鉄道」と並ぶ旅の目的である「お城」。

そう、弘前城をぜひ見てみたかったのです。

駅からはバスで20分ほど。

毎年ゴールデンウイーク前後に桜が満開を迎えるので有名な弘前城

この時は真冬だったため、残念ながらその風景を眺めることは出来ませんでしたが、雪景色のお城も趣があってなかなか良いものでした。

 

お城の近所には「ねぷた記念館」もあり、ここで実物のねぷたを初めて見ることが出来たのも感動でした。

場内は少し暗くなっていて、ねぷたの中にちゃんと灯りがともされているのもまた印象的です。

ちなみに、県の東部・下北地方では「ねぶた」、西部の津軽地方では「ねぷた」と呼び方が異なることも、この時初めて知りました。

 

翌朝は秋田県に渡る計画でした。

本来ならそのまま奥羽本線を南下すれば良いところですが、あえて弘前からまた北に逆戻りするコースをとりました。

それは、専用のお座敷列車まで走るほどの、日本海の絶景が眺められるというローカル線、「五能線」に乗ってみたかったからです。

五所川原から秋田県能代まで行く「五能線」の名の通り、まずは五所川原まで移動。

進行方向に向かい右側の席をしっかり確保。

この方向に一面の日本海を望むことが出来るのです。

 

大荒れの真冬の海に雪が降る光景。

ほかに何もない、どこまでも空と海だけが広がる光景。

何時間見ていても飽きるものではありません。

ふだんの通勤では、1分の遅れでも焦ってヤキモキするのに、途中乗り降りのない無人駅に各駅停車してゆっくり走るスローペースが、むしろ心地良い。

 

そして列車は県境を越え、青森県に別れを告げて秋田県へ。

 (つづく)

全都道府県旅行記~青森県

北海道の旅行記は、修学旅行や演奏旅行・出張ついでの寄り道旅などでお話しして来ましたので、そろそろ本州に南下しましょう。

これから沖縄まで行きたいと思います。

(「旅」カテゴリーのコラムばかりというのも能がないので週1回ぐらいの頻度にし、この前も述べたように、各都道府県おそらく1回では終わらないところも多いと思うので、順調に続いて長い連載にできればいいなぁ、と)

 

青森県には2回訪れていますが、そのうち1回はまだ小学生の頃の家族旅行で、自ら行き先を選んだものではありませんでしたし、記憶もあまり残っていないので、ここでは大人になってから出かけたひとり旅の思い出を綴ろうと思います。

 

前にも述べたように、私のひとり旅の大きな目的は「鉄道に乗ること」。

さらにその中でも「寝台列車」には、旅心を大きく揺さぶるロマンがありました。

 

その昔「ブルートレイン」として親しまれた寝台列車がほとんどなくなってしまった現在、「…ありました」と過去形で書かなければならないのが鉄道ファンとしては非常に悲しいところでありますが、この時はまさに「上野発の夜行列車」に乗って青森駅まで赴くことがメインの旅でした。

 

たくさんある上野駅のホームのうち、青森駅行き「あけぼの」のホームは行き止まりの構造になっていて、まさに出発駅・終着駅の情景を醸し出しています。

そこを午後9時ぐらいに出発し、青森まで12時間ほどの旅だったと記憶しています。

 

寝台車はB寝台だったのですが、これがなんと「個室」だったのです。

上下段に分かれていますから、室内で立つことは出来ない狭さですが、通常の寝台車のように簡単なカーテンだけで仕切られるのではなく、きちんとカギのかかるドア付きの立派な個室です。

ヨコになるだけで精一杯ではありますが、大きな窓が付いているので、圧迫感はまったくありません。

ひとりだけの優雅なスペースを満喫できます。

 

ふだんは飲まないお酒やら翌日の朝食弁当などなどたっぷり買い込み、旅気分満載でいざ出発です。

(つづく)

 

エゴサーチをしてみたら

エゴサーチ

あまり価値や意義のある行いだとは思えませんが、芸能人・有名人とは無縁の自分がやってみたら果たしてどうなるのか、好奇心半分でやってみました。

過去TV・ラジオやニュースに登場したことをこのコラムで話題にしましたが、世間一般に大きく報道されるようなレベルではなかったし、そもそも名前までは紹介されなかった気もするし、検索して引っかかるようなものは何もないだろう、とタカをくくっていたのです。

 

ところがところが。

今さら言うのも恥ずかしい話ですが、ネットの情報収集力のなんと凄まじいこと!

 

FacebookTwitterへの登録が出ることはまぁアリで、またバイオリンや作曲等音楽活動に関しても出るであろうことをある程度想定していました。

予想は的中し、いくつかの紹介記事が出てきました。

 

しかし、ネットには「リンク機能」があることを甘く見ていました。

報道の一環としての客観的ニュースだけでなく、音楽で直接関わった人々、私の音楽を聴いた人たちが綴る記事やブログまでがキーワードとなって、芋づる式にたくさん出てくる…

これでかなりのヒット数が生じることは驚きでした。

 

また、不思議なところでは、ず~っと昔に書いた修士論文が紹介されていたり、企業の人事異動を知らせる日経新聞の超膨大な記事の中から私の名前が拾われていたり。

これらは音楽とは異なり、自分から働きかけた活動ではないので、実害はありませんがちょっと戸惑います。

 

最も困った検索結果は、出所は不明なのですが「〇〇市〇〇町の住民一覧」という記事で、実際の住所と実名がバッチリ掲載されているものがあったこと。

番地の近い周辺住民の氏名もしっかり書かれていました。

幸い今では削除されているようですが、あの恐ろしい情報はいったいどうやって流れたのか、いまだに気になります。

 

絶対音感があると

ステージ活動からは若干スピンオフしますが、今日は「絶対音感」のお話です。

 

音楽に馴染みのない方でも、言葉ぐらいはご存知なのではと思います。

私自身は音楽に親しんでいることで、この「絶対音感」と共に日々を過ごしています。

 

では、「絶対音感」とは何か?

カンタンに言ってしまえば、たとえばピアノの音を聞いて、「これはド」「これはミ」など、その音名を聞き分けることの出来る能力のことです。

ひとつの音だけでなく、「ドミソ」「ドファラ」等の和音(複数の音が同時に鳴らされる)も識別できます。

さらに、楽器以外のあらゆる日常的な音(電車の音、食器がこすれ合う音、ケータイの受信音、歌声でない普通の会話音)もドレミの音名として聞こえたりします。

(代表的なのは、救急車のサイレン「ピーポー」、あれはドレミファソラシドの「ソ」と「シ」の繰り返しである、など)

 

音楽に接するには、この絶対音感が役立つことが多くあります。

楽譜が読める(音符を見ただけでその音の高さがイメージできる)。

メロディーラインを楽譜に書き起こすことができる。

作曲にもかなり役立っているかもしれません。

 

歌を聴いていると、その歌のキーが即座にわかる。

カラオケでは、歌のキーは歌手と同じに設定されている場合が多いですが、その歌が好きで歌いたくても、自分の声域とうまくマッチしない、歌いにくい場合も多いです。

そんな時、イントロの最初の音が出たとたんに、自分に最も適したキーになるよう、パッとプラス・マイナスボタンを押して、快適に歌うことが出来ます。

 

どうやってこの特技(?)を身に付けたのか尋ねられることもありますが、訓練で育まれるものではないのでは、とも思います。

ほとんどモノゴコロついた時から楽器を習い始めていて、特別なトレーニングはすることなく、気が付いたら自然に出来るようになっていた気がします。

赤ちゃんが言葉を覚えていくのと同じプロセスなのかもしれません。

 

ちなみに、これで何かイイことがあったかといえば、残念ながら何もありませんね。