さえ わたる 音楽・言葉・テレビ・旅行日記

【開設後毎日更新中】はやり歌の世界、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、テレビ番組の感想、旅行記などについて綴っています

【懐かしい歌No.37】「メランコリー」梓みちよ(1976)

梓みちよという歌手自体、時代的にご存知ない方が多数派かもしれません。

 

宝塚音楽学校からワタナベ・プロダクションのオーディションに合格、1962年に歌手デビュー。

翌1963年、20歳の時にリリースした「こんにちは赤ちゃん」がミリオンセールスに。

NHKの人気番組の挿入歌だったこともあり、国民の誰もが知る大ヒットとなりました。

 

その後も定期的に新曲は発売していたのですが、セールス的には不遇の時期が続きます。

「こんにちは赤ちゃん」での(今で言えば)清純派イメージが強すぎて、次のステージに進みあぐねていたのだと思います。

 

そして30代を迎えた1974年、彼女は「これがあの『こんにちは赤ちゃん』を歌ったのと同一人物なのか!」と驚くほどの超大胆なイメージチェンジをした新曲を発売します。

それが「二人でお酒を」

 

かつてのアイドルイメージを完全に払拭したオトナの別れの歌を、味わいたっぷりに歌いこなしました。

またステージでは、1番を歌ったあとの間奏で、ドレス姿のままなんと床に「あぐら」をかき、2番はその格好のまま歌ったのです。

この前代未聞のパフォーマンスは、当時大きな話題となりました。

かくして彼女は、デビュー10年以上を経て、「別人格の歌手」として見事なカムバックを果たすのです。

 

さらにその2年後の1976年に発売されてヒットしたのが、この「メランコリー」

 

当時フォークの世界で圧倒的な存在感を示していた吉田拓郎の作曲です。

1974年、演歌(ブルース)歌手だった森進一に「襟裳岬」を提供し、話題になっていました。

そんな拓郎が、やはり「畑違い」とも言える彼女に書き下ろした楽曲です。

 

「メランコリー」、日本語で言えば「ユウウツ」。

 

ミディアムなテンポとリズムの中に文字通り秋の気だるい雰囲気を感じさせる、当時としては異色のサウンドでした。

メロディーラインも、J-POPのスタンダードとも言える「Aメロ~Bメロ~サビ」の流れが規定しにくい、きわめて独特な流れになっています。

 

そんな中での、構成上のインパクト。

タイトルフレーズが繰り返され、メロディーが短調から長調に転じた部分で登場する歌詞の部分に「サプライズ」がありました。

 

それでも乃木坂辺りでは あたしはイイ女なんだってね」のくだり。

 

それまでの歌謡曲に登場する東京の地名は、「銀座」「新宿」「池袋」「上野」、少し時代が下って「渋谷」「六本木」ぐらい。

全国区の大きな街ばかりでした。

そこに突如現れた「乃木坂」という地名。

 

今でこそメジャーな地名になりましたが、当時は知る人ぞ知るエリア!

当時からオトナの街として有名だった六本木の隣町ですから、この歌の舞台としては違和感はなく、むしろイメージにフィットしていると思えますが、あえてこの地名を選んだ作詞家・喜多條忠のセンスに脱帽です。

 

当時33歳とは思えない、オトナの雰囲気漂うルックスと表現力に圧倒されます。

出だしのメロディーは、女性としては「超低音」です。

 

マイクの持ち方や衣装、歌っている最中の表情の変化にも、彼女独特の持ち味が垣間見えます。

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使い勝手の良い?メッセージ「温かく見守っていただけますと幸いです」

テレビで、タレントの「記者会見」の光景を目にすることがあります。

 

この時アナウンサーによって報じられるのが、

「初めて、オオヤケの場で心境を明かしました」

的なナレーション。

 

「公の場」とは、何なのでしょう?

報道する側の記者が集まっていれば、それだけですでに環境としては十分「公」の場所になっているようにも思えます。

 

ところが、「記者会見」と言えば、主催者側で設定するもの。

主催者の意図で行われた会見こそが「公の場」。

 

すなわち、テレビ局の通路や自宅など、予期せぬ場所でのワイドショー的な「突撃インタビュー」は、おそらく「プライベートな場」。

そこは「公の場」ではなく、そこで語られることは「公式見解ではない」という位置づけなのでしょうね。

 

それはさておき…

テレビ番組自体から、かつて低俗と批判された「ワイドショー」スタイルが姿を消して以来、また昨今のネット時代、そうした「囲みインタビュー」の画像を目にする機会はずいぶん減りました。

 

現在そうした情報は、芸能人側からの

「報道関係各位」として送信されるFAX

はたまた

「公式ブログやSNS」

でメッセージ内容が語られることの方が多くなってきました。

テレビではその内容を受けて、リアルタイムではなく後追いで伝える形に。

 

その場で多用される表現が

 「どうか、温かく見守っていただけますと幸いです」。

というもの。

 

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特に、熱愛発覚の際や婚約・結婚など、仕事上のPRではないプライベートなイベント時によく使われているように感じます。

 

言い方は一見丁寧で、かしこまった印象を与えます。

 

しかし、発言者のホンネとしては、うるさく追いかけてくるマスメディア~いわゆる芸能レポーターと呼ばれる人種に

「押しかけ取材はやめて欲しい」

「あれこれ騒ぎ立てないで欲しい」

と言っているのと同じです。

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誰しも自由に職業を選べる今の時代。

芸能人と呼ばれる人たちは、誰に強制されるわけでもなく「自分でなりたくて」芸能人と言う仕事を選んでいるわけです。


そこは「売れてナンボ」「売れなかったらゼロ」の厳しい世界。

一旦名が売れれば、華やかな名声と多額の収入が得られる反面、マスコミ(芸能レポーター)に追いかけられ、いわれもないスキャンダル・ゴシップに巻き込まれることも十分想定される。

 

チヤホヤされる快感やおカネと引き換えに、自らのプライバシーは捨てなければならない。

それらをすべて覚悟の上、心の中に織り込み済みのはずです。

 

清濁併せ呑む度量が、そこには必要とされます。

芸能人とマスコミは、良くも悪くも「持ちつ持たれつ」の関係。
自分をPRしたい時にはマスコミを利用し、都合の悪い時には追いかけまわさないで欲しい、「温かく見守って欲しい」。

発信者側にとっては、なかなか使い勝手の良いコメントだなあ?と。

 

もちろんそこには事務所をはじめとする周辺の力が働いていて、いち個人にはコントロールが難しい事項があるのも理解していますが。

 

過去にも「芸能人のプライバシー」について、同じ趣旨の記事を書きましたが、最近特にこの「温かく見守って~」の言い回しが多くなったように感じて、妙に気になっています。

 

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ハヤリの食べ物。呼び名は「イメージ」勝負?

服飾品のファッション同様、グルメにも流行り廃りがつきものです。

 

特に「スイーツ」と総称される「お菓子」や洋物食品の世界で、その傾向が強いように感じます。

 

個人的に甘いモノは「出されれば食べる」程度で、あまり積極的に欲しいとは思っていません。

さらに、そもそも昔から流行自体に興味が薄いこともあって、「〇〇〇(カタカナ名の食べ物)が流行ってる」と言われても、ほとんど何のことかわからなかったりします。

 

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もはや半世紀近く前のこと。

クレープが大ヒットしました。

 

そして、平成のはじめの頃にはティラミス・タピオカ(その後もリバイバルヒット)・パンナコッタ・ベルギーワッフルなど、当時としては聞き慣れないカタカナ名のお菓子類が続々登場しました。

 

「スイーツ」という言葉自体、それまでは使われていなかったと記憶しています。

「お菓子」ではないんですね。

 

スイーツをアルファベットで書くとしたら、おそらくSWEETS?

海外でも同じニュアンスで通じるのでしょうか?

それとも、和製英語でしょうか?

 

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スイーツの一種(?)であるアイスクリームを、正式に「アイスクリーム」と呼ぶ人はもはや皆無。

ほぼ100%、略して「アイス」と呼びます。

バニラアイス・抹茶アイスのようにアタマに「装飾」が付かなくても、「アイス」イコール「アイスクリーム」になっています。

 

本来アイス=ICEとは、直訳すれば「氷」のこと。

しかし現在、「アイス」と言えば「アイスクリーム」のことをみな間違いなく連想します。

本当の「氷」は、英語で呼んだりせず「こおり」と言いますよね?

ちょっと不思議です。

 

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 そういえば、スイーツではありませんが…

「パスタ」という呼び方も、いつの頃からか自然に登場し、今は完全に定着しています。

かつて当たり前のように「スパゲッティ」と呼んでいたものも、完全に「パスタ」です。

 

本場イタリアでは、「パスタ」とは小麦粉で作られた麺類の「総称」で、スパゲッティはそのうちの一種類なのだそうです。

ですから、パスタと呼んでももちろん間違いではありません。

しかし、いま「スパゲッティ」と口にすると、もはや時代遅れであるかのような空気感があります。

 

イメージの問題、あるいは勝手な思い込みでしょうか?

横文字の食べ物の名前を話す時は、気を付けなきゃ…。

 

ここまで書いて来て、やはり「要注意」なのは食べ物に限らない…

冒頭に触れた「着るモノ」関係かな?と思いました。

 

さすがに「タートルネック」を「とっくり」と呼んだり、「ベスト」を「チョッキ」と呼んだりすることはありませんが…

2種類の「パンツ」は、どう使い分けられているのだろう?

「セーター」はまだ通じるのだろうか?

挙げ出したら、キリがありません。

 

これ以上言うとボロが出そうなので、やめておきます。

「マナー」「コンプライアンス」「ハラスメント」~守るべきルールの曖昧さ

仕事上でも、また日常でも、我々はさまざまな「決まり事」に従っています。

生活していく上での「ルール」が、そこには存在します。

 

その「ルール」は、「どの程度守らなければならない」ものなのか。

また、「どうすれば守ったことになる」のか。

時に、そのおおもととなる基準が明確でない場合があります。

 

タイトルに挙げた3つのキーワード

「マナー」「コンプライアンス」「ハラスメント」

に、それぞれ当てはまる要素があるように思いました。

 

マナー

マナーとは、基本的に「こうすべきという厳格なルール」ではありません。

「守らなくても罰せられることはない」

「でも、守らないと咎められることはある」

「守れると、カッコよくてスマート」

実は、あいまいな位置づけにあります。

 

あいさつに始まって、乗り物利用・他家訪問・電話・接客・食事などさまざまな場面で、この「マナー」に遭遇します。

 

ある部分では「常識」や「礼儀」と同義に使われることもあります。

「そんなこと、人間として最低限のマナーでしょ!」ともよく言われます。

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「マナー」はたいてい、

「それが伝統だから」

「昔からそうだったから」

との歴史的背景に基づいて語られることが多いです。

 

しかし、時代の流れとともにその中身が変化していく面もあるはず。

かつ、実はその時代を生きる人それぞれの、典型的には「世代ごとの」異なる価値観に根差しているものでもあります。

 

中高年世代の価値観と、若年世代のそれは永遠に交わらないもの。

それでも、「歴史のパワー」(?)で、昔から受け継がれてきたものが「基準」とされる傾向が強い。

共通する価値観が見いだせないところに「マナーの窮屈さ」が生じます。

 

マスメディアには「マナー評論家」なる職業の人物も登場します。

彼らが正しいと指摘する、マナーに関するコメントの根拠は何なのか?

複数見かける彼らの態度がみな共通して、自分の主張は正しいとの「自信にあふれている」ように見えるため、余計にそう思ってしまいます。

 

そんな中、何をもって「マナーが守れている」ことになるのか?

その判断は、本当は難しいのではないか?と感じています。

 

コンプライアンス

比較的最近(と言っても、ひと昔ふた昔前から)急激に叫ばれ出した印象のある言葉です。

日常生活ではあまりお目にかかる機会がありませんが、企業活動においては、昨今とみに意識されるようになってきました。

 

日本語で法令遵守」と訳される場合があります。

「会社として守らなければならないルールが、ちゃんと守られているか」の意味です。

 

ここで基準となる「ルール」とは…

まずは、国会が制定する「法律」と、行政機関が制定する「命令」、併せて文字通りの「法令」です。

 

次の段階は、どこの会社にもある「規定類」を指します。

会社としてどんな業務を行うかの「定款」から始まって、従業員が働くに当たっての基本的事項を定めた「就業規則」や各種の「〇〇規定」、業務手順やマニュアル等も含まれます。

これらまでをきちんと守っていれば、一応「法令・規則に関しては遵守状態」とされます。

 

ただし「コンプライアンス」は通常、法令遵守」だけでない、もう少し広い範囲の意味を持ちます。

「〇〇規定」と明文化されていない「企業倫理や社会的規範」と呼ばれる要素についても、「あるべき姿を察して意識しなければならない」のです。 

 

社会的規範とは、企業が活動するにあたって、消費者や一般市民のニーズにいかに応えていくかが問われるもの。

その実体には、法令や規定類のように「客観的な基準」があるわけではなく、また時代とともに常に変化します。

「どうしたら守れていることになるのか」が把握しにくい。

その点で、「マナー」と同様な面があります。

 

だからこそ、企業側は躍起になって社内で「コンプライアンス研修」を展開し、その「実体の見えにくいモノ」を追求すべく、社員を啓発し続けるのです。

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ハラスメント

マナーやコンプライアンスと同列にして良いのかよくわかりませんが、「守るべき基準が曖昧」という意味では最たるものではないかと思います。

 

「セクハラ」が流行語大賞になったのは、平成が始まった1989年でした。

それ以来、パワハラ」「モラハラに代表されるように、数えきれないほどの「〇〇ハラ」が登場しています。

 

「ハラスメント」の一番の特徴は、上記に挙げた「社会的規範」よりも、さらに実体が掴みづらいことです。

守るべき基準の「個別性が高く、多様」なのです。

 

セクハラが最も典型的ですが、ハラスメントを受けた側の「主観」で基準が定められ、「ルールの遵守状況」が決まります。

同じ人の中でも、相手によって「基準」が変化します。

「あの人ならOKだけど、この人はNG」となります。

 

次に、パワハラの認定が問題となりました。

 

アクションを起こす上の者は「教育的指導」と認識している。

しかし、それを受ける下の者は「高圧的な嫌がらせ」と受けとめる。

当事者同士に「絶対的な上下関係」がある点が厄介です。

セクハラも同様ですが、受けた側が訴えにくい。

また、そもそも双方の考える「基準」が異なっていて、上下関係の存在ゆえにそれを統一・共有することが出来ず、「ルールを守るすべが見つからない」。

ゆえに「解決が非常に難しい」状態になります。

 

「元祖ハラスメント」であるセクハラはもちろん深刻ですが、パワハラも別の意味で問題の根は深いと感じています。

 

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法律や規定のような「明文化されたルールとなる基準」があれば、「守るべき道」は明らかです。

 

いずれも「基準」自体に客観性がないことが、対応を難しくしている要因だと思います。

【懐かしい歌No.36】「また君に恋してる」ビリー・バンバン(2007)

このまた君に恋してる

 

坂本冬美が2009年、それまでのド演歌路線からイメージチェンジして発売した歌としてご存知の方が多いと思います。

彼女自身のシングルで自己最高位を記録するヒットとなりました。

 

しかし、実はカバー曲。

 

オリジナルは、2007年に菅原孝・進の兄弟デュオ、ビリー・バンバンがシングルとして発売していました。

 

三和酒類の焼酎「いいちこ」のCMソングに、彼らの楽曲が数多く起用されています。

この曲も、その一環として発売されたものでした。

 

彼らの音楽活動の歴史はもっとずっと古く、もう50年以上前の1969年に遡ります。

 

フォークタッチの3連バラードのデビュー曲「白いブランコ」が大ヒット。

その3年後、1972年にもドラマ主題歌「さよならをするために」がヒットし、代表作として知られていました。

 

80年代90年代は、あまり目立った活動がありませんでした。

しかし、21世紀になって再びCMソングとして彼らの楽曲が流れるようになって以来、懐かしさとメロディーの美しさで、肝心の商品は忘れても(!)歌は忘れない…そんな存在になりました。

 

現在もCMソングは健在。

最新のCMでは、バックに彼らの最新シングル「さよなら涙」が流れています。

 

また君に恋してるに関しては、結果的にあとからリリースした坂本冬美にヒットを「持っていかれた」ような形になってしまいましたが、それはそれとして、オリジナルバージョンはまた別の味わいがあって素晴らしいです。

 

何と言っても、デュオで歌っていますから「ハモり」がある。

これが大きな特徴です。

さすが兄弟ゆえに、意気もピッタリです。

 

両者のシングルは、アレンジが微妙に異なりますが、元々曲がシンプルな8ビート。

ギターのアルペジオが、じんわりとフィットします。

カラオケで歌う時は、ビリーバンバンのバージョンを選びます。 

 

実はこの「カバー劇」には続きがあって…

この作品の次のシングルとして「ずっとあなたが好きでした」という楽曲が発売されているのですが、今度は「ビリー・バンバンが発売したシングルを坂本冬美がカバーする」逆のパターンがとられています。

 

事実、再び2組が同じ歌を歌っています。

しかし、そこに「二匹目のドジョウ」はいませんでした。

今どきにはちょっと珍しい3拍子の曲でしたが、制作陣が同じために曲調自体にはさほど目新しさは感じられませんでした。

 

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身近な異国情緒といえばやっぱりヨコハマでしょう~全都道府県旅行記・神奈川県

神奈川県と言えば、東京のお隣。

「旅先」というほど身構えて出かける場所ではありません。

 

また、繁華街・歓楽街を求めてということであれば、国内では都内に勝るエリアはありません。

だから、それを求めてわざわざ都県境を越えて出かける必要はない。

 

それでも、学生時代以来ちょっとしたリフレッシュをしたい時に出かけるのが、港町・横浜。

身近に異国情緒を味わえる場所です。

 

見どころは人によってさまざまだと思いますが、私がよくぶら歩きするのは…

全国的にも定番すぎる観光地と言ってもよい

「みなとみらい~赤レンガ倉庫~馬車道山下公園~中華街~元町商店街港の見える丘公園」のコースです。

 

地下鉄・副都心線が西武・東武・東急の各私鉄に乗り入れるようになって、アクセスもずいぶん便利になりました。

横浜高速鉄道みなとみらい線みなとみらい駅(地下駅)で下車。

地上に出た辺りに建ち並ぶビル群も、東京のそれとはどことなく雰囲気の違いを感じさせます。

ところどころに、伝統的な建物が混在しているせいでしょうか。

 

そしてほどなく、「ミナト・ヨコハマ」を彷彿させる海が目の前に広がってきます。

 

海沿いには、散策にはおあつらえ向きの遊歩道が整備されています。

赤レンガ倉庫街を左手に見ながら歩き進んでいくと、雄大「大桟橋」が姿を現します。

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歩道橋状態になっている遊歩道をいったんそれて下におり、数分歩く。

桟橋の入口に到着します。

 

板の床で敷き詰められた坂道を上り、桟橋の突端まで歩いて振り返る。

海側から街の景色を眺めることが出来ます。

 

ランドマークタワーや赤レンガ倉庫が遠くに見渡せます。

横浜で一番好きな風景です。

個人の見解ですが、絶景に「海」は欠かせませんね。

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歩いたついでに、山下公園まで足を伸ばします。

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本当はベンチにでも腰掛けて、海の景色をゆっくり眺めたいところ。

でも、たいてい良い場所はみな埋まってしまっていて、結局いつも歩くだけになってしまいます。

それでも海を眺めながらの散歩は実にイイ気分です。

 

これだけで、駅3つ4つ分歩いていることになるのですが、刻々変わる風景は距離を感じさせません。



さらにすぐ近所には、これまた横浜の名所のひとつである中華街が広がります。

とにかくお店が多すぎて、何度訪れても「ここがおススメ」が見つからないのがゼイタクな悩みです。

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これだけでも十分、観光地としては成立していると思われる横浜。

いずれここがIRの拠点になるのでしょうか…

 

Paypay導入から半年。「還元」よりうれしい誤算が「ボーナス」の実質「高金利運用」

昨年の消費増税ニュースと時を同じくして、一気にキャッシュレスの動きが加速化しました。

 

そうなる前も、クレジットカード払いや各種電子マネーなどの決済は一般的。

それでも自分自身、買ったその場で支払いが確認できないのがどうしても苦手。

きっとギリギリまで「現金派」を貫くんだろうなぁ、などと漠然と思っていました。

 

しかし、これだけ大きく報じられると、さすがに時代に取り残される、果ては日常生活上支障をきたすのはもったいない、と感じるように。

 

クレジットカードの支払いの方は、積極的には使わないながらも、高額商品を中心にもう何年も前から利用していました。

それに合わせて「〇〇ペイ」を導入してから、はや半年が経ちました。

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いろんな種類がありますが、一気に欲張っても使いこなせないことは想像がつきます。

そこでまず導入したのが「Paypay」でした。

 

結論を先に言えば、「もっと早く入れておけば…」が正直な印象です。

 

今さらの話。

もうすでに皆さんご体感済みで当たり前のことばかりだとは思いますが、以下私なりの感想です。

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1.小銭で財布が膨らむ不快感がなくなった

いちばん日常的に使うであろうスーパーやコンビニでの支払い。

コンビニは「ついつい買い」の誘惑が大きいので、極力行かないようにしています。

しかも、基本的に「定価販売」なので、お得感がない。

 

一方、スーパーはとにかく安いし、「いのちをつなぐ」食料品のほとんどはスーパーにお世話になっているので、週に2回は必ず行きます。

 

レジで並んでいる時、現金で支払うと、どうしても小銭のおつりがたまっていきます。

財布の小銭入れ部分が型崩れするほど、すぐパンパンになってしまいます。

 

レジの支払額が表示された時、本当は財布の中の5円玉や1円玉を消費して、なんとか区切りの良いおつりをもらおうと努力したいところ。

しかし、レジには順番待ちの長い列が。

モタモタして後の人を待たせるのは、非常にプレッシャーです。

そんな時キャッシュレスなら、時間をかけずスマートに支払いが完了できる。

 

2.ATMに行く頻度が減った

スーパーでは何日間分の食材を一気に買うので、1回あたりの支払いもそこそこになるし、月単位で見たらまとまった金額になります。

 

以前はそれを現金で支払う分定期的にATMに走っていたわけですが、Paypayに必要額をチャージしておけば、その必要は一切なくなります。

 

3.自動的に「家計簿」を作ってくれる

支払いを行うたびに、支払日や店名・金額の情報が履歴として残ります。

Paypayを使えるお店は数多くありますが、私自身の利用先は、定期的に通うスーパーと、突然困った時にたまに駆け込むコンビニがほとんど。

プラス、行きつけのカラオケ屋ぐらいです。

表示される「使用明細」で、支払いの履歴が一発でわかる。

この「家計簿」機能は、大変助かります。

 

4.自分で「使いすぎ」が防げる

チャージは、銀行口座から自動的にシフトさせる方法もあるようですが、私は残高を見ながら、その都度一定額を補填するようにしています。

「使用明細」でチェックしていれば済むことなのですが、それ以前に「使いすぎ」を防ぐためには、こうしておいた方が安全だと思ったからです。

チャージ残高以上に使ってしまうと、クレジットカード支払いと同じことになり、知らないうちに口座にキズがついてしまいます。

 

5.利用のたびに還元がある

毎回支払うたびに、2%分ぐらいの還元があります。

消費増税分ぐらいは、これで賄えた(取り返せた)気分になれます。

スーパーで買うのは、もともとほとんどが現在も「軽減税率」の食料品。

ですから、これだけで8%だった頃よりさらにお得、ということにもなります。

 

6.Paypayボーナス:これが意外に大きいインパク

上記の1.から5.は、導入前からだいたいイメージできていたことでした。

 

最も想定外で、同時に最もうれしかったのがこの「ボーナス」のシステムです。

 

支払いの効率化やポイント還元の恩恵を受けるためには、大前提として「支払い」をしなければ行われません。

結果的にいくらかお得にはなるけれど、それ自体でおカネが増える感覚はあまり味わえません。

 

ところが、この「ボーナス」は何の支払いもしなくても、毎月1回必ず付与されるのです。

還元やポイント欲しさに、ムダな買い物をする心配もありません。

 

ボーナス分を出金して現金化することは出来ないのですが、そもそもキャッシュレスは現金を使わず日用品の支払いに充てることが目的なので、それ自体がデメリットであると感じることはまずありません。

実質的に支払い可能額が増えるのと同じだからです。

 

そして、このボーナスの額が意外に大きい。

単純に比較は出来ませんが、チャージ額を元本と考えた場合、率にしたら銀行預金より何百倍も利子がつく感覚です。

実質上、超高金利運用をしているのと同じです。

 

一応利用期限があって、「残高の最終変更日から2年間」となってはいますが、2年間どころか毎週のように使っているので、まったく気にすることはありません。

 

Paypayはもちろん、家電量販店や一般のお店でも使えます。

ポイントキャンペーンにもっと貪欲になれば、きっと一層お得になるのでしょう。

 

こんなに劇的に財布の中身の移動が少なくなるとは、正直思っていませんでした。

従来のカード払いと合わせ、私のキャッシュレス対応はひとまず完了、といった状況です。

【懐かしい歌No.35】「最後の一葉」太田裕美(1976)

タイトルから連想されるように、この作品は短編小説家として有名な
O・ヘンリー「最後の一葉」
をモチーフにしたストーリー仕立てとなっています。

 

太田裕美の活動初期のディスコグラフィーを簡単に振り返っておきますと…

 

1974年11月「雨だれ」でデビュー。

2作目「たんぽぽ」3作目「夕焼け」までは、ピアノの弾き語りでバラード調の曲を歌っていました。

 

一般的に弾き語りと言うと、シンガーソングライターのイメージです。

ところが彼女はそうではなく、いずれも70年代80年代の音楽シーンを支えた作詞:松本隆、作曲:筒美京平という最強のタッグによりシングル曲の提供を受けていました。

しかし、残念ながら3作目のシングルまで、売り上げはいま一つでした。

 

そして4作目のシングルとなる新曲。

 

ステージからピアノをなくし、同じ制作スタッフながら曲調をそれまでとはガラッと変化させて発売されたのが、彼女の代表作となった木綿のハンカチーフです。

 

この曲を語るにはあまりに思いが強すぎ、また大ヒットしたためリアルタイムでなくてもご存知の方が辛うじて(?)いらっしゃると思うので、今日はあえて別の曲を取り上げてみました。

 

木綿のハンカチーフで(当時はアイドル的に)知名度を上げた彼女。

続く「赤いハイヒール」でもヒットを続け、6作目のシングルとしてこの「最後の一葉」を発表します。

 

この曲は、デビュー曲「雨だれ」にサウンドイメージが似た3連バラード。

ステージも、「原点回帰」で再びピアノ弾き語りスタイルに戻ります。

しかし今度は、前作までのヒットで得た人気と、抜群のセンスにあふれた作詞の力も手伝って、今度はベストテンヒットとなりました。

 

 

その詞の世界は…

 

冒頭の「この手紙着いたらすぐに お見舞いに来て下さいね」の一節で、女性主人公が入院中であることがわかる。

しかも、2番の歌詞には「命の糸が 切れそうなんです」とあり、かなり重い症状であることも。

 

季節は秋から冬へ。

レンガ塀に付いた林檎の枯葉が1枚1枚落ちていく中、あの「最後の一葉」が落ちたら自分の命も消えてしまう…

 

そんな絶望的な状況にあっても、愛する人のことを思い、(病人の私と一緒にいるよりも)「別れた方が あなたにとって 幸せでしょう わがままですか?」と健気に語る主人公。

しかし、彼女が命の望みを託していた、枝に1枚だけ残された木の葉は、実は恋人が

「凍える冬に 散らない木の葉 あなたが描いた 絵だったんです」とラストでわかる。

 

ただ、主人公の病がその後無事に治ったのか、恋人とはどうなったのかは、謎のままです。

 

このような「濃くて重い」泣けるシチュエーションが、アイドルポップスの詞になりうるのか?と驚きながら聴いたものです。

 

ストーリー全体のドラマチックさもさることながら、

「秋になる」ことを

「街中を秋のクレヨンが 足早に染め上げてます」

と描写してみたり。

「冬である」ことを

「木枯らしが庭の枯葉を 運び去る白い冬です」

と表現してみたり。

作詞家・松本隆の繊細な表現力・ボキャブラリーはいったいどこから来るのか、とただただ脱帽です。

 

珍しく詞の方に力点を置いたコメントになりましたが、メロディーは3連バラードの王道を行く、詞をしっかりと受けとめた、文句なしの筒美京平ワールド全開の作品です。

(上のリンクがシングル盤の音源です)

 

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いちばんよく効く薬は「ひにちぐすり」かもしれない

日々暮らしていれば、シンドイことがたくさん起こります。

心配や不安もたくさん出てきます。

 

仕事が順調に運ぶか?

イヤなあの人と明日また顔を合わせなければならない。

ユウウツだ!

明日に迫ったプレゼンは、果たしてうまく出来るだろうか?

 

また、好きな人、愛する人との別れもあります。

悲しみに打ちひしがれ、これからどうしようと途方に暮れることもあります。

 

そんなあれこれを数え出したらキリがありません。

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どれもこれも、それを克服していくのは一種の「試練」です。

目前に迫った懸案事項のことを考え出すと、文字通り夜も眠れなくなる。

直前になると、いてもたってもいられなくなる。

また、その後いつまでも影響を引きずることもある。

 

こうした事態に対して、よく言われる言葉があります。

「神は人々に、乗り越えられない試練を与えることはない」。

 

事前や真っ最中は、死に物狂いです。

それがゆえに、周囲がまったく見えなくなってしまうこともあります。

 

でも「試練の時」を過ぎてしまうと…

誰しも、まずは何とも言えない安堵感に包まれる。

 

そして、もう少し時間が経って落ち着くと、

「直前にはあんなに心配していたのに、実際にやってみたらそれほどでもなかった」

「思っていたよりうまくこなせた」

「何をあんなに悩んでいたのだろう?」

と感じる。

もっと過ぎて振り返ってみれば、

「あの時はしんどかったけれど、今思えばあれもイイ思い出だった」

とさえ思えてくるのです。

 

問題や悩みを解決してくれるのは、いずれも「時間」です。

「ひにちぐすり」。

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「ひにちぐすり」には即効性はありませんが、確実性のある「薬」です。

 

恋愛の別れと比べるのは難しいですが、つらくてかつ避けられない「肉親との死別」の悲しみ。

誰にも必ずやってくる出来事です。

 

しかし、それさえも時間が経てば、悲しみは次第に薄れてくる。

完全になくなることはないかもしれないけれど、その形が穏やかな、ある種懐かしいものに変わっていきます。

 

時間には、イヤだったことを忘れさせてくれる不思議な効能があるのですね。

 

「時は金なり」。

よく使われる言い回しです。

「時間は有限なのだから、大切に効率的に使いなさい」という教えです。

 

「大切」という意味では一緒かもしれませんが、本来の意味とはちょっと別の意味で考えることがあります。

すなわち「時は人の心に寄り添ってくれるもの」。

そう考えると、「時は金以上」と思えることが多いです。

 

披露宴会場でよく聴くウエディングソングを、年代別に

仕事柄、音楽関係者として結婚披露宴の会場に身を置く機会が多いです。

 

本人との面識のあるなしにかかわらず、これまでさまざまな披露宴を見てきました。

しかし、規模の大小はあれ、その進行に大きな違いはあまりありません。

一番大きな変化と言えば、最近は「仲人」をあまり立てなくなったこと、でしょうか…。

 

主賓の挨拶、乾杯の発声、そして主役である新郎新婦のお色直し…

プログラムは順調に進行。

 

そして宴もたけなわになってくると、余興タイムが始まります。

主に新郎の友人たちによるお笑い系の出し物も時にありますが、本当に「笑いをとる」のは、特に披露宴会場では相当のテクニックが必要です。

そんな時には場の雰囲気を考慮して、やはり新郎新婦の友人代表による「歌のプレゼント」が最も無難でポピュラーです。

 

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披露宴ソングの「ザ・定番」とされる曲は無数にあります

また、結婚そのものを歌ったものでなくても、気持ちがこもっていれば選曲はナンデモアリです。

そんな中で、ストレートに二人の幸せやこれからの門出が語られており、「そういえば、晴れの場で歌われるのをよく聴いたことがあるなぁ!」と思われる代表的な歌を、ほんの一部、タイトルだけになりますがおおよその年代別に列挙してみます。

 

<1960年代>

加山雄三「君といつまでも」

佐良直美「世界は二人のために」

 

<1970年代>

チェリッシュ「てんとう虫のサンバ

小柳ルミ子瀬戸の花嫁

 

<1980年代>

長渕剛「乾杯」

Dreams Come True「未来予想図Ⅱ」

 

<1990年代>

平松愛理「部屋とYシャツと私」

安室奈美恵「Can You Celebrate?」

 

<2000年代>

中島みゆき「糸」

木村カエラ「Butterfly」

 

<2010年代>

福山雅治家族になろうよ

西野カナ「トリセツ」

 

ほかにもそれぞれ「これぞ絶対に外せない!」的な思い入れのある歌があることでしょう。

 

最近は歌自体が「個別化」して、披露宴会場に集まる老若男女誰もが知るヒット曲がほとんどなくなってしまっています。

そのため、たとえば若い世代の新郎新婦友人が今どきのウエディングソングを歌っても、列席している中高年の親戚一同が「この歌、何?」と首をひねっている姿がよく見受けられるのが、ちょっと残念ではあります。

 

そんな中個人的には、自分の結婚式の時に新婦友人代表の歌ってくれたてんとう虫のサンバがナンバーワンソングです。

 

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「カラオケ100点番組」に思う。マシンが評価した100点の歌は、本当に「心に響く」のか?

最近テレビで、一般人が歌唱力を競う「カラオケバトル」的番組が増えています。

 

NHKの「のど自慢」とは異なり、真に「歌の上手さ」を争う内容と見受けられます。

出演をきっかけに、プロデビューする人間が現れることもあります。

その意味では、新しいオーディション番組の形なのかとも思います。

 

このスタイルの番組、これまでは(首都圏ローカルの)テレビ東京の「お家芸」でしたが、最近は全国ネットに広がってきました。

昨晩はTBS系でもそうした番組が放送されました。

 

その際の出場者の審査基準は、基本的に「点数マシン」によるものです。

カラオケボックスに出かけると、機器によって点数機能の付いているものが多くありますが、原理はあれと同じです。

 

成果・実績を数値で表わす…

人による漠然とした好き嫌いで判断されるより、数値で示した方が公明正大ではないか?!

確かに一見客観的です。

 

しかし、それは時と場合によります。

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カラオケでの点数をつける基本的なメカニズム

 

まずは基準として、楽譜で指定された音程・音の長さ・リズムがあります。

それをどれだけ忠実に、正確に再現できたか、が測定基準になります。

画面上に音の高さ・長さを表わすラインが示され、歌声を出すとそれに合っているかどうかがビジュアルで確認できるようになっています。

 

それでは、

機械のように完璧にこれらの要素をこなして100点をとった歌は、果たして本当に「上手い歌唱」なのでしょうか?

 

「上手い」という形容詞自体、きわめて主観的で感覚的な概念です。

100点の歌は、本当に「人の心に響く」歌になっているのでしょうか?

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たとえば、歌に感情をこめるため、出だしは抑えめに、サビは声を張って歌う…

歌声にビブラートをかける。

演歌なら、その人なりの「こぶし」を回す。

与えられた楽譜をどう解釈して、どう表現するか…

個々人の微妙なセンスの問題です。

 

しかし、そういったメリハリやテクニックをマシンの判定に反映することは出来ません。

もちろん、数字・点数で表わすことも出来ません。

ましてや、あえて楽譜上に決められた音符を崩して歌えば、聴いている生身の人間には感動を呼んでも、点数上はマイナス評価されてしまうのです。

 

歌ならば、まだ楽譜という「目に見える基準」があるから、こうした評価の可能性があるのでしょう。

 

 

では、演目が歌でなく「ダンス」だったら、何を評価基準にするのでしょう?

こう踊れば100点、という審査のポイントはどう作るのでしょう?

フィギュアスケートのように、ひとつひとつの動きに細かい基準が作れるのか?

 

これが「絵画」だったら?

美術作品に対して、マシンで点数をつける客観的な基準があるでしょうか?

構図がどう、色使いがどう、とマシンは判定出来るでしょうか?

 

毎年行われるM-1グランプリ。

「お笑い」は、どうやって客観的に評価するのでしょうか?

笑い声のデシベルでも測定するのでしょうか?

マシンで判定した100点の漫才が、本当に一番面白いのでしょうか?

 

芸術・エンターテインメントは「機械で点数をつけられるものではない」。

人の心に届いてこそ、価値が生まれるものだと考えます。

 

冒頭のカラオケ番組も、本当に競わせるのであれば、M-1のように、また日本テレビ系で放送の「歌唱王~歌唱力日本一決定戦」のように、専門の審査員を置けば良いと思います。

 

主観が入っても、見方に偏りがあっても大いに結構。

人によって、それぞれの観点で「良い・悪い」「好き・嫌い」の評価があって然り。

それこそが、機械やAIではない、生身のニンゲンだけが持てる「感性」の重要さなのではないでしょうか。

【懐かしい歌No.34】「美しき狼たち〜あしたのジョー」おぼたけし(1980)

不朽の名作と言える伝説のボクシング漫画、

あしたのジョー」。

 

現在もアニメブームに乗り、数々の作品が人気を博していますが、今のように娯楽が分散化していなかった当時、

矢吹丈

力石徹

の名前は、ファンでなくとも知らない人がいないほどの、もはや社会現象でした。 

 

少年マガジン」で連載が開始。

その後間もない1970年に、テレビアニメの放映も開始。

本放送は1年半ほどで終わっていますが、10年後に「シリーズ2」が始まっています。

 

アニメ自体のテーマソングは、タイトルもそのままのあしたのジョー」。

もともと歌手で、今も俳優として活動する尾藤イサオが歌っています。

 

この「美しき狼たち」は、画面にもあるように、1980年劇場版用テーマとして制作されたものです。

歌い手には、当時主にアニメソングの歌手として、また声優としても活動していたおぼたけしが起用されました。

 

歌詞はボクシングをイメージさせる内容になってはいますが、実際に「ジョー」の固有名詞は入っていません。

 

「男なら戦う時が来る 誇りを守るために 命をかけて」

「男なら旅立つ時が来る 愛する者たちに 別れを告げて」

「足をくじけば膝で這い 指をくじけば肘で這い」

「涙の粒だけたくましく 傷ついてしなやかに」

「あぁ 男は 走り続ける あぁ 人生と言う名のレールを」

 

と男の生き様をストレートにメッセージとして伝えながら、力強く歌い上げています。

サビの「あぁ~」以降のコーラスフレーズは、歌詞とも相まって自分の生きざまを問われているような気分になる、とは言い過ぎでしょうか。

 

現代でも純粋にJ-POPとして十分聴きごたえがあるのでは?と感じさせる、壮大なバラード作品に仕上がっていると思います。

 

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出張時「定額精算」のありがたさ。ささやかな飲み代くらい大目に見てほしい

これまで複数の勤務先を経験する中で、出張旅費に関する規定が大きく2種類あることがわかりました。

 

「定額精算」

役職や出張地域によって宿泊費用や日当が定額で決まっているもの。

「実費精算」

文字通り、かかった費用分を会社が支払うもの。

 

業務ゆえ、関連する費用は「過不足なく」精算するのが本来あるべきスタイル。

ですから、ルール的には「実費精算」が妥当なのでしょう。

 

しかしこの実費精算、当然のことながら上限が存在します。

実費が精算できるからと言っても、そこは業務出張。

1泊2万円も3万円もするゼイタクなホテルに泊まることは通常許されません。

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一方、新卒から長く勤めて来た会社は、幸いなことに「定額精算」方式でした。

宿泊場所と職位によって、宿泊費と日当がそれぞれ決められていたのです。

  • 東京23区内で管理職⇒1泊12000円
  • 同 非管理職⇒1泊10000円
  • 〇〇県 管理職⇒1泊11000円

などなど。

 

このようにホテルの宿泊費用が一律に支給されるので、精算時に領収書をあれこれ準備する必要がないのです。

どこのホテルを予約するかは各自で自由に行うことができました。

 

ちょっと割高だけど、出張地からすぐ歩いていけるホテルをとるか。

歩くとちょっと遠いけど、割安なホテルを選ぶか。

 

そんな中、たとえば1泊10000円の規定だったとして、8000円のホテルを予約出来れば、2000円「浮く」わけです。

自分好みのホテルをどう選ぶか、の楽しみがそこにはありました。

 

純粋なホテル宿泊費(朝食付きのケースが多い)とは別に、主に昼食・夕食費用に充てる「日当」も付いていました。

額にして、1日2000~3000円。

 

浮いた2000円と合わせれば、夕食をちょっとだけ奮発して、個人的な「お疲れさま飲み会」に充てることも出来ました。

強制ではないものの、出張すれば職場のみんなにお土産を用意しなければ…的な雰囲気もあったので(当然自腹)、いくらかでもお財布に余裕が出来て助かりました。

 

東京・大阪など大都市圏エリアは、ホテルの予約が取りにくく高額になります。

 

上で触れたように、それにつれて宿泊費も高く設定してくれていたので「足が出る」こともありませんでした。

本当に混雑していて、スケジュール上高価なホテルしか空いていない時は、規定の費用を超えても上司の承認の下領収書を添付すれば、その費用で精算OKになりました。

 

ふだんの通勤より何倍もストレスがかかる出張。

そんな時ぐらい、宿泊費に関して若干の計らいがあってもバチは当たらないのではないか、と。

人と同じでないと「流行遅れ・外れ」で不安なのか?

人間誰しも、なにがしかのコンプレックスがあります。

端から見れば全然気にならないことであっても、本人にしてみれば「あの人のようになれたら…」との憧れを抱いていたりするものです。

 

テレビやSNSで、いま「来ている!」とされるファッション情報が発信されるや、瞬く間にそれが浸透するのは、

「自分も美しく、カッコ良くありたい」

そんな願望の現われなのだろうと思います。

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流行とひと口に言っても、

髪型・洋服・スイーツ・言葉・歌…

さまざまあります。

 

たとえばファッションに関して言えば、

「流行に乗る」イコール「今流行っている服や髪型を好んで取り入れる」

ことになります。

 

すなわち、「他人がやっているのと同じことを自分もやる」。

究極は、「他人のマネ」。

 

その背景にあるのは、

「今ごろあんな恰好してるなんて、流行遅れでだっせぇな!」

と言われるより、たとえ人と同じであっても

「『今どき』をしっかり取り入れているなぁ!」

と見られることの方がオシャレで好ましい、という心理なのでしょう。

流行とはそもそもそういうものです。

 

「短期間で変わっていく最新の流行を常に追いかけることこそ、カッコいい生き方である」

というのが、一般的な受け止め方なのだろうと思います。

 

でもその一方で、自分の「個性」をしっかり見極めることをせずに、自らを見失って周囲に振り回されるばかりの「猫も杓子も」状態になるのは、それはそれでけっこう寂しいことかなと感じたりもします。

 

そんなことを思う自分自身が、単に流行に疎いだけなのかもしれません。

特に、服飾品の流行にはまったく目が向きません。

 

ウインドウショッピングをしていて、仮に「これ、イイかも…」と思う服があったとします。

しかし、「どうせ自分のサイズに合う服などない」と現実に戻った時、そのときめきは一瞬にしてはかなく消え去ってしまうのです。

 

服にはS・M・Lサイズ、さらにLL・XL・XXLなど、大きめのサイズのものも取り揃えられています。

ここで要注意なのは、「X」とは「ヨコ方向」への拡大で、「長さ」方向への配慮はないこと。

 

具体的な数値を挙げれば、少しはイメージが伝わるでしょうか。

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Lサイズの服の袖丈は最長84センチぐらいです。

私がスーツ・ワイシャツをオーダーする時の袖丈は、右手96センチ、左手95センチ。

 

Lサイズのズボンの股下、これも最長は同じく84センチぐらい。

私の股下は、同じくスーツで96センチ。

この状況では、ファッションに乗ろうにも乗れません。

 

モノの売れない時代のせいなのか、これでもかと流行を煽る情報が目立つのが、つい気になってしまいます。

 

【懐かしい歌No.33】「イルカに乗った少年」城みちる(1974)

1970年代の男性アイドルブームを、ほんの一時期ではありますが彩ったひとり、

城みちる

 

ちびまる子ちゃんで、いつもはおとなしい山根クンが夢中になっている「実在のアイドル」(!)です。

 

セールス実績的にはこのデビュー曲がピークで、その後10枚のシングルを発表しますが、3年後には事実上の芸能界引退。

しかし、家業を営むかたわらで「あの人は今」的な番組には時々顔を出し、60代となった今もアルバムを出すなど、地道に活動を続けているようです。

 

童顔のルックスと細身の体型が当時の女性に人気…。

と、外見の評価ばかりが先行していましたが(そういう時代でした)、今改めて聴き直してみると、当時16歳の歌声としては非常に完成度の高い、また見た目とは裏腹に低音がよく響く、堂々たる歌唱力だと感じます。

 

メロディーやサウンドは、時代を感じさせる響きです。

興味深いのは、歌詞のスタイルが伝統的な演歌と同じ「七五調」をしっかり守って作られていながら、メロディーラインはポップスである点です。

 

さみしいときは うみにきて

すいへいせんを みてごらん

そらとうみとの すきまから

いるかにのった しょうねんは

 

このように、字数がキレイに揃っています。

現在のJ-POPでは、なかなか見られないスタイルです。 

こういう規則正しさが、今聴くと古くさく感じられてしまうのかもしれません。

 

彼がデビューした当時は、たとえ10代のアイドルであっても、ソロが基本。

単独での能力が試されます。

当時は当時で、もっとオトナで歌唱力・表現力に優れた歌手が同時に活躍していましたから、どうしても彼らと比較すると若さ・未熟さが表に出てしまいがちです。

「プロの歌手なのだから、一般の人より秀でていて当たり前」という風潮が、今よりもずっと強かったような気がします。

 

自分自身も、若手の歌手の歌いっぷりを耳にしながら、

「しょせんアイドルなのだから」

とひとくくりに扱い、

「ルックスさえ良ければ、肝心の歌はどうでもよいのだ…」

と感じていたフシがありました。

でも、実態は必ずしもそうではなかった。

 

20代30代の歌手たちの「成熟度」はより高かった、と言えるのかもしれません。

実際、今も残されている当時の動画を見ると、リアルタイムの時はこれが当たり前と感じて聴いていた歌が、実は非常にハイレベルなヴォーカルで成り立っていたのだと気づかされることがあります。

 

ただ、そんなこんなも「個人の勝手な思い入れ」。

世間的には「昔の歌だから」のひと言で片づけられてしまう…

ちょっと寂しい話です。

 

ジャンルはまったく異なりますが、同じく親しんでいるクラシック音楽の世界では、200年300年というある意味途方もない時代を経ても、いまだ「現代も息づく音楽」として高く評価され、演奏が繰り返されています。

同じ音楽でありながら、「はやり歌」の生命はつくづくはかないものだ、と感じざるを得ません。

 

現在のグループアイドルポップスと比較すると、「アイドル」とひとくくりに出来ないほどの歌声に改めて驚かされます。

 

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