さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

頼む際の言い方「乱暴⇒丁寧5段活用」。ここでも再び「いただく」が大活躍。「~いただきますようお願いします」は正しいのか?

人に何かの物事を「して欲しい」時。

頼む際のモノの言い方には、当事者たる相手との関係や話す時の状況によって、さまざまなレベルが生まれます。

 

基本は、自分より下、あるいは同じ立場であれば「軽いタメ口」で。

目上の人には「敬語を交えて」が原則ですが、事態がひっ迫している時には、丁寧な物言いをしている余裕がなくなり、敬語の度合いがワンランク下がったりします。

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言い回しを丁寧にしようとした場合、人によって微妙な違いが生まれてくることに、ちょっとした興味深さを覚えました。

 

「〇〇して」の5段活用

<レベル1>「〇〇しろ!」「〇〇しろよ!」

最も強い、「依頼というより、指示を通り越した命令」に近い言い方です。

通常の会話では、まず口にすることがありません。

たとえ相手が部下であっても、自分の子どもであっても、使いません。

 

<レベル2>「〇〇して!」「〇〇してね!」

これもまだ「依頼というより、命令や指示」のレベルに入ります。

しかし、たった1文字の差で、レベル1より格段にニュアンスが柔らかくなります。

「〇〇しておいてね!」のように語尾に「ね」を付けると柔らかい語感になり、通常の会話でも問題なく使えるようになります。

 

<レベル3>「〇〇して下さい!」

「下さい」を付けることによって、「丁寧さ」のレベルがグッと増してきます。

ただ、個人的にそれでもちょっと言いにくいなと感じるのは…

一見丁寧な言い回しながら、内容的には結局「反論の余地のない命令・指示」であることに変わりがない点。

相手の意向を考慮に入れない、一方的な言い方であるからなのだと思います。

 

<レベル4>「〇〇していただきたいです(いただきたく思います)!」

ここで、敬語の定番~「いただく」が登場します。

相手に「要求」している点では変わりがないのですが、「相手に〇〇して欲しい、自分からの要望感」が強く出ていて、それを表現上丁寧にしているだけなので、「敬意」がもう一歩こもっていない印象が残ってしまいます。

 

<レベル5>「〇〇していただけるとありがたいです!」

「自分に感謝の気持ちが生まれる」と伝えることで、相手の主体的な対応を促す。

自分が「下手」(したで)に出ることで、レベル4より「よろしくお願いします」感が強く発揮されます。

 

さらにこの「発展形」が2パターンあります。

 

<その1>「〇〇していただけますか?」

と、語尾を疑問形にすること。

自分はさらにへりくだって、相手に「意思決定の選択権」を与える体裁をとる。

と言いつつ、期待する返事はYesであることは決まっているのですが。

 

<その2>「〇〇していただきますよう、お願いします」

と、より直接的に有無を言わさず「懇願」してしまうパターン。

語尾は「お願いいたします」「お願い申し上げます」と丁寧にしても、基本形は一緒です。

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上記で、「レベル4」以降の言い回しでは

「いただく」

という言葉が登場しています。

 

日本人は、この「いただく」、あるいはその応用編である「させていただく」が大好きです!

saewataru.hatenablog.com

この言葉を入れさえすれば、うやうやしい表現になると思っているフシがあります。

そんな意識が強すぎるあまり、「そこまで頻繁に入れなくてもいいだろう!」と思うところまで、ことごとく「いただく」を繰り返し挟み込む。

却ってうっとうしく聞こえます。

 

さらに、多用以前の問題点として気になること。

「発展形その2」で挙げた

「〇〇していただきますようお願いします」

での「いただく」の使い方は、厳密に言うと文法的に間違っているのではないか、と思っています。

さまざまな場面で非常によく使われているこの言葉を聞くたびに、自分の中の「違和感センサー」がピクッと反応するのです。

 

結論を先に言ってしまえば、ここは「~いただきますよう」ではなく、

「〇〇して下さいますよう~」

が正しいのではないか?と。

 

敬語には、「いただく」を使う場面と「下さる」を使う場面が、本来ほぼ半分ずつあってよいはずです。

ところが、現代の日本人はその双方を区別することなく、まとめて「いただく」の言葉で表現している。

その結果、話し言葉の中で「いただく」が異様なほど多用され、蔓延している状態になっているのです。

 

「いただく」と「下さる」は、その意味・方向性が「逆」の言葉です。

敬語表現を外して考えれば、その違いがわかりやすくなります。

「いただく」⇒「もらう」。自分が相手から「〇〇してもらう」行為

「くださる」⇒「くれる」。相手が自分に「〇〇してくれる」行為

「いただく」は、「自分」が主語。

「くださる」は、「相手」が主語の言葉です。

 

そうした成り立ちを考えると、

上記の「レベル4」「レベル5」は、「自分が〇〇して欲しい」、すなわち「自分が主語」なので、一応本来の意味に沿っている。

しかし、「発展形その1」「その2」の「〇〇」は「相手が主語」なのに、「自分主体」の言葉「いただく」が使われている。

これが「違和感」の根拠です。

 

もう少し具体例を続けます。

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テレビ・ラジオで日常的に聞かれるナレーション。

「メールをお送りいただいた方の中から抽選で〇〇名様に、プレゼントを差し上げます」

メールを「お送りいただいた」のは、「相手」である視聴者・聴取者側ではなく「テレビ・ラジオ局」側、つまり「自分たち」。

送ってくれた相手」に対して素直に敬語表現するのならば、

「メールをお送りくださった方~」になるのではないか?と。

しゃべっているのは、「言葉のプロ」であるアナウンサーのはずなのに…

 

いつも聴いている番組だったので、実際にこのようなナレーション原稿でしゃべっていたラジオ局に「そこは『いただく』ではなく『くださる』ではないですか?」とメールを出したら、その翌日から原稿が修正され、「くださる」に言い換えられていました。

迅速で誠意ある対応に、スッキリしました。

(こんな投書をすること自体、「口うるさい頑固オヤジ」「モンスターリスナー」の入口だとちょっと反省もしましたが…)

 

もう一つ。

会合やイベントなどで、これもよく聞かれる主催者からの挨拶。

「本日は、大変多くの方々がお集まりいただきました」

「多くの方々」という「相手」が主語なのだから、相手が「集まる」という行為を敬語表現するのであれば「お集まりくださいました」とすべきところ。

どうしても「我々主催者側」を主語にして「いただきました」にこだわって結びたいならば、「多くの方お集まりいただきました」と、助詞を「が」から「に」に変える。

おそらく、しゃべり手の口からは文法や文脈など関係なく、「いただく」の言葉がDNAにすり込まれて無意識のうちに発せられているのでしょう。

 

両者の適切な「使い分け」が行われていないので、

「世の中『いただく』だらけ」

になってしまうのです。

 

本来文法的には間違った使い方「であった」はずのら抜き言葉

いまや、若い世代だけでなくシニア層にもすっかり定着してしまいました。

saewataru.hatenablog.com

 

これと同様、「『〇〇いただく』の乱発・なだれ現象」も「多数派の論理」に則って、シチュエーションに関係なく使われるのが「正解」になってしまうのだと感じています。

 

せめて自分が生きている間は、こうした言葉遣いは聞きたくなかったなぁ、と正直思いました…

同じ領域の趣味を持つ人と自分の好きなことを語る時は、ケンカにならないように気を付ける

誰にでも「好きなモノ・コト」があると思います。

 

レベルは問いませんし、趣味・特技と言えるモノでなくても、対象は何でも良いのです。

好きな食べ物、好きなタレント、得意なスポーツ、行ってみたい場所。

 

日常会話の中で、差し障りのない範囲で

「あなたの好きなモノは?」

に話題が及ぶことがよくあります。

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こちらから尋ねることもありますし、問われることもあるのですが、要注意なのは後者=訊かれた時。

 

たとえば自分の場合、すでにこの場で常に触れている音楽の話題になると、「台本ナシ」で何時間でもしゃべれます。

「好き」とはそういうものです。

 

しかしそんな時は、つい夢中になって歯止めが利かなくなってしまいがち。

 

自分にとっては「人生そのもの」ぐらいの深いレベルで好きであっても、相手にはさほど興味がないことかもしれません。

単に世間話的に話題を振っただけ。

むしろそのケースの方が多いです。

 

話のきっかけにちょっとだけと思ったのに、イイ気になってしゃべっていると、相手は面白くもない話を延々聞かされることになる。

結果、「引かれ」ます。

 

気づいた時には手遅れ、という結果になりかねません。

自分向きの話題になった時は、饒舌になり過ぎないよう、気を付けています。

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このように興味の対象・方向性が異なる場合に、話題作りに苦労する。

それももちろん困るのですが…

 

もっと厄介だと思うのは、

同じ領域の趣味を持っていて、「大項目」では一致していても、「中・小項目レベル」で好みが異なる場合です。

 

音楽の世界でも、こうした状況が頻繁にあります。

 

たとえば、「歌が好き」という面では共通でも、好きな歌手やジャンルが違う。

この差は比較的理解しやすいです。

ところが、クラシック音楽の世界では、「大項目」として同じ作曲家や同じ楽曲が好きなのに、「小項目」である「指揮者による演奏ぶりの違い」に話が及んで、好き嫌いが分かれることさえあります。

 

とにかく、お互いに思い入れやこだわりがハンパなく強い!

 

そんな中、自分の好みとは違う意見を

「あぁ、そういう面もあるね」

とやり過ごしていられるうちはまだ良いのです。

ところが、語り合っているうちに、時に相手が気に入っている部分の「批判」に話が発展してしまうことも少なくありません。

 

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だんだんヒートアップしてしまって、知らず知らずのうちに自分の方が相手の好みを批判する。

ヘタをするとケンカに近い状態になってしまう。

 

「それぞれが反対意見を出し合う…」 

これが学校のディスカッションの授業であればOKなのでしょうが、親しい人との会話でそういう雰囲気にはなりたくないものです。

何の生産性もないコミュニケーションです。

 

一般論として、「政治や宗教、行き過ぎたプライベートの話題はタブー」とよく言われます。

しかし、注意すべきはそれだけではない、と思った話でした。

「紅白歌合戦」の公開生放送、あるいは長い歴史を持つ番組自体が中止される可能性を、半年以上前の今から覚悟してみる

このような記事を取り上げると、
 
  • まだ5月半ばなのに今から大晦日の話を持ち出すなんて、「鬼が半笑いするほど時代錯誤」も甚だしい!
  • 日々刻々変化する環境下で、1か月先どころか明日の展望さえも見えていない中、半年以上も先のことなど、まだ誰一人見通せるはずがない!
  • エンタメのような「不要不急の話」を持ち出すこと自体、間違っている!

 

そんなお叱りもあろうかとは思いますが、書きます。

なんと言っても、このブログのタイトルは、

「さえわたる音楽・エンタメ日記」

ですから。

 

執筆者としての「回想を込めたホンネ」に触れておきますと…

 

1年の最後の数時間。

ふだんは忙しく離れ離れの家族みんなが、茶の間に集まる。

足が下ろせて心地良い掘りゴタツを囲み、テーブルに置かれたミカンの皮など剥きながら、視線はテレビ画面に。

午後8時45分ごろ。

当時はまだ「権威」のあったその年のレコード大賞をどの曲が受賞するか、ドキドキしながら見守る。

そして、

「さぁさ、9時からコウハクだから、今のうちにトイレに行っておきなさい!」

などと言われて、そそくさと越年に向けての「心の準備」をする。

 

そうした「3丁目の夕日」的風景は、すっかり過去のものとなってしまいました。

そんな現代においても、いまだ視聴率40%台を誇る「テレビ界最大の音楽・エンタメ番組」とも言える「紅白」。

いまや番組、あるいはテレビ自体に興味のない方々が大勢かもしれません。

それでもなお、いまだエンタメ界において強力なキーワードと言える「紅白」に関して、

「現時点だからこその展望」

に思いを馳せたくなるのです。

 

「まだ半年以上先」と言いながら、直接番組に関わる制作陣にとっては、すでに今年の企画・構想の検討や準備を開始していても、決して「早過ぎる」とは言えない時期です。

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最近のテレビにまつわるトレンド、と言えば…

 

それなりに広い面積が確保されていると見られるスタジオであっても、「密閉された空間」と見なされ、同じ場所に多くの出演者や関係者の集まる収録は行えない状態となっています。

屋外のロケーションさえも、「密」の観点から中止されており、まったく身動きがとれない状態のように見えます。

 

<ドラマ>

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NHK朝ドラや大河ドラマ

個人的にはどちらも見ていないのですが、いざ「収録ストップ」のニュースを聞くと、この先どうやってストーリーを展開・完結させるのだろう?と気になります。

本来ならオンエア予定だった民放3か月クールの4~6月期ドラマは、放送開始時期のメドが立たず、もはや壊滅状態です。

次のクールの制作にも、確実に影響を与えそうです。

 

<バラエティー

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バラエティー番組やワイドショーでも、番組の性格上「生放送」スタイルを維持しながらも、その画面構成は大きく様変わりしました。

実際は何メートルも離れたところに据わっている出演者が、画面のカット上はすぐ隣にいるかのように映し出される。

画面の中にリモート出演のコメンテーターの顔が映るモニター=「もうひと段階奥の画面」が同居している、あるいは画面が「田の字」型に分割されて、別の場所から中継される顔が同時に映し出されるのも、ごく普通の光景となりました。

 

お笑い要素の強いバラエティーでは、「笑い屋」のスタジオ観客の代わりをスタッフが務めていたりしますが、たとえば笑点大喜利が無観客で行われているのを見ると、なんとも切ない気分にさせられます。

(本日放送分からは、ついに「リモート大喜利」になってしまうとの情報もあります。座布団はどうやって運ぶのでしょう?)

 

今日の話題からは外れますが、スタジオの出演者数が減ったことにより、

「リモートまで駆使して多数のゲストを呼ばなくても、番組は十分成立するのでは?」

「これまで、どれだけムダな出演者をひな壇に並べていたのだろうか?」

といった新たな課題や方向性も見えて来たようにも感じます。

 

<歌番組>

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NHKでは、毎週火曜日夜、NHKホールに観客を集めての「うたコン」なる歌番組を放映しています。

しかし、ここ数週間はそうした公開生放送スタイルが不可能となり、過去の傑作選を流してしのいだり、あるいは前時間帯の「NHKニュース7」の延長により放映自体が中止となったりしています。

 

同様に、日曜お昼の風物詩とも言える「のど自慢」も、NHKホールほど大規模ではないにしても、一定数収容可能な各地方都市のホールに観客を集めての生放送スタイルでのオンエアは、最近ずっと行われていません。

 

スタジオ生放送を貫き通して来たテレ朝の長寿番組ミュージックステーションも、先月は「傑作選」のプレイバック、今月からは生放送の再開を模索し始めているものの、出演者の歌唱はリモートが原則だったりします。

 

<スポーツイベント>

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上記のように「番組」として直結はしませんが、テレビで放映されるのが各種のスポーツイベント。

 

オリンピックが「来年の7月、予定通り実施される」と考えている国民は、果たしてどのくらいのパーセンテージでしょうか?

本来なら3月から開幕していたはずのプロ野球やJリーグはいまだにメドが立たず、すでにシーズンの半分近い日程を過ごしています。

高校野球春のセンバツ中止は本当に悲しい出来事でしたが、夏の甲子園も、との報道が出ています。

インターハイも中止が決まりました。

また、だいぶ先の来年3月開催を予定していたWBCワールド・ベースボール・クラシック)も、今の段階で早々に延期されることに。

大相撲は、3月は無観客でなんとか開催しましたが、5月場所は中止。

目前に迫っている7月場所は、開催地を名古屋から東京に移して行うとしていますが、角界内に被害者が出ている現状で、仮に無観客とは言え実施することは出来るのでしょうか?

 

 

テレビに関わるさまざまな状況を目にするにつけ、「紅白」を典型とする

「何千人規模の大ホールに、大勢の観客を集めて公開生放送を行う大イベント」

が、「わずか」半年後に従来のスタイルのままで実施できるとは、どう見ても思えない気がしてくるのです。

言葉だけが先行して、まだ具体像のはっきりしない「新しい生活様式の下では、なおさらでしょう。

 

「紅白」に関しては、昨年の放送直後に自分なりの分析記事を掲載しました。

saewataru.hatenablog.com

 

良かった点・がっかりした点、好き勝手にさまざま述べましたが、それは

なんだかんだ文句を言いながらも、物心ついた時から大晦日にはごく当たり前に「紅白」が存在し、途中「廃止論」が叫ばれることがあっても決して番組自体がなくなることはない、という「大前提」が根底にあればこその話です。

 

その上で、

 

「紅白」のスタイルが時代とどんどん乖離していくことに対して、少なからぬ違和感を綴りました。


何かをきっかけにして、「番組制作の発想を大胆に見直す」必要があるのではないか?と個人的に感じる部分も指摘しました。

 

「国営放送のパワーを駆使して、どんなに豪華なステージ演出を施したとしても、番組の『主役』である歌そのものが『個別化』し、老若男女問わず誰もが知る国民的大ヒット曲が生まれなくなり、皆が一体となって楽しめる娯楽形態が失われた現代において、『紅白』は『エンタメ界の統合の象徴』として君臨し続けられるものではない」

という問題意識を語りました。

 

それでも、「音楽」や「歌」をこよなく愛する気持ちは変わりません。

そうでなければ、あのような「分析記事」を書いたりはしません!

 

今年は本当に、「番組の内容や存在意義を議論する」云々以前に、思いもよらない「きっかけ」で、公開生放送のスタイルや最悪番組自体が中止されてしまう覚悟が、今から必要なのかもしれない。

「放送70年の歴史が揺らいでいる」と真剣に案じています。

 

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もちろん、それだけ歴史のある番組ですから、「傑作選」をやろうと思えば、素材となるストックは山ほど残ってはいるのでしょう。

しかし、「編集された過去の名場面」で1年を振り返ることは、にわかには受け入れ難い!

あの時間帯に生放送でない「プレイバック映像」が流れることは、まだ体感としてイメージ出来ないのです。

かと言って、「生放送」にこだわった上でどんなテクニックを駆使したとしても、リモートであの雰囲気・臨場感を再現することは、まず不可能。

 

例年司会者や出場者が発表される11月頃になって、

「半年前のあんな記事は、とんだ杞憂だったね!」

「マンネリだ、もう時代遅れだと叩かれながらも、やっぱりニッポンの大みそかには『紅白』ありき、だよね!」

と笑えることを願いながら、「音楽・エンタメ愛好家」の観点からの私見をささやかに呟いてみました。

【懐かしい歌No.63】「Time goes by」Every Little Thing(1998)

ユニット名の日本語の意味は何と言えばいいのか、いまだによくわかっていませんが、通称「ELT」として主に90年代の音楽シーンを彩ったユニットのひとつです。

 

1996年にデビュー。

3作目のシングルDear My Friendで初のベストテン入り。

次のFor the momentで初の1位を獲得。

 

1998年第1作のFace the changeも1位に昇りつめているのですが、現在になってELTの代表作は?と考えると、最高位は2位ながらミリオンセラーを記録した、この

Time goes by

であったと言えるのではないか、と思います。

 

これを含め初期のヒット作はすべて、当時ユニットのメンバーだった五十嵐充プロデュースによるもの。

シンセサイザーを多用したサウンド作りと言い、細かく刻まれる16ビートのリズムと言い、疾走感あるテンポの曲調と言い、ほぼ同じ時期に「一時代」を築いた小室サウンドを彷彿とさせるイメージがありました。

 

8枚目のシングルとなる今作品で、初のバラードにチャレンジした形です。

 

バラードと言っても、常に「ビート」は強めに意識されています。

冒頭Aメロはピアノとシンセサイザー・ドラムの「トリオ」で16ビートを刻む。

 

最初に聴いた時、最初の8小節の部分が、2年前の1996年に発売されたglobeの「DEPARTURES」のAメロに酷似しているように感じました。

テンポも多少違うし、メロディーの動きも違う。

ただ、小室サウンドの特徴である16ビートは共通している。

「決定打」となったのは、この間の「コード進行」がほぼ一緒だったことでした。

 

それはさておき…

「Kissをしたり 抱き合ったり~」

から始まるBメロ以降は、ベースが一転して8ビートにシフトし強く主張。

ヴォーカルも一気に「熱唱」にシフトしていく形になっています。

サビで、それまでの短調が一瞬長調に転調しているように聞こえるのも「聴かせどころ」です。

 

ワンコーラスの音域が1オクターヴに収まっているのも、この曲のひとつの特徴と言えます。

音域を広くとって、楽曲としてのメリハリを利かせるのは、実は簡単。

抑えたいメロディーを低音に、盛り上げたいメロディーを配すれば、「それらしく」聞こえる。

しかし、実際に歌いこなすのは大変になります。

狭い音域でそれを実現する方が、曲作りにとってはかえって難しかったりします。

 

<1番歌詞抜粋>

きっと きっと 誰もが
何か足りないものを
無理に期待しすぎて
人を傷つけている

Wow wow wow…

会えばケンカしてたね
長く居すぎたのかな
意地を張れば なおさら
隙間 広がるばかり

Kissをしたり 抱き合ったり
多分それでよかった
あたりまえの 愛し方も
ずっと忘れていたね

信じ合える喜びも
傷つけ合う悲しみも
いつかありのままに
愛せるように
Time goes by

 

「時が過ぎれば、かつて愛し合った日のことをきっと美しく思い出せる」…

テレビでもよく流れていたし、カラオケでもよく歌われていた…

ヒットしていた頃は、メロディーやサウンドにばかり気を取られがちでしたが、タイトルの通り「時代が過ぎて」改めて鑑賞すると、歌詞のメッセージの味わい深さを感じ取ることが出来ます。

 

「信じ合える喜びも~」で伸びやかな高音を披露、リフレイン後にはさらにキーを半音アップして歌い上げているヴォーカル・持田香織の透明感ある歌声も、この作品の大きな魅力でした。

まだトシをとったと言うには早すぎるのに、なぜ歌手の「生命線」である喉を壊してしまったのか、本当に残念です…

 

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人生で「1日だけ戻れる日」があるとしたら。選ぶのは「青春の集大成」だった高校オーケストラ部の定期演奏会ステージ本番の日

入学・進学・就職・結婚・出産・転勤・昇進・転職・引退…

生きていれば、いくつも訪れる「人生の節目」。

 

誰にでも、

「人生で最も輝いていた日」

「人生で1日だけでも戻ってみたい日」

が必ずどこかにあったはずです。

そんな瞬間を、自らの過去から探ってみました。

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もちろん、「学校に合格した日」「結婚した日」「子供が生まれた日」など、喜ばしい幸せな日はたくさんありました。

 

「仕事」を生きがいにする人ならば、「うまく仕事が出来た日」「昇進した日」「社長になった日」などが挙がるのだろうと思います。

しかし、「仕事は仕事」。

「達成感」「充実感」という言葉で表現することは出来ても、「楽しい思い出」とは中身が違うように感じるのです。

仕事がらみで印象的な日は、残念ながらここには入ってきません。

 

そんな中で頭に思い浮かぶのは、やはり音楽関係の活動。

特に、

「ステージに立った」日の思い出が、映像とともに鮮やかに蘇ってきます。

まさに「晴れ舞台」です。

 

これまで大小さまざまなステージ出場経験について、記事で触れてきました。

 

オーケストラの一員としての一番大規模なステージは、テレビ中継もされたNHKホール。

saewataru.hatenablog.com

北海道への演奏旅行でのステージもありました。

saewataru.hatenablog.com

勤務先での「ミニコンサート」の様子も、先日お伝えしました。

saewataru.hatenablog.com

 

一方、歌手のソロ活動としても、数々の忘れられないステージを経験してきました。

saewataru.hatenablog.com

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しかし、それらのどれよりも思い出深いのは、

高校3年間活動してきたオーケストラ部のステージです

 

3月にFacebookで「今日が記念日」と投稿したら、「よく日付まではっきり覚えているね!」と旧友たちに驚かれました。

それだけ、個人的な思い入れが強かったのかもしれません。

 

部活では、毎年3月下旬に1年間の練習の成果を発表する定期演奏会」という名のコンサートを開催していました。

 

プロのオーケストラが行うのと同じような曲を取り上げます。

コンサート時間も、プロ並みの2時間超。

しかも、毎年都内の本格的なホールを借り切って行います。

ちなみに、私が3年生の時の会場は都内の「メルパルクホール」でした。

 

メインの演目は、

1年生の時はブラームス交響曲第4番。

2年生の時はベートーヴェン交響曲第5番「運命」、シューベルト「未完成交響曲」。

3年生の時はチャイコフスキー交響曲第5番。

クラシックに少しでも詳しい方なら、プログラムとしてはかなり立派な内容であることがおわかりいただけるかと思います。

 

しょせん高校生の演奏ですから、ハタから見れば無謀なチャレンジ。

現在もその時の音源を大切に保管して、時々振り返って聴くことがありますが、演奏テクニックも確かに稚拙です。

 

でも、本人たちからしてみれば

「この日のために1年間頑張って来た」

「晴れの本番」

感が満載なわけです。

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ふだんの活動は…。

毎週3回、授業終わりに教室に集まっての練習。

火曜・木曜は3時間ほど、土曜日は昼イチから夜7時過ぎまで、5~6時間やっていました。

夏休み・春休みには1週間の「強化合宿」も行います。

神奈川県・三浦半島の先、城ヶ島にあったユースホステルを借り切って、準備を行っていました。

saewataru.hatenablog.com

自由時間はほとんどなしの、ガチ練習!

スケジュールだけ見れば、完全に「体育会」的ノリです。

 

3年生の時はコンサートマスター(指揮者のすぐ前にいるヴァイオリン奏者)にもなって、80人以上いた団員のまとめ役もこなしながら活動しました。

定期演奏会」は毎年行うので、在学中3回ステージに立ったわけですが、これで卒業となる3年生、最後の演奏会の重みはまた格別です。

 

全員が気持ちをひとつにして行う演奏会本番の日は、(いささかクサい表現ながら)青春の集大成とも言えるものでした。

終了後には、人目もはばからず感涙にむせびました。

卒業式でも泣かなかったのに…

 

演奏会のステージですから、「勝った負けた」の世界ではありません。

ハタから見れば、つまらない自己満足かもしれません。

しかし、本人たちはみな「戦いを終えた甲子園児」のような心境になります。

 

「振り返りたいハッピーデー」はほかにもあるけれど、

「何百日もの活動が1日に凝縮された」という意味において、かけがえのないステージ体験。

今後、あれ以上の感動的な日に出会うことはないと思います。

 

安全カミソリは「安全」と付くから安全っぽい。では安全ピンは安全なのか?安全地帯は安全なのか?

毎朝ヒゲ剃り用に使うT字型のカミソリ。

一般的には

「安全」カミソリ

という名で販売されています。

 

なぜ、あえて「安全」と呼ぶのか?

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刃先がストレートに露出しておらず、ホルダー内に収まっている形状だから、らしいです。

「じゃあ、もともとのカミソリってどれだけ刃が出ていたのだろう?」

と思ってしまいます。

理髪店で顔を剃ってもらう時。

あまりマジマジと見たことはありませんが、あれが「安全」のつかない「ただのカミソリ」なのでしょうか?

家庭で使うT字カミソリは、少なくともあれよりは安全と言えるのでしょう。

 

空港での手荷物検査場。

カミソリは厳密に言えば刃物ですから「危険物」。

それでも、基本的に機内持ち込みOKです。

ただ、刃体の長さが一定以上になるとダメらしい。

サイズは小さくても、やっぱり刃物なのです。

 

普通に顔を剃ろうとしても、時々ヘマをやらかして、絆創膏を貼るほどではないけれど小さな切り傷を作ってしまうことがあります。

もともとは、自分の手先の不器用さが原因。

なのにそれを棚に上げて、カミソリに八つ当たりしたくなります。

 

もっと「安全度」が疑われるのが、安全ピン。

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カミソリは頭に「安全」を付けずに、普通に「カミソリ」と呼びますが、安全ピンは必ず「安全」と「ピン」がセットになって「安全ピン」と呼ばれています。

これを単に「ピン」と呼ぶ人にお目にかかったことがありません。

「ヘアピン」や「ピン芸人」など、全然別の意味になりそうです。

 

社内で使う名札や、他社訪問時に渡される館内用のバッジをつける時…

 

けっこうな頻度で、安全ピンの出番があることに気づきます。

仕事の場ですから、スピーディーに対応しなければならない。

スマートにパッと胸元に付けて、歩き出さなければならない。

 

ところが、あわてていると、針先をついチクッとやってしまうことがあります。

ヒゲ剃り時の「しくじり」より、その頻度は高いです。

かつ、指先だから痛い!

出血でもしようものなら、もうサイアクです。

 

どこが安全なのか?!

何に比べて安全なのか?!

 

昔は虫ピンのように針先が常に露出している形が一般的だったけれど、今は刺した後カバーに収納できるようになっているから、相対的に安全な構造になっているのだそうな…。

それでも、付ける時はどうしたって針が剥き出しじゃぁないですか!

 

やっぱり最終的には自分に原因が。

カミソリ同様、我が手先の不器用さを恨みつつ、いつも「安全なんて名ばかりじゃないか!」と苛立つのでした。

 

もっと安全度が疑われるのが

安全地帯。

玉置浩二率いるバンド名ではなく、路面電車の停留所の方の「安全地帯」です。

今は単純に「停留所」と呼んでいるのでしょうか?

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都内では、地下鉄網の整備により路面電車は限られた区間しか走っていませんが、地方の中核都市では今でも「市電」として大活躍しています。

 

そんな市電はたいてい、片道2~3車線ある「幹線道路」沿いを、一般車両と一緒に走っています。

従って、停留所たる「安全地帯」で下車するのは、幅の広い道路の「真ん中」ということになります。

 

安全地帯には、クルマと隔てるための柵が付けられているところがほとんど。

しかし、中にはそれが十分整備されておらず、下車したとたんに至近距離を猛スピードのクルマが通り過ぎて、ヒヤッとすることがあります。

 

その危険度のレベルは、「安全カミソリ」や「安全ピン」のレベルでは済まされません。

 

以上、「安全」三題噺でした。

【懐かしい歌No.62】「ラストシーンに愛をこめて」倉橋ルイ子(1982)

本ブログで設定しているいくつかのジャンルの中で、「はやり歌とともに」のカテゴリーが、本日節目の100記事めを迎えました。

 

歌の世界全体の記事を随時織り交ぜながら、個別曲解説の連載としては今日が62回目。

自分で勝手に決めたルール、

「同じ歌い手は取り上げない」

でどこまで走れるか、チャレンジを続けます。

 

今日は「知る人ぞ知る」マニアック選曲。

倉橋ルイ子です。

 

彼女がデビューした1981年。 

世はまさに女性アイドル全盛期。

そんな中、当時としては貴重だった「バラードを歌える歌手」として活動を開始しました。

デビュー曲の「ガラスのYESTERDAY」は、オリコンチャート入りを果たしています。

 

この「ラストシーンに愛をこめて」は、それに続く2枚目のシングルです。

 

バラード歌手として、しっとりしみじみと別れのシーンを歌い上げています。

ピアノのイントロに続くストリングスをメインとしたアレンジが、美しく曲を飾っています。

翌年に発売された、ストレートなネーミングの「哀しみのバラード」も名曲です。

 

歌を聴いていて「新しい」「古い」を感じる一番の要素は、「サウンドアレンジ」(カラオケ)の響きではないか、と思うことがあります。

 

歌うのは、今も昔も人間。

生身のニンゲンの声は、その人の「個性」そのもの。

時代が移ろったからと言って、そうそう時代を感じさせるほど変わるものではありません。

 

それに対して、ヴォーカルのバックに流れるサウンドのクオリティーは、まさに日進月歩の世界です。

使われる楽器も、多種多様になってきています。

俗に「シンセサイザー」と呼ばれるインストは、どんな音質のものも再現できる幅広さを持っています。

同時に、曲のリズムを支えるドラムも発展が著しいです。

ドラムの音色が「時代」を想起させる、と言っても過言ではないほどです。

録音技術もはるかに進歩して、音質はどんどん向上しています。

 

そうした中、ピアノとストリングスをメインにしたオーソドックスなアレンジは、目新しさこそないものの、いつの時代になっても色あせぬ「スタンダード」の安心感を、聴く者に与えてくれるような気がします。

この楽曲にも、それがあてはまるように感じます。

 

話を戻して、倉橋ルイ子本人。 

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シングルがコンスタントに発売されていたのは、デビュー後10年ほどの期間。

しばらくの間芸能活動を休止していましたが、1999年にライブ活動を再開。

2005年には、この「ラストシーンに愛をこめて」ピアノバージョンのシングルを再リリースしています。

最初のリリース時には残念ながらあまり話題になりませんでしたが、きっと本人としてはこの曲に少なからぬ思い入れがあったのでしょう…

 

「つぶやき」フレーズが続く冒頭Aメロ。

徐々に盛り上がるBメロ。

別れの悲しみがピークに達する「ありがとうラストシーン~」の歌詞が印象的なサビ。

メロディーの進行が流れるようにスムーズです。

Bメロをフィーチャーしたイントロのハミングメロも、楽曲に彩りを添えています。

 

歌い手の知名度的に見ても、

ヒットの度合いから見ても、

時代的に見ても、

「え?こんな歌手いたの?」

「え?こんな曲あったの?」

的受けとめがほとんどだと思います。

 

おそらくどのブログ記事にも取り上げられることはないのでは?と思い、時代を遡って連載に加えてみました。

 

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ヘタな川柳?「旅行なら スマホ見ないで 景色見る」。観光地にも「生活者」がいることを忘れないで欲しい

いまやあこがれの「旅行」。

 

結論から言ってしまうと、私の旅の目的はタイトルフレーズ。

まさにコレに尽きます。

 

鉄道の旅が好きなことは、これまでにも折に触れ記事に取り上げて来ましたが、列車での移動中は「ひたすら外の景色を見る」のが、旅の一番の醍醐味だと思っています。

 

「非日常」を味わう。

「何もしない」のが最大のポイント。

そのためには、車窓に流れる風景をボーっと眺めるのが、最高のゼイタクなのです。

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旅先でも、歩きながら景色を「この目で見て、思い出に残す」のが好きです。

 

旅の足跡に、と数枚写真を撮ることもなくはないのですが、それも最低限。

そして、極力人のいないところ・タイミングを見計らっての「風景写真」がメインです。

 

若干自撮りに挑戦したりもしますが、なぜか満足できる表情で撮れることがありません。

誰もいない場所で「ハイ、チーズ!」の笑顔を作ることがなかなか出来ない…

 

「インスタやブログに載せるための撮影」に手間をかけ、旅の主目的にするのは、私にとっては主客転倒!

 

ベストショットを狙って、あれこれ工夫することに時間を割く…

確かにそれも楽しいかもしれません。

しかしそれよりも、めったに味わうことの出来ない、かつ時間の限られた貴重な「旅という非日常」の場で、「スマホいじり」という名の日常的な行為から、極力自らを解放させたいのです。

 

もちろん、これは自分自身の感覚。

旅に出かけたら「目に見える記念を残したい」気持ちも十分わかりますし、撮るか撮らないか、何を撮るかはそれぞれ自由で構わないのです。

 

しかし、

旅行者が撮影行為に夢中になるあまり、困った事態が発生していることに気づかない光景によく遭遇する。

そうした経験談が、今日の記事を書くことになったきっかけです。

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私は東京在住ですが、家族の暮らす留守宅は、国内(あるいは世界的にも)有数の観光地・京都にあります。

しかも、有名な観光スポットのかなり近くに住まいがあります。

ふだんの生活動線が、観光客の活動ルートと完全にかぶっています。

 

生活のため普通に歩きたい歩道が、「映える」写真を撮ろうと思い思いに自分本位の動きをする観光客たちに、完全に「ふさがれて」しまうのです。

本来なら通り道になるスペースには、大きなキャリーバッグが無造作に置かれたまま。

旅行に限りませんが、自分のことに夢中になるあまり、周りの迷惑になっていることに気づかなくなっているひとつの例だと思います。

「観光地は、観光客のためのもの」という暗黙の了解が、どこからか出来上がっているかのようです。

 

スマホが誕生して以来、人は歩く際に、常にスマホを手に持たずにはいられなくなってしまいました。

それと共に、失われてしまったマナーもあるような気がします。

旅先では解放感も手伝って、それが一層増幅されているみたいです。

 

でも、もう後戻りのできない状況なんでしょうね。

出張するとお土産が当たり前、そんな風潮は常識なのか

以前にも記事にしたように、仕事でしょっちゅういろいろな所に行っていることは、オフィスの同じフロアにいる人間は当然知っているわけです。

 

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自分の考えすぎなのかもしれませんが、

出張に行くと、そのまま手ぶらでデスクには戻れない空気がある。

海外に出かけた時は、特に。

 

周囲の人間にお土産としてせめてお菓子1個ずつでも、という「無言の雰囲気」をひしひしと感じるのです。

中には、

「おぉ、さえわたるくん、昨日まで出張だったそうだな?」

と「有言の圧力」をかけてくる上長もいたりします。

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もちろん、お土産を配るかどうかは「気持ち」の問題。

ないからと言って、あからさまに文句を言われるようないわれはありません。

 

でも、毎日顔を合わせているメンバー。

仕事とは言え長く席を外していながら、何も「アイサツ」がないのでは、こちらとしてもなんとなくやりづらいものです。

 

1回に何万円ものおカネがかかることではありません。

しかし、毎月のように出かけていて、その度に…

となると、正直結構フトコロには響きます。

 

また、お土産を配る範囲にも、気を遣います。

同じ部署の人間だけでいいのか?

同じフロアには、ほかの部署のメンバーもいる。

渡している姿は、当然彼らの目にも入る。

果たしてどこまで配ればOKなのか?

顔を合わせる人すべてを対象にしなければならないのか?

 

…と、これは日本に戻って来た時の話です。

 

その前に、もうひとつの「関門」がありました。

日本から海外の出張先に赴く際も、「お土産問題」があるのです。

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海外では特に、日本から持って行ったお土産がとても喜ばれます。

現地の文化の要素もあるのでしょうが、私が着任する前から、社内でそういう「伝統」が受け継がれていた、と言った方が正しいかもしれません。

 

そこで、成田・羽田空港での待ち時間に、あわただしく現地向けのお土産を探します。

 

滞在中は、慣れない土地で仕事をしなければならないので、第一印象を良くしておくことは非常に大事。

ましてや、「お土産が大事」の話を事前に聞いていれば、ここで手を抜くわけにはいきません。

 

ただ、具体的に何にするか?

ひと口サイズでつまめるお菓子を探すのですが、あまりに「日本色満載」だと現地の人たちの口に合わない可能性があって、選ぶのがけっこう難しいのです。

 

結局行きも帰りも、お土産のことで仕事自体とは別の心配をしなければならない。

1回2回ならお互いに珍しく、またありがたいことでもあるのでしょうが、これだけ度重なると果たしてどうしたものか。

 

正直「けっこうツライ」という話でした。

同じような経験をお持ちの方はいらっしゃいますか?

声優。その爆発的な人気の背景にあるのは?歌手としても活躍する代表格、「深愛」水樹奈々(2009)

声優という職業。

 

実は、俳優(役者)と同じくらい歴史があります。

ただし長いこと、残念ながら(また失礼ながら)俳優より一段下の立場に見られてきました。

 

それが今はなんと、顔を出す俳優を凌ぐほどの爆発的な人気を誇るまでになっています。

アニメ文化の異様とも言える盛り上がりと、深い関係がありそうです。

 

「商売道具」である声を生かし、洋画やアニメの吹き替えだけでなく、そのテーマソングのシンガーとしても活躍している声優が多数現れるようになりました。

彼らは、特徴ある声だけでなく、歌唱力・表現力も身に付けているのですね。

 

将来なりたい職業でも、最近は上位にランクインしています。

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改めて考えてみると、「声だけで勝負すること」の奥行きは思った以上なのだと感じます。

声優云々でなくとも、テレビとラジオを単純比較すれば、イメージしやすいことかもしれません。

 

顔が見えない分、受け取る側のイマジネーションが広がります。

時々「顔出し」でテレビに出演して役柄の声を出しただけで、「おぉ~!」という驚きと感動の声が湧き上がるのが面白いです。

 

俳優は、年齢とともに演じられる役柄がどうしても限られてきます。

うまくイメージチェンジできれば、それはそれでまた別の役を演じられるといった面はあります。

しかし、いつまでも「若い時のイメージ」にこだわるあまり、トシを重ねてから「イタイ」姿になっている芸能人も男女問わず多数います。

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その点声優は…

何と言っても「年齢を超越する」ことができるのが大きな特徴です。

 

本人が70代80代を迎えても、画面の中では若者や子供を演じることが可能です。

ルックスやイメージがまったく異なる別のキャラクターになりきることも出来ます。

幼い子どもや少年の声を年配の女性声優が演じることは、決して珍しくありません。

ドキュメント番組などのナレーションも、「声の本職」だけあって、アナウンサーが行うより味があって素晴らしい場合があります。

 

もちろん、良い面ばかりではありません。

 

演技・感情を声だけで表現するのは決してたやすいことではない。

そこには、本人の並々ならぬ努力が大前提となります。

時には、俳優以上の厳しいオーディションをクリアしなければならないこともあるでしょう。

 

「声優」の肩書を持ちながら、「歌手」としても活躍し、最も実績を挙げていると思われるのが、水樹奈々

6回の出場歴を持つ「紅白」で、初めて歌った曲深愛です。

 

「本業」ではさまざまな役柄を演じ分けていますが、「地声」での歌い手としても立派なプロです。

この速いテンポで、細かい16分音符が多用され、かつ思いがけない転調を繰り返す複雑なメロディーラインを、華麗に歌いこなしています。

(冒頭25秒ほどお待ち下さい)

 

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「声優」にまつわる?個人的なエピソード。

 

学生時代、私は「放送部」に所属していました。

「部活」というより、「生徒会」「学級委員会」に近い役割だったような記憶があります。

 

全校生徒に向けて、「ミニDJ」のような活動をしていました。

そういう活動の出来る(許された)学校でした。

昼休みに、各教室に向けてレコードの音楽を流したり、ちょっとしたトークを繰り広げたり。

下校時には「皆さん、下校の時刻になりました。校庭の遊具は早めに片づけ、忘れ物のないよう、早めに帰りましょう」などのアナウンスしたり。

 

それが高じて「声優になるのも魅力的だなぁ」と思った時も一瞬だけありました。

「声優」というより、「人前でのしゃべり」が好きだった…

と言った方が正しいかもしれません。

 

思春期の頃の話。

まだ将来の具体的な展望など抱いてはおらず、単に物事の目立つ面、良い面だけしか見えていなかった時期です。

周囲から

「声がいいねぇ」

「しゃべるのがうまいねぇ」

などとおだてられて、イイ気になっていただけです。

 

でも、そんな夢はまさに瞬間で消え失せました。

なぜなら、自分は「裏方」としてマイクに向かっているより、当記事で再三話題にしているように、前面に出て姿を見られることに快感を覚えてしまったからです…

 

その後、記事で随時紹介しているような「人前に出るさまざまな活動」がスタートしました。

 

【懐かしい歌No.61】「君がいた夏」Mr.Children(1992)

時が平成に移った1990年代。

ひと時代前「アイドル全盛」と称された音楽シーンは、バンドが主役となりました。

 

同時期に活躍したグループとして、

「サザン・B'z・ミスチル

が、ひとまとまりにしてよくトリオで取り上げられていました。

 

サザンはすでに70年代後半からデビューし、それ以前にも数々のヒットを生んでいましたから、 こういう括り方にはいま一つ賛同できなかったのですが…

とは言え、好き・嫌いは別として、いずれも当時知らない者はいないビッグネームでした。 

 

今日取り上げたミスチル」ことMr.Children

 

Mr.Childrenの名前が生まれたのは、1989年。

メジャーデビューまでには、3年がかかっています。

その年に発売された彼らのデビュー曲である君がいた夏

自らの青春時代のほろ苦い思い出とシンクロしていつまでも耳から離れず。

「イイ歌だなぁ」と素直に感動し、その時点から注目していたのですが、残念ながら大ヒットにはつながりませんでした。

 

バンドの名が真の意味でメジャーになったと感じたのは、翌1993年。

4枚目のシングルとなるCROSS ROADが、当時反響を呼んだドラマ「同級生」のテーマソングに採用されヒット。

そして、続く5枚目の「innocent world」が初のミリオンヒットとなり、彼らの名は全国区となりました。

 

「やっぱり、注目していただけのことはあった!」と、勝手に自分を褒めたりして。

 

その後の活躍ぶりは、世間に広く知られる通りです。

そこで、ここでは改めて「デビュー曲」にタイムスリップします。

 

有名になってから発売されたシングルの数々は、ひと言で言うと「言葉よりもリズムやノリ」を重視する作風にシフトしてしまった印象があります。

あまり必然性があるとは思えない「ヨコ文字と日本語のミックス」を多用したり、ひとつの音符に3文字も4文字も言葉を詰め込んで、聴いていても何を言っているのか聞き取れなかったり…。

 

メロディーラインもキャッチ―で緻密によく工夫して作られているし、歌詞の内容も悪くはないのだから、ヘタに「巻き舌唱法」を取り入れず、もっと素直に「発音」すればいいのに、

注目する存在だからこそ、そんな「個人的要望」を抱いていました。

 

ここ数年、トシを重ねて少し「丸く」なったせいか、「原点回帰」的色合いを感じることもあるのですが…

 

いずれにせよ「君がいた夏」は、ある種フォークソングの流れをくんだ素直なサウンドとこれまたシンプルな8ビート、そして流れるようなメロディー運びがストレートに心に響く曲です。

ラスター4小節だけ音が高く飛ぶところも、印象的です。

 

アコースティック・ギターの素直なストロークに乗せて、晩夏の海を舞台にした若い二人の別れのストーリーが切なく響きます。

弾き語りスタイルが似合います。

 

結びの部分だけヨコ文字が使われていますが、あとは奇をてらう部分のない「普通」の日本語。

だからこそ、共感・感情移入出来る部分もあります。

 

ワンコーラス分の歌詞を抜粋してみます。

 

 

夕暮れの海に ほほを染めた君が
誰よりも 何よりも 一番好きだった
二人していつも あの海を見てたね
日に焼けた お互いの肩にもたれたまま
一日中 笑ってた

キリンぐらい首を 長くしてずっと
待っていたのが まるで夢のように

また夏が終わる もうさよならだね
時は二人を 引き離して行く
おもちゃの時計の針を戻しても
何も変わらない Oh I will miss you

 

サビの2行に、

「夏の終わりの恋人たちは、お互いに好きなのになぜ別れる運命にあるのだろう?」

まだ多感さを持っていたさえわたるは、そんなピュアな心を抱きながら、この曲を聴いていました。 

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【地味ながら放送開始16年の長寿番組】日曜日に放送なのに、番組名は「がっちりマンデー!!」

TBS系で日曜日午前7時30分から8時までオンエア中。

 

前身の儲かりマンデー!!」から通算すると、2004年の放送開始以来実に16年以上続いている長寿番組です。

 

出演者は、メインMCに加藤浩次、アナウンサーの進藤晶子、経済アナリストの森永卓郎、プラスゲスト1名(ドラマ番宣の場合多し)の計4名が基本。

時に、番組企画で特集された企業のトップがひとりでゲスト登場する回もあります。

 

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日曜日に放送されていますが、番組タイトルは「がっちりマンデー!!」。

これは、毎週特定のテーマに沿って、おカネやビジネスに関する「平日」の情報を日曜日のうちにお勉強しておこう、とのコンセプトから付けられたタイトルです。

 

そのコンセプトに沿って、番組は主として、

  • 特定の企業にスポットを当てて、「儲かりのヒミツ」を紹介するシリーズ
  • 特定の製品・事業・業界(特にニッチ分野)にスポットを当てる「儲かる○○(ビジネス)」シリーズ
  • 新規に上場した企業を紹介する「僕たち上場しました」シリーズ

などが定番として取り上げられています。

VTRが流れ、それを受けてスタジオで出演者たちが短いトークを行いながら、番組は進行していきます。

 

回によっては、飲食店ネタもたまに紹介されます。

しかし、ほかのバラエティー番組にあるような「グルメリポート」ではなく、あくまでひとつの企業、ひとつのビジネススタイルとしての扱われ方なので、鼻に付くバカ騒ぎタイムはなく、その点で特に気になることはありません。

毎回見ていると、世の中には本当にいろいろな業種の会社があるのだなぁ、と改めて認識させられます。

 

番組タイトルだけ一見すると、日曜日の朝から「マンデー」と言われ、月曜日以降のあれこれが連想されて、ちょっとユウウツになってしまいそうなところです。

しかしそこは、MCの加藤が随所に笑いをとったり、ゲストにお笑いタレントを多用したりでクリア。

 

いわゆる「経済情報番組」にありがちな堅苦しさをまったく感じさせない、

「ビジネスをエンターテインメントとして見ることのできる」

構成・演出がなされています。

紹介された会社で働く一般社員さんたちがロケカメラの前で時折見せる緊張した表情も、(当たり前ですが)「一般人」的で、なんとなく微笑ましく感じられます。

 

出演者の繰り出す、右腕をまげて拳を握る(「儲かっている」を示す)お決まりのポーズ、

「がっちり!」

も、番組内ではもはやお約束です。

 

日曜日の朝早く。

目立たない時間帯ですが、移り変わりの激しいテレビ業界の中、これだけの長寿番組として生き残っているのにはそれ相応の理由があるのだと思わせる、コンパクトながら良質の番組だと思います。

www.tbs.co.jp

 

「一生のお宝」!インド・ムンバイへ~一度訪れたらハマる国

これまで、アメリカ本土や東南アジアを中心に、10か国以上の海外出張に行ったことは以前触れました。

 

その中で一度だけ、インドにも足を伸ばす機会が訪れました。

 

行き先は、インド経済の中心都市、ムンバイ。

かつて、ボンベイと呼ばれていた時期もあった街です。

人口は(都市圏のエリアの捉え方にもより変わりますが)1200万人以上。

 

それを知って、東京と同じくらいの規模だと想像していましたが、実際見た感じでは、はるかにエリアが広く、「混雑した」イメージでした。

クルマの数も格段に多いし(道路が未整備で狭いのかもしれません)、ひと言で言えば「ゴチャゴチャ」した感じ…

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市街中心部は、近代的な高層ビルが建ち並ぶ大都会ではあるのですが、一歩脇道に入ると未舗装の狭い道路の両側に、スラムの貧民街が広がっている…

日本ではおよそお目にかかれない光景が広がっています。

 

仕事の後ほんの数時間ほどですがフリータイムがとれたので、出張先の会社付き運転手にガイドを頼んで、名所を案内してもらいました。

 

【インド門】

「ムンバイのタージマハール」とも呼ばれる、ムンバイ最大の観光スポット。

昔は、船でムンバイに到着する旅行者が最初に目にする建造物であったと言われています。

 

辺りはご覧の通り一面の広場になっています。

我々が行ったのは平日の昼過ぎだったので人出はそんなにありませんでしたが、休日になるとこの広場が人でいっぱいになるとのこと。

地元ガイド曰く、「スリや物乞いが多く、観光客は要注意」だそうです。

 

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【タージマハール・ホテル】 

インド門の対岸には「タージマハール・ホテル」という高級ホテルもあります。

まさに「西洋の宮殿」を思わせるような、格調高い外観です。

 

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私が泊まったのはもちろん別のホテルですが、セキュリティに配慮して、治安の良い地区の、国内出張だったらとても考えられないほどのラグジュアリーなホテルを手配してもらいました。

 

1週間滞在したホテルの客室です。

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【チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅】

ムンバイ近郊の鉄道や長距離列車が集まる、市内最大のターミナル駅

ユネスコ世界遺産にも登録されています。

駅舎は、中世にタイムスリップしたかのような荘厳な趣があります。

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マハトマ・ガンジー記念館】

「インド建国の父」として有名なマハトマ・ガンジーの足跡を展示した、小さな博物館にも立ち寄ることが出来ました。

滞在時間、わずか10数分の慌ただしさでした。

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このような「胸像」のほかにも、さまざまな展示物や解説があったのですが、当然「英語表記」ばかり。

 

日本の大規模な博物館のような「外国語対応」の音声ガイダンスなど、あろうはずがありません。

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東京からのフライトは案外長くて、ムンバイまで直行便でも9時間以上。

ただ、会社の規定で「5時間以上のフライトは、ビジネスクラス使用OK」だったため、それはそれは快適な空の旅でした。

 

欧米と違って時差も少なく(3時間半)、その点の苦労もさほどありませんでした。

 

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仕事はもちろん、プライベートも含め、生涯で訪れることはもうないかもしれません。

その意味で、今日挙げた写真は、私にとって「一生のお宝」です。

 

一度訪ねると、なんとも言えない不思議な魅力にあふれていて、「ハマる」国です。

【懐かしい歌No.60】「愛のせいで」小柳ルミ子(2014)

わたしの城下町でデビューしたのが、1971年4月25日。

今年は、歌手生活50周年の節目です。

 

70年代には、デビュー曲と並ぶ大ヒットとなった瀬戸の花嫁をはじめ、「京のにわか雨」「冬の駅」「星の砂」などのヒットを飛ばしました。

80年代に入っても「来夢来人」(らいむらいと)「お久しぶりね」「今さらジロー」などが話題作になりました。

「昭和の終わりまで」が、実質的な活躍時期でした。

 

「紅白」にも、18回連続で出場しています。

 

70年代前半は、時代背景からアイドル的な人気を博していました。

同じ年にデビューした南沙織天地真理とともに「新・三人娘」と呼ばれた時期もありました。

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しかし、元々は宝塚音楽学校の出身。

その歌唱力で勝負できるタイプでした。

 

また、1969年から1985年まで16年間放送されたザ・ドリフターズの人気番組、「8時だヨ、全員集合」の最多出演ゲストでもあります。

彼女の新曲が出るたび(少なくともおよそ3か月に1回)必ずゲストに出演していたイメージがあります。

 

番組内では、歌の披露と同時に、ドリフターズのメンバーとコントで絡むコーナーが用意されていました。

彼女も、その一員として大活躍。

特に、志村けんと繰り広げた「夫婦コント」の名演ぶりは、由紀さおり研ナオコと並んで、お笑い芸人顔負けのセンスをうかがわせるものでした。

 

そんな彼女も、21世紀に入ってからは懐メロ歌手のイメージ。

 

最近、熱烈なサッカーファンとして時々マスメディアに登場することはありますが、「本業」での活動を目にする機会はほとんどなくなりました。

2002年から9年間も、新曲が出せない時期もありました。

 

この「愛のせいで」は、2014年に発売。

現時点で、彼女の最新シングルです。

曲自体、初めて耳にされる方が100%だと思います。

 

男女の別れのシーンで、気丈にふるまう主人公を描いた詞の世界。

ポップな8ビートに乗せた覚えやすいメロディーライン。

キャッチ―なサビフレーズ。

特に「背中を向けたら 真っ赤っかの他人」の歌詞。

通常「赤の他人」という言葉はありますが、それをこのような形で表現・強調する歌詞フレーズは、メロディーとともに耳に残ります。

 

「オトナが聴ける歌謡曲のマーケットは、実のところ非常に小さいです。

 

一般的に、若い頃アイドルポップスに馴染んで来た世代は、トシをとっても演歌にシフトしたりはしない。

かと言って、今はやりの歌は難し過ぎてなかなか馴染めない。

それが、中高年層を「自分と一緒にトシを重ねて来た歌手への共感~懐メロ回帰」に走らせる要因なのかなと思います。

 

そう考えた場合、この楽曲は少なくとも曲調から見て、ある種「昭和歌謡」をイメージさせるような、それなりの「売れ線狙い」かと思ったのですが…

今はそういう時代ではないんですね。

これがもしも30年前だったら、少しは話題になっていたかもしれません…

長年のファンゆえの贔屓目だったのでしょう…

 

それでも、今のカラオケには「新曲」としてしっかり入っています。

そして「これが永遠の最新シングル」かもしれないと覚悟しつつ、大事に歌い続けています。

 

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皆様、お久しぶりです。「ブログの優先順位を考慮しつつ」限定的に活動再開のお知らせ

約2週間、ブログを休止していました。

本日から、また少しずつ再開しようと思うに至りましたので、お知らせします。

 

400日連続していた執筆を休止した経緯は、活動休止前の下記記事に詳しく触れています。

saewataru.hatenablog.com

 

直接的な要因は「体調不良」でした。

幸い「時節柄最悪の事態」は免れ、現在はほぼ普通に過ごすことが出来ています。

 

休止期間中も、ブログライフについて深く思いを巡らせていました。

連続投稿記録が切れた日、ブログからは「完全引退」するつもりでいました。

 

しかし、小学生の頃から「手書きの日記」で日常を「書く」ことが習慣になっているカラダからは、「書きたい」思いがまた沸々と湧き上がってくる面もありました。

 

はてなブログ」への復帰は、なにかと気が重そう。

そこで、書きたい衝動はTwitterに時々つぶやいたりしていました。

でも、それだけでは満たされないものを感じていたのも事実でした。

 

2週間も更新しなかったら、もう「さえわたるブログ」は世間から消えているだろう…

そう思っていました。

ところが、新規記事がなくても、アクセスは継続していました。

ブログの存在は、まだ「完全には忘れられていなかった」のです。

 

また、読者数も休止前から減るどころか、逆に増加していた…

これもうれしい驚きでした。

 

さらに、今般「復帰」に踏み切った大きなきっかけは、最古のご愛読者、ken-jさんからのTwitterによる直接メッセージでした。

執筆中どんな時もブクマコメントを下さっていたken-jさん。

「マイペースで良いので、再び記事を書いてみませんか?」

と。

www.ken-j.work

温かい言葉に背中を押され、心が大きく揺り動かされました。

 

とは言え、ブランクがあるとなかなか活動ペースが戻りません。

とりあえずは何十日分も「備蓄」していた「予約投稿」分の記事を順次載せていきたいと考えています。

従って、記事が載ってもその時点で「真にブログに関わっている」状態ではありません。

失礼の段、何卒お許し下さい。

 

一方で、体調以外の要因を心の中でクリアできないと、活動再開してもまた元の木阿弥になってしまう懸念も残ったままです。

 

最大の要素は、自分の人生と切っても切れない存在である「音楽活動」との関係です。

上記リンク記事内でも触れていますが、ブログ活動中、個人的にブログよりもじっくり時間を充てなければならない「音楽活動」に、明らかに支障が生じていました。

 

この2週間の休止期間、締め切りの迫っていた作曲やレコーディング作業に多くの時間を費やすことに優先的に取り組んでいました。

慌ただしいながら、「これこそ真に自分らしい過ごし方」であると実感しました。

このような充実した時間をブログによってダメにしてはいけない、と改めて感じました。

 

生活の中でのブログの「優先順位」を考慮しつつ、従前よりペースダウンして触れ合って行きたいと思っています。

 

わがままな形での復帰ですが、よろしければまたお付き合い下さい。

明日午前0時より、予約投稿記事をスタートさせます。