さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

ソロアイドル史第1章~1971年デビューからスタートなのはなぜ?

このシリーズ、かなり古い話になります。

若い読者の方々にとっては、生まれる前で知らないことばかりかもしれません。

でも、歌そのものはきっと今でもどこかで聴いたことのあるものが多いはずです。

今につながる「歴史ばなし」として、お読みいただけたらうれしいです。

 

ずっと前にも当然歌はありました。

しかし、戦後1950年代までのヒット曲は、今振り返って聴くと「演歌」のジャンルに入る「和モノ」が主流でした。


1960年代に入り「和製ポップス」という名称が登場し、当時の洋楽に日本語の歌詞を付けたものや、それに影響されて洋楽的アレンジを施した新しいタイプの楽曲が人気を博しました。

中尾ミエ「可愛いベイビー」、弘田三枝子「バケーション」などの洋楽カバー。

また、ザ・ピーナッツ(厳密にはソロではありませんが)「恋のフーガ」、園まり「逢いたくて逢いたくて」、伊東ゆかり「小指の思い出」、小川知子「ゆうべの秘密」、黛ジュン「天使の誘惑」、奥村チヨ「恋の奴隷」、佐良直美いいじゃないの幸せならば」、いしだあゆみブルーライト・ヨコハマ」、由紀さおり「夜明けのスキャット」、ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」(代表曲「喝采」が発表されたのは1972年)などは、それまでのヒット曲とは明らかにムードの違うものでした。

 

彼女らはいずれもデビュー当時10代後半ないし20歳前後。

現在アイドルと呼ばれる人たちとほぼ同じ年代でデビューしていますが、「歌唱力」「オトナ度」のレベルで当初からかなり完成度が高く、年代を問わず支持を受け、アイドルではなく純粋に「女性歌手」として認識されていました。

アイドルという名称に込められているのは、歌自体もさることながら、「見た目がカワイイ」「未成年で清純」「若者世代に人気」の要素が大きいと思うのですが(もちろん歌のうまさを兼ね備えたアイドルもたくさんいました)彼女らは「歌い手」ではあっても「アイドル」とは呼ばれませんでした。

 

むしろ今のアイドルにつながる現象は、1960年代後半の短期間、男性の方。

タイガーズ・スパイダース・テンプターズなどの、いわゆる「グループサウンズ」ブームでしょう。

その熱狂ぶりは、今のジャニーズ人気につながるものかもしれません。

ちなみに60年代ジャニーズ系では、名前まんまのジャニーズやフォーリーブスなどがいます(が、ソロではありません)。

そして1969年には「新宿の女」で藤圭子、「ダニエルモナムール」(ヒット作としては2曲めの「経験」)で辺見マリなどがデビューしていますが、やはりアイドルのイメージはありません。

 

上記の歌手たちとは明らかに異なる「若い(未成年)」「可愛い」「清純」のイメージで、初めて現在のアイドル誕生の元祖となったのが、1971年6月に「17才」でデビューした南沙織ではないかと思っています。

(歌のタイトルは「17才」だが、デビュー当時の彼女は16歳)

この曲がヒットすると、さかのぼって同年4月のデビュー曲「わたしの城下町」(アイドル風ポップスソングでなかった)がその年のシングルNo.1ソングになった小柳ルミ子や、12月に「水色の恋」でデビューした天地真理がくっつけられて「新三人娘」などと呼ばれ、彼女らは71年組の「アイドル」という名称で位置づけられることになったのです。

なお「三人娘」の元祖は美空ひばり江利チエミ雪村いずみの3人(古すぎる!)で、その後「ナベプロ渡辺プロダクション)三人娘」として上記の中尾ミエ・伊藤ゆかり・園まりがいます。

当時の男性「三人組」は、橋幸夫舟木一夫西郷輝彦の「御三家」。

ですから、郷ひろみ野口五郎西城秀樹は「新・御三家」と呼ばれるのです。

このうち野口五郎だけが1971年デビューで1年先輩に当たります。

その後出てくるのが「花の中3トリオ」です。

 

さらに1971年は、元タイガースの沢田研二がソロデビューした年でもあります。

以上が「男女共にソロアイドルの歴史は1971年から始まった」と感じる所以です。