さえわたる 音楽・エンタメ日記

はやり歌の世界、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、テレビ番組の感想、旅行記などについて綴っています

頼む際の言い方「乱暴⇒丁寧5段活用」。ここでも再び「いただく」が大活躍。「~いただきますようお願いします」は正しいのか?

人に何かの物事を「して欲しい」時。

頼む際のモノの言い方には、当事者たる相手との関係や話す時の状況によって、さまざまなレベルが生まれます。

 

基本は、自分より下、あるいは同じ立場であれば「軽いタメ口」で。

目上の人には「敬語を交えて」が原則ですが、事態がひっ迫している時には、丁寧な物言いをしている余裕がなくなり、敬語の度合いがワンランク下がったりします。

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言い回しを丁寧にしようとした場合、人によって微妙な違いが生まれてくることに、ちょっとした興味深さを覚えました。

 

「〇〇して」の5段活用

<レベル1>「〇〇しろ!」「〇〇しろよ!」

最も強い、「依頼というより、指示を通り越した命令」に近い言い方です。

通常の会話では、まず口にすることがありません。

たとえ相手が部下であっても、自分の子どもであっても、使いません。

 

<レベル2>「〇〇して!」「〇〇してね!」

これもまだ「依頼というより、命令や指示」のレベルに入ります。

しかし、たった1文字の差で、レベル1より格段にニュアンスが柔らかくなります。

「〇〇しておいてね!」のように語尾に「ね」を付けると柔らかい語感になり、通常の会話でも問題なく使えるようになります。

 

<レベル3>「〇〇して下さい!」

「下さい」を付けることによって、「丁寧さ」のレベルがグッと増してきます。

ただ、個人的にそれでもちょっと言いにくいなと感じるのは…

一見丁寧な言い回しながら、内容的には結局「反論の余地のない命令・指示」であることに変わりがない点。

相手の意向を考慮に入れない、一方的な言い方であるからなのだと思います。

 

<レベル4>「〇〇していただきたいです(いただきたく思います)!」

ここで、敬語の定番~「いただく」が登場します。

相手に「要求」している点では変わりがないのですが、「相手に〇〇して欲しい、自分からの要望感」が強く出ていて、それを表現上丁寧にしているだけなので、「敬意」がもう一歩こもっていない印象が残ってしまいます。

 

<レベル5>「〇〇していただけるとありがたいです!」

「自分に感謝の気持ちが生まれる」と伝えることで、相手の主体的な対応を促す。

自分が「下手」(したで)に出ることで、レベル4より「よろしくお願いします」感が強く発揮されます。

 

さらにこの「発展形」が2パターンあります。

 

<その1>「〇〇していただけますか?」

と、語尾を疑問形にすること。

自分はさらにへりくだって、相手に「意思決定の選択権」を与える体裁をとる。

と言いつつ、期待する返事はYesであることは決まっているのですが。

 

<その2>「〇〇していただきますよう、お願いします」

と、より直接的に有無を言わさず「懇願」してしまうパターン。

語尾は「お願いいたします」「お願い申し上げます」と丁寧にしても、基本形は一緒です。

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上記で、「レベル4」以降の言い回しでは

「いただく」

という言葉が登場しています。

 

日本人は、この「いただく」、あるいはその応用編である「させていただく」が大好きです!

saewataru.hatenablog.com

この言葉を入れさえすれば、うやうやしい表現になると思っているフシがあります。

そんな意識が強すぎるあまり、「そこまで頻繁に入れなくてもいいだろう!」と思うところまで、ことごとく「いただく」を繰り返し挟み込む。

却ってうっとうしく聞こえます。

 

さらに、多用以前の問題点として気になること。

「発展形その2」で挙げた

「〇〇していただきますようお願いします」

での「いただく」の使い方は、厳密に言うと文法的に間違っているのではないか、と思っています。

さまざまな場面で非常によく使われているこの言葉を聞くたびに、自分の中の「違和感センサー」がピクッと反応するのです。

 

結論を先に言ってしまえば、ここは「~いただきますよう」ではなく、

「〇〇して下さいますよう~」

が正しいのではないか?と。

 

敬語には、「いただく」を使う場面と「下さる」を使う場面が、本来ほぼ半分ずつあってよいはずです。

ところが、現代の日本人はその双方を区別することなく、まとめて「いただく」の言葉で表現している。

その結果、話し言葉の中で「いただく」が異様なほど多用され、蔓延している状態になっているのです。

 

「いただく」と「下さる」は、その意味・方向性が「逆」の言葉です。

敬語表現を外して考えれば、その違いがわかりやすくなります。

「いただく」⇒「もらう」。自分が相手から「〇〇してもらう」行為

「くださる」⇒「くれる」。相手が自分に「〇〇してくれる」行為

「いただく」は、「自分」が主語。

「くださる」は、「相手」が主語の言葉です。

 

そうした成り立ちを考えると、

上記の「レベル4」「レベル5」は、「自分が〇〇して欲しい」、すなわち「自分が主語」なので、一応本来の意味に沿っている。

しかし、「発展形その1」「その2」の「〇〇」は「相手が主語」なのに、「自分主体」の言葉「いただく」が使われている。

これが「違和感」の根拠です。

 

もう少し具体例を続けます。

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テレビ・ラジオで日常的に聞かれるナレーション。

「メールをお送りいただいた方の中から抽選で〇〇名様に、プレゼントを差し上げます」

メールを「お送りいただいた」のは、「相手」である視聴者・聴取者側ではなく「テレビ・ラジオ局」側、つまり「自分たち」。

送ってくれた相手」に対して素直に敬語表現するのならば、

「メールをお送りくださった方~」になるのではないか?と。

しゃべっているのは、「言葉のプロ」であるアナウンサーのはずなのに…

 

いつも聴いている番組だったので、実際にこのようなナレーション原稿でしゃべっていたラジオ局に「そこは『いただく』ではなく『くださる』ではないですか?」とメールを出したら、その翌日から原稿が修正され、「くださる」に言い換えられていました。

迅速で誠意ある対応に、スッキリしました。

(こんな投書をすること自体、「口うるさい頑固オヤジ」「モンスターリスナー」の入口だとちょっと反省もしましたが…)

 

もう一つ。

会合やイベントなどで、これもよく聞かれる主催者からの挨拶。

「本日は、大変多くの方々がお集まりいただきました」

「多くの方々」という「相手」が主語なのだから、相手が「集まる」という行為を敬語表現するのであれば「お集まりくださいました」とすべきところ。

どうしても「我々主催者側」を主語にして「いただきました」にこだわって結びたいならば、「多くの方お集まりいただきました」と、助詞を「が」から「に」に変える。

おそらく、しゃべり手の口からは文法や文脈など関係なく、「いただく」の言葉がDNAにすり込まれて無意識のうちに発せられているのでしょう。

 

両者の適切な「使い分け」が行われていないので、

「世の中『いただく』だらけ」

になってしまうのです。

 

本来文法的には間違った使い方「であった」はずのら抜き言葉

いまや、若い世代だけでなくシニア層にもすっかり定着してしまいました。

saewataru.hatenablog.com

 

これと同様、「『〇〇いただく』の乱発・なだれ現象」も「多数派の論理」に則って、シチュエーションに関係なく使われるのが「正解」になってしまうのだと感じています。

 

せめて自分が生きている間は、こうした言葉遣いは聞きたくなかったなぁ、と正直思いました…