人に何かの物事を「して欲しい」時。
頼む際のモノの言い方には、当事者たる相手との関係や話す時の状況によって、さまざまなレベルが生まれます。
基本は、自分より下、あるいは同じ立場であれば「軽いタメ口」で。
目上の人には「敬語を交えて」が原則ですが、事態がひっ迫している時には、丁寧な物言いをしている余裕がなくなり、敬語の度合いがワンランク下がったりします。

言い回しを丁寧にしようとした場合、人によって微妙な違いが生まれてくることに、ちょっとした興味深さを覚えました。
「〇〇して」の5段活用
<レベル1>「〇〇しろ!」「〇〇しろよ!」
最も強い、「依頼というより、指示を通り越した命令」に近い言い方です。
通常の会話では、まず口にすることがありません。
たとえ相手が部下であっても、自分の子どもであっても、使いません。
<レベル2>「〇〇して!」「〇〇してね!」
これもまだ「依頼というより、命令や指示」のレベルに入ります。
しかし、たった1文字の差で、レベル1より格段にニュアンスが柔らかくなります。
「〇〇しておいてね!」のように語尾に「ね」を付けると柔らかい語感になり、通常の会話でも問題なく使えるようになります。
<レベル3>「〇〇して下さい!」
「下さい」を付けることによって、「丁寧さ」のレベルがグッと増してきます。
ただ、個人的にそれでもちょっと言いにくいなと感じるのは…
一見丁寧な言い回しながら、内容的には結局「反論の余地のない命令・指示」であることに変わりがない点。
相手の意向を考慮に入れない、一方的な言い方であるからなのだと思います。
<レベル4>「〇〇していただきたいです(いただきたく思います)!」
ここで、敬語の定番~「いただく」が登場します。
相手に「要求」している点では変わりがないのですが、「相手に〇〇して欲しい、自分からの要望感」が強く出ていて、それを表現上丁寧にしているだけなので、「敬意」がもう一歩こもっていない印象が残ってしまいます。
<レベル5>「〇〇していただけるとありがたいです!」
「自分に感謝の気持ちが生まれる」と伝えることで、相手の主体的な対応を促す。
自分が「下手」(したで)に出ることで、レベル4より「よろしくお願いします」感が強く発揮されます。
さらにこの「発展形」が2パターンあります。
<その1>「〇〇していただけますか?」
と、語尾を疑問形にすること。
自分はさらにへりくだって、相手に「意思決定の選択権」を与える体裁をとる。
と言いつつ、期待する返事はYesであることは決まっているのですが。
<その2>「〇〇していただきますよう、お願いします」
と、より直接的に有無を言わさず「懇願」してしまうパターン。
語尾は「お願いいたします」「お願い申し上げます」と丁寧にしても、基本形は一緒です。

上記で、「レベル4」以降の言い回しでは
「いただく」
という言葉が登場しています。
日本人は、この「いただく」、あるいはその応用編である「させていただく」が大好きです!
この言葉を入れさえすれば、うやうやしい表現になると思っているフシがあります。
そんな意識が強すぎるあまり、「そこまで頻繁に入れなくてもいいだろう!」と思うところまで、ことごとく「いただく」を繰り返し挟み込む。
却ってうっとうしく聞こえます。
さらに、多用以前の問題点として気になること。
「発展形その2」で挙げた
「〇〇していただきますようお願いします」
での「いただく」の使い方は、厳密に言うと文法的に間違っているのではないか、と思っています。
さまざまな場面で非常によく使われているこの言葉を聞くたびに、自分の中の「違和感センサー」がピクッと反応するのです。
結論を先に言ってしまえば、ここは「~いただきますよう」ではなく、
「〇〇して下さいますよう~」
が正しいのではないか?と。
敬語には、「いただく」を使う場面と「下さる」を使う場面が、本来ほぼ半分ずつあってよいはずです。
ところが、現代の日本人はその双方を区別することなく、まとめて「いただく」の言葉で表現している。
その結果、話し言葉の中で「いただく」が異様なほど多用され、蔓延している状態になっているのです。
「いただく」と「下さる」は、その意味・方向性が「逆」の言葉です。
敬語表現を外して考えれば、その違いがわかりやすくなります。
「いただく」⇒「もらう」。自分が相手から「〇〇してもらう」行為
「くださる」⇒「くれる」。相手が自分に「〇〇してくれる」行為
「いただく」は、「自分」が主語。
「くださる」は、「相手」が主語の言葉です。
そうした成り立ちを考えると、
上記の「レベル4」「レベル5」は、「自分が〇〇して欲しい」、すなわち「自分が主語」なので、一応本来の意味に沿っている。
しかし、「発展形その1」「その2」の「〇〇」は「相手が主語」なのに、「自分主体」の言葉「いただく」が使われている。
これが「違和感」の根拠です。
もう少し具体例を続けます。

テレビ・ラジオで日常的に聞かれるナレーション。
「メールをお送りいただいた方の中から抽選で〇〇名様に、プレゼントを差し上げます」
メールを「お送りいただいた」のは、「相手」である視聴者・聴取者側ではなく「テレビ・ラジオ局」側、つまり「自分たち」。
「送ってくれた相手」に対して素直に敬語表現するのならば、
「メールをお送りくださった方~」になるのではないか?と。
しゃべっているのは、「言葉のプロ」であるアナウンサーのはずなのに…
いつも聴いている番組だったので、実際にこのようなナレーション原稿でしゃべっていたラジオ局に「そこは『いただく』ではなく『くださる』ではないですか?」とメールを出したら、その翌日から原稿が修正され、「くださる」に言い換えられていました。
迅速で誠意ある対応に、スッキリしました。
(こんな投書をすること自体、「口うるさい頑固オヤジ」「モンスターリスナー」の入口だとちょっと反省もしましたが…)
もう一つ。
会合やイベントなどで、これもよく聞かれる主催者からの挨拶。
「本日は、大変多くの方々がお集まりいただきました」
「多くの方々」という「相手」が主語なのだから、相手が「集まる」という行為を敬語表現するのであれば「お集まりくださいました」とすべきところ。
どうしても「我々主催者側」を主語にして「いただきました」にこだわって結びたいならば、「多くの方にお集まりいただきました」と、助詞を「が」から「に」に変える。
おそらく、しゃべり手の口からは文法や文脈など関係なく、「いただく」の言葉がDNAにすり込まれて無意識のうちに発せられているのでしょう。
両者の適切な「使い分け」が行われていないので、
「世の中『いただく』だらけ」
になってしまうのです。
本来文法的には間違った使い方「であった」はずの「ら抜き言葉」。
いまや、若い世代だけでなくシニア層にもすっかり定着してしまいました。
これと同様、「『〇〇いただく』の乱発・なだれ現象」も「多数派の論理」に則って、シチュエーションに関係なく使われるのが「正解」になってしまうのだと感じています。
せめて自分が生きている間は、こうした言葉遣いは聞きたくなかったなぁ、と正直思いました…