ヘタな川柳?「旅行なら スマホ見ないで 景色見る」。観光地にも「生活者」がいることを忘れないで欲しい
いまやあこがれの「旅行」。
結論から言ってしまうと、私の旅の目的はタイトルフレーズ。
まさにコレに尽きます。
鉄道の旅が好きなことは、これまでにも折に触れ記事に取り上げて来ましたが、列車での移動中は「ひたすら外の景色を見る」のが、旅の一番の醍醐味だと思っています。
「非日常」を味わう。
「何もしない」のが最大のポイント。
そのためには、車窓に流れる風景をボーっと眺めるのが、最高のゼイタクなのです。
旅先でも、歩きながら景色を「この目で見て、思い出に残す」のが好きです。
旅の足跡に、と数枚写真を撮ることもなくはないのですが、それも最低限。
そして、極力人のいないところ・タイミングを見計らっての「風景写真」がメインです。
若干自撮りに挑戦したりもしますが、なぜか満足できる表情で撮れることがありません。
誰もいない場所で「ハイ、チーズ!」の笑顔を作ることがなかなか出来ない…
「インスタやブログに載せるための撮影」に手間をかけ、旅の主目的にするのは、私にとっては主客転倒!
ベストショットを狙って、あれこれ工夫することに時間を割く…
確かにそれも楽しいかもしれません。
しかしそれよりも、めったに味わうことの出来ない、かつ時間の限られた貴重な「旅という非日常」の場で、「スマホいじり」という名の日常的な行為から、極力自らを解放させたいのです。
もちろん、これは自分自身の感覚。
旅に出かけたら「目に見える記念を残したい」気持ちも十分わかりますし、撮るか撮らないか、何を撮るかはそれぞれ自由で構わないのです。
しかし、
旅行者が撮影行為に夢中になるあまり、困った事態が発生していることに気づかない光景によく遭遇する。
そうした経験談が、今日の記事を書くことになったきっかけです。
私は東京在住ですが、家族の暮らす留守宅は、国内(あるいは世界的にも)有数の観光地・京都にあります。
しかも、有名な観光スポットのかなり近くに住まいがあります。
ふだんの生活動線が、観光客の活動ルートと完全にかぶっています。
生活のため普通に歩きたい歩道が、「映える」写真を撮ろうと思い思いに自分本位の動きをする観光客たちに、完全に「ふさがれて」しまうのです。
本来なら通り道になるスペースには、大きなキャリーバッグが無造作に置かれたまま。
旅行に限りませんが、自分のことに夢中になるあまり、周りの迷惑になっていることに気づかなくなっているひとつの例だと思います。
「観光地は、観光客のためのもの」という暗黙の了解が、どこからか出来上がっているかのようです。
スマホが誕生して以来、人は歩く際に、常にスマホを手に持たずにはいられなくなってしまいました。
それと共に、失われてしまったマナーもあるような気がします。
旅先では解放感も手伝って、それが一層増幅されているみたいです。
でも、もう後戻りのできない状況なんでしょうね。