さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

「なんでだろう?」だけで20年以上活躍するスゴさ~テツ and トモ

おとといコンビ芸人の記事をアップしながら、毎年のように「一発芸」でブレイクし、あっという間に消えていく芸人たちを思い起こしていました。

ピン・コンビに限らず、またヒットの大小にかかわらず、そうした芸人は星の数ほどいました。

 

「一発芸(ギャグ)」と言えば、「一瞬だけ売れて、すぐ消える」ことがセットになっているのが普通です。

しかし、実は「消えていない」芸人がいました。

そのうちのひと組が「テツ and トモ」です。

 

彼らのお決まりのギャグフレーズ

「なんでだろう?」

が流行り、紅白にまで出場したのは、今から17年も前の2003年でした。

 

その後数年で、他の一発屋芸人同様、テレビからの露出は確かに減りました。

 

しかしその後も、地方イベントや展示会でのいわゆる「営業」のオファーは絶えることなく、曰く年に200本ほど仕事があるとか。

流行語大賞になってマスコミで大騒ぎされていた頃よりも、現在の方が着実に「仕事のオファー」が舞い込んでいるそうです。

 

「消えない一発屋として、ものすごい実績だと思います。

 

誰もが知っていそうな、でも言われなければ興味を持たなさそうな素朴な疑問をネタとして拾ってきて、

「〇〇が〇〇なのはなんでだろう?」

とひたすら繰り返す。

パターンは一緒ですが、発想のアンテナを張ってさえいれば、ネタは無尽蔵です。

ブログで言えば「特化型」の代表かもしれません。

 

人を貶めたり、必要以上に自虐ネタを入れたり、ギャグとは言え相手の頭を叩いたり、といった「毒」がまったくありません。

老若男女問わず安心して楽しめます。

 

そして、ギターを持っての歌唱担当のトモはもともと歌手志望だったこともあり、さりげなく歌が上手い!

ステージ上では「セリフ」がなく、ただ動いているだけのテツも、実はきちんと歌えるのです。

以前、彼らが「お笑い抜き」で歌っているのを聴いたことがありますが、プロ歌手にまったく引けをとらない歌唱に驚いた記憶があります。

 

画像はおととしのお正月番組のようですが、テレビに出だして注目され出した頃からまったくトシをとっていない感じがします。

ここまで「ワンパターン」を貫くのは、別の意味でスゴイと思います。

 

オマケコメントですが、彼らの「テーマソング」を音楽的にプチ分析。

 

短調なのに全然暗さ・悲しさがなく、こんなにも明るく響くのは「なんでだろう?」

そして、結びの部分は華麗に長調に転調し、しかもしっかりハモっている、このハイテクニックは「なんでだろう?」。

 

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【懐かしい歌No.46】「マイ・ラグジュアリー・ナイト」しばたはつみ(1977)

しばたはつみ、1952~2010。

 

16歳で「はつみかんな」としてデビュー。

その後改名を繰り返して1974年、22歳の時に「しばたはつみ」として再デビューを果たしています。

 

今でも彼女を覚えている、という方がもしもいらっしゃるとしたら、1977年にクルマ(マツダ・コスモ)のCMソングとしてヒットしたこの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」の歌い手として、ではないでしょうか?

この年の紅白にも初出場を果たしています(リンクはその時のものです)。

 

ちなみに、この曲の前振りに名メッセージを発信している佐良直美も、また昭和の名シンガー。

かつ紅白常連の名司会者でもありました。

 

当時NHKでは「国営放送」であることから、CMソングは紅白の舞台では歌わせないルールになっていました。

その慣例を破ったのが、彼女のこの曲でした。

当時、それだけ話題を呼んだ楽曲でもありました。

 

70年代後半から80年代にかけては、CMのイメージソングとして、J-POPの楽曲が起用され始めた時代だった、とも言えます。

 

その中で最も典型的だったのが、化粧品のCMソングでした。

資生堂カネボウ(当時)・ポーラの主要メーカー3社が、おもに春・夏のシーズン前に、ファンデーションやリップの新作を発表。

そのBGMに、当時第一線で活躍していた歌手たちのシングルが多数使用され、商品も楽曲も話題を呼びました。

 

NHKの「規制」は、CM商品名だけでなく「歌詞」にも及びます。

ちょうど同じ頃、山口百恵「プレイバックPart2」がヒットしていました。

冒頭の歌い出しが

「緑の中を走り抜けてく 真っ赤なポルシェ」

なのですが、この「ポルシェ」が具体的な商品名であるため、NHKの歌番組では「真っ赤なクルマ」と変更させられていました。

(紅白では「ポルシェ」と歌っていましたが…)

 

さらに、松本伊代のデビュー曲センチメンタル・ジャーニーでは、この歌の一番のポイントである決めフレーズに

「伊代はまだ 16だから」

という部分がありますが、これまた「伊代」が固有名詞であることから、「わたしまだ 16だから」と歌っていました。

「なにもそこまで~」と思った記憶があります。

 

ところで、この「マイ・ラグジュアリー・ナイト」。

来生えつこ(作詞)・たかお(作曲)姉弟コンビの出世作でもあります。

ゆったりした、ジャジーなムードを持つバラードとして仕上がっており、しばたが魅力あるヴォーカルを披露しています。

 

厳密に言うとタイトルは文法的にちょっとおかしくて、本来は歌詞の通り「マイ・ラグジュアリー・イン・ザ・ナイト」とすべきところですが、そんなことは意識させない圧倒的なインパクトがあります。 

現代ではなかなか聴くことのできない、まさに「オトナのポップス」といった印象です。

こういう人こそが、まさに「プロ」の歌手なのだと思います。

 

ニンゲン中高年になると、みな「演歌」が好みになる…

そんな「大迷信」があります。

ポップスのジャンルがみなアイドルソング・アニメソングに席巻され、オトナが聴いてもヴォーカルの素晴らしさ・楽曲の奥深さをじっくり味わえる歌が出てくる幕がなくなってしまっているだけだと思います。

 

「オトナオトナ」連呼していますが…

彼女は当時25歳。

その若さで、この歌唱力・表現力!

しかも、「紅白」初出場のステージで。

ラストの「Night~」のロングトーンは、圧巻です。

 

メジャーデビューする前から、各地のステージでジャズやR&Bなど、ジャンルを問わず広く歌いこなしており、パワーを持つ歌手だっただけに、早世が惜しまれるところです。

 

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コンビ芸人の片方だけが売れたら、心情的にスムーズに続けていけるものなのか?

テレビをつけると、どの番組にも「芸人」があふれ返っています。

特に、コンビ芸人。

両手両足では到底数えきれないほど、それはものすごい数です。

 

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バラエティー番組のスタジオゲストには、ほとんど例外なく「芸人出演枠」があります。

コンビ双方が呼ばれている場合もあれば、片方だけ露出度が極端に高い時もあります。

 

彼らは、もともとは二人で漫才をするためにコンビを組んだはずです。

しかし、現在テレビでは「M-1グランプリ」や正月特番を除いて、本来の漫才を披露する「演芸番組」(演芸という言葉自体、今は使われなくなった表現ですが)はさほど見かけません。

 

「M-1」以外メジャーどころでは、「笑点大喜利前のコーナーや、不定期に放映される「エンタの神様」ぐらいしか知りません。

 

もちろん、テレビに出ているのは名の知れたごく一部で、テレビ以外のライブの舞台が活動の主体というコンビが圧倒的にが多いことは承知しています。

それでも、そうした「舞台」があるだけ幸せかもしれません。

 

スタジオゲストは、コンビならではの漫才という「本来の芸」を披露するのではなく「コメンテーター役」なので、必ずしも二人揃って出演する必要はない。

その場の雰囲気をうまくつかんだ面白いコメントが言えれば、ピンでも構わないことになります。

実際そういうケースをたくさん見ます。

 

元々コンビであるにもかかわらず、解散はしていないが、それぞれが違うフィールドで活躍出来ている場合は、話は別です。

きわめてレアですが、ダウンタウンホンジャマカのような場合です。

あのクラスになると、もはやコンビの存在自体不要にも思えます。

 

アンジャッシュバナナマン・オードリー・キングコングオリエンタルラジオなども、それぞれスタイルは異なりますが、うまくバランスをとってピンもこなしながらコンビの仕事と両立させ、双方がそれぞれに活躍している代表格だと感じます。

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そこまでのレベルではなく、コンビの片方だけが活躍して売れた場合、二人の関係はスムーズに続けていけるものなのか?と思ってしまうことがあります。

 

コンビのはずなのに、突出して一人だけ出演しているケースを、現実にたくさん見かけます。

どこまで真実かギャグかわかりませんが、「仕事量がどれだけ違っても、ギャラは折半」と言って笑いをとる芸人もいます。

 

おカネの面もさることながら、互いの人間関係としてどうなのか?

「〇〇じゃない方」と呼ばれるメンバーの感情はどんなものなのだろう?と。

もし自分だったら、羨望と嫉妬で「やってられない」気持ちになりそう。

まさに「余計な心配」をしてしまいます。

 

それでもコンビとして継続しているのは、二人の間にどんなに格差が生じても

「売れている相方あってこその自分なのだから、これでOK」

「相方がいてこそコンビが認知され、自分も食っていけている」

と割り切っているから、なんでしょうね…

デビュー曲は「売れ過ぎない」方が後に「代表作」が生まれる~年代別にトップアイドルの実績で検証してみた

歌手にとって「デビュー曲」の重みは、格別です。

本人にとっては「一生残る」大事な作品に違いありません。

もちろん聴く側にとっても、その歌い手の「第一印象」を決める歌になるわけですから、当然そのインパクトは大きい!

 

もちろん、デビュー曲からヒットした方が良いに決まっています。

 

ところが、過去の実績を振り返ってみると、

「デビュー曲は『爆発的でなくそこそこのヒット』の方が、その後長い活躍につながる

ことに気づきました。

 

つまり、デビュー曲が大ヒットし過ぎると、その後「尻すぼみの1発屋」になってしまう。

2作目以降、あるいは数年経ってから「代表作」と呼ばれる最大のヒットが生まれる方が望ましい、ということです。

結果論であり、「狙って出来る」ことではありませんけどね。

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この世に「歌手」は、星の数ほど。

ひとりひとりは、とても語り尽くせません。

 

この「法則」は、特に「アイドル」と呼ばれる人たちによく当てはまるように思えます。

歌謡界に「アイドル」という名称が登場し出したのは、1970年代に入ってから。

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そこで、その世代の方なら誰もが知る「トップアイドル」を取り上げ、デビュー曲といわゆる「代表作」との関係を検証してみました。

 

<70年代>

天地真理

1971年のデビュー曲は「水色の恋」。

しかし、大ヒットが続いたのは3作目の「ひとりじゃないの」以降。

中でも一番の代表作として現在語り継がれる曲は、デビューから3年目、7作目のシングルとなる「恋する夏の日」です。

野口五郎

1971年のデビュー曲は「博多みれん」。

なんと「演歌」でした。

これがヒットしなかったため、2作目からポップスに転向。

「青いリンゴ」が、アイドルとして最初のシングルとなりました。

しかしこれを知る人はいまや多くはない。

代表作「私鉄沿線」がヒットするのは、デビューから5年目の1975年でした。

郷ひろみ

1972年のデビュー曲「男の子女の子」からブレイクしています。

今でもこの曲が代表作としてよく紹介されます。

よって、数少ない「例外的存在」です。

ただし、アイドル初期の数多くのヒットを抑えて現在一番知られているのは、1984年「2億4千万の瞳~エキゾチック・ジャパン」や1999年「ア・チ・チ・ア・チ~」のカバーシングル「GOLDFINGER'99」かもしれません。

西城秀樹

同じく1972年にデビュー。

しかし、デビュー曲「恋する季節」の知名度は低い。

初期のヒットとして認知されている「激しい恋」や「傷だらけのローラ」が出たのは、デビュー3年目になってから。

今でも「ワイモバイル」CMソングに(替え歌で)起用されている代表作「ヤング・マン(YMCA)」は、1979年発売です。

山口百恵

引退し「伝説の歌手」となってから、今年で40年。

1973年のデビュー曲「としごろ」は、ファンのみぞ知る作品。

2作目以降路線変更し、当時過激な歌詞が話題となった「青い果実」や「ひと夏の経験」が初期のヒット作。

同じく、今でも黒霧島酒造のCMソングに(「くろっきりですか~」の替え歌で)起用されている「横須賀ストーリー」でブレイクするのは、デビュー4年目の1976年です。

「イミテーションゴールド」「秋桜」「いい日旅立ち」「プレイバックPart2」、どれも甲乙つけがたい代表作です。

桜田淳子

同じ1973年デビューながら、デビュー曲「天使も夢みる」はあまりヒットせず。

「ようこそここへ クッククック」で知られる初期の代表作「わたしの青い鳥」は、3作目のシングルです。

その後「はじめての出来事」「十七の夏」「しあわせ芝居」などのヒットを連発します。

岩崎宏美

1975年のデビュー曲「二重唱」(デュエット)も順調なスタートではありましたが、もっと売れて初期の大ヒットとなったのは、次のシングル「ロマンス」です。

アイドル脱却につながる代表作「聖母たちのララバイ」は、デビューから7年後の1982年に生まれています。

ピンクレディー

1976年「ペッパー警部」で鮮烈なデビュー。

ヒットはしましたが、今印象に残っているのは、2作目「SOS」以降の快進撃。

特に、デビュー翌年以降の発売となる「渚のシンドバッド」や「UFO」「サウスポー」ではないかと思います。

 

<80年代>

松田聖子

1980年のデビュー曲「裸足の季節」は、CMタイアップにもかかわらず大ヒットせず。

2作目の「青い珊瑚礁」の方が圧倒的にヒットしました。

「今も世間の印象に残る一番の代表作」と言えば、3年目(8作目)の「赤いスイートピー」でしょう。

ちなみにCDセールスのトップは、グッと時代が下って1996年の「あなたに逢いたくて~Missing you」です。

田原俊彦

1980年、洋楽カバーのデビュー曲「哀愁でいと」も話題にはなりましたが、2作目の「ハッとしてGood!」の方がはるかに知名度が高いです。

代表作「抱きしめてTonight」が生まれるのは、ずっと後の1987年です。

近藤真彦

1980年「スニーカーぶる~す」が、当時デビュー曲初のミリオンとして話題になる大ヒット。

しかし、現在最も人々の意識に残っているのは、むしろ翌1981年の「ギンギラギンにさりげなく」の方ではないかと思います。

中森明菜

1982年のデビュー曲「スローモーション」は、セールス的にはいま一つでした。

イメージチェンジした2作目の「少女A」で、一気に知名度がアップ。

その後「セカンドラブ」「禁区」「飾りじゃないのよ涙は」など立て続けにヒットしますが、レコード大賞2年連続受賞につながった「ミ・アモーレ」「Desire」(1985年・86年)が代表作と言えるでしょう。

小泉今日子

同じく1982年のデビュー曲「私の16才」は、あまりヒットせず。

最初のベストテン入りは、2年目83年の5作目のシングル「真っ赤な女の子」。

最初の1位獲得は、84年の「渚のはいから人魚」。

彼女の代名詞とも言える「なんてったってアイドル」は85年発売です。

 

<90年代>

SMAP

1991年のデビュー曲「Can't Stop!! -LOVING-」は2位どまりで、あまり知られていません。

最初の1位は94年「Hey Hey おおきに毎度あり」。

これらより注目されたのが、96年「青いイナズマ」98年「夜空ノムコウ」など。

そして、2003年の代表作「世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)」につながっていきます。

安室奈美恵

1992年のメジャーデビュー曲「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」は、ユニット「SUPER MONKEYS」の一員としてでした。

ユーロビートのカバー曲「Try me~私を信じて」で注目されたのが95年。

同年、小室哲哉プロデュース第1作、「Body Feels EXIT」が最初の本格的ヒット。

代表作「CAN YOU CELEBRATE?」が出るのは、デビューから5年経った97年です。

浜崎あゆみ

モデル業から転身し、歌手「浜崎あゆみ」名義での初シングルは、1998年の「poker face」。

翌99年「A」で、シングル初の1位を獲得していますが、代表作と言える「SEASONS」がリリースされたのは、さらに翌年の2000年です。

Kinki Kids

1997年のデビュー曲「硝子の少年」から、現時点で41作連続1位を獲得しています。

その観点では比較が難しいのですが、イメージ的に真っ先に思い浮かぶ代表作と言えば、やはりデビュー曲。

その点では、彼らも「例外的存在」です。

モーニング娘。

メジャーデビュー曲は、1998年に5人体制で歌われた「モーニングコーヒー」。

しかし、初の1位は3作目の「抱いてHOLD ON ME!」。

代表作「LOVEマシーン」は99年、7作目のシングルです。

1999年のデビュー曲「A・RA・SHI」から1位発進。

2007年「Happiness」や2008年「One Love」なども代表作候補ですが、デビュー曲のインパクトが絶大。

その意味では、彼らも「例外的存在」です。

 

<00年~>

AKB48

2006年のメジャーデビュー曲「会いたかった」がシンボリックによく取り上げられますが、セールス的に初めて1位を獲得したのは2009年の「RIVER」。

これらを上回るのが、以下の3作。

ヘビーローテーション」は2010年、「フライング・ゲット」は2011年、そして最大の代表作「恋するフォーチュンクッキー」は2013年です。

乃木坂46

2012年のデビュー曲「ぐるぐるカーテン」のみが2位発進。

インフルエンサー」は2017年、「シンクロニシティ」は2018年。

このあたりが代表作になるのでしょう。

最近はAKBの「公式ライバル」として本家をしのぐ勢いですが、今後これらを超える「話題作」が生まれるかどうか…

欅坂46

2016年のデビュー曲「サイレントマジョリティー」から1位。

これまで8作のシングルすべて1位を記録していますが、2017年「不協和音」中の「僕はイヤだ!」のひと言で、一気に代表作の座を獲得した感があります。

 

デビュー曲がさほど大きな話題にならなくても(ならない方が)結果有名になれる…

ほんの一部ですが、「法則」はかなり生きているようです。

【懐かしい歌No.45】「摩天楼ブルース」東京JAP(1984)

1982年にバンド結成しデビュー。

この「摩天楼ブルース」は1984年にリリースされました。

 

冒頭のクレジットにあるように、80年代の音楽シーンを彩った作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平という強力タッグによる楽曲です。

 

「大都会の夜のハイウェイ」

「妖艶なオトナの雰囲気」

を想起させるオシャレなサウンドが、なんとも魅力的に響きます。

冒頭コンガ(打楽器)から始まる、ちょっとラテン風味を感じさせる印象的なイントロ。

明確に刻まれる4ビート。

ハーモニカの音色から、そこはかとない哀愁も感じさせます。

 

作曲の筒美京平については、かつて単独の記事として取り上げているほど敬愛しています。

あのジャニー喜多川同様徹底して「裏方」に徹し、表舞台には出てくることのない作家ですが、彼の存在なしにJ-POPは語れないと言って過言ではない、ホントにスゴイ作曲家なのです。

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この記事では、アイドルポップスの第一人者的な書き方で紹介しました。

事実、特に70年代から80年代にかけて輩出した歌手の数がハンパない!

 

もちろん、アイドルだけでなく「オトナのポップス」でも名曲を手がけています。

リンク記事と重複しますが、特にレコード大賞を受賞した2曲

尾崎紀世彦また逢う日まで」(1971)

ジュディ・オング「魅せられて」(1979)

は、時代を超えて語り継がれて欲しい曲です。

 

そして、この「摩天楼ブルース」も。

Aメロ・Bメロ・サビが非常にクリアで、かつそれぞれが「覚えやすい」のが最大の特徴。

 

特に、タイトルフレーズが登場するサビ部分では、リードヴォーカルが

「まてんろうブルース…」

と歌う間に、バックコーラスが

「ウソのつけない~ 女はつらいね」

と「掛け合い」を演じている。

そして最後の

「Oh Baby baby blue」

では、3度の「ハモリ」で締める。

 

ソロヴォーカルでは決してできない演出が施されているのも、なんとも心憎いところです。

 

このような雰囲気のある作品も手掛けることが出来るなんて…

その作風の幅広さは、もはや天才の域も超越している、とただただ脱帽です。

残念ながら目立ったヒットにはなりませんでしたが、いま聴いても古臭さを感じさせない名作のひとつだと思います。

 

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ちなみに、画像中に時々「赤い矢印」の点滅する箇所がありますが、これは何か?!

実は、現在もDJとして活躍している赤坂泰彦が、このバンドのドラマーとして活動していたので、それを指し示しているのです。

【かなり懐かしい番組紹介】視聴者参加型クイズ番組の草分け「アップダウンクイズ」

  • MBS(大阪・毎日放送)・東京ではTBS系で、
  • 日曜日午後7時からの30分のゴールデンタイムに、
  • 1963年から1985年の長きにわたり放映されていた、
  • 「視聴者参加型」のクイズ番組

 

それが、アップダウンクイズです。

 

参加者6名がそれぞれ「ゴンドラ」と呼ばれる小さな箱の中に座る。

問題に正解するたびにゴンドラが1段ずつ(問題の内容によっては2段、3段)アップし、10問正解するとハワイ旅行と賞金10万円がプレゼントされる、というものでした。

 

ゴンドラの高さの凸凹が、笑点大喜利の座布団の多い少ないにも似て、ビジュアル的なインパクトにもなっていました。

 

海外旅行がまだ一般的でなかった時代。

ハワイ旅行は「夢物語」の代名詞でした。

 

また、番組開始当初の60年代前半といえば、大卒会社員の初任給が1万円台だった時代でもあります。

副賞「賞金10万円」はかなりの大金です。

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 番組のオープニングキャッチコピーは…

 

司会を務めたMBS小池清アナが、

「ハワイへのご招待。10問正解して、さあ、ハワイへ行きましょう! ロート製薬がお送りするアップダウンクイズ、私は司会の小池清でございます」

それに続き、小池アナが 「問題を読むのは佐々木さんです」 と紹介。
そしてアシスタントの佐々木美絵が 「皆さん、こんばんは(お元気でいらっしゃいますか)。佐々木美絵です、どうぞよろしくお願いします」。

ここまでが、台本通り一字一句違わぬ、毎回お決まりのセリフでした。

 

問題は時事ネタが中心。

スペシャルクイズとして、

「シルエットクイズ」(有名人ゲストのシルエットとヒントで名前を当てる)

「目で見るクイズ」

「音楽クイズ」

などがありましたが、いずれも現在のバラエティーにあるような「ボケ」の要素は一切なしの「正統派」番組でした。

かつ、かなりの難問が多く、夢のハワイ旅行のかかったまさに「真剣勝負」でした。

 

また、不正解が2度になるとゴンドラを出て「失格者席」に座らされ、他の回答者が誰も答えられなかった場合のみ回答権が回ってきて、それに正解して初めてゴンドラに戻れる、という厳しいルールもありました。

 

この番組で、一番ドラマチックだった場面。

 

それは、その時のゴンドラの位置がどこであろうと、たとえ9問まで正解し「あと1問でゴール」となった時でも、間違えるとゴンドラが一気にゼロまで落ちてしまう、というもの。

 

時間の限られている「早押し」方式ですから、回答者はみんな焦る。

焦るがゆえに、この「9問⇒ゼロ」のシーンがけっこう頻発するのです。

本人はもちろん、スタジオの観客席からも、思わず「あ~~!」とため息が出てしまう瞬間でした。

 

当時は「クイズ・グランプリ」タイムショックなど、一般視聴者参加型の「おふざけでない本当の」クイズ番組が華やかな時代でした。

現在そうしたスタイルを守りながら、レギュラーで生き残っているのは「アタック25」ぐらいでしょうか。

 

テレビを見ながら、一緒になって一般知識を考える「頭の体操」的な番組が少なくなって、ちょっと寂しい気もします。

 

この画像は、スペシャルで芸能人が回答者になっている回です。

ちなみに、シルエットクイズで出場している「佐藤寛子」とは、佐藤栄作元首相夫人です。

 

10問正解した立川談志の「心からうれしいのか、ガラにもなく緊張しているのか、恐縮しているのか」わからない表情が、なんとも印象的です。 

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種目別プロアスリートの「寿命」。どのスポーツも「現役期間」は人生のほんの一瞬

オリンピックを前に、さまざまなスポーツやアスリートたちがメディアで注目されてきています。

 

どの種目でもトップアスリートになるには、天性の素質に加えて血のにじむような日々の努力、そしてトレーニングを可能にする環境(経済的側面も含めて)が必要です。

我々がふだん目にしているアスリートは、選ばれた者の中のそのまたほんの一部なのだ、と改めて思います。

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オリンピック選手は基本はアマチュアで、どこかの実業団に属している場合が多いです。

 

めでたくメダリストとなって脚光を浴びる。

しかし、競技生活はいつか終わりを迎える。

どう「転身」を図るか?

 

そのまま、その道の「指導者」になる。

あるいは、タレントとして芸能界に進出するケースでは、引退後の姿を違う形で頻繁に目にする機会もあります。

しかし、それもこれまたほんの一部。

そうでない「普通の選手」はその後どんな生活をしているのだろう?と、ふと思いをはせます。

 

スポーツの世界はまずは体力勝負ですから、やはり「若さ」が一番の強みです。

華々しい「現役」でいられる期間は、通常数年から10数年程度。

 

人生の長さからすれば限りなく一瞬に近く、「その後」の方が圧倒的に長いはずです。

一度華々しく注目されて、「元・〇〇」として普通の平凡な生活感を持ち続けることが出来るのか?

 

種目によって、活躍できる期間も異なります。

それによって、「第二の人生」と呼ばれる時間も違ってきます。

 

たとえば、プロスポーツとして広く定着している「相撲」「テニス」「野球」「サッカー」「ゴルフ」で比べてみると…

もちろん選手による差が大いにありますし、「あくまで個人の見解」ですが、一般的に引退年齢で見た場合、

 

相撲<テニス<野球≒サッカー<ゴルフ

かな?と感じます。

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力士は30代前半、

野球やサッカーは40歳がひとつの節目

になるような気がします。

 

ゴルフは全然詳しくないのでよくわかりませんが、比較的中高年のプレーヤーが健在です。

現役選手として長く活躍できるスポーツ、と言えるのかもしれません。

 

ここで気になるのは、元力士に「人生そのものの寿命が短い」人が多いこと。

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他のスポーツプレーヤーは、もちろんガタイはイイけれど、あくまで一般人レベルにプラスアルファされた「イイカラダ」体型。

ところが、力士の体型はどう見ても「一般人」ではない。

 

体重が多い方が絶対的に有利な競技でしょうから、大抵の人は入門する前から太っている。

それをベースに、現役中は少しでも強くなるように無理な増量をする。

どんどん太ります。

絶対に肉体的負担がかかっていて、それが短命に結びついているに違いありません。

 

スポーツに限りませんが、「光」がある分、それと同様あるいはそれ以上の「影」もあるものですね…

また発覚した芸能人の薬物依存。お決まりの「初犯なら執行猶予」は適切な判決なのか?

つい先週、「事件を起こした芸能人の復帰劇」についての記事を書いたばかりでした。

 

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ここで3つ取り上げた犯罪をあえてランク付けした時、個人的な結論は以下の通りでした。

  • 「芸人の闇営業」は、相対的に軽い。
  • 「不適切な行為」は、中ぐらい。
  • 「薬物依存」の罪は、重い。

 

もし自分が強い力を持つインフルエンサーだったら、ここらで「甘い空気」を一喝したい…

そんな苛立ちも若干持ちながら執筆した記事でした。

 

そんな中、また芸能人の薬物問題。

あの槇原敬之に、1999年に続く2度目の薬物所持が発覚しました。

覚醒剤だけでなく、久しくその名前を聞くことのなかった「危険ドラッグ」の所持も、容疑に含まれていました。

 

現時点では、まだ「疑惑」とされているようですが、

「火のない所に煙は立たぬ」の言葉通り、おそらく事実なのでしょう。

 

世間の報道が深刻なコロナウイルス一色になっている中、それでもワイドショーではコロナウイルス関連ニュースのおよそ半分の時間をこの事件に充てています。

肺炎で一般市民の命が脅かされる大変なご時世にあっても、これだけ報じられるということは、とりもなおさず彼の存在感がいまだに相当大きいことを如実に示していると言えます。

 

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純粋なニュース報道では、事件発生のみを伝えていますが、主に芸能ニュースをネタにしたワイドショーでは、先週末の段階で早くもそれをネタにしてのさまざまなトークが展開されています。

 

本日日曜日は、そうした類のニュースバラエティー番組が目白押し。

きっと今日も、これから各局の番組でこの問題が取り上げられ、さまざまなゲストタレントが「テキトー」な持論(?)を述べることでしょう。

 

法律の専門家ではないのでよくわかりませんが、薬物事件に関しては、

「初犯の場合は、懲役1年半、執行猶予3年程度」

が定番になりつつあります。

 

有罪と言われながらも、「執行猶予」がつけば、その間「おとなしく反省している」ことを前提に、ほぼ普通の生活が出来ることになります。

生活していくために、仕事をすることも可能です。

傍目からは、「執行猶予」イコール「条件付き実質無罪」のようにも映ります。

 

先週の記事も触れましたが、

日本では薬物への認識が甘いように感じられてなりません。

 

おとといの夜に見たワイドショーでは、スタジオゲストコメントに加えて、恒例の「街の人の声」を拾うインタビューも一緒にオンエアされていました。

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この日の質問では、「薬物という重大な犯罪」に対して

「初犯であっても(執行猶予なしで)即懲役刑にすることに賛成か?反対か?」

を問うていました。

 

一応テレビらしく、街頭風景では「賛否両論」が同数ずつ紹介されていました。

 

賛成意見をひと言でまとめれば、

「執行猶予がつく限り、この種の犯罪は防げない。抑止力保持のために罪を重くすべき」

というもの。

 

これに対し、反対意見は、

「本人内部の問題で、直接他人を傷つけるなど迷惑をかけたわけではないので、即懲役は重すぎる」

「誰にでも間違いはある。初犯であれば、執行猶予で反省・更生の機会を与えるべき」

というものでした。

 

「街角インタビューのメッカ」渋谷における、一般人の意見です。

もちろん編集がなされているので、これだけではどちらが優勢か判断することは出来ません。

 

番組では、生放送中に視聴者アンケートも同時実施。

それによると、約6000通の回答のうち4分の3ぐらいが「即懲役に賛成」という意見でした。

 

海外では、薬物依存に対して死刑を含む極刑を課している国もあるくらいです。

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薬物を使用すれば、心身ともに「異常な状態」になることは間違いない。

そこでは「人間としての正常な判断力」も、おそらく失われているのでしょう。

 

「他人に傷害を与えてはいけない」という当然すぎる常識が、果たして理性で抑えられるものなのか?

異様な精神状態に陥ったがゆえに、二次的な事件が起きる可能性は、何倍も高いのでは?と思います。

起きてしまってから「再発防止策」とやらを検討するのでは遅いのです。

 

昨日の朝この記事を書いているので、ニュースの集中するこの土日でどんな議論が交わされるかは聞いていません。

 

でも、芸能界の同業者たちから「きっと発せられるであろう」と現時点で容易に想像できるコメント

それは、

「あれだけの才能を持ったミュージシャン。彼の音楽は好きだし、今回の事件で歌が聴けなくなってしまうのは寂しい」

的ニュアンスの意見です。

さらにエスカレートして、

「できるだけ早い時期に、ぜひ復帰して欲しい」

との意見も出かねません。

 

1990年にデビューした彼は、

「どんなときも」のブレイクをきっかけに、「もう恋なんてしない」「冬がはじまるよ」「No.1」「北風」「遠く遠く」などの大ヒット曲を連発しています。

初犯後、執行猶予が明けた直後の2003年には、平成最大のヒット曲「世界でひとつだけの花」を生み出しているソングライターでもあります。

 

歌作りを手がける者のはしくれとして、その「音楽性」だけを切り取れば、高く評価するところはあると思っています。

いくら事件を起こしても、彼の曲を聴いて育ち、純粋に「イイ歌だなぁ」と感じた人たちの意識から、その歌が消えることはありません。

数限りなく収載されているカラオケリストから、彼の曲が抹消されることもありません。

 

話題が事件に及ぶたびに、バックにはかつてのヒット曲が流れる。

期せずしてひとつの「宣伝」のようになっているのも、なんとも皮肉な現象です。

 

大騒ぎしておきながら、今後の捜査の展開次第で「嫌疑不十分」⇒不起訴になる可能性もあります。

ただ、「2度目」ということでのイメージダウンは避けられない。

 

しかしそれ以上に、「何度目であろうと」数年経ってほとぼりが冷めれば、何事もなかったかのように普通にふるまえる。

それが「ザ・芸能界」なのかな、とも思います。

【懐かしい歌No.44】「恋ほど素敵なショーはない」岩崎良美(1983)

5年前にデビューした姉・宏美を追って、1980年に「赤と黒」でデビュー

姉とは声質が似ているようでやはり違っており、でも歌唱力は折り紙付きでした。

 

デビュー同期に松田聖子田原俊彦河合奈保子・柏原よしえ(現:芳恵)などがいたこともあり、年齢的にもアイドルのレッテルを貼られてのデビューでした。

しかし、提供される楽曲やその表現スタイルは、ただの「カワイ子ちゃん歌手」(あ!「カワイ子ちゃん」なんて言葉は完全に死語ですね!)のレベルではありませんでした。

 

彼女のシングルのラインアップには、J-POP離れしたハイセンスで「玄人受けする」楽曲が並びました。

世間の捉える「10代の子はもっとカワイイ歌を歌っていれば売れる」イメージより一歩先行した印象だったのです。

「先を行き過ぎていた」がために、残念ながらセールスが伸びず、「代表作」と呼ばれるような大ヒットはなかなか生まれませんでした。

 

そんな彼女を一躍有名にしたのは、デビューから5年後。

国民的アニメの主題歌として採用された20枚目のシングル、「タッチ」。

それまでの作品とは方向性のまったく異なる、当時のアニメの主題歌らしい「覚えやすく親しみやすいアップテンポの曲」が(個人的には「皮肉にも」)ヒットに結びついたのです。

 

でも、私の個人的な興味は「タッチ」より前の曲にありました。

彼女が「タッチ」だけの歌手でないことをご紹介したくて、記事にしました。

 

この「恋ほど素敵なショーはない」。

 

1983年に発売された彼女の12枚目のシングルです。

37年前の曲とは思えないほど新鮮なサウンドが、そこには宿っています。

軽快な8ビートに乗せた欧風イメージのメロディーライン、ベースコードを多用した凝ったコード進行に、格調高い洗練されたムードが漂います。

 

楽曲面での一番の特徴は、激しい転調の繰り返しです。

 

具体的には、Dフラットから始まって、サビでDへ半音アップ、サビの中でDからCへ、CからBフラットへ、そして終わりはGへ。

ワンコーラスの中でなんと4回も転調し、5つのキーを使っているのです!

 

転調の仕方には音楽的にいくつかの基本的な「法則」があるのですが、この曲の転調はそんなルールを放棄しまくっています。

それでも音楽的に破綻していないどころか、逆に効果的なインパクトを実現している!

曲を作る者の観点から見ると、そこがスゴイ!です。

 

そんな目まぐるしいキー変更を追うだけでも大変なのに、サビでは8小節にわたって全部「英語」の歌詞です。

こう歌っています。

 

Why won't you say I love you
Like moviestars in our musical musical
Why won't you make me dream
Happy endin' like in our musical musical

 

単語単位で英語フレーズをひとつふたつ入れるのは当時もアリでしたが、これだけ長い「文章単位」での英語歌詞を見かけたことはありませんでした。

 

この超難曲を、何事もないようにさらっと歌いこなしている彼女は、やはりタダモノではありません。

シングルとして発表した制作陣にも、「名曲を世に出してくれてありがとう」と敬意を表したいです。

 

(上のリンクの方がシングル盤のオリジナル音源で音質が良いのですが、スマホで再生できない場合、あるいは歌唱シーンをご覧になりたい場合は、下のステージ歌唱版をどうぞ)

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

パスワードが覚えきれない。何か良い対応策はないのか?

ネット時代。

ID/パスワードの設定・管理は不可欠です。

 

ATMの4ケタの暗証番号。

「たかが4ケタ」と思いつつ、機械の前に立つたび

「定期的な変更をおススメします」

と言われると、けっこう焦ってしまう。

 

生年月日や電話番号などはNG。

個人的に馴染みのある数字で、そうそうふさわしい4ケタが生まれるものではありません。

結果、セキュリティ上本当はいけないなと思いつつも、最初に設定した番号をずっと使い続けてしまっています。

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これが「パスワード設定」になると、事態はもっと深刻です。

 

いろいろなサイトにアクセスし、ユーザー登録する…

もはや日常茶飯事のイベントです。

 

登録に当たっては、必ずパスワードの設定を求められます。

その条件は、ATM暗証番号の数字4ケタよりはるかに条件が多く、面倒なものです。

「最低〇文字以上にしろ」

「大文字と小文字を区別しろ」

「英文字と数字と記号を必ず組み合わせろ」

「3か月ごとに変更しろ」

などなど、言い出したらキリがありません。

 

使用者の立場から言えば、すぐに思い出せる共通のパスワードを使いまわしたいところです。

それが危険なことは十分承知しています。

 

しかし、なにせ何種類も使うとなると、

「あれ?このサイトのパスワードは、いろいろ設定していた中のどのパターンだったっけ?」

となってしまうのです。

 

基本的なパターンは、決めてあるのです。

それを披露できれば「お役立ち情報」になるところですが、なにせパスワードですから、さすがにそこまでは。

 

一番覚えやすいパスワードだったか?

大文字や記号を入れないとダメなパスワードだったか?

字数が何文字も必要なものだったか?

 

私だけダメダメ人間なのかもしれませんが、いつも迷います。

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覚えている範囲のパスワードをすべて試しても結局ダメ。

 

そんな人間のために、たいていのサイトにはご親切に「パスワードを忘れた方へ」のボタンが用意されている。

それを仕方なくクリックし、再設定の手続を行う。

しかし、何か月もそのサイトを使っていないと、ログインの際また「あれ?なんだったっけ?」の繰り返しになってしまう。

悪循環は、永遠に続きます。

 

スマホの「メモ」アプリに記録したものもいくつかあります。

ただ、もしスマホを落としたら?

落とさなくても、もし誰かに見られたら?

セキュリティ的に万全ではなさそう。

言い出したらキリがありません。

 

「ID/パスワード管理ソフト」なる代物もあるようです。

しかし、そのソフトを使うのにまた「ログイン時パスワード設定」を求められたりしたら、もう地獄です。

シングルサインオンが出来る管理ツールは、まだまだ企業向けのような印象もあるし、大切な個人情報をすべてそこに委ねるのは不安すぎます。

 

アナログで原始的ですが、

サイトごとに紙に書いて大切にしまっておく…

これが結局、セキュリティ上意外に安全なのかもしれません。

 

どんなに技術革新が進んでも、磁気媒体には「寿命」がある。

一方、各種の歴史的資料の存在が証明しているように、「紙」は半永久的に(少なくともひとりの一生よりははるかに長期間)保存が可能です。

 

でも、いまだに正解がわかりません。

どうしたら一番良いのか、果てしない旅が続きそうです。

香港・深圳10泊11日。土日を現地で過ごした海外出張苦闘記

これまでの海外出張歴については、先月下旬の記事で触れました。

前回は、人生で「最も遠くへ行った」出張記でした。

saewataru.hatenablog.com

 

今日は、史上「最も長い期間現地滞在した」出張の話です。

行先は、香港・深圳。

月曜日に出かけて、翌週木曜日に帰国。

プライベートでも経験したことのない「10泊11日」の超・長旅です。

 

最初3泊は香港です。

フライトは5時間程度。

仕事なのでプライベートは皆無でしたが、毎晩のディナーがささやかな「オフタイム」でした。

NYでマンハッタンの地を踏めたのは人生最高の思い出ですが、香港の「100万ドルの夜景」も捨て難い魅力です。

 

オフィスは街の中心部にあって、周囲は高層ビルだらけでした。

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たまたまホテルが「夜景スポット」の近くだったので、現地のガイドが景色の良いところを案内してくれました。

 

国内でも、札幌・函館・神戸・長崎…と、夜景の美しい街はいくつもあります。

ただ、さすが「香港はひと味違う!」。

そう感じたのは、とにかくライティングがカラフルなこと。

ビル自体が青・緑・赤とさまざまな色にライトアップされている。

そして、前面の水辺にライトの影が映り、絶景が2倍になります。

 

地上から見てこれですから、どこかのビルのテッペンから眺めたら、思わず息をのむ美しさでしょう。

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3泊4日ぐらいで終わっていたら、昼間は仕事に追われていても、出張をプチ海外観光旅行的に「満喫」出来ていたかもしれません。

実際、香港での仕事はまあまあ順調に運び、それほど大きな負担にもなりませんでした。

 

ところが、木曜日。

深圳に移動してからが「公私ともに苦難の連続」でした。

 

香港~深圳間は、鉄道で結ばれています。

JRの在来線特急列車のような車両に乗ること1時間弱で、深圳サイドに到着。

 

驚いたのが、駅に着いた途端の「イミグレーション」の存在です。

中国は「1国2制度」。

名目上「ひとつの国」でも、香港と本国はやはり別なのです。

 

同じ国内のはずなのに、とにかく「荷物チェック」が異様に厳しい!

空港では問題なくクリアしたのに、ここで引っかかりました。

どうやら原因は、ペンケースに入れていたボールペンの金属か爪切りだったようです。

 

その後、地下鉄に乗り換え。

かなりたくさんの路線があります。

でも、東京の複雑なメトロネットワークに慣れているせいか、それ自体にはさほど驚きません。

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厄介だったのが、改札前にも必ず「荷物検査」があること。

空港での検査と同様に、すべての荷物をベルトコンベヤーに載せなければならない。

これをすべての駅でやっていると思うと、ビックリ!です。

日本の地下鉄だったら、大混乱になるでしょう。

 

オフィスから徒歩ですぐのホテルを手配してもらっていました。

ですから、平日の朝はいつもの通勤よりかなり時間的に余裕があって、そこだけは助かりました。

 

ホテルは、けっこうな高層ビルの立派な構えです。

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セキュリティー面の配慮もあってか、海外では一等地のラグジュアリーなホテルの宿泊が認められています。

国内出張時のビジネスホテルでは、ベッド以外のスペースがほとんどない客室ばかりですが、こちらは申し分のない広さ。

それでいて宿泊料金は、国内と大きくは違いません。

 

客室内は、こんな感じ。

広々ダブルサイズのベッドで、隣にチェアまで置いてあります。

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ガラスのテーブルをはさんだ客室の反対側には、室内で事務仕事が出来るようなデスクも用意されています。

デスクは使うことなく、でもその横に置いてあるテレビにはずいぶんお世話になりました。

 

快適な部屋とは言え、同じ客室に「7泊」ですから。

これは相当長くて厳しい!

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深圳では、オフィスからさらにクルマで片道3時間以上かかる場所まで出かける仕事があったり(もちろん日帰り)、香港にはなかった少々面倒くさい交渉事があったりで、「公私の公」の部分がまずハードでした。

 

しかし、それと同様に大変だったのが、プライベート。

英語も通じない見知らぬ海外での「休日の過ごし方」

でした。

 

深圳に到着して金曜の夜まで、そして翌週の平日は、食事も含めてガイドがサポートしてくれます。

しかし、土日まではムリ。

出張ですから、事前に観光の予定など練る余裕などまったくない状態。

そもそも、仕事の疲れもあって、そんな気分にもなれません。

 

それでも、何とか過ごさなければならない。

 

まず困るのが「食事」です。

朝食はホテルのバイキングがあるので、OK。

中国ですからお米もあるし、中華のいろいろなおかずも口に合うものばかりでした。

売店で軽食も販売されているので、昼食もそれで済ませることは可能です。

 

ただし、「土日とも」となるとちょっと味気ない。

勇気を出して、近辺を散歩してみました。

 

ところが、もともとがビジネス街で、周囲は高層ビルばかり。

東京でもお目にかからないような超高層ビルもありましたが、「商業施設」の雰囲気はない。

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もう少し進むと、ガイドが「プチ原宿みたいなところ」と教えてくれたエリアがありました。

ファッション関係の商業施設がたくさん集まっていて、フードコード的なところもあったので、そこで食事をすることにしました。

幸い、番号の付いたメニューが壁に貼られていたので、指さしでなんとかオーダーは出来たのですが…

 

本当に、英語が通じません!

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夕食は、近辺で唯一日本語が通じると教えられたレストランへ。

日本料理を出す、ちょっと高級な「定食屋」でした。

日本なら1500円ぐらいだろうと思われる料理が、2倍近い価格でした。

 

通り沿いには、日本とまったく同じロゴのセブンイレブンが。

プチ夜食やお菓子がちょっと欲しくなって、入ってみました。

日本のように弁当が売られていれば…とも思ったのですが、「ナマモノ」はまったく置かれていない!

レンジを使うレトルト食品はありましたが、あいにくホテルの客室にはレンジの設備はない。

電気ポットはあったのを確認していたので、得体の知れないカップ麺を購入。

ラベルが読み取れないので、味がわからず。

ラーメンだと思ったら、担々麺風でした。

 

日曜日の夕方からは、ずっと部屋でテレビをつけていました。

どれを見てもすべて言葉がわからないので、BSのスポーツ専用チャンネルに合わせ、特に見たいでもないバスケやテニスの試合を観戦していました。

 

飛行機も、「行きはよいよい 帰りは…」状態。

往復とも全日空を手配したはずでした。

行きはその通り見慣れたブルーの機体でしたが、帰りはなんと「コードシェア便」。

深圳から羽田への直行便は、地元「深圳航空」しか就航していなかったのです。

日本語の話せるCAは皆無。

機内アナウンスも中国語と英語のみ。

疲れが倍増しました。

 

そんな悪戦苦闘の連続でしたが、今となってはどれも懐かしい、良い思い出です。

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【懐かしい歌No.43】「トーキョー・バビロン」由紀さおり(1978)

現在の由紀さおりの一般的なイメージといえば…

 

実姉の安田祥子とのコンビで童謡を歌う、

あるいはテレビでガックリ来た時や悲しい時にBGMとしてよく流れる

♪ルーールールルルーーの「夜明けのスキャット」の歌い手、ぐらいでしょうか?

メロディーは耳にしていても、その声の主は知られていないのかもしれません…

 

しかし、1969年に発売されたデビュー曲であるその「夜明けのスキャット

1番すべて歌詞がなく、「ルルル」「ラララ」「パパパ」「アアア」だけで構成されている。

きわめてユニークな作りが、大きな波紋を呼びました。

デビュー曲にしてミリオンセラーを記録する大ヒットでした。

発売後40年以上経って、アメリカでリバイバルヒットもしています。

 

幼い頃から(ソロの)童謡歌手として活動。

その後ポップス歌手に転向してからも

「枯葉の街」「生きがい」「初恋の丘」「手紙」「挽歌」「ルームライト」

など、多くのヒット曲を残しています。

 

姉と二人で童謡「赤とんぼ」を歌う姿が注目されるようになるのは、それからずっと後になってからです。

童謡歌手デュオとしても、そうなる前のポップス歌手としてのソロでも、「紅白」常連組だった…

異色のキャリアの持ち主です。

 

また、かつてのお笑いの第一人者「ザ・ドリフターズ」のレギュラー番組(「8時だヨ、全員集合!」や「ドリフ大爆笑」)では、研ナオコ小柳ルミ子などと並んで、芸人顔負けのコントで笑いをとる名コメディエンヌの顔も持っていました。

特に、志村けん(現在の「バカ殿」シリーズに通じる)とのやりとりは「絶品」でした。

 

上記に挙げた数々のヒット曲はいずれも好きですし、愛唱歌でもあります。

しかし、その中でも歌っていて最も「歌い甲斐」があると感じるのが、1978年に発売され紅白でも披露されたことのある、この「トーキョー・バビロン」。

 

「バビロン」とは、古代メソポタミア文明時代に栄えた都市の名前。

それが「東京」と結びついてタイトルになるのが、なんともユニークです。

 

曲調は、全体的にはハイセンスで大人のムード漂う都会的なポップスに仕上がっていますが、「歌い甲斐」があるとは具体的にどういうことか?

 

とにかく「音を取るのが難しい」歌なのです。

「歌う歌」というより「器楽曲」のようなメロディー運びです。

 

歌い出しの歌詞、

「星まで届くガラスのエレベーター」の「ガ」で音が飛ぶところ。

細かい16分音符続きのメロディーの中では、なかなか正確な音程が確保出来ません。

 

同様の現象は、サビでも。

「『バ』ビロン『バ』ビロン ト『ウキョウ』 あい『が』すみばしょ『を』なくしたまち」

音の上下動がハンパない!

この「飛び方」が、この作品の魅力でもあるのですが。

 

それをオシャレに難なく歌いこなす彼女は、当時まだ20代でした…

天性の美声が響きます。

ステージでの表情も、余裕たっぷりです。

 

www.youtube.com

 

 

 

「闇営業」・「不適切行為」・「薬物依存」をあえてランク付けするなら?話題となった芸能人の「復帰」に思う

今日は、タイトルの3つの事件について述べたいと思います。

 

まずは、昨年「ウラ流行語大賞になりそうだった吉本のいわゆる

「闇営業」問題。

 

発覚から半年以上を経て、事件そのものに対するマスコミの大騒動はようやく決着し、現在は「主要な当事者」たちの「芸能活動再開」に視線がシフトしています。

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事件にかかわった13人のうち、特に注目を浴びたのが宮迫博之田村亮の2人であることは間違いないでしょう。

 

現在のマスコミの論調・一般世論も含め、田村亮の復帰に対しては、相方・田村淳の絶妙のサポートもあってか、概ね好意的に捉えられている。

これに対し、宮迫博之に対しては

「なぜこのタイミング?」

「なぜYouTube?」

といった疑問が投げかけられている印象があります。

相方・蛍原徹には、もちろん何の罪もありません。

 

私も、この空気を違和感なく受け入れている感じがします。

この2人に対する「事件前からの好き嫌い」も、潜在的に影響しているのかもしれません。

宮迫の方がより「主犯格」だったせいかもしれません。

 

彼らの行為が、芸人として、それよりも社会人として相応しくなかったのは言うまでもありません。

 

ただし、「闇営業」自体が行われていたのは、報道の5年も前のこと。

法律的に問題ではあるのでしょうが、すでに「時効」が成立しています。

 

また、報道過熱時は「ウソをついた」云々がずいぶん大きく取り上げられました。

行為自体を、「故意か過失か」という点で考えた場合…

当然、故意の方が過失より悪質性は高いと言えます。

この行為は「故意」に近い部分もあるかもしれませんが、しいて言えば「過失」性の方が強い、と見ています。

彼らに対して課せられた罪は、懲役ではなく「社会的制裁」です。

 

それらをすべて含めて、事件発覚から半年以上経って、今のタイミングでの復帰は「妥当」「許容範囲」と言えるかな、と感じています。

タイトルに挙げた3つの事件を、個人的にあえてランク付けするなら、罪は「小」です。

本格的な展開は、まだまだこれからではありましょうが。

 

 

次に、それより深刻だと思うのが、これもいわゆる

「不適切行為」と呼ばれるものです。

 

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事件に及んで、芸能界を「無期限活動停止」処分となった小出恵介が、NYで復帰すると先日報じられました。

 

事件自体が2017年のことだったので、その後のニュースに紛れて忘れかけていたところでしたが、当時の論調では、

「刑事事件になる可能性はなくとも、芸能界復帰は難しいのではないか?」

がメインだった気がします。

結局、法的には示談が成立して一応一件落着になった、とか。

 

今回の復帰劇には、もはや芸人としてではなく別の分野で「レジェンド」になりつつあるキングコング西野亮廣の力が大きかったとされています。

しかしそれ以上に、彼を主要キャストに起用することを容認した制作サイドやスポンサーの影響力の方がはるかに大きいはずです。

 

これも「闇営業」問題同様、もう十分な「みそぎ」は済んだとの判断がされているのでしょう。

 

女性問題と反社問題、どちらが深刻なのか、一概に比較は出来ないところがあります。

ある程度共通するであろう「不適切行為」に絞ると、古い話をほじくり返すようで心苦しいですが、TOKIO山口達也を思い出してしまいます。

 

彼は事件発覚後の会見で、「出来ることならば、もう一度グループで活動したい」旨の発言をしていた、と記憶しています。

しかし、結局それは許されなかった。

 

逐一名前は挙げませんが、過去にも同罪の芸能人は多数存在します。

復帰した人間もいますが、イメージ悪化が影響して結局「消えてしまった」人の方が多い気もします。

その差はどこにあったのか?

行為に関して、罪の重さが決定的に違ったのか?

悪質度のランクをあえて付けるなら、「中」です。

 

 

そして、最も罪が重い「大」クラスと考えられるのが、3つめの

「薬物依存」です。

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くしくもほぼ時を同じくして、ピエール瀧沢尻エリカがワイドショーの話題になりました。

ピエール瀧は、来年公開予定の映画に起用されることになったとして。

そして沢尻エリカは、裁判で有罪が言い渡されたとして。

 

裁判の結果は同じ。

2人とも「執行猶予」が付きました。

これまた2人とも、使用歴が1年2年程度にとどまらない悪質性の点で共通しています。

 

有罪となっても、執行猶予中は「仕事をしても良い」ことになっているようです。

その点で言えば、ピエール瀧が「仕事を再開」することは、法的には問題がないということになるのでしょう。

 

事件発覚から1年も経たないタイミングでの「復帰」公表

ワイドショーでの野次馬コメントの中に、

「彼のキャラクターが、制作上どうしても必要だったから」

というものがありました。

本当でしょうか?!

同じ芸能人には、彼を擁護する発言が目立ったように思います。

 

一方、沢尻エリカの方は「現時点では」女優復帰は考えていないとコメントしています。

ただこれも判決直後の段階での発言であり、「ほとぼりが冷めれば、いつかどこかで」の疑念は拭えません。

早くも復帰?の一部報道もあるくらいです。

 

特に芸能界は「需要と供給」の世界です。

ニーズがありさえすれば、すぐ同じフィールドに復帰できるイメージが出来上がっています。

一般人でも「ファン」であれば、たとえ「罪人」であっても応援したくなるものなのでしょう。

多数の「前科者」たちが、何事もなかったかのようにテレビに顔を出し、ライブステージで活動しています。

 

視聴者感情とは別の観点からの懸念もあります。

何十年もの依存経験が、身体的に1年で完全に払拭されるものなのか?

同じ芸能活動の現場にカムバックして、また誘惑の手が伸びてくる可能性はないのか?

 

これが「一般の社会人だったらどうなのか?」とも考えます。

 

会社勤めの人間だったら、常識的に考えて同じフィールド=元の会社に居続けることはおそらく出来ない。

それどころか、普通の生活自体もはや送れないのでは?と。

 

ただひと言、芸能界は「甘い」。

そう感じます。

10回以上訪れた城ヶ島の絶景~全都道府県旅行記・神奈川県その3

神奈川県・三浦半島の突端に、城ヶ島という小さな島があります。

 

京浜急行で品川から最速1時間強、横浜からだと45分ほどで終点の三崎口駅に到着、そこからバスに乗り換えて30分ほど。

途中、マグロ漁港として有名な三崎漁港を通過。

さらに進んでいくと、大きな「城ヶ島大橋」を渡って島にたどり着きます。

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この城ヶ島に、これまで10回以上行っています。

確かに海の景色は良いし、都心からそう遠くないし、電車に乗るのはもちろん好きだし…。

ただ、いくら好きでもそれだけでは説明しきれない理由が。

 

私は高校生時代、部活としてオーケストラ部に所属していました。

毎年3月には、定期演奏会なるステージを踏むのですが、それに備えて本番の2週間ほど前に「春合宿」を行っていました。

その合宿先が、当時城ヶ島にあったユースホステルだったのです。

 

1週間貸し切りにして、メンバー100人程度が十分泊まれるくらいの部屋数がありました。

周囲には民家もないので、練習でうるさい音を出しても迷惑にはなりません。

おまけに安価。

ということで、3年間同じ時期に、同じ目的のために通い続けました。

 

食堂の机や椅子を、練習のたびに片付けて「広場」を作ります。

終わればまた戻して、毎日食事どきにはみんなでワイワイ大騒ぎ。

寝室は2段ベッドの4人部屋。

1週間、夜まともに眠った記憶がありません。

それでも、昼間のハードな練習がまったく気にならなかった。

「若さ」とは、本当に素晴らしいものです。

 

大学に進んでからも(高校は附属で同じ学校だったため)、1年生から3年生まで3回、OBとして演奏会へのゲスト出演を依頼された関係で、春合宿にも同行。

つまり、合宿としてだけで6回かよったことになります。

 

その時は練習オンリー。

本番前ゆえ「猛特訓」の缶詰め状態で、建物から外に出ることもほとんどありませんでした。

食事も、ユースホステルで全食提供してくれました。

 

しかし、OBとして参加した際はいくらかの自由時間が持てたので、周囲をちょっと散策してみました。

すると、歩いてすぐのところに自然豊かな城ヶ島公園」がありました。

 

遊歩道をしばらく進んでいくと、断崖絶壁の場所から太平洋を見渡せる展望台が。

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東京湾とは思えないほどの絶景が、そこには広がっていました。

付近には海鳥が悠々と飛び回っている。

 

さらに少し歩くとずっと下まで下りられるようになっていて、険しい岩がそそり立つ水際まで進むことができます。

辺りに人の気配はまったくない。

京浜急行終点のひとつ手前・三浦海岸駅は海水浴用のビーチとして有名。

観光客も多くて開けているのですが、たったひと駅進むだけで風景はまったく変わります。

 

都心からそんなに遠くないところにこんなスポットがあるんだ!と一気に魅了された私は、それ以降も何度かプライベートで城ヶ島に出かけ、海の絶景と青春時代の思い出に浸っています。

 

ひとつだけ残念なのは、「想い出の地」であるユースホステルが解体されてしまったことです。 

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毎日の投稿記事をご訪問の上、ブクマ・スター、そして時にはコメントを下さる読者の方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そうやって丁寧に読んでいただけている証を目にするたび、「読者登録」していただいていることの重みを、改めて実感しています。

 

スターを付けて下さる方々とは、ほとんど「相互連携」状態にあります。

「購読中のブログ」欄に新着記事が掲載される分は例外なく読みに行き、必ずスターやブクマを残します。

 

ところが、自分の記事を見ると…

スター人数のトータルとPV数に、けっこうな差が生じる場合があります。

アクセスはしてみたけれど、「足あと」を残すほどの記事ではなかった、ということでしょう。

 

そう考えると、自分自身の不徳の致すところで、大いに悔い改めなければならない点なのですが…

 

それとは別の疑問として出たこと。

そもそも、

「登録読者以外のアクセスがどこから寄せられているのか?」

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「最近のアクセス傾向」 を見れば、だいたいの比率はわかります。

たいていは「はてなブログ」がトップ。

GoogleやYahoo検索の名前も常にあります。

しかし、具体的にパーセンテージが何個のPV数に相当するのかがわからないのです。

 

コンスタントなアクセス元としてあるのが、いくつかカテゴリーを設定登録しているブログ村からの流入です。

非常にニッチですが、上位にランクインしている領域もあるので、記事の内容によっては、同じ趣味を持つ読者さんが読みに来て下さっているのかもしれません。

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そんな中アクセス元として今回注目したのは、本当に「今さら」なのですが、ブログを始めるまでほとんど意識していなかったTwitterとの関係です。


私は予約投稿のため、毎回「編集オプション」で投稿日時を指定しています。

それと同時に、半ば機械的な動きでTwitterに投稿」にもチェックを入れるのが習慣になっていました。

 

私にとってのSNSは、「はてなブログ」と「Facebook」で精一杯。

それ以上手を広げると、破綻が見えています。

従って、Twitterの優先順位はきわめて低かった

 

数年前にアカウントは作ったものの、独自のつぶやきはしていませんでした。

ブログを開設したことで、初めて記事シェアによってTwitterとのつながりがスタートした、そんな状態でした。

 

それでも、毎日投稿の成果なのか、けっこう頻繁に通知が届きます。

「いいね」だけでなく、個別にメッセージも届いたりします。

それをきっかけにフォローしてみると、驚くほどあっさりフォローされたりする。

 

はてなブログ」でひとり登録読者を得るのは、とても大変なことです。

こちらが相手の記事をいくら気に入って登録しても、いくら読んでも、まったくリアクションがないことは日常茶飯事。

「相思相愛」になることは本当に難しいです。

 

それと比べてはいけないのでしょうが、

Twitterでは…

「手当たり次第に」フォローしているつもりはまったくないのですが、気が付くとフォローも被フォローも蓄積。

Twitterを使いこなしているとはとても言えない私にしてはもったいないほどの数字になります。

 

このフットワークの良さがTwitterの特徴なのか?と、改めて思いました。

 

Twitter投稿記事の下に付いている「ツイートアクティビティ」。

ふだんほとんど見ていなかったのですが、試しに覗いてみると…

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「インプレッション」欄=ツイートを見た回数。

ブログで言えば「アクセス数」に近いものと思われますが、この数がブログと比べてハンパなく多い!

また、「リンクのクリック数」欄にも、そこそこの数字が「溜まって」います。

 

はてなブログ」公開と同時にシェアしているTwitter上のリンク記事がクリックされ、それがアクセス元になっていたのです。

なるほど、腑に落ちます。

 

ある意味当たり前のことを意識していなかった自分が間抜けで、お恥ずかしい話なのですが…

こんなに影響力があるとは想定していなかったので。

 

 

アクセス数云々よりも、Twitter連携でプラスアルファされた新たな「楽しみ」が、

「個別メッセージ」機能

です。

読者全員にオープンになるブログ上のコメントとは違って、当人たちだけのやりとりが行えますから、より深い関係になれる気がします。

(別に、内緒話をするつもりではないのですが…)

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購読中のブログの中には「お問い合わせ先」が設定されている記事もあります。

時々、「個別に問い合わせたいなぁ」と思うことがあるのですが、そのためには「メールアドレス」を入力しなければなりません。

すると、アドレスに連携して登録している「本名」で、相手方に送信されてしまいます。

芸能人でもないし、後ろめたいことがあるわけでもないのですが、やはり二の足を踏んでしまう。

  

その点、Twitterはアカウント名でやりとりできるので、実に手軽かつ便利です。

ブロガーさんの中で個別にお話ししたいと思う方々とは、フォローし合ってつながっています。

もちろん、ブログ上で日々交信は出来ているけれど、より仲良くなれた気がします。

 

事前にご了承を得た上、Twitter相互フォローから個別メッセージ交信が実現した「毎日更新」の尊敬すべきブロガーさんをお二人ご紹介します。

もちろんブログでも「相互訪問」関係にあります。

 

<ken-jさん>(ブログ名:ken-j's diary)

www.ken-j.work

現在活動中の登録読者さんの中で、「最古」のつながりになっているのが「ken-jさん」です。

私の中では、特定のテーマを定めない「雑記型ブログ」の代表と認識しています。

毎晩20時半に更新。

食事中だったりテレビを見ていたりする時間帯ですが、この時刻には必ず記事を拝読するのが習慣として定着しています。

なにせテーマが広範なので、毎晩「何が出てくるのか?」が最大のお楽しみ。

ただし、根底に流れる一貫したスタンスとして「読んで『なるほど!』と思われる情報の提供」があります。

お仕事も含む日常生活における、あらゆる「何?なぜ?」を貪欲かつ積極的に拾い上げ、記事にまとめて見せて下さいます。

ブログライフ自体についても、節目での実績ご報告や、より実りある活動を展開するための取り組みを随時披露して下さっています。

微笑ましいご家庭の話も時々登場。

さらに最近は、春に本番を迎えるフルマラソンへのチャレンジに注力されるそうで、ランニング関係の記事が多くなっています。

親しみやすい「日記」風の文章で、長い期間読んでいるうちに、文面からその誠実なお人柄がよ~く伝わってきます。

Twitterアカウント名は「なるほど!ケンちゃん」なので、私の中のイメージはすでに「ケンちゃん」。

ブクマコメントでも、つい「ケンちゃん」と呼びかけてしまいそうになります。

私が「毎日更新」を続けていられる目標となっている、信頼のおける大切な方です。

 

<radiomusicさん>(ブログ名:ラジオと音楽)

www.radiomusic.jp

一方、「特化型ブログ」の典型と言えるのが「radiomusicさん」です。

毎朝7時、時報代わりの更新。

お名前・ブログ名「そのまま」で、ラジオ番組を題材にしての数々の楽曲を紹介していらっしゃいます。

リソースとなる番組は複数ありますが、とにかくハンパないのがその「取材力」。

洋楽のR&Bソウル・ジャズを中心として、毎回ひとつの番組をベースに、余すところのない情報提供と解説を展開されています。

私のブログも半分は「音楽」ですが、邦楽とクラシックがメイン。

自分に足りていないところを「痒いところに手が届く」がごとく埋め尽くして下さると共に、音楽の「幅広さ」を実感させて下さるブログです。

ジャンル問わず、「音楽っていいな!」と改めて思います。

初めて目にした時から一貫して「ブレない」ご執筆スタンスには、ただただ敬服しかありません。

それが、毎回たくさんのレスポンスを集めていらっしゃる所以だと思います。

記事の性格上、ご本人の「個人情報」はなかなか見えにくいですが、プロフィール欄にある「昭和のオヤジです」のひと言に、勝手に親近感を抱いています。

メッセージでつながってからはまだ日が浅いですが、短い文面にも律儀なお人柄がしのばれる思いのする方です。

 

ちなみにTwitterでは、ブログ記事では言えないホンネも、たまにボソッとつぶやいています。

つい先日の記事も、140文字のつぶやきがきっかけでした。

それを膨らませて、記事にしました。

saewataru.hatenablog.com

「ホンネ度が高かった」せいか、ふだんのブログ本記事の連携投稿よりも多くの反響がありました。

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