さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

「副業ブログ」PR記事に遭遇して「超極大にざわつき」ながらも、感謝した話

「ネット上の日記」であるブログは、自分で書くことはもちろん、オープンにされたいろいろな人の文章を読むことが出来るのが大きな特徴であり、魅力でもあります。

 

毎日、さまざまなブログを「ほぼ」楽しく読んでいます。

わざわざ「ほぼ」を付けたのは、ごくまれに

「心がざわつく」

記事に遭遇するからです。

 

その内容は、「ざわつき度」の大中小ランクを付けて、つい先月記事で詳述しました。

saewataru.hatenablog.com

 

この時、「ざわつき度:極大」として取り上げたのが

「ブログで月に〇〇円稼ぎました」と「収益額報告」を行っている記事です。

 

つい先日、この「極大」にさらにオマケが付いた

「超極大ざわつき記事」

に遭遇したのです。

その「超」の中身とは?

 

これが「他の分野の収益」であれば、きっと何の感情も湧かなかったのだと思います。

 

たとえば、本業である「仕事」。

なぜなら、誰しも仕事をしておカネを得ている、すなわち「収益を上げている」のですから。

そもそも、「仕事でいくら稼いでいる」なんて記事を、ブログにアップするはずがありません。

 

また、たとえば(自分は買いませんが)「宝くじ」が当選して、何十万何百万単位の高額収益を得たとします。

当たったことを記事として公開するでしょうか?

私だったら、ブログどころか、家族にさえも秘密にして小ずるくお小遣いにしてしまうかもしれません。

 

ところが、ブログ活動はなぜか「収益公開」が記事になる。

不思議です。

「〇〇で儲ける」と言えば、ほかの分野にも似たようなことがなくはありませんが…。

 

自分が活動しているブログという同じフィールドで、

ブログ運営自体に関して

「おカネになる」

「これだけ儲けた」

ことを活動報告として声高に叫ばれるから、心がざわつく

のだと思います。

 

読者登録している定期購読者ではないのですが、期せずしてそうした「直球記事」を目にする機会がありました。

 

ここからが、「超」の具体的内容です。

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そこには、輝かしい収益報告に加えて、

この成果は、「副業としてのブログ運営をネットで指導する『塾』」のおかげである

とのアピールがありました。

新鮮な感慨を覚えました。

単に私が疎いだけで、ブログ業界ではすでに有名な話なのかもしれません。

 

ざわつくのなら、わざわざ気にしたりせず、無視すればいいだけのことです。

他人の成果にいちいち翻弄されるほど、愚かしいことはありません。

淡々と、自分のペースでやっていればいいだけのことです。

 

私には、20年以上にわたって毎日「手書きの日記」を書き続けて来た経験があります。

当然のことながら、そこには「書くことをおカネに結びつける」発想など、みじんもありませんでした。

「ご褒美」を与えられないと、人は書くことを「継続」出来ないものなのか?

純粋に「継続することで満足している自分が、バカ正直なのか?」

とさえ感じました。

 

ところがその時はちょっとした好奇心の方が勝って、貼られているリンクをついクリックしてしまったのです。

別にウィルス感染するようなリンクではないので、そういった実害はなかったのですが。

 

そこには、予想通りの内容のPRが展開されていました。

副業で華々しく儲けて、バラ色の未来が保証されている

ことを強く訴えるものでした。

もちろん、入塾すればそれを実現するための万全なサポート体制が整っていることも。

何の問題もなく、かつ間違いなく「ブログを副業として稼げる」と書かれているようにも見えました。

PR記事ですから、メリットしか書かれないのは当然ですよね。

 

きっとそのブロガーさんは、その「塾」のおかげで副業を見事に成功させたのでしょう。

そして、その喜びや意義を一人でも多くの人に伝え、「収益を生むブログ運営に役立つ情報として提供したい」と思われたのだと思います。

「無料案内動画を見られるのは今のうち。ぜひあなたも急いで!」とのありがたい情報も添えられていました。

 

ブログならばこういう記事を書くべきなのだという、まさに「お役立ち記事のお手本」のようなものでした。

きっと、検索上位にもポジショニングされる優良記事でもあるのでしょう。

 

最後に「おススメ文」があった。

情報提供と勧誘とが、セットになっていた。

この手法、「なにか」に非常に似ている。

これこそが、ざわつきに「超」の付く正体だったと言えるかもしれません。

 

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「超極大にざわつき」ながらも、私はその記事に感謝しました。

皮肉やイヤミではなく、「もやもやを晴れさせてもらった」という意味で。

 

PR記事によれば、この塾で「学習」すれば、まず読者が増える。

当然、アクセスも増える。

事実、その紹介記事自体にもたくさんの登録読者数とブクマ・スター数が残されていました。

 

そして、さらに副業として「月〇〇万円」が稼げるようになるのだそうです。

 

もちろん、そのためにはまず「塾の受講料」が必要です。

その額、数十万円。

それだけの「先行投資」をしても、月に10万単位の収益が得られるのであればすぐ元はとれる、という論理展開です。

 

実に筋の通った、素晴らしい流れです。

 

一方で、 

「本業」として月に10万円稼ぐことさえ大変であることを、一般人である私は十分理解しています。 

仮にPR記事通りの「収支計算」が成り立ったとして、本当にお手軽な副業程度の「取り組み方」「時間のかけ方」で稼ぐことが出来るものなのか、見極めることも出来ているつもりです。

 

ごく単純な話、投稿云々以前に「受講そのもの」に時間がかかるはずです。

おカネもさることながら、素朴な疑問として、その時間をどう捻出するのか?

良いことばかりが書かれているはずのPR記事ですが、そこには「副業」と呼ぶにはあまりにも盛りだくさんなタスクがすでに垣間見えていました。

それは、もはや「本業」として取り組んでも余りあるボリュームです。

 

内容はともあれ、言うまでもなくそれらは実践され続けなければ、収益にはつながりません。

「3日坊主」でなく、ひたむきに継続することが大前提であり、必須条件なのです。

 

個人的には、

  • 「受講料」という名の「先行投資」を取り返さなければ、と躍起にならざるを得なくなる
  • 日常生活時間のすべてを、ブログに充てずにはいられない深みにはまっていく

ことが火を見るよりも明らか。

 

直感的に、そう感じられました。

 

受講料ひとつ見ても、宝くじさえ買うことの出来ない、そんな人間とはまったく別世界のレベルでした。

いろいろなことがハッキリして、ざわつきを超えてむしろスッキリしました。

saewataru.hatenablog.com

ブログをやっていて、「結果的におカネがついてくる」ことはあるかもしれない。

誰だって、おカネはないよりあった方がイイに決まっています。

「励み」=モチベーションアップにつながることもホンネとして認めます。

 

しかしおカネがからむと、往々にして楽しいことが楽しくなくなります。

苦しいからこその「我慢の代償」としておカネがもらえる、と考えることも出来るからです。

 

ブログを、そうしたおカネを「目的」にして執筆するものにしたくはない。

この「目的」と「励み」の境界線が、実は非常に難しいのですが。

 

本当に「おカネのため」にしようとするなら、自分にはブログを通じてではない、もっとずっと楽しくて充実したやり方があります。

「限りある」時間の方が、「欲望が果てしない」おカネよりも大切、と最近とみに思うようになってきました。

その大切な時間をどうやりくりして何に振り向けることが、人生の満足度や幸福度につながるのかを考える。

「比較優位の原則」そのものの世界です。

 

その結果として、ブログにどれだけの時間と労力をかけるかを判断します。

私にとっては、ブログは

  • 外部環境に「縛られる」ことなく
  • 必要以上に時間をかけることなく
  • 自分の気持ちに正直に
  • なにより「自由」に書く

ことの方が、ずっと大事。

 

自分の生活の中で、「ブログをどういった存在として位置づけるか」を改めて見つめる、本当に良いきっかけになりました。