平成時代の天皇誕生日が平日に戻って改めて思う、日本の長期休暇の少なさ、米中との意識の違い
1989年(平成元年)から30年間、12月23日は祝日でした。
平成になった時点で、新たに天皇誕生日が祝日として「追加」されました。
昭和時代の天皇誕生日だった4月29日は「みどりの日」に、そしてその後「昭和の日」に名称変更されましたが、祝日としては存続しています。
現在「文化の日」と呼ばれている11月3日も、元をたどれば明治天皇の誕生日でした。
一方、大正天皇の誕生日である8月31日は、昭和以降ずっと平日です。
実のところ、平成になった時のように、令和になったら2月23日が「新たに」祝日と制定され、12月23日は名称を変えて休みのまま残ると思っていました。
しかし、今年から本日は平日になってしまいました。
つまり、2019年は祝日としての「天皇誕生日」がない年になったわけです。
これは、戦後まもなく制定された祝日法のもとでは、初めてのケースです。
もちろん、
「時代変わりの一時的なタイミングのずれでたまたまそうなっただけで、来年になれば2月に新たに祝日が出来て、1年全体で見れば変わらないんだからイイじゃん!」
とも考えられます。
でも、クリスマスシーズンに休みが1日なくなるのは、単なる1日には代え難いモノがあるのでは?とも。
この年末年始は「たまたま」曜日の並びで最大9連休、という方も多いのかもしれません。
それでもきっと過ぎてみれば「あっという間」でしょう。
年越しの休みは儀礼的な意味合いがあり、GWやお盆とはちょっと違った気分になることも影響していそうです。
そもそも、仕事その他の事情で連休にならない人も多いはずです。
コンビニオーナーの「元日ぐらい休ませろ!」騒動もありましたし…
令和になった時の「臨時祝日」でカレンダーが10連休になった時も、同様の記事を書きました。
たかが本日1日だけで発想が飛躍してしまいますが、つくづく
日本の長期休暇はスケールが小さい
と感じてしまいます。
仕事の場面で、もっとそれを痛感することがあるのです。
海外子会社の業務活動。
実務上、本社所在地のスケジュールに合わせて欲しいと思うことが多々起こります。
しかし、休日に関しては完全に「本国優先」になります。
ヨーロッパは仕事上つながりがないのでよくわからないのですが、アメリカの場合。
彼らのほとんどは、12月半ばくらいから、早い人だと12月上旬から年内いっぱい「長い長いクリスマス休暇」をとるのが当たり前になっています。
平日・休日お構いなしです。
この間、グローバル連携に関する業務はほぼ完全停止になってしまいます。
だからと言って、日本の本社がそれに合わせて休めるか?
それはゼッタイにありえません。
アジアでも…
東南アジアはあまり意識したことがないのですが、中国の正月である「春節」の盛り上がりはすごい!
暦の上では4~5日間ぐらいらしいのですが、それにくっつけて10日以上の休みをとるのはごく普通のようです。
中国全土がそういう風土なのか、中国の子会社だけが特別なのか?(おそらくそんなことはない)
クリスマス休暇より厄介なのが、この「春節」の時期が毎年微妙にズレること。
ある年は1月下旬だったり、またある年は2月中旬だったりするのです。
同じく、この時期は中国と関わる仕事は停滞します。
一番気の毒なのが、各拠点で働く日本人の現地駐在員たちです。
クリスマス休暇中も、日本が営業中は「橋渡し役」として休めない。
では、日本のお正月3が日休めるか?
アメリカでは1月2日から通常営業です。
ましてや、春節の時期など日本は祝日とはまったく縁がない時期。
わずかばかりの「現地赴任手当」では到底報われない苦労をしているのでは、と思います。
日本人の国民性からして、世の中に10連休以上の長期休暇が根付くことは望めないように思えてきます。
朝食はごはんかパンか?日本人愛にあふれ過ぎた食習慣が、欧米では仇に
朝食はごはんかパンか?
この調査結果では、ごはん派が優勢です。
「究極の2択」でこうした結果になっているのだと思いますが、ほかの食材(シリアル類や麺類など)もあるのでは?と。
一方、こちらではパンの方が若干多い結果になっています。
「その他」があるなら、もっと多いのでは?とも思います。
また、もし「食べない」が回答の選択肢に入っているのであれば、これももっとずっと多くなる気がするのですが…。
白米の良さ。
何と言っても、炊き立ての甘い味わいが絶品です。
「日本人に生まれて良かった」と思える瞬間でさえあります。
パンの良さ。
味もさることながら、時間のない時にパッと食べることができる手軽さがひとつの要因かなと思います。
私は、と問われれば、
圧倒的にごはん派です。
朝食は1年のうち364日はごはん。
残り1日は、元旦のお餅!
と言ってもよいくらいの食生活。
食事としてパンを食べる習慣はありません。
焼きたてのあの香ばしさは決してキライではないのですが、「主食」というより「おやつ」感覚なんですね。
食べる量にもよりますが、なんとなく満腹感が得られない感じがしてしまうのです。
昼食は朝に弁当を作るので、朝食の延長線上でやはりごはん。
夕食も当然ごはんなので、食事としてパンの出る幕はありません。
ごはん以外の可能性があるとすれば、唯一休日の昼食。
パスタやラーメンなど麺類が登場することはありますが、ここでもパンが主食になることはありません。
「1年のうち364日」と書きましたが、仕事で日本を離れている時もあります。
中国や韓国、アジア諸国ではお米があるのでまだ安心感があります。
それでも、日本のお米とはやはり味が違う。
中国の朝食はお粥が多かったような気がするし、フィリピンやシンガポールなど東南アジア諸国では、チャーハンによく遭遇しました。
これが欧米になると、まず白米にお目にかかることは出来なくなります。
どんなに豪勢な料理が出ても、ごはんがないとオイシイと思えないのは、実に悲しいものです。
食習慣は幼い頃から馴染みのものなので今さら変えることも出来ず、本当に困ってしまいます。
では、「ごはん党」なら、おかずも焼き魚や納豆など和食系が好きか?
これがまた厄介なことに、魚や納豆はむしろ苦手。
むしろ洋風のおかず(ハム・ベーコン・スクランブルエッグ・サラダの組み合わせ)の方が好きなのです。
ホテルに宿泊予約の時、朝食がセットになっていることがよくあります。
最近はバイキングが主流なので、ごはん+味噌汁に洋風のおかずを添えて自分の好きなように食べることもでき、その時は大変ありがたい!
しかし、場所によっては「和定食」「洋定食」のどちらかしか選べないようになっているところもあり、「究極の選択」を迫られます。
まぁそれでも「白いごはん」の力にはかなわず、あまり好きではないおかずであっても和定食を頼んで食べるのではありますが。
こんなこだわりのもと、家にいる時は完全自炊。
毎朝同じような食生活を送ってしまっています。
朝だけでなく、3食みなワンパターンかもしれません。
「ごはん・パン」以前に、好きなモノばかり作っていて栄養バランスは大丈夫かな?と、気にならないでもありません。
【懐かしい歌No.27】「sha la la」Skoop On Somebody(2001)
1995年にSkoopとしてグループ結成。
2000年からは名を変えてSkoop On Somebody(通称SOS)に。
ここ数年もシングルを配信で発表するなど、継続的に活動している3人組ユニットです。
この「Sha la la」は、2001年に発売された、「SOS」名義になってからは6枚目となるシングルです。
オリコンでの最高位は20位でしたが、当時花王「ニベアボディ」のCMソングとしてオンエアされたこともあり、テレビでもよく耳にしました。
サウンドは、どこぞのリゾートを思わせるような、マイルドで軽やかな8ビート。
美しいアレンジに乗せて、ヴォーカル・タケの暖かく伸びのある歌声が心地良く響きます。
ワンコーラスの終わりの部分は、高音域に余裕を残しながら、あえてファルセットで余韻を持たせる歌いまわし。
これが実はなかなかの秀逸なテクニックと見ています。
通常ファルセット(裏声)は、高音が地声で歌い切れなくなった時「苦し紛れ」に使われるのが一般的。
そのため、プロの歌い手であっても、地声の時と比べて極端に声量が弱くなったり、声質が変わったりします。
その点、タケの「マイルドだけれど太い」ヴォーカル(地声・裏声の切り替え)はそういった「ムリヤリ感」がなく、全体的にゆとりを十分に持って扱われている印象を受けます。
曲調はメジャー(長調)で、歌詞にも特に悲しい要素はありません。
しかし、サビの「素敵な恋にしよう~」のフレーズを聴いていると、不思議なことになぜか胸にグッと染み入るものを感じます。
もともと全体的に高い音域で作曲されていますが、エンディングに近いリフレイン部分ではキーが「+2」にアップし、一層ドラマチックさを醸し出しています。
「Sha la la」というタイトルは、特に意味を持たない「合いの手」のようなイメージですが、歌詞全体を眺めて「さぁ、どんなタイトルが…」と考えるとしっくり来るものがなかなか見つからず、これも却ってインパクトになるのかな、と思ったりします。
TBS系ドラマ「ぼくが地球を救う」では、同タイトルのシングルが主題歌となり、トップ10入りを果たした実績も持っています。
ほかにも、ドラマやアニメとタイアップしたオープニング・エンディングテーマを多くリリースしています。
個人的には思い入れがあるユニットですが、世間の認知度はあまり高くないかもしれません。
もっともっと評価されても良い実力の持ち主ではないか、と思っています。
【番組紹介】終わってしまうのか?珍道中~太川・蛭子の旅バラ
テレビ東京の看板番組のひとつであった、太川陽介と蛭子能収による
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」シリーズ。
全国放送ではなさそうなので、概要に触れておきますと…
3泊4日の行程で、決められた地点まで路線バスだけを乗り継いでゴールを目指すという、きわめて単純なコンセプト。
毎回異なる女性タレントを「マドンナ」として迎えて、3人旅を行うものでした。
乗り換えバスがつながるか?だけがポイントのこの番組。
スタートした2007年の時点では単発企画だったようですが、数ある旅番組の中で奇抜なアイディアが受けてシリーズ化され、その後10年間にわたり、年に2~3回のペースで放映されました。
第25弾までいったところで終了し、メンバーを俳優・田中要次と作家・羽田圭介に交代して番組は続行していましたが、いつの間にか立ち消えに。
太川・蛭子の「名コンビ」復活の要望を受けて、今年5月「旅バラ」の名前で初代メンバーが復活し、その後ほぼ月1回のペースで放送されていました。
以前は、移動は路線バスのみで、バスがつながらない区間は歩いて移動するなど、かなり過酷なルールでした。
しかし最近は、オンエアスケジュールの関係か1泊2日程度の小旅行になったり、バスだけでなく鉄道旅が取り入れられたり、蛭子サンの年齢を考慮してか、1万円までを限度に徒歩区間のタクシー利用が認められたり、等々、ルールがやや変更されていました。
ネットを使えば、ルート検索など簡単に行える時代です。
しかし、番組ルールではネットによるルートや宿などの情報収集は禁止。
地図や時刻表・案内所や地元の人からの聞き込み情報を元にルートを決めることになっています。
テレビ番組ですから、どこまでがガチでどこからがヤラセか、の要素はもちろんあると思います。
でもそんな中、リーダーとして真剣にルート探しをする太川と、あくまでマイペースな蛭子の「台本のないやりとり」こそがこの番組の醍醐味。
マドンナ役が「使える」タレントだとコミュニケーションが三つ巴になって、一層面白くなります。
それこそが、コンビ復活につながったのだと思います。
肩ひじ張らない旅のリラックス感と、「果たしてゴールできるのか」という適度な緊張感を持ち合わせた、独特な旅番組でした。
「~でした」と過去形で語っているように、テレビ東京の人気番組のひとつにまで成長したこのシリーズ、残念ながら来週の25日放送分で「2度目の終了」になるようです。
背景には、蛭子サンの年齢的・体力的要因もあるようですが、ロケが手抜きなしで、途中本当はクルマに乗ったのに、歩いたように見せかけるような「やらせ」は本当に行わなかった…
そんな「ガチ」さがあったから、とも言われています。
さすがに「3度目の正直」はないのかな?と考えると、ちょっと寂しい気もします。
今年還暦を迎えてなお若々しい太川陽介。
芸名は「太陽」をもじって付けられたものです。
10代の頃は、バリバリのアイドルとして活動していました。
代表作である3枚目のシングル「Lui Lui」(1977)の動画が残っていました。
この時は、40年後に路線バスの旅をすることになろうとは、夢にも思っていなかったことでしょう。
名称だけは今も健在の「両A面シングル」。サブの方が注目されるケースも
好きな歌を繰り返し聴こうと思った時、現在ではもっぱら配信からのゲットがメインで、一応CDも生き残っている状況、でしょうか。
配信で確かに音源は手に入りますが、私の感覚だと、形のある「モノ」として手元に残らないと、個人的には何か不安が残ります。
自作にせよ買ったものにせよ、CDが棚に並んでいて初めて、自分のモノであると実感できるのです。
趣向を凝らしたジャケットにも愛着が湧く場合が多いです。
そのシングル盤のCD。
音源が「黒いレコード」だった頃の名残りで、今でも
「A面」
という呼び方が残っています。
レコード時代のシングル盤は、表と裏にそれぞれ1曲ずつが収録されていました。
メインとして売り出していこうとする曲が「表側」のA面、サブが「裏側」のB面でした。
CDになってから「オモテ・ウラ」の概念がなくなり、再生はオモテ面だけになりましたが、シングル盤には依然として通常2曲が収録されました。
最初に再生されるのが、メイン曲であるかつてのA面曲。
2曲目にあるのがかつてのB面曲です。
ところが、CDには裏面がないのでB面という言葉はなくなり、「カップリング曲」と呼ばれるようになりました。
レコードからCDに媒体が変わっても、収録される2曲にはメインとサブの区別があることになります。
ところが、時に
「両A面」
という呼び名が使われることがあります。
すでに「A面」「B面」という実体がないのですが、「A面」という言葉だけがまだ残っています。
つまり、収録されている2曲を同等に扱うという考えです。
ドラマやCMのタイアップがつくなどして、どちらもヒットの期待があり、両方同等にプッシュしたい場合に使われるようです。
しかし、あくまでセールス側の都合で両A面と呼ばれるだけのこと。
現に、CDジャケットに2曲を表記する場合でも、タイトルを読み上げる場合でも、必ずどちらかが先に呼ばれることになるわけで、結果的に「順序」が出てきてしまいます。
結局、どちらかの曲がメインになる、という構造に変わりはありません。
事実、これまで数多くの両A面シングルが発売されてきましたが、両方ともヒットしたと思える作品にはあまりお目にかかった記憶がありません。
両A面であることがわかるのは、オリコンやテレビのヒットチャート上で、両A面シングルに限って「〇〇/〇〇」とタイトルにスラッシュが付けられて2曲が並記されている時です。
聴く側は、両A面であることをそれほど意識していないのでは?と思います。
ただ、かつての「B面」扱いであるカップリングであっても、両A面の2曲目(サブ)であっても、どこで注目されてヒットに結びつくかは時の運。
以前、レコードのB面だった曲がヒットしたケースを取り上げました。
カップリング曲でも、
Dreams Come True「未来予想図Ⅱ」
プリンセスプリンセス「M」
など、A面の曲と肩を並べるくらいの代表作にまで成長した曲がたくさんあります。
埼玉県名発祥の地を訪ねる~全都道府県旅行記・埼玉県
東京の隣、神奈川県は公私共にかなり頻繁に出かけているのに比べ、埼玉県は意外に訪れる機会がありません。
某旅行サイトで、県内の観光スポットランキングを調べてみました。
東武動物公園…動物園なら上野でも十分?
さいたまスーパーアリーナ…中に入る用事がなければ意味がない?
やはり場所は自分で探そう、と地図を眺めていると、
「埼玉県名発祥の地」
という言葉が気になりました。
その場所は行田市。
行田と言えば、一昨年珍しく夢中になって見ていたドラマ「陸王」の舞台ではないか!
そこで、これまでの旅ではあまりやっていなかった「ロケ地めぐり」とやらにトライしてみることにしました。
見どころは大きく3つありました。
1つめは、古墳群。
今回調べてみて初めて知ったのですが、行田にはかなり大規模な古墳群があり、辺り一帯は「さきたま古墳公園」として整備されています。
地図上部にある円形の古墳、「丸墓山古墳」に登ってみました。
石段がけっこう多くて大変でしたが、「天然の展望台」には素晴らしい田園風景が広がっていました。
すぐ近所には「埼玉県発祥の地」の石碑もあり、隣にある記念館では、ボランティアガイドが古墳時代からの歴史を解説してくれます。
2つめは、市街地にほど近い水城公園。
大きな池のほとりに散策路が整備されていて、とても癒される風景です。
行田は、新宿から「湘南新宿ライン」で1時間ほどのアクセス。
十分日帰りで散策できる範囲です。
でも、せっかく訪れたのだからと、今回はこの公園の付近にある大浴場付きのホテルに宿泊。
プチゼイタクなスケジュールで、たっぷり時間を使ってのんびり観光しました。
そして、
3つめは、市役所の隣にある城、「忍(おし)城」。
お城めぐりは私の旅のテーマのひとつになっていますが、どこの地を訪れてもお城はイイものです。
ドラマでもお城周辺の風景はたびたび登場していましたが、そのロケ地そのものの風景が広がっていました。
小さいながらお濠も備えた立派な作りで、水辺とお城の白壁のコントラストがなんとも見事でした。
隣接した郷土博物館では、ドラマのテーマでもあった地場産業、足袋作りの歴史を知ることが出来ます。
付近には、駅前から続く商店街に隣接して、やはり古くからの蔵が建ち並ぶ街並みが残っていました。
もともと、そんなに有数の観光地とは言えない行田。
たまたま見つけた目的地で、当初そんなに大きな期待はしていなかったのですが、県内の意外な「穴場」が発見できた、小さな旅でした。
TELで大きな数字やアルファベットの綴りを正確に伝えるひと工夫
ビジネスに欠かせない電話コミュニケーション。
特に、数字(金額)やヨコ文字の固有名詞は注意深く、かつ正確に把握する必要があります。
紙や画面があれば、簡単に確認できること。
でも、頼りになるのが電話の声だけとなると、意外に意思疎通が思い通りいかなかったりします。
具体的に、たとえば
「105万円」を電話で伝え、相手がメモをとるとします。
単純に読み上げれば「ひゃくごまんえん」になります。
これをそのまま声に出す場合、金額をメモする聞き手側は、「ひゃくご…」までの段階で「ひゃくごじゅう」だと思って、「15…」と書いてしまいます。
「まんえん」まで聞いて初めて、「150」ではなく「105」であることがわかるのです。
「15」までメモしてしまってから、あわてて「1」と「5」の間に「0」を書き入れたり、「105」と新たに書き直したりしなければなりません。
では、どうすればよいか?
伝える側が「ひゃく『とび』ごまんえん」と伝えれば、「1」と「5」の間に「0」が入ることが即座にわかります。
この「とび」が、聞き取る側にとっては意外に重要です。
これが億単位、たとえば「12億580万8千円」のような大きな額になった場合、「とび」を言ってあげるかどうかで、結果はだいぶ異なってきます。
1,205,808,000。
この数字をそのまま
「じゅうにおくごひゃくはちじゅうまんはっせんえん」
と読み上げるのではなく、
「じゅうにおく『とび』ごひゃくはちじゅうまん『とび』はっせんえん」
のように少しだけ丁寧に言えば、間にゼロが入ることがわかり、しゃべる側に少しだけ手間はかかりますが、まず間違いは起こりません。
横文字の綴りを正確に伝えるのも、特に固有名詞(社名・人名)の場合、数字の場合と同じようにちょっとしたひと工夫が必要です。
BとD、LとMとN、TとP、IとYなど、発音次第で聞き違えてしまう場合がよくあります。
長い単語を1文字ずつスペルアウトして読み上げても、やはりうまく聞き取れなかったりします。
そんな時、言う側は(やや面倒くさいのですが)「〇〇のB」(〇〇には国名・都市名を入れることが多い)とすると、確実に間違いがなくなります。
代表的なのは「ブラジルB」「デンマークD」「イタリアI」「ロンドンL」「マレーシアM」「ノルウェーN」「ペキンP」「トウキョウT」「ヨコハマY」など。
聞き違いの少ないGやHやRでも「ジャーマニーG」「ホンコンH」「ロシアR」など、確実に伝えます。
銀行や証券など金融業界の取引では、多額の売買を電話だけで成立させることが多々あります。
「このひと言で、〇〇億円のおカネが動くのだ…」とビビった経験も数知れず。
そこで、正確を期すためにこうした言い方が広く使われています。
ブログネタになりそうなキーワード1語をメモする習慣
当ブログ、開設以来の毎日更新がもうすぐ9か月になります。
昨日までで、ブログ日数・継続日数とも270日です。
毎日書くことはもちろん義務でも強制でもありません。
でも、ここまで続けてくると、もはや「書くことが日常」になってしまって、どこかでストップすることができない状態になっています。
ブログタイトルに挙げているように、「音楽」「TV」「言葉」「旅行」が私のブログの4つの「軸」ですが、ずっと連載を続けていけそうだと思えるのは「音楽」(はやり歌批評や楽器演奏にまつわる経験談)のカテゴリーだけです。
物心ついた時から、隣にはいつも音楽の存在がありました。
週2回のレッスンのために毎日ヴァイオリンを練習し、毎晩のように流れていた歌番組を楽しみに見ていた、それが日常でした。
とは言え、毎回そればかりだと飽きられてしまう。
幅広く読んでいただけず、ブログとして成立しないのでは?…
そんな不安もある。
「特化型」になりきる自信がないんですね。
結果的に、他のカテゴリーも設けています。
音楽以外でも、実際のところ語りたいことはたくさんあるので、それはそれで必要で良いのだと思っています。
しかし、現実は厳しい!
テレビ全般や個別番組に関するコメントもしていますが、一日中テレビを見ている時間があるわけではないし、番組はどんどん入れ替わっているとはいえ限りがあるので、この先連載を積み重ねるのはシンドイかな?と時々思うことがあります。
旅行ネタも同様。
年中旅が出来る時間はないし、そんなにお金をかけていられる身分でもないので、書ける回数にはおのずと限界があるような気がします。
言葉の使い方に関しても、日常使っている言葉は限られていますから、そこから新たな題材や着眼点を探すのはけっこう大変。
そんな時は、
「日常的に記事になりそうな『キーワード』を見つけてメモしておく」
ことを習慣づけています。
検索ワードのような「1語」をタイトル・テーマとして思いつきさえすれば、それをきっかけにして1つの記事に仕上げるのはそんなに難しいことではありません。
1日1つ。
調子の良い日は、複数思いつくこともあります。
一気に記事にまでまとめられそうな時な、便利な「予約投稿」を使ってストックしておく。
知らぬ間に投稿がたまることもあります。
「日ごろ気づいたことをブログのネタにしよう」
という目標が設定できると、なにげなく受け流してしまっていた日常のいろいろな情報が、頭の隅に引っかかってくるようになります。
「そこまでして…?」との思いがよぎることも少なくないです。
でも、せっかく始めて続けてきたブログ。
それをきっかけにして、自らに刺激を与え続けていくことによって、日々の生活の「潤い」につなげていくことが出来たら…。
そんな思いの方が、今はまさっています。
どこかでふと緊張の糸が途切れるかも。
日常に緊急事態が起こって、書けなくなる時が来るかも。
そんな懸念と常に戦いつつ…
それでも「1日1日を大事に」続けています。
「あれから40年」でブレイク後18年~綾小路きみまろの偉大さ
このブログでは、歌い手は取り上げるけれど、芸人については書かないつもりでいました。
バラエティーをよく見ることもあり、出演している芸人にも自然に詳しくなります。
しかし、あまりに数が多過ぎ、浮き沈みが激し過ぎて(特にコンビ芸人)、個別に語り出したらキリがない気がしているのです。
そんな中、「ザ・ピン芸人」として誰もマネの出来ない確固たるポジションを築いていると思うのが、自他共に認める
18歳の時に鹿児島から上京し、キャバレーでボーイや司会者業をしながら漫談家を目指し、10年後にようやくデビューするもそれだけでは稼げず、バイトとして歌手のコンサートの専属司会も同時進行。
CD・カセットテープ「爆笑スーパーライブ第1弾!中高年に愛をこめて...」のリリースにより注目を浴びたのは2002年。
上京から30年以上、50代になってからのブレイクでした。
ご存知、中高年の夫婦を題材に、主に妻からの目線で
「若い頃は〇〇だった。
『あれから40年』
今では…」
のパターンで常に笑いを取り続ける。
私自身がすでにその世代だからかもしれませんが、何回見ても笑える!
言葉の内容をよ~く聞いてみると、いわば「中高年いじり」。
けっこうな悪口や毒舌が含まれていたりしますが、それがまったくイヤミになっていない!
動画のコメント欄には、若い世代からも絶賛の書き込みが多く見られます。
最近テレビへの露出はピーク時よりやや減った感がありますが、今でもステージのチケットは入手困難な大人気のようです。
漫談CD/DVDは、発売するたびにミリオンを突破する勢いだとか。
先日、彼が出演したラジオでのトークを聞く機会がありました。
芸ではなく、素の人間性がうかがえる瞬間でもあります。
すると、これだけのベテラン有名人にもかかわらず、年下のMCに対して驚くほど腰の低い接し方をするではないですか。
彼の人柄がしのばれて、思わず聞き入ってしまいました。
漫談家としてたったひとりで何千人の観客を相手にするわけですから、そのエネルギーはハンパないものであると容易に察しがつきます。
体力の維持を図るべく、今でも定期的なジム通いを欠かさずに行っているとか。
世に認められるために、人知れず苦労を重ね、たゆまぬ努力を続けて来た人なのだ、と改めて見直しました。
と共に、彼が50代になってブレイクした事実を前に、
「もうこんなトシだから、とあきらめてはいけない」
「ニンゲンいくつになっても、チャレンジのチャンスはあるのだ」
と思わせてもくれます。
少し前の映像ですが、見つけたので載せてみました。
【懐かしい歌No.26】「たったひとつの愛を」中西圭三(1993)
1991年に「タンジェリン・アイズ」でデビューした時は、あまり注目度は高くありませんでした。
シンガーとしての知名度を確立したのは、翌1992年にリリースされた3枚目のシングル「Woman」のヒット。
この曲で、紅白にも出場しています。
歌い手であると同時に、作曲家としての一面も。
今でもスキーシーズンソングの定番として知られているZOOの「Choo choo train」(後にEXILEがカバーして、彼らの代表作の位置づけに)。
また、ウッチャンナンチャンのレギュラー番組内の企画で結成されたユニット、ブラック・ビスケッツ(ビビアン・スー、南原清隆、天野ひろゆき)最大のヒット曲「Timing」の作曲者としても知られています。
最近では、日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」エンディングテーマに、オリジナルアルバムに収録された複数の作品が採用されています。
これまでに30枚以上のシングルを発表していますが、そのうちざっと8割以上の楽曲に、何らかの番組のテーマ曲やCMソングという形でタイアップが付いており、歌い手としては大変ラッキーな環境です。
もちろん、企画の需要と供給の問題やタイミングといった要因もあるのでしょうが、そうさせるだけの楽曲と歌唱の実力あってこそなのだと思います。
本日取り上げた「たったひとつの愛を」は、1993年11月に発売された彼の10枚目のシングルです。
それまでの楽曲は、どちらかと言うとファンキーでリズミカルなパターンのものが多かったのですが、この作品では確かな表現力と豊かな声量の力強いヴォーカルを生かした王道のバラードを披露しています。
スローテンポにギターのストロークが奏でるバックの強力な4ビートが、強烈なインパクトを残すサウンドアレンジ。
ヴォーカル面でも、それに負けないパワフルさを発揮しています。
特に、サビフレーズ直前の突き抜けるような高音ロングトーン部分とそれに続く美しいサビメロは、グッとくる聴きごたえがあります。
舞台は、雪の前触れを思わせる真冬の街路樹の下。
恋を失った切なさいっぱいの「君」を温かく見守り包み込む世界が印象的に描かれています。
寒さが身に染みるこの季節に聴くと、温かさと元気をもらえるような気がします。
冒頭Aメロの出だしから音符がいきなり高音に飛んだりして、カラオケではメリハリをつけて歌うのにちょっと苦労しますが、エネルギッシュなサビフレーズを歌い上げるとスカッとします。
NHKのミニテーマパーク「スタジオパーク」(渋谷区)と、放送の歴史を伝える「放送博物館」(港区)
渋谷駅から、国内有数のオシャレなショッピングロードである公園通りの坂道をゆっくり上がり切ったところ。
もしくは、原宿駅から広大な代々木公園を横目に見ながら進むと、代々木競技場を背にする形で、NHKホールが姿を見せます。
「おぉ、ここで紅白やってるのかぁ…」「昔、ここのステージに立ったなぁ」
などと思いながら、ホールを横目にしばらく歩く。
すると、隣接するNHK放送センターの角に、NHKスタジオパークの入口があります。
渋谷駅からシャトルバスの運行もありますが、バスに乗るほどの長距離ではありません。
ここは、いわばNHKの「ミニテーマパーク」。
入場するとすぐ、映画館のスクリーン並みの超特大画面の映像が我々を迎えてくれます。
続いて、現在放送中の朝ドラのセット写真や解説パネルのコーナーがあります。
圧巻なのは、ボタンを選ぶと過去の朝ドラや大河ドラマ映像が一気に見られる画面。
50年以上に及ぶ、ものすごい数の画像ストックです。
通路の反対側には実際に使われた衣装や小物、また出演者の顔写真とともにサイン色紙も展示されています。
また体験コーナーとして一番興味深いのが、「スタジオパークNEWS」。
本当のテレビカメラもある実際のスタジオで、ニュースキャスター・リポーター・お天気キャスターになりきって原稿を読むことができます。
すると、自分の姿の背景に、ニュース画像や天気予報の日本地図が合成で映し出される。
そんな楽しい体験もあります。
見学通路の途中には公開番組のスタジオがあって、タイミングによっては実際に生放送している場面や収録の現場を見物することも出来ます。
ほかにも、過去の人気番組にちなんだクイズを3択で回答するディスプレイが多数並んだコーナーがあったりもします。
懐かしい記憶をたどる問題が多いのでやってみたいと思うのですが、たいていは家族連れの子どもたちに占領されてしまっていることが多いです。
また別の通路には、NHK国際放送が世界に向けた映像を見ることもできます。
実際にその番組を見ていなくても、さまざまな形で制作の裏側を垣間見ることが出来る体験型施設です。
入場料200円で、けっこう長い時間滞在して楽しめます。
年に何回かは無料入場可能な日もあります。
常設展示は同じものでも、時間が経てば新しいドラマや番組が始まるので、行くたびに新鮮な気分で見物することが出来ます。
ちょっとした時間潰しにもってこいなスポットです。
一方、港区の東京タワーのすぐ近くには、別に「NHK放送博物館」があります。
博物館は小高い丘の上にあって、屋外のエレベーターに乗って入場します。
ここは、NHKが渋谷に移転する前に拠点のあったところ。
いわば「ニッポンの放送の発祥地」です。
スタジオパークが「遊び」の要素を多く備えているのに対し、こちらは「放送の歴史」を身近に感じられる画像や展示物が多数取り揃えられています。
ラジオ草創期の実際の音声や、過去のさまざまな番組の懐かしい画像(ドラマに限らず、ニュースやスペシャル番組)や台本の実物が見られるほか、珍しい放送機器設備も展示されています。
場内は基本撮影禁止なのですが、唯一OKだったのがこの展示コーナー。
昔は、テレビがあってみんなで卓袱台を囲むこんな「お茶の間」が当たり前の風景でした…
過去の紅白の様子や、オリンピックの「金メダル」シーン(柔道の山下泰裕、水泳の鈴木大地・北島康介・岩崎恭子、ノルディックスキーの萩原健司など)も放映されていて、思わず立ち止まって見入っていました。
「過去」だけではなく「未来」についても触れられています。
中でも、映画のスクリーンサイズもあろうかという大画面に映し出される8K画面が見られる「シアターコーナー」は、時の経つのを忘れてしまうほどの迫力です。
全国各地の博物館をいろいろ見て来ましたが、情報量の点ではトップクラスに入ると思います。
もちろんそれもうれしいですが、ここの最大の魅力は
「入場無料」であること!
受信料を支払っているのだから、そのくらいは、とも思いますが。
「ニュースならネットで十分。だからテレビなんて要らない」人が増えてきているようです。
そんな時代ではありますが、ラジオの時代からの一連の放送の歴史を体感すると、「オトナの社会科見学」をしたような気分になれる…
それがこの2つの施設です。
ブクマ新着エントリー⇒スマニュー⇒再新着エントリーの「3日連続砲」で改めて思う。「書く」ことに自由でありたい
「二度あることは三度ある」!
こんなことはもう起こらないと思うので、今日はこれについて思うところを書きます。
12月9日、はてなブックマーク新着エントリーに掲載。
続いて12月10日、「スマニュー砲」到来。
そして12月11日、再びはてなブックマーク新着エントリーに。
「はてなブックマークエントリー」は、大前提としてブックマークをいただかないとできません。
最低「3 Users」で掲載されているケースもあるようですが、それより多くブックマークされても、新着エントリーに載るとは限りません。
どういうメカニズムで記事が選ばれ掲載されるのか、わかりません。
ただ、ここに載ると注目度が急拡大し、アクセスが一定期間(ほぼ1日中?)一気に増すことはわかります。
この3日間、噂の「スマニュー砲」の洗礼をはさんで2回立て続けの新着エントリーで、アクセス数が急増しました。
月曜日に載って、わずか2日後の水曜日にまた載るなどまったく想定していなかったので、本当に驚きました。
Googleアドセンスとのつながりも、イメージ的に少し実感できました。
こうなると、次に来る流れは通常
「注目されるには」「アクセス数を増やすには」どうすれば…
になります。
より多いアクセス数を「目的」として、「実用的な」内容の記事を目指す…
素晴らしいことだと思います。
ただその一方で、アクセス数は、自由に書いたことの「結果」であると考えたい気持ちが強いのも事実です。
自分の心のままに、自由に書きたいことを書いて、それが「結果」に結びつくのであれば、こんなに幸せなことはありません。
しかし、アクセス数という形で体現される「読者の嗜好」と「自分の書きたいこと」が一致する、あるいは同じ方向性を持つことは、通常難しいものです。
「自分の書きたいこと」は、往々にして自分本位でわがままなものです。
そこで、アクセス数獲得を「目的」として、記事を「顧客」である読者に「寄せていく」考えが湧いてきます。
問題は、その「ニーズ」の捉え方です。
これがお店であるならば、「お客のニーズ」に合わせる商品を揃えてこそ商売になるわけですから、ごく自然で納得できる考えです。
でも、ブログにもその発想をそのまま持ち込まなければいけないのでしょうか?
もしもアクセス数を「目的」にすることによって、自分がブログを通して実現したいことの方向性を変えなければならなくなるとしたら、と考えると、「そうまでして…」の気持ちになってしまいます。
また、具体的に何のテーマを書けばそのニーズとやらに合うのか、役に立つのか?
絶対的な正解はありません。
あくまで私の場合。
アクセス数を目指そうとして(もっと生々しく言えば「稼ごうとして」)…ばかりを突き詰めると、ブログは「第二の仕事」になってしまいます。
そこには当然ストレスが付きまといます。
自分自身のブログには、「書くことによって自分の心を整理する」という大きな目的・役割があるはずなのに、これでは本末転倒甚だしいです。
私のブログで、2つ具体例を挙げます。
ひとつ、毎週土曜日は「歌の日」と決めて、はやり歌の連載をしています。
自分の人生にとって「音楽」や「歌」は、切っても切り離せないものすごく大きな存在なので、正直「読者のニーズに合わせる」ことは二の次にしてしまっています。
読者の方々の中で「こんな古い(あるいはマイナーな)歌、生まれてなかったから(ヒットしなかったから)知らなかったけど、さえわたるの紹介で初めて聴いてみたらちょっとイイかも?」と思って下さる方が1人でも2人でもいらっしゃったらラッキー!の気持ちで送信しています。
幼い頃からの演奏活動に伴う猛練習のせいで、音楽を聴くと「ただ聴くだけではなく、いろいろ分析する」のがクセになってしまっているため、曲の構成やコード進行など、鑑賞するにはどうでもいい情報であっても、解説として書き加えたくて仕方なくなるのです。
ですから、記事に文章のコメントがつくと、特にうれしいです。
そしてもうひとつ、我が街・東京も含めた「全国旅行記」も定期連載しています。
旅行って、出かける前はワクワクして、旅している最中ももちろん楽しいものですが、私にとっては、写真やお土産品だけではなく自分の文章で書き残しておくことによって、いつまで経ってもかけがえのない思い出になるものなのです。
そう思って、ブログ上では自由気ままに書いていました。
そんな中、思いがけなく旅行サイトからのスカウトがあり、「商品として」「読者に寄せた記事」を書くことになりました。
ライターとして評価されたことは望外の喜びでしたが、一方で記事が「市場価値を持つ商品」になったとたんに、当然ながら「書くことへの責任」が伴ってきます。
ブログで気ままに書いていたはずの旅日記が、時間のみならず精神的負担をも伴う「大仕事」になりました。
「文章書きが仕事になる」「読者に寄せた記事を書く」ことの大変さを、身をもって味わった瞬間でした。
これらを以ってして考えると、やはりアクセス数を「目的」とだけ位置付けた行動はとれそうにありません。
なかなかうまく言い表せませんが、純粋に「書く」という行為に自由でありたい…
あえて「読者ニーズ」との接点を探すとすれば(少しキザな言い方ですが)、私の記事が読者の方々にとって「日常を暮らす上での、物事を見る上での『心の実用書』の一助になれば」と。
それが、この3日間で改めて新たにした思いです。
今日からまた「通常モード」の営業になります。
この3日間、良い夢を見させてもらいました。
コメントを下さった方々には、心から感謝しています。
ありがとうございました。
「マナー」にとらわれ過ぎると堅苦しく不自然になる。自然な心遣いで人付き合いはスムーズに
昨日「はてなブックマーク新着エントリー」掲載でアクセス急騰!
経験上その「効力」は1日だけ、と思っていたら、今日も昨日を上回る勢いのアクセス。
確認したら、アクセス元サイトに「スマートニュース」の文字が!
これが、噂の「スマニュー砲」なのでしょうか。
連日のサプライズに、ちょっと浮足立っています。
さて、本日のお話。
新人が入社すると、研修プログラムの一環として「話し方」や「マナー」に関するものが含まれます。
ビジネスシーンでの敬語の使い方や電話の取り方、上司や社外の人と行動する時の注意点などが、その主な内容です。
これらは、たいてい
「これが絶対に正しい」=「ルール」
として扱われます。
もちろん、社会人として基本中の基本になる部分はこうして教え込まなければならないのでしょう。
しかし、マナーとしてこうあるべきという固定観念に過度にとらわれてしまうと、却って堅苦しく不自然で、場合によっては相手に失礼になってしまうこともあったりします。
ポピュラーなマナーとして習うのが、席次の問題。
応接室のソファやエレベーター、タクシーの座席にはそれぞれ上位・下位のポジションがある、というものです。
たとえばタクシー。
マナー講座的には、運転手の後ろ、右奥の席が上座とされています。
しかし、目上であっても、乗り降りしやすい手前の席を好み、奥に入るのが嫌な人間も存在します。
飛行機や新幹線の座席も、人によって窓側・通路側の好みが異なります。
たいてい、タクシーより長時間の移動ですから、その間快適に過ごしてもらうには、常識にとらわれた型通りのマナーではなく、「相手の意向を尊重する」ことこそが重要なのだと感じます。
社内の伝達事項も、重要なものや相手が多数に及ぶものはメールを使うのが一般的です。
送信した「証拠」が残るというメールならではのメリットもあります。
しかし「メールは重要」にこだわっていると、肝心の「スピード」を逸してしまうことにもなりかねない。
100本のメールより1本のTELが有効なケースもあります。
直接電話するのが鬱陶しいこともありますし、相手のタイミングを見計らうのが難しい局面もありますが、ことビジネスの場面では臨機応変さが重要になってきます。
目上の人からの食事の誘いに同行する場合。
豪勢な食事にありつけるのはうれしいことかもしれません。
が、それよりも緊張感や「食事中何を話したらよいのか」の不安感が先だって、おいしいはずの食事も全然味が感じられなかったりします。
バラエティー番組のグルメコーナーで必ずある「わざとらしい食レポ」をそれらしく再現しようとしても、場が白けるばかり。
それならば、
「こんな素晴らしいお店、どうやってお知りになったのですか?」
「このお店の自慢料理を聞かせて下さい」
など、誘ってくれた人のプライドをくすぐるポイントを把握しておいた方がお得かと思います。
一朝一夕には難しい事もありますが、
「何を言ったら相手は喜ぶか」
を第一に考えること。
相手もココロのある人間。
教えられたマナーにとらわれなくても、その気持ちが自然に言葉や行動に結びついて、人付き合いはきっとスムーズに運ぶ。
そう考えています。
仕事上の会話に入り込むヨコ文字言葉12選
昨日の「鉄道相互乗り入れ」の記事が、ほぼ1か月ぶりに「はてなブックマーク新着エントリー」に掲載されました。
お読み下さった方々、ブックマークおよびコメントを下さった方々、本当にありがとうございました。
さて、本日のお話。
会社社会のグローバル化が叫ばれて久しい昨今。
それと共に、職場でのコミュニケーションの場で、普通に日本語で言えばいいのに、やたらカタカナを多用する人たちを見かけます。
当初は、長期の海外赴任経験を終えて国内に戻ってきた人たちや、社外で「外資系コンサルタント」の肩書を持っている人たちとの会話に特徴的に見られると思っていました。
しかし気づいてみると、いつしかそうしたヨコ文字言葉がごく日常に聞かれるようになっていました。
そして、いつしか自分自身もごく自然にそうした言葉を使っている…
もはや解説は不要なものばかりと思いますが、よく登場するモノのごく一例を挙げれば、
「アジェンダ」
もともとは「計画」「予定表」という意味らしいですが、「会議の議題」という意味で使っています。
「エヌアール=NR(ノーリターン)」
外回りの人のスケジュールを書くホワイトボードが壁に掛けられていて、「今日は外出先から直帰します」という時に、この2文字がよく書かれています。
「コンセンサス」
取引先との打ち合わせで、同意を得る時によく使います。
「コンプライアンス」
これはビジネス会話というより、社会一般に広く浸透した言葉になりました。
日本語では「法令順守」と訳されることが多いですが、単に法律やルールを守るだけではなく、倫理的要素やマナーも対象とされます。
「ジャッジ」
物事を判断し、意思決定する時に使われます。
「シェア」
当初「この重要案件は関係者間でシェアします」と情報共有の意味合いで使っていましたが、今は食べ物を取り分ける時などに、普通に使われていますね。
「タスク」
仕事や個別の業務一般を指し、「本日のタスクは終了しました」のように使われています。
「バジェット」
予算のことを呼びます。
「プライオリティ―」
優先順位のこと。
「ブレスト」
少人数で新しいアイディアを出し合う話し合い。
「ブレーンストーミング」の略です。
「ボトルネック」
阻害要因の意味。
「何がボトルネックで仕事が停滞しているのか?」のような使い方をします。
「リスケ」
リスケジューリングの略で、打合せの時刻を変更・再調整する場合に使います。
以上、確かにカタカナにすることでカンタンで呼びやすくなる用語もありますが、なぜわざわざカタカナにしなければいけないのか?と思うものも中にはあります。
かつての勤務先では、(自分の職場ではありませんでしたが)外国人が本部長として着任したとたん、日本国内なのに会議資料からメールに至るまでがすべて英語に。
日常の会話でもそのトップが絡む場合は英語で行う、という悪夢のような光景が繰り広げられていました。
それを考えれば、このくらいのカタカナは気にならないレベルかもしれません。
都内の鉄道網「相互乗り入れ」のメリット・デメリット
東京都内の鉄道網は、JR・各私鉄・地下鉄が入り乱れて、まさに「網の目」状態になっています。
朝夕のラッシュタイムには、どの路線も大変な混雑になります。
毎日何万・何十万の人たちが一斉移動しているわけですから、当然といえば当然です。
朝は、会社や学校の開始時刻が8時台・9時台であることが普通ですから、乗客が一定の時間帯に集中し、車内が混雑するであろうことはある程度理解できます。
しかし帰りは、学校ならば通常夕方のまだ明るい時刻、仕事であればそれぞれに終業時刻がバラつくので、もう少し空いていても良さそうなところです。
しかし深夜になっても、座席に余裕がある風景にお目にかかることはまずありません。
眺めるだけで目がチカチカして来そうな、都内の地下鉄の路線図です。
都内には、東武・西武・京王・小田急・東急・京浜急行・京成など多くの私鉄路線が運行されていますが、これらのルートには「不思議な法則」があります。
いずれも「山手線の内側に入れない」のです。
東武・西武は池袋。
京王・小田急は新宿。
東急は渋谷。
京浜急行は品川。
京成は上野が「起点・終点」になっています。
みんな、山手線駅止まりです。
山手線内の都心に鉄道で入ろうとすれば、すべて地下鉄を利用しなければならない作りになっているのです。
例外は、山手線内を東西に横切るJR中央・総武線だけ。
(ほんの一部、都電荒川線が走っています)
従って、郊外からの乗客の多くは、途中駅で地下鉄に乗り換えなければなりませんでした。
この煩わしさを解消したのが、地下鉄とJRおよび各私鉄との「相互乗り入れ」システムです。
現在の東京メトロ各路線は、古い時代に建設された銀座線・丸ノ内線を除いて、すべてが他社路線と相互乗り入れを実施しています。
これによって、上記の巨大ターミナル駅でわざわざ乗り換えなくても、郊外から都心に直通で通えるようになりました。
前回の記事でも触れましたが、都内の駅での乗り換えは「ひと仕事」。
同じ駅名だからと安心していると、人込みの中を何百メートルも歩かされたり、いくつものエスカレーターを乗り継ぎさせられたりします。
その煩わしさから解放されるのは、大きなメリットです。
一方、こんな不都合も。
「相互乗り入れ」とは、途中乗り換えなくて済むようになること。
つまり、その分「始発駅」がなくなることでもあります。
「始発駅」の魅力とは?
そう、1本電車をやり過ごして待てば「座れる」ことです。
その「確実に座れる」チャンスが、相互乗り入れによって奪われてしまったのです。
面倒な乗り換えをしても、その後の決して短くない移動時間を「始発駅」での少しの待ち時間で座って過ごすか、相互乗り入れの直通電車に乗って、ギューギュー詰めで立ったまま過ごすか…
通勤は毎日往復で必ず起こるイベント。
都心の超混雑の中を、どう移動するか…
ささやかながら、けっこう切実な話でもあります。