さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

【シンガーソングライター・さえわたるオリジナル作品No.8 紅茶に砂糖は入れず~】「君想ふとき」

オリジナル作品の連載。

8回目の今日は

「君想ふとき」

です。

 

 

先月の段階でリストにアップしていたため、すでに複数回の閲覧をいただいていますが、改めてここにご紹介します。

 

この曲は、最初に歌詞を受け取り、後からメロディーを付ける形で出来上がりました。

歴史的仮名遣いのタイトルに、作詞者のこだわりが感じられます。

 

愛する「君」とのちょっとしたいさかいで、別れてしまった「僕」の物語です。

性格が不器用で、上手に恋を続けられない主人公のようです。

 

2番のサビに当たる

「♬紅茶に砂糖は入れず 君想ふ」

「♬苦くなるほど 甘い記憶」

「お茶を飲むたび君を思い出す」というさりげないフレーズにピンと来て、ここの部分からメロディーを付けていきました。

 

何もないところからメロディーを先に作る場合でも、今回のように歌詞が先にある場合でも、必ずしもアタマから順番に作っていくのではなく、

「まず思いついたメロディー」から手を付けるケースが多いです。

 

愛する人と別れてしまい、ラストは

「♬明日からまた 僕はひとり」

 

歌の世界では、作り手の性格とは裏腹に、アンハッピーなエンディングの暗いバラードナンバーがけっこうあります。

 

<歌詞>

ひとつ風が過ぎて 木の葉が揺れる

ワンテンポ遅い まるで僕のように

優しいと言ってくれたよね うれしくて切なくて

 

紅茶で唇濡らし 君想ふ

思い出の川 泳ぐように

 

ゆうべ君がくれた さよならメール

丁寧な言葉 明日も会えるような

はっきりとしない僕だから 恋なんて続かない

 

紅茶に砂糖は入れず 君想ふ

苦くなるほど 甘い記憶

 

優しいと言ってくれたこと 胸の中大切に

 

紅茶のカップを置いて 君想ふ

明日からまた 元のひとり

明日からまた 僕はひとり

 

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【懐かしい歌No.91 子役出身のスパーク3人娘が洋楽に挑戦】「あなたしか見えない」伊東ゆかり(1978)

今日も「おそらくこの場でしか耳にされることがないであろう」懐かしい歌を取り上げます。

 

歌い手の名は、伊東ゆかり

1960年代の歌謡シーンを語るのに欠かせない存在のひとりです。

 

小学生時代から進駐軍キャンプで歌い始め。

そして、11歳だった1958年「かたみの十字架/クワイ河マーチ」で本格レコードデビュー。

 

10代の頃は、洋楽のカバーを多く歌っていました。

そして、1967年にリリースした「小指の想い出」。

 

♪あなたが噛んだ 小指が痛い 昨日の夜の 小指が痛い~

 

印象的な歌詞で始まるこの歌は、当時知らぬ者はいないほどの「国民的なヒット」となりました。

シンプルきわまりない覚えやすいメロディーとともに、彼女の一番の代表作として、その後も長く歌い継がれています。

 

その後も恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」など立て続けにヒット曲を飛ばしました。

 

同時期に日本のポップス界を牽引した中尾ミエ、園まりと三人で 「スパーク3人娘」 を結成。

 

日本の歌謡界は、何かというと「3人組」を作りたがります。

この「懐かしい歌」の連載でもたびたび取り上げていますが…

 

男性では、橋幸夫西郷輝彦舟木一夫による「御三家」。

その後、野口五郎郷ひろみ西城秀樹による「新・御三家」。

ジャニーズユニットでも、シブがき隊や少年隊は3人組でした。

 

女性歌手の元祖三人組は、美空ひばり江利チエミ雪村いづみによる「三人娘」。

1970年代には、小柳ルミ子南沙織天地真理が「新・三人娘」と呼ばれた時期がありました。

そして、森昌子桜田淳子山口百恵による「花の中3トリオ」。

それぞれソロ歌手なのに、同じ時期に活躍した彼らを3人「まとめて」取り上げたがります。

不思議です。

 

「スパーク3人娘」は、時代的には「元祖・三人娘」の次の時代に位置します。

ただ、現在でも3人揃ってのステージ活動を継続していることを考えると、最も息の長いトリオと言えるかもしれません。

(このトリオのリーダー格は、圧倒的な話術で現在も「芸能界の辛口ご意見番」として活躍する中尾ミエです…)

 

この曲は、全盛期の活躍から少し時代の下った1978年の発売。

画面のクレジットにもあるようにアメリカのオリジナル曲に、作詞家(名訳詞家でもある)なかにし礼が詞をつけています。

 

「♬愛さずにいられない あなたしか見えない~」

のフレーズが、ストレートでなんとも印象的です。

 

1番の最後の「見えない~」の部分で一瞬転調。

さらにエンディングに向け、途中で「+1」キーアップして盛り上げる。

ラストではヴォーカルが超ロングトーンで声を伸ばしているウラでまたも転調し、オリジナルキーとはまったく異なる終わり方をしています。

 

そうしたテクニックはさておき…

オトナの雰囲気漂うラブバラードを、切々と歌い上げる姿が印象的です。

「小指の思い出」を歌っていたのがまだ20歳そこそこだったのも今から考えるとスゴイことですが、この映像当時でもまだ30代に入ったばかりという事実に驚かされます。

 

このようにしっとりとバラードを聴かせる歌手は、男女問わずもう生まれない時代になってしまったのかもしれませんね。

演歌歌手は今でも「ソロ」が多いのに、ポップスではみんなグループを組むのも、考えてみれば不思議な現象です。

 

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【左利きあるある】人口の1割しかいない「少数派」は、こんなにも不便を強いられている。左利きの有名人・偉人・芸能人は?

左利きの人は、全人口の約10%いると言われています。

かなりの「少数派」です。

私は、その少数派の一員です。

 

世の中のあらゆるものやシステム・考え方は、右利きを前提として作られています。

9割の人には体感出来ない

「左利きならではの『あるある』」がたくさんあります。

 

横書きのノートだと、手が汚れる

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文字は、「左から右へ」書き進めて行きます。

これを左手でやろうとすると、すでに書いた文字の上を手が動くことになります。

結果、紙が汚れやすくなります。

英文字を左手で器用に書く英語圏の人々を時々見かけますが、同じ苦労があるのだろうと思います。

 

食卓に座る時、場所を考えないと手がぶつかる

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食卓では、必ず机の左端に陣取るようにします。

そうでないと、このイラストの女性のように、箸を持つ手が隣の人とぶつかってしまいます。

「少数派」が配慮しなければならないのです。

 

自販機のコインが入れにくい

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自動販売機のコイン投入口は、たいてい機械の右側についています。

身体をクロスさせて入れなければなりません。

ついでに言えば、めったに使いませんが「返却用レバー」も、左手では扱いにくい向きになっています。

 

自動改札機を通過しにくい

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電車に乗る時は、必ず通過しなければならない改札口。

 

カードのタッチ場所は、改札ゲートの右側に設置されています。
仕方なく、その時だけカードを右手に持ち替えて通過します。

 

自販機同様、それ以上に身体をよじらないと、左手で操作するのはけっこう疲れます。

「左側に変えろ」とまでは言えませんが、今の技術があれば、エレベーターのボタン同様、両側に設置することぐらいは出来そうな気がするのですが・・・。

 

事務用デスクの引き出しの位置に困る

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オフィスの事務机は、たいていこの形が基本。

椅子を置くスペースの右側に、引き出しが付いています。

つまり、出し入れは「右手で行う」ことが前提となっているのです。

 

最近は、引き出し部分にキャスターが付いてデスクと分離でき、自由に動かせるタイプのモノが普及してきて、だいぶ使い勝手が良くなりました。

 

サイドテーブル付きチェアが使えない

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それでもなお困る「机・椅子」関係。

 

デスクを用意出来ない狭い会議室などで見かける「サイドテーブル」付きの椅子。

あれは100%、椅子の右側に脇机が付いています。

左利きの人は、あれをどうやって使えば良いのでしょう?

 

身近な日用品が、みな右利き用

はさみやバターナイフなどの刃物類が右利き用になっていることは、右利きの方には意識されていないかもしれません。

 

けっこう困るのが、ホテルのバイキングなどでスープをすくうために用意されている「おたま」。

全部円形にしてくれれば良いのに、このようにご丁寧に「注ぎ口」が付けてあります。

これを左手で扱うのは、案外大変です。

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最近はあまり使う機会がありませんが、極め付きなのが「急須」

右手で柄の部分を持って注ぐ。

やかんと違って、注ぎ口と90度の角度が付いています。

左手で使おうとすると、「手前側から向こう側へ」熱いお茶を注ぐことになり、危険です。

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ねじ巻き用のドライバー。

これも、「右方向へ」締め付ける作りになっています。

左手でやろうとすると、逆回し感覚になります。

 

電球を取り換える時も、ねじ回しと同じ原理で、逆方向へ締め付ける感覚になります。

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ねじと言えば、腕時計も一緒でした。

左腕につけて、リューズは「右手て右向きに」回すのが基本になっています。

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握手の時、一瞬戸惑う

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日本にはあまりないふるまいですが、西洋では初対面でもごく自然に行われる「握手」。

緊張していると、無意識に左手を出そうとして、とっさに右手を出し直すことがあります。

 

いったん左利きだと明かすと、質問攻めに遭う

  • 「お箸はどっちなの?」
  • 「ボールを投げる時は?打つ時は?」
  • 「ペンを持つのは?」
  • 「左利きの人ってアタマいいんだよね?天才肌っていうか・・・」

 

モノを扱うのが左手だと言うだけで、もうほとんど「絶滅危惧種」扱いです。

「どちらを使おうがこちらの勝手!」と内心思いつつ、その都度丁寧に対応する「忍耐力」が身に付きます。

 

同じ「少数派」の人にシンパシーを感じる

芸能人や有名人、過去の偉人などが左利きだと知ると、同じ少数派として共感を覚えてしまいます。

ちなみに、有名どころでは

 

アメリカ大統領>

<イギリス王室>

<偉人・芸術家>

<男性芸能人>

<女性芸能人>

 

イギリス王室を見ると、左利きは「遺伝の一種」かとも思えます。

しかし、私の親も子供も、みな右利き。

 

「字を書く」ことだけは、昔の教育でムリヤリ右手に矯正させられましたが、箸や台所用品、スポーツ関係はみな「左」で行っています。 

県庁所在地が「絶対的エース」ではない県8選~福島・茨城・群馬・静岡・長野・三重・鳥取・山口

県庁所在地といえば、たいていはその県の中心地。

人口規模も圧倒的に大きい、いわば「県内の絶対的エース」です。

 

たとえば…

ランダムに県名を選んで、「10秒以内に、県庁所在地以外の市を3つ挙げよ」などと尋ねられてすぐ答えられる人は、おそらく地元出身者か、よほどの「地理マニア」かと思います。

それだけ、県庁所在地の存在感は大きいのが普通です。

 

ところが全国には、県庁が置かれていても「圧倒的センター」とは言えない都市もいくつかあります。

人口規模を根拠に、実際に足を運んだ感触も含めて挙げてみます。

 

福島県

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面積が広く、やや東西に長い形をしている福島県は、タテに3つの地域

浜通り中通り会津

に分かれます。

新幹線や高速道路が通る「中通り」に位置しているのが、県庁所在地の福島市と、中核市郡山市

 

福島市の人口28万人よりも、郡山市の人口の方が多く、約33万人。

しかし、さらに人口の多い市が存在します。

それが、「浜通り」・県南東部に位置するいわき市

周辺町村が合併して出来た経緯はありますが、人口は34万人と県内一です。

県庁所在地である福島市は、人口規模では第3位ということになります。

 

茨城県

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県庁所在地・水戸市の人口は27万人。

一応、県内随一の規模を誇っていますが、それに近いところまで迫っているのが、近年研究都市や都内へのベッドタウンとして急成長しているつくば市

人口は24万人と、目下水戸市を追撃中です。

 

また、かつて水戸市を上回る人口規模だったのが、県北部に位置する日立市

その名の通りの典型的な「企業城下町」でしたが、企業の停滞とともに、現在人口は18万人まで減少してしまっています。

 

群馬県

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関東地方でもうひとつ、こちらは県庁所在地が「負けている」のが、群馬県です。

前橋市の人口は34万人。

それに対し、県内トップなのは、高崎市です。

その人口37万人。

 

2005年の国勢調査までは前橋市がトップでしたが、その後高崎市が逆転。

鉄道網も、新幹線や主要路線は高崎が拠点になっています。

前橋に行くには、高崎駅でローカル線の両毛線に乗り換えなければなりません。

駅前周辺の活気も、高崎の方が上回っているイメージがあります。

 

静岡県

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東西に長い地理的状況から、

「東部」(伊豆地域を含む)旧・伊豆国

「中部」(静岡市中心)旧・駿河国

「西部」(浜松市中心)旧・遠江国

に分かれます。

 

静岡市はもちろん県庁所在地として、また地理的にも県内中央部の年として、その存在を確立しています。

政令指定都市にもなっていますが、その人口は69万人。

 

一方、同じく政令指定都市に指定されている浜松市の人口は、周辺との合併により静岡市を上回る79万人に及んでいます。

駅を中心とする市街地の風景も、高層ビルが建ち並んで静岡市より広く立派な印象を受けます。

 

伊豆地域を含む東部は東部で、それぞれは中規模ながらも沼津市三島市富士市御殿場市熱海市など、工業地域や商業施設・観光地として知名度の高い市が集中しており、存在感を示しています。

 

県内における静岡市の「シェア」は、思ったほど大きくはないのが現状です。

 

長野県

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県庁所在地・長野市の人口は、37万人で県内トップです。

 

しかし、歴史上「長野県」と旧「筑摩県」が統合して出来た背景もあり、松本市(旧:筑摩県の県庁所在地、人口24万人)の誇りも高いです。

地理的にも、長野市が県北部、新潟県に近いところにあるのに対して、松本市は県の中央部に位置しています。

 

長野市民に言わせると「長野には『善光寺』という絶対的存在がある。新幹線が通っている」。

一方松本市民の主張は「立地的に県の中心は松本。松本には『松本城』がある。お城は政治的中心地の象徴だ」ということになります。

 

三重県

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南北に長い地理から「北勢」「中勢」「南勢」に分かれます。

さらに内陸部は「伊賀」、和歌山県境の南西部は和歌山県の旧名をとって「東紀州」と呼ばれています。

 

県庁所在地・津市の人口は28万人。

JRの駅が市内の中心部から外れて通っていることもあって、人口規模の割に街並みは寂しい印象です。

 

津市を上回る規模なのが、北勢地区の中心都市、人口31万人の四日市市

小さい頃、国内の代表的な工業地帯としてその名を知った記憶があります。

津市は県内第2の都市となっています。

 

鳥取県

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鳥取県も東西に長く、「東部」「中部」「西部」に分かれます。

東部は、旧因幡国

その中心地だった鳥取市が県庁所在地になっています。

現在の人口は19万人。

 

西部は「伯耆大山」で有名な旧伯耆国

その中心地は、人口15万人の米子市

鳥取市には砂丘がありますが、米子市にはお城(城跡)があります。

古い時代、この地域の政治的な中心は、むしろ県西部にありました。

平成の大合併」で鳥取市の人口が増加するまでは、両市の規模は拮抗していました。

 

山口県

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県庁所在地として全国で最も影が薄い印象があるのが、県の内陸部に位置する山口市です。

人口は20万人ほどですが、県内第2位です。

 

トップは、27万人が住む下関市

知名度も、交通の要所としての重要度も県庁所在地よりはるかに大きいです。

ほかにも、宇部市周南市(旧・徳山市など)・下松市・光市・岩国市と 、新幹線の通る海側に主要な都市が集まっています。

 

山口市も、「平成の大合併」によって海との接点を持って人口も増加し、新山口駅という新幹線駅を得ましたが、市役所は盆地の中にあって、「県の中心地感」はあまり大きくありません。

【懐かしい歌No.90 ミステリアスで飾らない実力派シンガー】「やさしさで溢れるように」JUJU(2009)

現在「現役」として活躍している女性ソロ歌手の中で、「もっと脚光を浴びて然り」と感じるひとりが、

JUJU

です。

 

ステージでは帽子を着用するなど、全体的にミステリアスなムードを醸し出している面もあり、一種独特な雰囲気と存在感を確立しているシンガー、という印象があります。

 

それでいながら、バラエティー番組で見せる「飾らない」素顔とのギャップがまた魅力。

これだけの実力・実績を持ちながら「紅白」に無縁なのも謎です。

(「紅白」がすべて、ではありませんが…)

 

10代の頃にジャズシンガーを目指して単身NYに渡ったキャリアからもうかがえるように、ジャズだけでなくソウルやR&B含め、洋楽ナンバーを広く歌いこなせるパワーを持つ…

それが、「ニッポンのはやり歌の歌い手」とは一線を画す面があったのかもしれません。

 

デビュー当初は洋楽志向が強かったものの、周囲のサジェスチョンもあって唱法を根本から「J-POP仕様」に路線変更。

そこから、元来の実力が徐々に評価されるようになっていきました。

 

デビューから5年目の2008年、「素直になれたら」が初のベストテンヒット。

そして、翌年にリリースした

やさしさで溢れるように

が、CMタイアップの効果もあって、連続ヒットを果たしました。

次作の「明日がくるなら」(JAY'EDとのダブルヴォーカル)が、映画「余命1ヶ月の花嫁」の主題歌に起用され、自身最高位のヒットとなっています。

 

曲調は、全体に8ビートを強めに利かせた、一種R&B色も感じさせるミディアムテンポのロックバラードです。

ピアノを軸に、ドラムが強調されたサウンド

ややハードなアレンジになっていますが、優美なメロディーラインに乗せ、下記に抜粋した歌詞のように、純粋に「あなたを愛し続ける」のメッセージを届ける、文字通り「優しい」ラブソングになっています。

 

ところどころに、アレンジ上の「スパイス」がいくつか見られます。

  • 2番の始まりのところで一瞬だけドラムが鳴りやんで、ヴォーカルだけが「浮き出る」部分。
  • 2番終了後のまったく異なるフレーズ=「Dメロ」において、細かい音符に乗せて歌詞を一気にたたみかける部分。
  • その盛り上がりのあと再びサビが現われるところで、ベース・ドラム・エレキなどさまざまな楽器がやんでピアノ一本に絞られる部分。

アレンジ面で、非常に緻密な「計算」が施されているのを感じます。

 

<Aメロ>

目が覚めればいつも 変わらない景色の中にいて
大切なことさえ 見えなくなってしまうよ

<Bメロ>

生きてる意味も その喜びも
あなたが教えてくれたことで
「大丈夫かも」って言える気がするよ
今すぐ逢いたい その笑顔に

<Cメロ⇒サビ>

あなたを包むすべてが やさしさで溢れるように
わたしは強く迷わず あなたを愛し続けるよ
どんなときも そばにいるよ

 

(2番:略)

<Dメロ>

 

雨に打たれても 風に吹かれても
寒さを感じない 今は
ぬくもりはいつも この胸の中に
決して失くさないよ ありがとう

 

<再びサビ>

巡る季節の中でも この手を離さないでいて
二人を繋ぐ想いが 決して色あせないように
あなたを包むすべてが やさしさで溢れるように
わたしは強く迷わず あなたを愛し続けるよ
どんなときも そばにいるよ
離れていても そばにいるよ

 

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「来週」「翌週」「次週」を使い分けられていますか?「月」にも同様に「来月」「翌月」「次月」の呼び方がある。ところが「日」には「翌日」しかない

「来週」、「翌週」、「次週」。

日常的には、いずれも「来たるべき次の週」として同じ意味で使っているような気がします。

 

しかし、過去に「ゼロ」と「零」には厳密には違う意味があると書いたように、それぞれの言い方には微妙な違いが存在しています。

 

saewataru.hatenablog.com

 

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まず「来週」とは?

辞書には「今週の次の週」とあります。

つまり、現時点=今週から見た次の週が「来週」となります。

今日は8月18日ですから、「来週の火曜日」は7日後の8月25日を指すことになります。


次に「翌週」とは?

同じく辞書では、「その次の週」とあります。

これだけだと「来週」と同じように見えますが、解説に単に「その次の」とあるように、現時点ではなく、過去または未来のある特定の日を起点とした次の週を意味します。

たとえば、「今度の連休明けの翌週に会いましょう」のように、未来のある時点の次の週の場合は「翌週」となります。

(あまり明快な説得力ある説明ではない気もします)


そして「次週」とは?

辞書では、最もシンプルに「次の週」とあります。

「来週」「翌週」のように単に「次の週」ですから、起点は現在・過去・未来どこでもOK。

ただ、「来週」と同様に、現時点における次の週という意味合いで使われるケースが多いです。

 

では、「来週」と「次週」の違いは?

「来週」はスケジュールが確定している時、「次週」は未確定の場合に使用することが多い、とされています。

たとえば

来週必ず伺います」

時間があれば(もしスケジュール的に可能ならば)、次週も伺います」ぐらいのニュアンスの違い。

 

あくまで辞書的解釈であり、日常会話ではどうでしょうか?

「翌週」はなんとなく実感としてわかりますが、「次週」と口にすることは少ないかもしれません。

個人的には、あまり明確に使い分けられてはいません。

 

特に仕事の場合。

「来週」は、言う方も聞く方も「話し言葉としては最もなじみ深い」ので、普通に使います。

 

ただ、この時に

1週間の始まりを「日曜日」とするか「月曜日」と捉えるのか

によって、「来週に関する認識」が微妙にずれる場合があります。

特に、「日曜日」について語る時。

 

最近は、「月曜日からスタートするカレンダー」も見かけるようになってきました。

手帳も同様です。

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今日、8月18日から見て「来週の日曜日」と言った場合。

「すぐ直近の日曜日」である8月23日を指すのか?

「23日は『今週』のうちだから、もう1週間あとの8月30日」を指すのか?

人によって答えが違うことがあります。

時々混乱します。

 

どちらが一般的でしょうか?

 

仕事上の会話は「平日」が基本。

日程に言及する時によく使う言い回しが、

「(〇月)〇日の週」

という言い方です。

 

週の初めは月曜日という前提で、「〇日」には月曜日になる日が入ります。

「8月24日の週」というように。

 

そして、

この言い回しはそのまま「月」にも当てはまります。

「来月」「翌月」「次月」と言う風に。

いずれも、必ずしも厳密に使い分けられているわけではありませんが、言葉としては同様に存在しています。

 

ところが、

「日」になるとそれがありません。

「翌日」という言葉はありますが、「次日」という言い方はありません。

「来日」は言葉としてはありますが、外国人が日本にやって来ること。

「来週」や「来月」のように、「次の日」を表わす言葉とは別の意味になってしまいます。

使える言葉は「翌日」だけです。

 

「次」の場合は、「の」を入れて「次の日」

もっと単刀直入に、「日」に関してだけは「明日」という便利な言葉があります。

 

では逆に、なぜ「明週」「明月」という言葉がないのでしょうね?

 

「月」「週」「日」。

どれも同じ「時間」を表わす言葉なのに、「日」だけ違う扱いになるのがちょっと興味深かったです。

「こまどり姉妹」「叶姉妹」「阿佐ヶ谷姉妹」。本物の姉妹は誰でしょう?

芸能界には、兄弟・姉妹で活躍している人物が多数います。

 

歌手や漫才師(現在は「芸人」という言葉に統一されつつあります)などでは、コンビでの活動もアリ。

俳優の世界にも兄弟姉妹はいますが、活動はそれぞれひとりずつのケースが基本です。

ともに同じ業界にいても、仕事そのものが「ソロ」を基本としていますから、ある意味当然かもしれません。

 

そんな中、

コンビで活動し、しかもコンビ名に堂々と「姉妹」を名乗っている2人組がいます。

 

タイトルに挙げた「ミニクイズ」。

多少なりとも芸能界やテレビに興味のある方には、すぐお分かりの愚問かもしれません。

「世代」でない方、興味のない方にとっては、今日のネタ自体がそもそもが愚問かもしれません。

雑学としてしばらくお付き合いいただけたら、ありがたいです。

 

正解は、もちろん

こまどり姉妹」。

 

叶姉妹」も「阿佐ヶ谷姉妹」も「設定上の姉妹」です。

それにしては、イメージや醸し出す雰囲気があまりに似ているなぁと感心してしまいます。

あの絶妙な「設定」が、なかなか興味深いです。

 

こまどり姉妹

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長内栄子(姉・左)と長内敏子(妹・右)。

主として1960年代に活躍した、一卵性双生児の姉妹歌手です。

 

同じ時期には、洋風ポップスで一世を風靡した同じ双生児姉妹歌手ザ・ピーナッツが活動しており、彼女らは「演歌版ピーナッツ」とも称されました。

 

当初コンビ名は普通の苗字らしく「並木姉妹」と名乗っていましたが、その後新たな芸名を公募して、今のコンビ名になりました。

確かに今の名前の方がインパクトがあります。

 

13歳の頃北海道から上京し、三味線を弾きながらの「演歌師」稼業。

いわゆる「流し」をしながら苦労を重ね、スカウトを受けて1959年にようやくデビュー。

その後ヒットを連発し、紅白にも7回出場するほどの人気を博しました。

 

御年80を超えた今もステージをこなすほか、時々出演するバラエティー番組では「肉好きの大食漢」としても活躍し続けています。

 

デビュー曲:「浅草姉妹」

当時20歳そこそことは思えないほどの、本格的な歌唱ぶりです。

 

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叶姉妹

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叶恭子(左)と叶美香(右)の2人組。

互いを「お姉さま」「美香さん」と呼び合う、「セレブライフ」をセールスポイントにしたゴージャスな姉妹、

という設定になっています。

 

もともと名前が売れるきっかけになったのは、ファッション雑誌25ans」(ヴァンサンカン)の読者モデルとして。

それが一般読者から支持を受け、やがてテレビでも注目されて現在の地位を得るに至りました。

 

「芸歴」は、彼女らのイメージを壊すことになるので、明かすのはタブーなのかもしれませんが、それぞれが別の芸名でモデルをしていた頃からはすでに30年以上。

「姉妹」になってからでも、もはや四半世紀近く。

超ベテランタレントです。

 

現在の肩書は、

「セレブリティライフスタイルプロデューサー」

ということになっているのだそうです。

何をプロデュースしているのか、ワケがわかりません。

 

役者や歌手としてヒット作を持ち、高い知名度を得たわけではない。

デヴィ夫人や「どんだけ~!」のIKKOに通じるテイストもありますが、彼ら(彼女ら?)のように、バラエティー番組でのトークが格別に面白い、というわけでもない。

なのに、彼女らは「超豪華」さを維持しているのです。

 

姉・恭子は、「メンズ」と呼ばれる取り巻きの男性を常に侍らせています。

中でも特別に容姿端麗な男性は「グッド・ルッキング・ガイ」と呼ばれています。

彼らはみな、20代前半の世界的スーパーモデルが多いと言われ、そのメンバーはしょっちゅう選抜されて入れ替わるのだそうです。

 

妹・美香は、そんな自由奔放な姉に手を焼きながらも、フォローする役割に徹しています。

姉同様のダイナマイトボディーを持ち、派手なファッションに身を包んでいるのはトレードマークとして、一方で保育士や小学校教諭免許を持っていることもあってか、堅実な面もその言動から垣間見えます。

 

  • どこまでが現実で、どこまでが演出なのか?
  • なぜここまでにセレブに持ち上げられているのか?
  • 彼女らの「収入源」は何なのか?

などと、下世話なイマジネーションをも吹き飛ばしてしまう、唯一無二のユニットです。

 

2人のキャラクター全開のコミックCMです。

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阿佐ヶ谷姉妹

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こちらは、グッと肩の力が抜けた(!)ほのぼのした「姉妹」です。

姉・渡辺江里子(右)と妹・木村美穂(左)の2人組。

2018年の女芸人コンテスト「THE W」で優勝して、注目を浴びるに至りました。

 

いわゆる「第七世代」と呼ばれる若手芸人がもてはやされる中、グッと数少ない女芸人枠の中で、他には見られない「中年の星」として、カラダを張った芸で大活躍中です。

 

ヘアスタイルやメイク・衣装などを「寄せている」影響も大きいのでしょうが、「本当の姉妹」と呼んでもまったく差し支えないイメージの2人。

 

東京都区内の住宅地である、特別オシャレな街に名前は挙がらないけれど、そこそこ良いイメージのある「阿佐ヶ谷」をコンビ名に選ぶ絶妙さ。

売れるまでは、姉妹のイメージを付けようと実際に阿佐ヶ谷のアパートで共同生活をし、今も同じアパートの隣の部屋に暮らしているというのも、どこかしら健気で堅実です。

 

お笑いでバカをやっているだけかと思うと、妹・美穂が音楽学校出身ということもあって、ネタの合間に時々聴かせるハモリのコーラスは音程がきっちり合っていて、ちゃんと歌えるなかなかのレベルであることがわかります。

また、姉・江里子は国語の教員免許を持っていることもあってか、真面目な場面(ラジオMC)での話術には、アナウンサー顔負けの安定感があります。

 

「突然大ブレイク」したわけではないだけに、「落ちる」「消える」心配もない。

「若さでチヤホヤされた時期」がないだけに、トシを重ねてからのイメージチェンジに苦悩する必要もなさそう。

その分、これから息の長い活躍が期待できそうです。

 

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「負けて終わって獲得した銀メダル」より「勝って終わって獲得した銅メダル」の方が称賛されているように思える、妙な感覚

オリンピックと言えば「メダル」。

もちろん金メダルの価値は絶大ですが、3位圏内に入るのでも非常に偉大なことと思います。

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金メダルは、どの競技でも勝ち続けて最終的に「トップ」になった選手に与えられます。

一方、当たり前ですが

銀メダル・銅メダルはトップではない。

どこかのプロセスにおいて「負け」の要素が入ります。

 

陸上競技は、トラック・フィールド・マラソン含め、公正に「数字」で順位が決まります。

競泳も同様です。

 

「100メートル走・競泳・マラソン」であればタイムで。

走り幅跳び・高跳び」であれば、飛んだ長さ・高さで。

「〇〇投げ」であれば、やはり投げた長さで。

予選~決勝のプロセスはありますが、最終的には「横一線の客観的な一発勝負」になります。

ここでの銀メダルは、1位には及ばなかった、つまり「負けた」けれど、同条件の下なので、銅メダルよりは文句なしに優れています。

一緒に競争する。

あるいは数字で比較する。

「負け」のタイミングは、銀も銅も一緒です。

 

これに対して、

柔道・レスリングなど「トーナメント」方式で行われる競技があります。

 

全員が一斉に競争するのではなく、1対1で対戦します。

ここでの銀メダルは、「決勝」まで勝ち進んで、最後に敗れて獲得するメダルです。

 

一方、ひとつ手前の「準決勝」で敗れてしまった場合、その時点で金・銀メダルの可能性はなくなってしまう。

 

しかし、これらの競技には「3位決定戦」という「敗者復活」のシステムがあります。

そこで勝てば、「色」は違えどメダルが獲得できるのです。

すなわちここでの銅メダルは、(ひとつ下のレベルだけれど)最終的には勝って獲得するメダルということになります。

 

日本には「有終の美」という言葉があります。

「終わり良ければすべて良し」とも言われます。

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銀メダルは銅メダルより、文句なく理屈抜きに素晴らしい「上」なのです。

言うまでもないことです。

 

ただ、トーナメント競技の場合、

銀メダルには「最後に負けて、優勝にあと1歩及ばなかった残念感」がある。

一方、

銅メダルには「最終的に頑張った健闘感」が漂う。

 

テレビでの銀メダリストへのインタビューが、その雰囲気を如実に物語っています。

 

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「一発勝負」や「数値計測」で決まる競技の場合は、(優勝は出来なかったにせよ)「2位でも素晴らしい」祝福ムードがあります。

たとえば、前回リオ五輪での陸上400メートルリレーがその象徴でした。

インタビューも、晴れやかな「祝福一色」のムードで行われました。

 

ところが、トーナメント制の競技の場合、決勝で敗れ優勝を逃したばかりのタイミングでのインタビューは難しい。

 

特に、金メダルを期待されやすい種目。

柔道やレスリングは厳しいです。

 

アナウンサーもストレートに「銀メダル、おめでとうございます!」とは絶対に言えません。

「金」と「銀」の格差は、「銀」と「銅」の数倍もあります。

「金」を賭けた直接対決で「負けたのを目撃した直後」なのですから!

言葉を選んでいる様子が、ありありとうかがえます。

そこで、率直に「残念でしたねぇ!」と切り出したり。

「お疲れさまでした!」が第一声だったり。

 

これが銅メダリストになると、何はともあれ勝った直後。

そこで、インタビューの場でも素直に「メダル獲得おめでとうございます!」から切り出すことが出来る。

 

2位と3位でどちらが優れているか結果は明らかなのに、なぜかいつも気になります。

【懐かしい歌No.89 漢字1文字のシンプルなタイトルに深み】「奏(かなで)」スキマスイッチ(2004)

1999年、ヴォーカル・大橋卓弥とピアノ・常田真太郎によりユニット結成。

2003年にメジャーデビューしています。

 

ユニークなユニット名

スキマスイッチ

の由来は、常田の住んでいた部屋で偶然目に入った窓の「隙間」と、電気の「スイッチ」から誕生したと言われています。

 

2004年、2枚目のシングルとして発表されたのが

「奏(かなで)」。

ユニット名同様、過去に例を見ない珍しいタイトルに、まず注目しました。

(ブログ同様、タイトルは重要ですね…)

 

その「正体」は…

アコースティックギターとピアノ・ストリングスがバランス良くミックスした、シンプルかつ美しい音色に乗せて、別れのシーンを切々と歌うバラードナンバー。

一気に心を奪われ、当時アタマの中がヘビーローテーション状態になったのを思い出します。

 

セールス実績で言えば、翌2005年に発売され、今年も映画主題歌に起用されるなど、彼らの代表作となった軽快なポップチューン、全力少年の方が有名でしょう。

確かに明るく爽やかで好きではあるのですが、心への響き方が違いました。

 

「紅白」には3回出場していますが、初出場時に「全力少年」が歌われ、3回目の時に時代を逆戻りする形でこの「奏」が披露されています。

 

さて、この曲。

1番冒頭から、「舞台となる駅前の映像」と「別れに際しての主人公の胸痛む心情」がクリアに描かれているのが、なんとも印象的です。

 

歌詞(1番)

 

<Aメロ> 

改札の前 つなぐ手と手
いつものざわめき 新しい風
明るく見送るはずだったのに
うまく笑えずに君を見ていた

 

<Bメロ⇒サビ>

君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた

 

 

ワンコーラスでそこそこの「文字数」があり、ストーリーを紡ぐ言葉は足りているような気もしますが、楽曲構成上がA-Bだけのせいなのか、最初に聴いた時「これだけで1番が終わってしまうのか?」との感触もありました。

 

ところがそんな「懸念」は、最後まで聴くと無事に解消されます。

 

2番まで終わったところで現われる、まったく別のメロディー・Cメロ。

この一節で、歌詞もメロディーも一気にヒートアップします。

そして、再び戻ってきたサビフレーズでは、キーが一気に「+3」にアップしての「熱唱」でエンディングを迎えます。

1番・2番がやや「抑えめ」のように感じたのは、後半にこうした「仕掛け」を用意していたからだったのか、と納得させられます。

 

<Cメロ>

突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて抱きしめたんだ
君がどこに行ったって僕の声で守るよ

 

<サビ⇒変形繰り返し>

君が僕の前に現れた日から
何もかもが違く見えたんだ
朝も光も涙も歌う声も
君が輝きをくれたんだ
抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
僕らは何処にいたとしてもつながっていける 

 

抑えきれない感情を「奏でる」

それが、タイトルに込められた意味だったんですね…

 

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【シンガーソングライター・さえわたるオリジナル作品 No.7 カリブ海でリゾート気分】「カリブの風と夕陽とペーパーバック」

オリジナル作品の連載、7回目。


本日のタイトルは

「カリブの風と夕陽とペーパーバック」

です。

 

カリブ海の島が舞台。

夏の風に吹かれながら、のんびり寛いでいる。

片手には「ペーパーバック」の本を携えて。

(最近、あまりこうした呼び方はしなくなりました)

 

ビーチからの眺めや「現実逃避気分」を、歌詞の中に存分に織り込んでいます。

エキゾチックな楽器やパーカッションを使って、海外のリゾート気分を盛り上げるアレンジにチャレンジしています。

 

せめて歌の世界だけでも、夏旅行を味わってみたいものです。

 

 

<歌詞>

読みかけのペーパーバック 砂の上に放れば

わけありげの アバンチュール

その続きは 風に訊いて

 

ヤシの影はらり 胸に乗せて呑気に

眠る人の横で いつしか波はララバイ

 

もう 恋の手際 忘れてしまいそう

ああ ここはカリブ 夢に近い島

 

目覚めればペーパーバック 夕陽色に染まって

潮の香るLove Affair 一部始終は彼に訊いて

 

ウミガメのような 砂だらけの背中で

遠く沖を見てる 横顔かなり素敵

 

もう 熱い吐息 溺れてしまいそう

ああ ここはカリブ 心焦がす島

 

もう 帰り方を 忘れてしまいたい

ああ 帰る場所は ないと思いたい

 

もう 恋の手際 忘れてしまいそう

ああ ここはカリブ 夢に近い島

もう 熱い吐息 溺れてしまいそう

ああ ここはカリブ 心焦がす島

心溶かす島

心そよぐ島

 

 

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収載作品リストです。
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「老後2000万円」の愚報にツッコミまくる。非現実的な算定根拠。貯蓄「平均額」のワナ。統計の信憑性にも疑問。4割の人は本当に70歳まで「働きたい」のか?

昨年、金融庁の発表したいわゆる

「老後2000万円資金」

問題が大きくクローズアップされました。

 

ほかのニュースに埋もれて、今はほとんど忘れ去られている話題ですが、問題が自動的に解決したわけではありません。

 

最初にこれが報じられた時は、情報番組のコメンテーターや街角インタビューの声も含めて

「年金をもらう65歳までに2000万円なんて!」

「とんでもない額のおカネをどうやって用意すればいいのか?」

といった論調がほとんどでした。

「2000万円」という金額だけがクローズアップされてひとり歩きし、その根拠と本質がまったく認識されていませんでした。

 

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この算定の根拠となった主な前提は、以下の通りです。

ざっと挙げただけでも、プラス・マイナスに振れ幅のある非現実的な設定が多数見つかります。

  • 夫が65歳以上、妻が60歳以上。つまり「夫婦2人」の家計であること
  • 夫は会社員で、月に20万円以上の手厚い厚生年金保険を受給できていること
  • 昨今突如現れた「人生100年」のキャッチコピーに乗っかって、(長生きはおめでたいですが)夫が30年後の100歳近くまで生きるパターンを想定していること
  • 収入が見通せているのに、生活スタイルを見直すこともなく、収入を上回る生活費支出を継続していること

 

二人揃って平均寿命以上まで長生きし、収入以上の生活費を使いまくる。

老後資金が足りなくなるのは、当たり前です。

これが、ニッポン国民の「標準的なモデル」と言えるのでしょうか?

このような条件にすべて当てはまる人など、果たして国民の何パーセントいるのやら?

否、ひとりもいないような気がしてきます。

 

この数字の「信用度」は、きわめて低い。

それどころか、逆に

「年金だけでは生活が成り立たないから、各家庭で独自に2000万円以上の資金を用意しておきなさい」

という途方もない脅かしのメッセージを国民に放り投げている、不安を煽るだけのとんでもない愚報だと今でも思っています。

 

では、この事態が現実であると冷静に受けとめたとして・・・

それに備えるための貯蓄は、きちんと出来ているのでしょうか?

昨年、このニュースを受ける形で、還暦を迎える世代の貯蓄額のデータが取りまとめられました。

 

平均で、ざっと3000万円

という結果がでています。

 

シンプルに考えると、

「2000万円なんてとんでもない額!」

と言いながら、一方で

「3000万円の貯蓄があるのなら、心配ない」

という結論になりそうなところです。

 

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(出典:PGF生命調べ)

 

ところが、言うまでもなく

この「3000万円」のデータはあくまで「平均」である

というトリックがあります。

「皆が揃って3000万円を所有しているわけではない」のです。

 

全体のわずか数パーセントの「1億円以上の高額貯蓄者」が平均額を大きく釣り上げているのが実態。

実数としては、全体の3分の2以上が「2000万円未満」と回答しているのです。

「100万円未満」と答えた人が、なんと4分の1も。

(これはこれで「ホントかな?」と思いますが)

「平均額」よりこうした認識の方が、よほど現実に近い感覚です。

ゆえに、多くの人々が「2000万円」を「手の届かない大金」と感じるわけです。

 

加えて、ここには「平均議論云々以前の根本的な問題」が横たわっています。

「統計の信憑性」です。

 

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国勢調査員のように「マンパワー」で情報を集めているのか、電話調査なのか、ネットアンケートなのか、その方式はともかくとして・・・

仮に「個人名が特定されない調査」だとした場合でも、

「自らの貯蓄額を正直に回答する人間が、果たしてどのくらいいるのか?」

という問題があります。

 

定義が明確でないために、たとえ悪意はなくても、本当に実額を把握出来ていない人も相当数いるのではないかと思います。

「貯蓄」とは、単に銀行の預金通帳の金額にとどまらないからです。

株式や保険、査定によって価値が変動する不動産などは、この「平均3000万円」に含まれているのか、疑問です。

 

また、夫婦であっても「家計は別」というケースも珍しくありません。

共働きか否かにかかわらず、お互い配偶者の持っているおカネの額は、案外知らないものです。

こんな時、どうやって貯蓄額を報告するのでしょうか?

 

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仮に「2000万円不足」が現実だとしましょう。

おカネが足りなければ、生活を切り詰めるか、働くかしかありません。

 

それでは、一般的な定年年齢である

60歳以降「いつまで働いていたいか」?

それをまとめた調査結果があります。

 

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(出典:同上) 

 

これによると、60歳でリタイアするつもりの人は、わずか15%しかいません。

4割の人が実質70歳まで、3割以上の人が70歳を超えても「働いていたい」と回答しています。

 

この調査は、微妙な、しかし重要な言葉の定義を曖昧にしています。

「質問通り、本当に積極的に働いていたいのか?」

「おカネがないから、働かなければならないと考えているのか?」

の違いです。

 

「Want」と「Must」。

この両者の意識は、天と地ほど異なります。

 

個人的な推測ですが、この「働いていたい」の中には、「老後2000万円」の「愚報」に惑わされて、「働き続けなければ不安」と考えて回答した人がかなりの程度いるのでは?と思われます。

 

逆に、

「将来のおカネに大きな不安はないけれど、カラダが元気なうちは働いていたい」

とする価値観の人も多いのかもしれません。

働くことによって健康を維持し、周囲のコミュニティーとも触れ合って、世の中に貢献する。

それを生きがいとする。

立派な考え方だと思います。

 

もっと進んだ(あるいは伝統的な)考え方ではないか?と思うのが、

「カラダが元気なのに、定年を過ぎたからと言って働かずに遊んで暮らそうとするなど、けしからん!」

この世代に一番該当するホンネは、案外これなのかもしれないなと感じます。

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こうした人たちは、おカネの有無以前の問題として、「働く以外に生きるすべ」を持っていない可哀そうな姿に写ります。

 

彼らの一部には、

「働いて目標の2000万円稼げたら、その時点でリタイアして、それから好きな趣味でも楽しみながら暮らそう」

などという考えが、もしかしたらあるかもしれません。

 

しかし、「働いて稼ぐことこそイノチ」の価値観の持ち主たちは、仮に2000万円に到達した時点で、働くことを辞められるのでしょうか?

2000万円稼いだら、よりラクな暮らしをしようと3000万円稼ぎたいと考えるかもしれない。

3000万円に到達したら、次は5000万円欲しくなる。

金銭欲に限りはありません。

 

仮に「貯蓄目標額」が達成できたとする。

「さぁ、これから好きなことを・・・」と思い立った時、カラダはそれを受け付ける健康状態をキープしているでしょうか?

その時はすでに手遅れ。

もう「元気に生きる時間」が残されていないのです。

人生の「時間は有限」なのです。

 

汗水たらして死ぬ気で働いて稼いで、「今度はおカネを使う」番。

いざ遊ぼうと思ったら、「時間切れ」。

大量のおカネを残したまま死んでいく。

冗談ではない「紛れもない実態」です。

 

「好きな趣味でもしながら~」の「気安い発言」にも大いに違和感があります。

 

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たかが趣味、されど趣味。

「仕事こそ、人生の絶対的存在」

「仕事以外に時間を費やすなど許されないこと!」

と考えて生きて来た人が、60歳になったとたん、あるいは仕事から離れたとたんに生まれた「余裕時間」を充実して過ごせるような趣味が、そう簡単に見つかるものでしょうか?

 

トシをとって「ゼロから何かを始める」ことが大変なのは、仕事も趣味もある意味同じ。

 

「趣味を満喫する」生活は、口で言うほど生易しく実現出来ることではありません。

 

2000万円には一応「老後」の修飾語が付いてはいます。

しかし、ここにはどの世代の人にも当てはまる、「人生の限りある時間の過ごし方」に対するメッセージが込められているように感じられます。

【懐かしい歌No.88 超・社会現象を起こした伝説の2人組】「うたかた」ピンク・レディー(1980)

歌の世界にとどまらず、世の中に「瞬間最大風速的」に影響を及ぼした

ピンク・レディー

という「社会現象」があった…

 

それが現在どの程度記憶されているのか、もはや想像がつきませんが、ひと言

「一大ムーブメント」

を起こしたことだけは事実です。

 

コンビとしての活動期間は、1976年8月から1981年3月までのわずか4年半。

そのうち、オリコン1位を獲得し続け活躍が絶頂だった時期は、1977年から78年にかけての、わずか2年間ほどでした。

 

しかし、デビュー曲のペッパー警部から

「SOS」

カルメン'77」

渚のシンドバッド

「ウォンテッド(指名手配)」

「UFO」

「サウスポー」

「モンスター」

「カメレオン・アーミー」

と続く一連の大ヒットは、まさにピンク・レディー旋風」と言って過言ではありません。

 

「UFO」ではレコード大賞も受賞。

発売から40年以上経ってなお「UQモバイル」のCMソングに使われている。

その元歌であることすら、もはや知られていない事実かもしれません。

 

その後、ニューミュージックの台頭や80年代の新しいアイドルブームに押され、国内での人気は急落。

それまでの女性アイドルのファンが主に若い男性だったのに対して、彼女らの支持者の多くは「小学生」だった、という特徴が影響していたのかもしれません。

 

米国進出を試み、現地で一定の成果を得るも、日本ほどの人気は望むべくもありません。

再び日本での活動を目指しますが、残念ながら往時の人気を取り戻すことはありませんでした。

 

彼女らは、ユニットの人数は違いますが、ほぼ同じ時期に活動した

キャンディーズ

と比較されることがよくあります。

 

キャンディーズの活動期間も、くしくも5年弱。

トータルのセールス実績的には、上述した大ヒット曲を連発したピンク・レディーの圧勝です。

 

しかし、レコードセールスの「記録」的にはピンク・レディーに及ばずとも、キャンディーズには「記憶に残る」ヒット曲がいくつかありました。

代表的なところで言えば、

「年下の男の子」

春一番

「暑中お見舞い申し上げます」など。

 

そして、ピンク・レディーが怒涛の快進撃を続けていた1977年の夏、キャンディーズ

「普通の女の子に戻りたい!」

の印象的なセリフとともに解散宣言。

 

くしくも、ピンク・レディーが「UFO」と「サウスポー」で自身ピークのセールスを記録していた頃、その間隙をぬって発売された17枚目のラストシングル「微笑み返し」「最初で最後の1位」を獲得し、人気絶頂期の1978年4月、当時の後楽園球場でコンサートを開き、グループ解散をしたのでした。

「有終の美」を地で行くような、ドラマチックな解散劇でした。

 

(ただし、感動的だったのはそこまでで、その後やはり「普通の女の子」に戻れなかった彼女らは、それぞれソロで芸能界に戻ってくることになるのですが…)

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一方のピンクレディー

 

現役活動中の発売シングルは、キャンディーズを上回る22枚。

ただ、前半の10曲が超破竹の勢いだったのに比べ、後半はアメリカ活動中の英語詞の曲や、海外の作家による楽曲の日本語訳詞の作品が続き、ほとんど知られていません。

 

そして、キャンディーズの解散から3年後の1981年、くしくも同じ後楽園球場で解散コンサートを開いたピンク・レディーの姿は、まったく対照的で痛々しかったです。

暖かさを感じ始める春3月の白昼だったのに、この日は肌寒い「涙雨」。

「天にも見放されたか?!」と、なんとも悲しい結末だったことを覚えています。

 

解散後、ミーはソロ歌手・MIE(未唯)として「NEVER」がヒット。

ケイもやはりソロ歌手・増田恵子(けい子)として、中島みゆき作品「すずめ」をヒットさせます。

その後、節目節目で「再結成」を繰り返し、二人で往年のヒット曲を歌う姿も見られます。

 

今日取り上げた1曲は、往年の大ヒット曲ではなく、

「うたかた」

現役での活動末期に発売された19枚目のシングルです。

冒頭クレジットにもあるように、アメリカ活動中に発売されたアルバム収録曲に日本語詞を付けたものです。

 

80年代の洋楽テイストあふれる「ライト・ディスコ」調のアレンジは、クリアな4拍子。

「小学生のアイドル」から「オトナの歌い手」に脱却するにはお似合いのイメージ。

彼女たちの代名詞だった、印象的で派手な振り付けもありません。

 

メロディーも比較的親しみやすく、キャッチ―なサビも用意されていて、楽曲としてのクオリティーは決して低くはありません。

しかし、時代の流れと共にいったん失われたピンク・レディー・ブランドという栄光」を取り戻すことは出来ませんでした。

 

「誰も知らない」

「でも私は忘れない」

そんな1曲です。

 

(ちなみにサビフレーズでは、原曲タイトル「Strangers when we kiss」と歌っています)

 

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「々を使う=同じ漢字が連続する単語」の読み方・使われ方が意外だった。「々」は文字ではなく記号。その読み方は?

小学生の頃、「漢字の書き取りテスト」は比較的得意な方でした。

 

ところが、「ハタチ過ぎればただの人」のことわざ通り?(もともと天才でも神童でもないのですが)、

「常識的な漢字が読み書き出来ればいいや」

程度のオトナになってしまいました。

 

トシをとると、状況はさらに悪化。

「読むには読めるけど、とっさに書けない」漢字がどんどん増えていきます。

 

手書きで文字を書く機会が激減したから、に違いありません。

 

こうして普通に入力していれば、「コンピュータ様」が該当漢字の候補をすべて挙げて下さるご時世。

マシンに責任を転嫁することはカンタンですが、一方であまりの「読み書き能力の低下」を前に、自己嫌悪に陥ることもあります。

 

漢字の読み書きは、漢字検定なるものが存在するほど奥が深いもの。

教養として知っておいても決して悪くはありませんが、(決して負け惜しみではなく)その道を究めても、あまり実用的ではないようにも思えます。

 

自分自身、世間一般の「常識」程度には漢字が扱える、と思っていました。

(この「常識」のレベルも、線引きが非常に難しいですが…)

 

ところが、ふとテレビで目にした「漢字クイズ」で、日常会話によく出てくる言葉なのに、漢字にすると意外に馴染みのない単語が特集されていて、思わず興味を惹かれてしまいました。

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さまざまな難解漢字の読み方例が出ていましたが、中でも注目したのが

「同じ漢字が連続する単語」の読み方です。

「人々」「時々」「久々」などのように。

 

「威風堂々」「三々五々」「前途洋々」「平々凡々」などのように、四字熟語にもよく見られます。

また、「佐々木」「野々村」のように、苗字に含まれていることもあります。

 

この「同じ漢字連続単語」。

上記「ひとびと」「ときどき」「ひさびさ」は、当然読めますし、よく使います。

 

「偶々」

これは問題なく「たまたま」と読めました。

 

「云々」

これも、「うんぬん」。

ところが、これを「しかじか」とも読むことに気づいていませんでした。

「かくかくしかじか」だったら「然々」だろう!と思い込んでいたからです。

ちょっとつまずきました。

 

「総々」

今度はちょっとばかり立ち止まりました。

「そうそう」でないことは、すぐわかる。

「錚々」「早々」「草々」など、違う単語が出てきてしまいます。

そういえば、「総」の字は名前にも使われることがある。

その場合、通常の読み方は「ふさ」。

そう、「毛がフサフサしている」のように使う「ふさふさ」

読めなくはなかったけれど、ふだんカタカナで読み書きしていたので、「充てる漢字があること」に少し驚きました。

ちなみに、「ふさふさ」と入力しても、Wordの変換候補には出てきませんでした。

 

「区々」

「区」は、東京23区だったり、政令指定都市で市の下にあったりする存在…

つまり「小さい町の単位」だから、「まちまち」

意味を考えれば、違和感はないはずなのですが、これも

「皆の意見はまちまちだった」

のように、ひらがな表記されることに慣れてしまっていました。

 

「態々」

これも「区々」同様、わざわざ漢字を充てることは多くありません。

そう、先に答えを言ってしまいましたが、「わざわざ」。

これも

「わざわざご足労下さり、ありがとうございました」

のように、通常はひらがな表記しますよね?

 

「兀々」

恥ずかしながら、これは白旗でした。

そもそも、これって「円周率のパイ」。

こんな漢字、使ったことがありませんでした。

「コツコツ勉強する」の「こつこつ」。

これも、書く時は普通ひらがなかカタカナですよね?

 

私だけが知らなかったのかもしれません。

 

蛇足ですが、これらの単語で使われている「々」は、「文字」ではなく「記号」

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「同上」などの時に使う「テンテン」の記号が組み合わされて出来たもの、と言われています。

 

入力時に「どう」「くりかえし」「おなじ」で変換されることは経験上知っていましたが、その形から

「ノマ点」または「同の字点」、あるいは文字通り「繰り返し記号」

と呼ぶことを、初めて知りました。

 

ひらがなであれば、「ゝ」や「ゞ」に当たります。

テレビ・ラジオ出演経験があっても、有名人との思いがけないナマ遭遇には慌てる~まさかあの大女優と‼︎ 3つの「事件」レベル小・中・大

私は、プロフェッショナルとはほど遠い、

ちょっとだけ音楽方面の素養?がある

普通の会社員の身分です。

 

そう言えば、昨日書いた

「さえわたる自作オリジナル曲」の連載記事

に対して、毎日欠かさずたくさんのスターとご丁寧で温かいコメントを下さる、大切な読者仲間である「オオイヌノフグリ」さんより、

オオイヌノフグリ (id:ooinunohuguri)

結婚の有無のお尋ねがありました。

「ヴァイオリンと歌作りの世界で夢を見ている」面はありますが、現実はそこまで「自由人」ではなく、妻と二人の子供を持つ「お父さん業」も一応こなしています。

 

音楽がきっかけとなって、これまでの人生で「夢のような」非日常的な思いも少しだけ味わって来ました。

ステージに立つ活動やレコーディング作業もありますが、一番典型だと思うのが、

「テレビ・ラジオへの出演経験」

です。

 

初めてテレビに出た日、そして2度目に出た日。

最初は小学生の時。

2回目は大学生の時。

いずれも、

ヴァイオリン奏者としてNHKホールのステージでの出演

でした。

 

saewataru.hatenablog.com

 

saewataru.hatenablog.com

 

他にも、「歌」関係で3回ほどテレビ出演しています。

今でもみんな、かけがえのない思い出にはなっています。

ただ、これらはいずれも「大勢の団体の中の1人」であり、個人的な存在感を発揮できるものではありませんでした。

 

その点、

マスメディア出演関係で生涯最大の思い出となっているのは、テレビよりラジオ。

 

なぜなら、「さえわたる個人」として(出演者1人で)NHKラジオ第一放送の生番組に1時間出演出来たからです。

それは、社会人になってからのこと。

大ざっぱに言えば・・・

  • 仕事をしながら音楽活動を行っていることが知られ、新聞社から取材を受けた
  • 記事が毎日新聞に掲載された
  • 記事を見たNHKのプロデューサーから連絡が入り、番組への出演を打診された
  • 会社に承諾を得た上、出演した

ざっとこんな流れで、ラジオ番組に出演することになったのです。

詳細は、過去記事で触れています。

 

saewataru.hatenablog.com

 

主に音楽関係で、生のステージやテレビ・ラジオも含め「人前に出る」ことには慣れているつもりでした。

しかし、これらはいずれも「台本通り」の進行。

 

まったく想定外の状況で、思いがけずテレビの有名人と顔を合わせてしまうと、なかなかとっさの対応が出来ないものです。

 

エピソード:レベル「小」

都内の繁華街では、随所でテレビ番組のロケが行われています。

しかし、一般人には「いつ・どこで」の情報は当然ながらありません。

渋谷のハチ公前に佇んでいれば、何らかの「街頭インタビュー」に出会う機会があるかもしれませんが、そのような展開をこちらから特に望んでいるわけでもありません。

 

ところが、東京・新橋のとある飲食店で「事件」は起きました。

食事をしていたところ、突然数名のロケ隊が入店して来たのです。

テレビカメラ・音声など数名のスタッフと共に現われたのは、なんと

キャイーンの2人。

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フジテレビで土曜の夕方に放送されている、街中お散歩番組

もしもツアーズのロケでした。

www.fujitv.co.jp

彼らは、店の従業員にインタビューしていただけで、我々客とのカラミはありませんでした。

でも、二度とないチャンス。

声のひとつも掛ける勇気があれば良かった・・・と思っても、後の祭り。

ふだんテレビでしか見ることのない芸能人が目の前に予告なしに現れると(予告があったとしても?)、何のリアクションもとれなくなることを実感しました。

 

エピソード:レベル「中」

シチュエーションは上記と似ていますが、個人的な「活躍度」は格段に異なります。

京都に暮らしていた頃のことです。

 

ある日曜日、私は市内の繁華街でひとり買い物をしていました。

すると、アーケード内に突如ロケグループの一団を発見。

 

光都市・京都。 

ですから、街中でのロケは東京ほどではないにせよあり得ることです。

少し好奇心をそそられながらも、「何かのロケをやっているのだろう」程度のことを思いながら、横を通り抜けようとしたところ・・・

 

ロケ隊の中にいたのは、関西ではそこそこ知名度のある漫才コンビ

ダイアンの2人ではないですか!

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そして、あろうことかなんと私を手招きするではないですか!

そしてそして、何のわけもわからぬうちに、私はあっという間にカメラやらマイクやらのスタッフ軍団に取り囲まれてしまったのです。

 

まったく「アポなし」の「突撃インタビュー」の餌食となったのでした。

 

よくある「お店食べ歩き番組」では、事前に取材許可を取った上で、「いかにもフラっと立ち寄りました感」を出しているのだと思っていましたが、「街角インタビュー」に関しては、本当に何の前触れもなく行われるものなのだと知りました。

 

数分間のインタビュー終了後スタッフに確認したところ、関西・朝日放送で土曜の午前中にオンエアされている

「本日はダイアンなり!」

の収録、とのことでした。

www.asahi.co.jp

 

インタビュー終了後、スタッフから放送予定日のチラシを配られ、

「もしかしたらオンエアされるかもしれないので、ぜひ観て下さい!」

的なことを言われました。

ただ、たくさんの人を取材しているだろうし、15分のミニ番組ゆえ「どうせ編集でカットされるだろう」と軽く考えていたのです…

 

ところが、その放送日。

私はなんと約2分間、しっかり画面に映っていました。

ロケ当日は突然のことで知る由もなかったのですが、オンエアを見て初めてわかったこと。

彼らが、私へのインタビュー前にターゲットを探していた会話風景が映されていました。

そこでのボケ担当・ユースケのひと言。

「お!あっちから世界一のノッポさんが歩いてくるでぇ~!」

私がカメラに気づくずっと前から、その姿をズームで撮影されていたのでした。

 

というわけで、190cm超はやはり「目立つ存在」として狙われてしまったのでした。

その日の番組のテーマは「出身地」だったのですが、会話のほとんどは身長に費やされました。

 

この番組、地元では結構視聴率が良い様子。

翌週月曜日に出勤すると、今度は思いがけない出演ぶりを見ていた社内の人間から「囲み取材」を受ける、大騒ぎ状態となりました。

 

エピソード:レベル「大(特大?)」

突然の「街頭インタビュー⇒テレビ出演」も相当なハプニングではありましたが、それより圧倒的に忘れられないのは、

ロケではない、街中でのまったく偶然の「有名人との遭遇劇」です。

 

はるか昔。

私は、渋谷のとある店で買い物をしていました。

すると、そこへ女性2人組が。

2人とも、メガネも帽子もマスクもなく、ごく普通の恰好をしているのですが、そのうち1人からはどう見ても

「後光が差しているようなオーラ」

が出ているのです。

 

改めてよく見るまでもなくそれは、いまや大女優の風格を漂わせる

沢口靖子

その人でした!

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カメラも、スタッフのような取り巻きもいません。

マネジャーらしき女性と一緒に、お忍びでの外出のようでした。

 

まだ「新進気鋭の若手女優」と呼ばれていた頃のことです。

とは言え、なぜこんな所に??

そんなシチュエーション自体「あり得ないこと」と思えますが、目の前の光景は紛れもなく現実そのものです。

 

本当は声をかけたい。

しかし、その姿があまりにも「さりげなかった」ために、見ている側は

一瞬にして「固まって」しまったのです。

 

それでも、こんな機会は本当に二度とあろうはずがありません。

プライベートっぽいいでたちに、迷惑で申し訳ないと思いつつ、「千載一遇のチャンス!」と勇気を振り絞って、同伴の女性に声をかけました。

しゃべりかけながらそっと視線を移すと、やはり間違いなく本人でした。

 

色紙など、持っているはずがありません。

無理は承知で、Tシャツにでもサインしてもらえば良かったと思いつつ、瞬時にそんな機転も利かない!

必死の思いで、

「いつもテレビ見てます。応援しています!」

的なセリフだけを絞り出すのがやっとでした。

握手ぐらい、してもらえばよかった・・・

 

それはそれはもう、ハンパない美貌でした。

【シンガーソングライター・さえわたるオリジナル作品 No.6 遠く星空を眺めながら永遠の愛を誓った日】「million stars」

「オリジナル作品」、連載6回目は

「million stars」

です。

 

数年前、すでにiTunes Storeを通じて配信していたものですが、その中では連載初回にご紹介した「散り始めた桜」と共に反響をいただいた作品です。

 

saewataru.hatenablog.com

 

この歌に関しては、最初に詞があったのでストレートに「きらめく星空」をテーマに作りました。

リアルな日常では口に出来ないようなラブメッセージが並んでいて、ただ朗読するとなんとも照れくさいのですが、メロディーに乗せると案外すんなり感情移入出来るものです。

またたく星の「キラキラ感」を、アレンジでも表現してみました。

 

前回の掲載時に、schun (id:schunchi2007) 

さんから、「歌はどうやって録音しているのか?」とブックマークコメントでご質問をいただきました。

Schunさん、毎日ご訪問下さりありがとうございます。

 

多くの作品は自宅のデスクにあるパソコンでカラオケを作り、接続しているマイクであとからヴォーカルを入れて録音しています。

 

詳細は、過去記事に載せています。 

saewataru.hatenablog.com

 

また、風のかたみ (id:kaze_no_katami) 

さんからは、「全体を通して打楽器が控えめでは?」とのご指摘をいただきました。

風のかたみさん、毎日ご訪問下さりありがとうございます。

私自身長年ポップスに馴染んでいるとは言え、もともとクラシックの出身ゆえに、ドラム音が強いアレンジはあまり得意ではないのかもしれません。

この曲でも、サビでは一応最低限のビートを織り込んでいます。

 

この歌のヴォーカルは、かなり低音部を多用しています。

ふだんの話し声は、中ぐらいかむしろ高めだと自分では思っているのですが、歌うとなぜかキーが「低音」になります。

前半部では、ヴォーカルとして成立する最低音域にメロディーを設定しています。

 

<歌詞>

この夜空 輝く星たち

二人を 覚えているかい

永遠を 誓ったあの夜

今でも 昨日のようだよ

 

終わりを告げた 僕らの愛も

綺麗な星に なるのかな

 

Million Stars 思い出が

流れるたび 瞳が濡れる

Million Stars 泣き顔も

つらい過去も 優しく映る

 

過ぎた日々 ほほえむ二人の

記念の 写真を破いた

大切に しまっておくほど

明日に 踏み出せないから

 

瞳を閉じて 開いた時に

流れた星が 頷いた

 

Million Stars 朝が来る

日々の中を 誰もが生きる

Million Stars 思い出が

すべてじゃない 夜明けは近い

 

瞳を閉じて 開いた時に

流れた星が 頷いた

 

Million Stars 限りない

星の中に 希望を見つけ 

Million Stars 新しい

未来の空 夢見て行こう

 

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収載作品リストです。
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