「負けて終わって獲得した銀メダル」より「勝って終わって獲得した銅メダル」の方が称賛されているように思える、妙な感覚
オリンピックと言えば「メダル」。
もちろん金メダルの価値は絶大ですが、3位圏内に入るのでも非常に偉大なことと思います。
金メダルは、どの競技でも勝ち続けて最終的に「トップ」になった選手に与えられます。
一方、当たり前ですが
銀メダル・銅メダルはトップではない。
どこかのプロセスにおいて「負け」の要素が入ります。
陸上競技は、トラック・フィールド・マラソン含め、公正に「数字」で順位が決まります。
競泳も同様です。
「100メートル走・競泳・マラソン」であればタイムで。
「走り幅跳び・高跳び」であれば、飛んだ長さ・高さで。
「〇〇投げ」であれば、やはり投げた長さで。
予選~決勝のプロセスはありますが、最終的には「横一線の客観的な一発勝負」になります。
ここでの銀メダルは、1位には及ばなかった、つまり「負けた」けれど、同条件の下なので、銅メダルよりは文句なしに優れています。
一緒に競争する。
あるいは数字で比較する。
「負け」のタイミングは、銀も銅も一緒です。
これに対して、
柔道・レスリングなど「トーナメント」方式で行われる競技があります。
全員が一斉に競争するのではなく、1対1で対戦します。
ここでの銀メダルは、「決勝」まで勝ち進んで、最後に敗れて獲得するメダルです。
一方、ひとつ手前の「準決勝」で敗れてしまった場合、その時点で金・銀メダルの可能性はなくなってしまう。
しかし、これらの競技には「3位決定戦」という「敗者復活」のシステムがあります。
そこで勝てば、「色」は違えどメダルが獲得できるのです。
すなわちここでの銅メダルは、(ひとつ下のレベルだけれど)最終的には勝って獲得するメダルということになります。
日本には「有終の美」という言葉があります。
「終わり良ければすべて良し」とも言われます。
銀メダルは銅メダルより、文句なく理屈抜きに素晴らしい「上」なのです。
言うまでもないことです。
ただ、トーナメント競技の場合、
銀メダルには「最後に負けて、優勝にあと1歩及ばなかった残念感」がある。
一方、
銅メダルには「最終的に頑張った健闘感」が漂う。
テレビでの銀メダリストへのインタビューが、その雰囲気を如実に物語っています。
「一発勝負」や「数値計測」で決まる競技の場合は、(優勝は出来なかったにせよ)「2位でも素晴らしい」祝福ムードがあります。
たとえば、前回リオ五輪での陸上400メートルリレーがその象徴でした。
インタビューも、晴れやかな「祝福一色」のムードで行われました。
ところが、トーナメント制の競技の場合、決勝で敗れ優勝を逃したばかりのタイミングでのインタビューは難しい。
特に、金メダルを期待されやすい種目。
柔道やレスリングは厳しいです。
アナウンサーもストレートに「銀メダル、おめでとうございます!」とは絶対に言えません。
「金」と「銀」の格差は、「銀」と「銅」の数倍もあります。
「金」を賭けた直接対決で「負けたのを目撃した直後」なのですから!
言葉を選んでいる様子が、ありありとうかがえます。
そこで、率直に「残念でしたねぇ!」と切り出したり。
「お疲れさまでした!」が第一声だったり。
これが銅メダリストになると、何はともあれ勝った直後。
そこで、インタビューの場でも素直に「メダル獲得おめでとうございます!」から切り出すことが出来る。
2位と3位でどちらが優れているか結果は明らかなのに、なぜかいつも気になります。