さえわたる 音楽・エンタメ日記

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「老後2000万円」の愚報にツッコミまくる。非現実的な算定根拠。貯蓄「平均額」のワナ。統計の信憑性にも疑問。4割の人は本当に70歳まで「働きたい」のか?

昨年、金融庁の発表したいわゆる

「老後2000万円資金」

問題が大きくクローズアップされました。

 

ほかのニュースに埋もれて、今はほとんど忘れ去られている話題ですが、問題が自動的に解決したわけではありません。

 

最初にこれが報じられた時は、情報番組のコメンテーターや街角インタビューの声も含めて

「年金をもらう65歳までに2000万円なんて!」

「とんでもない額のおカネをどうやって用意すればいいのか?」

といった論調がほとんどでした。

「2000万円」という金額だけがクローズアップされてひとり歩きし、その根拠と本質がまったく認識されていませんでした。

 

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この算定の根拠となった主な前提は、以下の通りです。

ざっと挙げただけでも、プラス・マイナスに振れ幅のある非現実的な設定が多数見つかります。

  • 夫が65歳以上、妻が60歳以上。つまり「夫婦2人」の家計であること
  • 夫は会社員で、月に20万円以上の手厚い厚生年金保険を受給できていること
  • 昨今突如現れた「人生100年」のキャッチコピーに乗っかって、(長生きはおめでたいですが)夫が30年後の100歳近くまで生きるパターンを想定していること
  • 収入が見通せているのに、生活スタイルを見直すこともなく、収入を上回る生活費支出を継続していること

 

二人揃って平均寿命以上まで長生きし、収入以上の生活費を使いまくる。

老後資金が足りなくなるのは、当たり前です。

これが、ニッポン国民の「標準的なモデル」と言えるのでしょうか?

このような条件にすべて当てはまる人など、果たして国民の何パーセントいるのやら?

否、ひとりもいないような気がしてきます。

 

この数字の「信用度」は、きわめて低い。

それどころか、逆に

「年金だけでは生活が成り立たないから、各家庭で独自に2000万円以上の資金を用意しておきなさい」

という途方もない脅かしのメッセージを国民に放り投げている、不安を煽るだけのとんでもない愚報だと今でも思っています。

 

では、この事態が現実であると冷静に受けとめたとして・・・

それに備えるための貯蓄は、きちんと出来ているのでしょうか?

昨年、このニュースを受ける形で、還暦を迎える世代の貯蓄額のデータが取りまとめられました。

 

平均で、ざっと3000万円

という結果がでています。

 

シンプルに考えると、

「2000万円なんてとんでもない額!」

と言いながら、一方で

「3000万円の貯蓄があるのなら、心配ない」

という結論になりそうなところです。

 

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(出典:PGF生命調べ)

 

ところが、言うまでもなく

この「3000万円」のデータはあくまで「平均」である

というトリックがあります。

「皆が揃って3000万円を所有しているわけではない」のです。

 

全体のわずか数パーセントの「1億円以上の高額貯蓄者」が平均額を大きく釣り上げているのが実態。

実数としては、全体の3分の2以上が「2000万円未満」と回答しているのです。

「100万円未満」と答えた人が、なんと4分の1も。

(これはこれで「ホントかな?」と思いますが)

「平均額」よりこうした認識の方が、よほど現実に近い感覚です。

ゆえに、多くの人々が「2000万円」を「手の届かない大金」と感じるわけです。

 

加えて、ここには「平均議論云々以前の根本的な問題」が横たわっています。

「統計の信憑性」です。

 

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国勢調査員のように「マンパワー」で情報を集めているのか、電話調査なのか、ネットアンケートなのか、その方式はともかくとして・・・

仮に「個人名が特定されない調査」だとした場合でも、

「自らの貯蓄額を正直に回答する人間が、果たしてどのくらいいるのか?」

という問題があります。

 

定義が明確でないために、たとえ悪意はなくても、本当に実額を把握出来ていない人も相当数いるのではないかと思います。

「貯蓄」とは、単に銀行の預金通帳の金額にとどまらないからです。

株式や保険、査定によって価値が変動する不動産などは、この「平均3000万円」に含まれているのか、疑問です。

 

また、夫婦であっても「家計は別」というケースも珍しくありません。

共働きか否かにかかわらず、お互い配偶者の持っているおカネの額は、案外知らないものです。

こんな時、どうやって貯蓄額を報告するのでしょうか?

 

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仮に「2000万円不足」が現実だとしましょう。

おカネが足りなければ、生活を切り詰めるか、働くかしかありません。

 

それでは、一般的な定年年齢である

60歳以降「いつまで働いていたいか」?

それをまとめた調査結果があります。

 

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(出典:同上) 

 

これによると、60歳でリタイアするつもりの人は、わずか15%しかいません。

4割の人が実質70歳まで、3割以上の人が70歳を超えても「働いていたい」と回答しています。

 

この調査は、微妙な、しかし重要な言葉の定義を曖昧にしています。

「質問通り、本当に積極的に働いていたいのか?」

「おカネがないから、働かなければならないと考えているのか?」

の違いです。

 

「Want」と「Must」。

この両者の意識は、天と地ほど異なります。

 

個人的な推測ですが、この「働いていたい」の中には、「老後2000万円」の「愚報」に惑わされて、「働き続けなければ不安」と考えて回答した人がかなりの程度いるのでは?と思われます。

 

逆に、

「将来のおカネに大きな不安はないけれど、カラダが元気なうちは働いていたい」

とする価値観の人も多いのかもしれません。

働くことによって健康を維持し、周囲のコミュニティーとも触れ合って、世の中に貢献する。

それを生きがいとする。

立派な考え方だと思います。

 

もっと進んだ(あるいは伝統的な)考え方ではないか?と思うのが、

「カラダが元気なのに、定年を過ぎたからと言って働かずに遊んで暮らそうとするなど、けしからん!」

この世代に一番該当するホンネは、案外これなのかもしれないなと感じます。

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こうした人たちは、おカネの有無以前の問題として、「働く以外に生きるすべ」を持っていない可哀そうな姿に写ります。

 

彼らの一部には、

「働いて目標の2000万円稼げたら、その時点でリタイアして、それから好きな趣味でも楽しみながら暮らそう」

などという考えが、もしかしたらあるかもしれません。

 

しかし、「働いて稼ぐことこそイノチ」の価値観の持ち主たちは、仮に2000万円に到達した時点で、働くことを辞められるのでしょうか?

2000万円稼いだら、よりラクな暮らしをしようと3000万円稼ぎたいと考えるかもしれない。

3000万円に到達したら、次は5000万円欲しくなる。

金銭欲に限りはありません。

 

仮に「貯蓄目標額」が達成できたとする。

「さぁ、これから好きなことを・・・」と思い立った時、カラダはそれを受け付ける健康状態をキープしているでしょうか?

その時はすでに手遅れ。

もう「元気に生きる時間」が残されていないのです。

人生の「時間は有限」なのです。

 

汗水たらして死ぬ気で働いて稼いで、「今度はおカネを使う」番。

いざ遊ぼうと思ったら、「時間切れ」。

大量のおカネを残したまま死んでいく。

冗談ではない「紛れもない実態」です。

 

「好きな趣味でもしながら~」の「気安い発言」にも大いに違和感があります。

 

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たかが趣味、されど趣味。

「仕事こそ、人生の絶対的存在」

「仕事以外に時間を費やすなど許されないこと!」

と考えて生きて来た人が、60歳になったとたん、あるいは仕事から離れたとたんに生まれた「余裕時間」を充実して過ごせるような趣味が、そう簡単に見つかるものでしょうか?

 

トシをとって「ゼロから何かを始める」ことが大変なのは、仕事も趣味もある意味同じ。

 

「趣味を満喫する」生活は、口で言うほど生易しく実現出来ることではありません。

 

2000万円には一応「老後」の修飾語が付いてはいます。

しかし、ここにはどの世代の人にも当てはまる、「人生の限りある時間の過ごし方」に対するメッセージが込められているように感じられます。