さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

クリニックで聞かれる「患者さま」の呼びかけ。「医者と患者」は「店と客」とは異なる微妙な関係

幸いにしてそんなにしょっちゅうではありませんが、それでも年に数回はなにかしらの病医院のお世話になることがあります。

 

普通のお店に行く場合。

こちらから出かけて行って、何かしらの商品を買い求めて、あるいはサービスを受け取って、その対価としてのおカネを支払う。

それが一般的なスタイルです。

 

クリニックに行く場合。

f:id:saewataru:20200118055320p:plain

これも、行動の流れはまったく一緒です。

しかし、「受け取るサービス」が「医療」であるというだけで、先方とこちらの関係はまったく異なったもの(ある意味逆)になります。

 

お店の場合、

店員が発する言葉は、

来店時には「いらっしゃいませ」、

退店時には「ありがとうございました」が常套句。

我々は100%「客」の立場なので、当然といえば当然です。

 

しかし…

クリニックで「いらっしゃいませ」と言われたことは、少なくとも記憶の限り1回もありません。

お店と違い、「こちらから望んで出かけた先」ではないので、「いらっしゃいませ」と「歓迎」(!)されるのも、心情的にそぐわないのですね。

「おはようございます」「こんにちは」と呼びかけられるのが一般的です。

 

そして、会計の際。

f:id:saewataru:20200118060005p:plain

お店であれば、「ありがとうございました」を発するのは店員側。

さらに「またお越し下さい」の言葉が添えられることもあります。

 

これがクリニックの場合。

「ありがとうございました」と言うのは、こちら患者(客)側です。

先方の言葉は、ほぼ例外なく「お大事に」

「ありがとうございました」と言われることは、まずありません。

 

そして、一般のお店同様「客商売」であるにもかかわらず、

「またお越し下さい」とも、決して言われない。

向こうは、「商売(?)」のことを考えれば、もちろんまた来院して欲しい。

でも、「また来る」ということは、病気が治らない、あるいは病状が悪化するケース。

「またお越し下さい」は、それを期待する意味になってしまうので、決して使わないのです。

 

サービスの内容を考えれば、こうしたやりとりの言葉になることは至極当たり前です。

ただし、

通常おカネを払う側は「客」であり、立場上は強い存在であるはず。

だからこそ「お客さま」と呼ばれ、モノやサービスを買えば頭を下げてもらうのです。

 

でも、こと医療に関してだけは、この「絶対的前提」が通用しません。

おカネを支払って医療というサービスを「買って」いるのに、「ありがとうございました」と言って頭を下げるのはこちら、客側です。

 

扱われる対象が「いのち」なので、その点が別格になるのでしょうね。

 

実を言えば、普通のお店であっても、商品を買う・サービスを受けることによってこちらだって満足を得ているわけですかから、そのことに対して店員側に「ありがとうございました」と言葉を発しても、本当は良いのかもしれません。

 

その点は、昨年も記事で触れています。

saewataru.hatenablog.com

 

そうした特殊性を書いて、ようやくタイトルについての話ですが…

クリニック側でも、ここ数年患者を「客」として扱わなければならない、という傾向が芽生えて来たのか、

「患者さま」

の呼称をたまに耳にするようになりました。

f:id:saewataru:20200118060124j:plain

窓口で名前を呼ばれる時、固有名詞=苗字で「〇〇さま」と呼ばれることはごく一般的です。

しかし、

「患者」という普通名詞に「さま」を付けて「患者さま」と呼ぶのが、どうしても耳に馴染みません。

 

病気の状態にある時に、「さま」呼ばわりされて崇め奉られても、あまり敬われた気持ちにはなれません。

感覚的に、どうしても違和感が残るのです。

 

個別に人に呼びかけるのではなく、患者全般を指して言う時は、普通に「患者さん」あるいは丁寧に言うのであれば「患者の方々」がしっくり来るように思うのですが…

 

そうした呼び方よりも、弱っているカラダに対しては、

「お待たせしました。どうぞ」

「お大事になさって下さい」

と当たり前のひと言を誠意をこめてかけてもらった方が、はるかに癒されます。

 

【シンガーソングライター・さえわたるオリジナル作品 No.10 見送って改めて親のありがたみを想う】「親と云うものは」

昨日は誕生日に際して、たくさんのお祝いコメントをありがとうございました。

 

 オリジナル作品、連載10回目となる今日の歌は

「親と云うものは」

です。

 

最近のJ-POP作品の舞台は、ほとんどが

「あなたと私」

「君と僕」

「お前とオレ」

を主役にしたラブストーリーです。

演歌のジャンルでは、結婚したあとの男女を描く「夫婦〇〇」的な世界もよくありますが、ポップスではたいてい「結婚前」の交際の設定が主になっています。

それが、聴く人々が最も感情移入出来る世界だからでしょう。

 

一方で、愛情を注ぐ相手として「家族」の存在も外すことは出来ません。

中でも両親は、

「いてくれて当たり前」

「何でもしてくれて当たり前」

と思いがちです。

 

両親を見送って2年半が経ちました。

昨日ひとつトシをとったことをきっかけに、改めてゆっくり静かにその思い出を振り返ろうと、以前作曲した超スローナンバーを取り上げてみました。

 

これまでの連載は、全般的にバラードが多めになっている印象があります。

今後は、少しテイストの違う曲を随時織り交ぜながら取り上げようと思っています。

 

 

<歌詞>

あなたの手を取る 伝わるぬくもり

私の心の 温みの源

これからあなたを 私が温める

手のひら包んで 小さく誓えば

優しく優しく 包み返すあなた

そんなにも そんなにも 親と云うものは

 

目と目を交わせば 変わらぬ温もり

私を支える 温みの故郷

これからあなたを 私が支える

背中に寄り添い 小さく抱けば

大きく大きく 抱き返すあなた

こんなにも こんなにも 親と云うものは

 

あなたの歩みに 歩幅を合わせば

命が心が 安らぐ速さよ

何かに追われて 自分を失い

傷つき傷つけ 生きてる私を

優しく優しく 諭すようにあなた

どこまでも どこまでも 親と云うものは

 

いつまでも いつまでも 親と云うものは

 

www.youtube.com

 

収載作品リストです。
よろしければ、チャンネル登録お願いします。

www.youtube.com

【懐かしい歌No.95 トレンディー⇒大物女優のアイドル時代の代表作】「セクシー・バス・ストップ」浅野ゆう子(1976)

本日、ブログ開設後2度目の誕生日を無事に迎えることが出来ました。

 

9月5日に、くしくも連載No.95。

本日選んだのは

浅野ゆう子

 

「あの有名女優」にもこんな時代があったのだ…

そんなお話です。

 

アイドルとしてデビューした歌手が思うようなヒットを残せなかった場合に、よく使われる「決意表明」コメントが、

「これからは、女優として頑張って行きます!」

というもの。

 

そんな時、偏見かもしれませんが、

「歌がダメだったら、1本でもドラマに拾ってもらえれば『女優』を名乗れる」 

のような雰囲気を感じてしまう時があります。

それで長い期間実績が残せるほど、女優業は甘い世界ではありません。

 

浅野ゆう子が「アイドル歌手」出身であることは、もはやほとんど知られていない事実でしょう。

上記の例のように、歌手としては目立った実績を残すことはありませんでした。

 

当時の女性アイドルは「お人形のように小柄で華奢な可愛らしさ」が受け入れられやすい時代でした。

そんな中、デビュー時中学2年生でありながら、スラリとした長身と抜群のスタイルがチャームポイントだった彼女の姿は、アイドルの範疇には収まらなかったのかもしれません。

 

しかし、女優転身後の活躍ぶり・人気は、改めて言うまでもありません。

キャリアを重ねた現在、もはや芸能界において押しも押されもせぬ地位を確立し、女優として「大物」の冠が付くほどの堂々たる貫禄を示しています。

 

1990年代に大流行した「トレンディードラマ」の立役者の一人でもあります。

浅野温子と並びW浅野なる言葉も生まれました。

 

今日取り上げるのは、彼女の歌手時代の代表作と呼べる「真に懐かしい歌」

「セクシー・バス・ストップ」

です。

 

1974年にデビューし、その年の新人賞「候補」にはなりましたが、トップレベルの活躍ではありませんでした。

(直前の1973年も、直後の1975年も「新人豊作」の年でしたが、この年はなぜか「端境期」になっていました)

 

saewataru.hatenablog.com

 

その後2年間ほどコンスタントに新曲は出していましたが、大ヒットには恵まれず。

8枚目のシングルにして作家陣を入れ替え発売したところ、人気に火がつきました。

 

オールディーズのアメリカン・ポップスを思わせるようなサウンド

当時洋楽にも一般的に見られた「Aメロ-Aメロ-Bメロ-Aメロ」のスタンダードな構成です。

最初に聴いた時、以前流行った洋楽の日本語カバーか?と思わせるようなテイストを感じました。

作者のクレジットを見ても、「作曲:Jack Diamond」とある。

知らない名前だけれど、きっとアメリカの作曲家なのだろう、と。

 

ところがその名は、昭和歌謡の第一人者たる「巨匠」作曲家、筒美京平の別ペンネームであることが判明。

70年代・80年代を中心に、数えきれないほどのトップアイドルの楽曲を手がけた彼が、浅野ゆう子「歌手として再生」させた1曲でした。

彼女のシングルの中で、最高ランクを記録しています。

 

もともとは歌にする予定がなく、インスト用として作られたものに、後から歌詞を付けて仕上げたこともわかりました。

出だしのメロディーは、キャッチ―で覚えやすい。

展開するBメロは、ちょっと早口の歌詞とバックコーラスとの「掛け合い」が面白い。

いずれにしても、よく計算された楽曲です。

 

と共に、今になって改めて聴き返すと、当初は歌うために作られたわけではなかった曲を、当時16歳にしてオトナっぽく歌いこなす、ハイレベルな歌唱力を持っていたことにも気づきます。

 

歌詞冒頭に登場する「ジュークボックス」を知る方も、いまや少ないかもしれません。

f:id:saewataru:20200509181655j:plain

こんな形の箱の中に黒いシングル盤レコードがたくさん収納されていて、前面のボタンを選ぶと、レコードが移動して演奏が始まる…

いわば「楽曲の自動販売機」です。

1回50円くらいだったかな?と記憶しています。

 

www.youtube.com

海外出張時のホテル。良かったこと、困ったこと

1年のうち、どれくらい仕事(出張)で「ホテルに宿泊しているか」。

一番多かった1年を振り返ってみると、

 

<国内:3か所>

  • 大阪3回(2泊・2泊・2泊)
  • 岐阜1回(4泊)
  • 博多1回(3泊)。

 

<海外:8か所>

  • 上海1回(6泊)
  • シンガポール1回(6泊)
  • ハノイ1回(6泊)
  • ニューヨーク1回(6泊)
  • 香港1回(4泊)、深圳1回(6泊=香港と連続で土日をはさんで計10泊)
  • インディアナポリス1回(6泊)
  • ソウル1回(6泊)。

 

通算で約2か月も、仕事がらみで家を空けていたことがわかりました。

 

国内なら土地勘もあり、もちろん言葉に問題はなく、食事も馴染みがある。

一方、海外は当然のことながら、そのすべてが逆になる。

大きな緊張感とストレスに見舞われます。

 

1回出かけると通常は「1週間コース」。

現地で平日「月~金」通して働くために、日曜の夜から前泊し、金曜に仕事が終わってもその日の夜に帰ることは出来ず宿泊し、翌日土曜日(時差のある場所では日曜日)に帰国する。

つまり、「日~金まで6連続宿泊」が基本パターンになります。

 

出張先で少しでも快適に過ごせるために、ホテルライフ、特に海外での環境は非常に重要です。

 

そこで感じた点をいくつか。

 

セキュリティ上グレードの高いホテルを選んでもらえる

出張先として東アジア、東南アジアが多いです。

治安上それほど大きな問題はないのですが、日本ほどの安心感は得られない。

会社側も、そこは「社員の安全」に配慮してくれる。

 

国内のホテル選びには、コスト上何かと制約がつきまといますが、海外の場合、プライベートではとても宿泊出来ないであろうラグジュアリーなホテルに泊めてもらえることが多いです。

 

saewataru.hatenablog.com

 

職場までのアクセスは快適

上記とも関連しますが、不慣れな土地で迷ったりすることがない配慮もされます。

滞在中は毎日、ホテルからオフィスまで社用車による「送迎」がつきます。

日本では考えられないVIP待遇です。

 

もしくは、ホテルがオフィスのすぐ隣にあって、徒歩数分の超至近距離の立地だったり。

アクセスに困ることはありませんでした。

 

アジアの朝食は充実。アメリカは軽食のみ

f:id:saewataru:20200826113046p:plain

朝食メニュー。

アジアのホテルは、(私の泊まったところがたまたまだったのかもしれませんが)どこもバイキング(ビュッフェ)スタイルが定着していました。

自分自身、朝にけっこう量を食べないと元気が出ないタイプ。

その点、バイキングはありがたいシステムです。

 

ただ、何泊もしていると、日本のホテルの場合同じメニューになりがち。

ところが、特に香港やシンガポールのホテルでは、1週間いてもクリアできないほどおかずの種類が充実していました。

アジア圏なので、お米があるのもありがたかった。

 

一方アメリカの朝食は、対照的に至って「シンプル」です。

バイキングスタイルになっていたとしても、用意されているのはトーストかバターロール、玉子料理とサラダ程度。

飲み物がコーヒーだけしか用意されていないところもあり、ふだんコーヒーを飲む習慣のない私にとって、それ以外に水分をとろうとすればミネラルウオーターしか選択肢がない!

これは結構味気ないものです。

(そもそも「水道の水が飲めない」こと自体、大きなハンディです)

 

水回りは不便

f:id:saewataru:20200826113224j:plain

これは日本でも同じこと。

ユニットバスになっていて、一応湯船スペースはあるものの、広さ的にシャワーで済ますことが想定されている。

 

海外の場合、それがもっと徹底しています。

かなりハイレベルとされるホテルで、客室そのものは豪華に作られていても、水回りは

いたってシンプル。

 

中には、浴槽もない「シャワールーム」オンリーのところも少なくありませんでした。

これが1週間続くと、(しかも寒い時期だったりすると)湯船に長く浸かることに慣れている身体にはかなりキツイものがあります。

 

クリーニング代が異様に高い

仕事で出かけているので、持っていく手荷物に基本「私服」はありません。

キャリーバッグに入れるのは、スーツの替えを1着、ワイシャツと下着・靴下は滞在日数の半分くらい。

数日間同じホテルに滞在するので、ワイシャツはクリーニングを頼みます。

 

手荷物を少しでも減らすために、仕方がないことと理解はしているのですが、これがけっこうおカネがかかります。

為替にもよりますが、どこへ行っても国内のざっと3倍ぐらいはするイメージです。

 

客室は広いが、ベッドは「短い」

国内のビジネスホテルは、ベッドが客室のほとんどを占めていて、室内でほとんど身動きのとれないほど狭いのが普通です。

それに対して、海外(特にアメリカ)の客室は、1室で2LDK分ぐらいの広さがあったりする。

 

ベッドルームとリビングが分かれている部屋もありました。

リビングにはソファーのほかに、仕事をするためのデスクスペースもあったりして。

外で十分仕事をしているので、ホテルに戻ってまでそのデスクを使うことはないのですが。

 

ただ、そんな立派な客室でも、ベッドそのもののサイズは決して大きくありません。

実際は、ダブルベッドサイズに近い「横幅」はあります。

しかし、どこも「長さ」がないのです。

これは、むしろ私自身の身長に問題があるのですが…

 

でも、たとえば西洋だったらカラダの大きい人も多いだろうし、客室自体も広いのだから、ベッドスペースをもう少し多く確保してくれないかな?と思うことがよくあります。

 

アメリカ・インディアナポリスのホテルの客室

f:id:saewataru:20200116062522j:plain

 

中国・上海のホテルの客室

f:id:saewataru:20200116062712j:plain

 

中国・深圳のホテルの客室

f:id:saewataru:20200826112736j:plain

 

インド・ムンバイのホテルの客室

f:id:saewataru:20200116062853j:plain

 

今はそんな忙しさから少し解放され、こうしてブログを書く時間もなんとか確保できています。

【懐かしい歌No.94 これぞ大阪ベイブルース!でもタイトルはやっぱりこれ!】「悲しい色やね」上田正樹(1983)

サビの歌詞にもありますが、

これぞ「大阪ベイ・ブルース」!

それが、初めて耳にした時の印象でした。

 

この曲が発売された80年代前半は、男女ともにアイドル全盛期。

ザ・ベストテン」「ザ・トップテン」「夜のヒットスタジオといった歌番組では、入れ代わり立ち代わりアイドルたちがステージを飾っていました。

 

そんな中、ひときわ異彩を放っていたのが、しわがれた声の髭面・メガネのオッサンでした。

(オッサン呼ばわりしてしまいましたが、この画像当時、まだ34歳でした)

 

大阪港を舞台に、別れのシーンを切々と歌い上げる姿に、妙に惹かれました。

セリフが大阪弁なのも特徴的ではありますが、それ以上に心に染み入ったのが、聴き込むほどに深く切ないストーリー展開です。

 

さらに、このハスキーボイスから歌われる歌詞が「女歌」であるところも異色です。

 

滲む街の灯を 二人見ていた

桟橋に停めた 車にもたれて

泣いたらあかん 泣いたら

切なくなるだけ

Hold me tight Osaka Bay Blues

「俺のこと好きか?」 あんた訊くけど

Hold me tight そんなことさえ

わからんように なったんか?

 

主人公の痛いほどの切ない心持ちが伝わってきます。

ここまで語ったあとにようやく訪れる、タイトルフレーズ。

 

歌詞の流れやメロディーの盛り上がりからすると、タイトルはサビフレーズ

「Osaka Bay Blues」

でも良さそうですが、再び冒頭のAメロに戻ってからの

 

大阪の海は 悲しい色やね

さよならをみんな ここに捨てに来るから…

 

まで聴いて、やっぱり

「悲しい色やね」

が正解であると気づくのです。

「ここに捨てに来るから」と最高音まで盛り上げてから間奏に突入する構成…

これも、グッと来る心憎い演出だと感じます。

 

その部分も含め、メロディーラインも非常に緻密に築かれています。

出だしのニ短調からサビのイ長調への転調は、五線譜上は「ルール違反」に近い超変則的なものになっています。

しかし、その不規則さを微塵も感じさせない、それでいて歌詞の流れとメロディーの動きがピッタリとフィットした作り。

ただただ「感心」のひと言です。

 

この歌が出て10年以上経ってから、転勤で大阪に赴任しました。

 

歌の舞台になったであろう大阪港エリアに。

「さよなら」がたくさん捨てられている海辺に。

ちょうど「街の灯が滲む」頃にクルマを飛ばしてみました。

 

なるほど、実に「絵」になる風景です。

やっぱり、この歌は大阪が似合います。

これをバックに歌を聴いたら、グッときます。

確かに「悲しい色」やった…

www.youtube.com

社内のトラブル報告時。「言い訳」と咎められないための要領の良い説明手順

会社という組織での仕事上のストレスは、仕事そのものよりも人間関係にアリ…

そんな記事を去年書きました。

 

saewataru.hatenablog.com

 

その時の結論は「問題となる人と適当な距離感を保つ」だったのですが、現実にはそれだけでは片づけられない。

「面と向かって対処しなければならない」ことの方が多いです。

 

ある日、部下のAくんがやってきました。

Aくん自身、新人社員Bくんをはじめ何人かの部下を束ねるグループリーダー的立場の人間でした。

顔つきからして、あまり良くない話のようです。

 

話題は、Aくんの部下に当たる新人社員Bくんが起こしたミスでした。

ただ、私が判断するに、それほど重大なミスとは思えませんでした。

Aくん自身のレベルで解決しても良さそうなレベルのものでした。

 

Aくんの言い方はこんな風でした。

 

Aくん「あの~、さえわたるさん、実はちょっと困ったことが起こりまして…」

私「ん?どんなこと?」

Aくん「Bくんのことなんですが…」

私「Bくんがどうかしたの?」

Aくん「Bくんが〇〇のミスをしてしまいまして(以下、経緯説明が長々と続く)…」

私「それで、君はどう対応したの?」

Aくん「えー、それは今Bくんに確認をしてもらっているのですが…」

私「ミスの内容はわかった。私が訊きたいのは、Aくん自身がどう考えて、どうすべきかなんだけど」

Aくん「Bくん。ちょっと…」

 

Aくんの「言い訳としか思えない釈明」の連続に、珍しくキレそうになりました。

f:id:saewataru:20200115173306p:plain

また別のある日。

今度は、Aくんとほぼ同じ立場にある別のグループリーダーであるCくんがやってきました。

やはり、部下のDくんを抱える身でした。

そのDくん、上記のBくんより深刻なトラブルを起こしてしまいました。

 

Cくん「さえわたるさん、取り急ぎご報告があるのですが、お時間よろしいでしょうか?」

私「(実際忙しかったが、『取り急ぎ』の言葉で緊急事態は察知したので)大丈夫だよ。何があった?」

Cくん「ご厄介をおかけすることになります。申し訳ありません。実は(Dくんの名前は出さずに)〇〇社と××の件でトラブルが起こってしまいました。」

私「(Dくん担当の案件であることはすぐにわかった上で)詳しく経緯を聞かせてくれる?」

Cくん「事情は(かくかくしかじか)です。私としてはこのように対応しようと思っているのですが、どう思われますか?」

 

そのトラブルは、AくんBくんの件より何倍も深刻で、対応にも大変手間がかかり苦労しました。

しかし、不快な気持ちになることはなく、冷静に事態を解決することが出来ました。

f:id:saewataru:20200115173358j:plain

上下関係で動いている組織でのコミュニケーションでは、特に下の者にとっては「理不尽」としか思えないことがたくさん起こります。

 

どんなにウマが合わなくても、自分から見たらどんなに無能に思える人物でも、上司は上司。

自分の「会社員としての運命」を一手に握られているのです。

上司が「カラスは白だ!」と言ったら、仮に違っていても「はい、その通りです」と言わなければならないことさえあります。

 

しかし、自分の手に負えない何らかのトラブルが発生した際、それを解決する役目を果たすのは、責任者たる上司なのです。

たとえイヤな相手であっても、「ホウ・レン・ソウ」(報告・連絡・相談)は的確に行われなければなりません。

 

Cくんにはあって、Aくんにはなかったもの。

  • 相手の都合をまず確認する
  • 悪い報告ほどスピーディーに行う
  • 用件の結論から先に言う
  • 責任者の自覚を重視し、まず謝罪する
  • その上で、詳細な経緯を説明する
  • 可能な解決策を提案する

順番を間違えると、同じ説明であっても「自己保身」「言い訳」に聞こえてしまいます。

Aくんのケースでは、ミスを起こしたのは自分自身ではない。

しかし、それは上司たるAくんの責任でもある。

理不尽と思っても、まずは頭を下げなければならないこともある。

話を聞く上司も血のかよった人間。

誠意をもって話せば、気持ちが通じないことはないはずです。

 

そして、AくんやCくんからの報告事項は、当然私自身の責任になりました。

Cくんの話の進め方を参考にしながら、上司である経営トップに説明を行ったことは、言うまでもありません。

【懐かしい歌No.93 夏の終わりに沁みる1曲】「ガラス越しに消えた夏」鈴木雅之(1986)

グループ「シャネルズ」が結成されたのは1975年のことでした。

そして、5年後の1980年。

 

グループみなが顔を黒く塗り、それまでのJ-POPにはなかった「ドゥ・アップ」というブラックミュージック独特のリズムに乗せて歌った「ランナウェイ」がヒット。

サウンド的にも、ビジュアル的にも、「衝撃的」な登場でした。

 

その後も同じ路線で「ハリケーン」「街角トワイライト」と立て続けにヒットを飛ばし、活動は順風満帆に見えました。

 

ところが3年後、知名度の上がって来たグループ名を突如変更してラッツ&スターに。

(ちなみに、アルファベット表記すると「RATS & STAR」で「回文」になっています)

「なぜ?」という思いもありましたが、早めのイメージチェンジもひとつの「作戦」だったのかもしれません。

 

それが功を奏して、「ラッツ&スター」として最初のシングル「め組のひと」も、化粧品メーカーのCMタイアップが付いて再びの大ヒット。

締めのフレーズ「目ッ!」が、なんともキャッチ―な曲でした。

次のシングル「Tシャツに口紅」もヒットしましたが、2年ほどで活動休止。

 

グループとしての活動期間は長くはありませんでしたが、数年間でこれだけの話題作を生み出したことは、素晴らしい実績でした。

 

ところが、リードヴォーカルを務めていた

鈴木雅之

は、「過去形の歌手」にはなりませんでした。

「ドゥ・アップ」時代から高い歌唱力を誇っていた彼でしたが、曲調が明るく軽快なテンポの楽曲ばかりであったため、「じっくり歌い上げる」ナンバーも聴いてみたい気持ちをずっと抱いていました。

 

そんな思いが、「ラッツ&スター」の活動休止のすぐ翌年、ソロデビュー曲にしてすぐに叶えられたのです。

 

大沢誉志幸が作曲し、布袋寅泰をギターに迎えての豪華なラインアップ。

別れる「君」に思いを寄せる切ないラブバラード

「ガラス越しに消えた夏」

の完成です。

 

これもCMタイアップが付いて、「ヴォーカリスト鈴木雅之」の名を世に知らしめるヒットとなりました。

この曲で「紅白」にも出場しています。

 

終わりゆく夏の情景。

「♬さよならを繰り返し 君はオトナになる~」

の印象的なサビフレーズの歌詞。

圧倒的なヴォーカル力に、思わず心惹かれます。

 

イントロから1番が終了する辺りまで、そんなヴォーカルを生かすために、バックのサウンドは最小限に抑えられています。

シンセサイザーの奏でる和音と、わずかばかり聞こえるドラム。

通常サウンド全体を下支えするベースの音が、そこにはありません。

それが却って、幻想的な情景を象徴するかのようです。

 

その後、実姉の鈴木聖美の歌手デビューのサポート役としても活躍。

さらに、彼女と組んでリリースした「ロンリーチャップリンは、現在でも親しまれる男女デュエット曲のスタンダードナンバーとなりました。

また、「どうみても声質的に相性が合わないだろう」と思われた菊池桃子ともデュエット。

「渋谷で5時」が話題作となりました。

 

彼のトレードマークであるサングラスのおかげか、40年前のデビュー時からほとんどイメージが変わっていません。

そして、歌をじっくり聴かせることの出来る高い表現力も、いまだ健在です。

 

www.youtube.com

 

「芸名と本名のイメージギャップが大きい芸能人」&「芸名かと思ったら本名の芸能人」

ニンゲン誰でもそうですが、特に

芸能人は「名前」がその人の顔そのもの。

 

タカラヅカ」ほどの「いかにもネーム」ではないにせよ、芸名を得てこそ芸能人になったようなもの。

どんな芸名をつけてデビューするかは、その後の活動に大きな影響を与えそうです。

 

見ている側としては、「どう考えても芸名」であることはすでに織り込み済みとして、ふだんその人を見ています。

 

一方で、何かの折に彼ら・彼女らの「本名」を知ると、時にそのギャップの大きさに驚くことがあります。

中には、本名にもけっこうインパクトがあって、そのまま芸名としても通用しそうな名前もあったりします。

 

「誰でも知っている芸能人」の意外(?)な本名。

芸名を使っている芸能人はゴマンといます。

むしろそれが一般的、の感覚です。

個々に取り上げコメントするとキリがありません。

 

ここでは、個人的な感覚で

「芸名のイメージと本名にギャップがある」

と感じられた人を、名前だけ以下に列挙してみます。

 

本名を知ると「イメージが崩れて」しまって、本当は良くないのかもしれませんが・・・

 

f:id:saewataru:20200115085459j:plain

【ア行】

明石家さんま(お笑い芸人) 
本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)

 

浅野ゆう子(女優)
本名:赤沢 裕子(あかざわ ゆうこ)

 

ASKA(歌手・Chage and Aska
本名:宮﨑 重明(みやざき しげあき)


天海祐希(女優)
本名:中野 祐里(なかの ゆり)

 

綾瀬はるか(女優)
本名:蓼丸 綾(たでまる あや)

 

石原さとみ(女優)
本名:石神 国子(いしがみ くにこ)


伊集院光 (タレント)
本名・篠岡 建(しのおか けん)旧姓・田中(たなか)


石坂浩二(俳優)
本名:武藤 兵吉(むとう へいきち)

 

【カ行】

加山雄三(俳優・歌手)
本名:池端 直亮(いけはた なおあき)

 

ガッツ石松(元プロボクサー・タレント)
本名:鈴木 有二(すずきゆうじ)


北島三郎(歌手) 
本名:大野穣(おおの・みのる)(※作曲家ペンネーム:原譲二

 

きゃりーぱみゅぱみゅ(歌手)
本名:竹村 桐子(たけむら きりこ)

 

黒木瞳(女優)
本名:伊地知 昭子(いちじ しょうこ)

 

桐谷美玲(女優)

本名:松岡さや紗(まつおか さやさ)出生名


劇団ひとり(お笑い芸人)
本名:川島 省吾(かわしま しょうご)

 

コロッケ(ものまねタレント)

本名:瀧川 広志(たきがわ ひろし)

 

【サ行】

さかなクン(タレント)
本名:宮澤 正之(みやざわ まさゆき)


沢村一樹 (俳優)
本名:野村耕蔵(のむら こうぞう)

 

柴咲コウ(女優)
本名:山村幸恵(やまむら ゆきえ)

 

椎名林檎(歌手)

本名:椎名裕美子(しいな ゆみこ) 

 

笑福亭鶴瓶(落語家・タレント)
本名:駿河 学(するが まなぶ)


反町隆史(俳優)
本名:野口 隆史(のぐち たかし)

 

【タ行】

椿鬼奴(お笑い芸人)
本名:佐藤 雅代(さとう  まさよ・旧姓:宮崎)


つんく♂(音楽プロデューサー)
本名:寺田 光男(てらだ みつお)

 

所ジョージ(タレント)
本名:芳賀 隆之(はが たかゆき)

 

【ナ行】

猫ひろし(タレント)
本名:瀧崎 邦明(たきざき くにあき)

 

【ハ行】

hyde(歌手:L'Arc〜en〜Cielメンバー)
本名:寶井 秀人(たからい ひでと)

 

バービー(お笑い芸人)

本名:笹森花菜(ささもり かな)

 

速水もこみち(俳優)
本名:表もこみち(おもて もこみち)

 

はるな愛(タレント)

本名:大西賢示(おおにし けんじ)

 

引田天功(マジシャン)

本名:板倉満里子(いたくら まりこ)

 

久石譲(作曲家)
本名:藤澤 守(ふじさわ まもる)


氷川きよし(演歌歌手)
本名:山田 清志(やまだ きよし)


氷室京介(歌手)
本名:寺西 修(てらにし おさむ)

 

ヒロシ(お笑い芸人)
本名:齊藤 健一(さいとう けんいち)

 

広瀬すず(女優)
本名:大石鈴華(おおいしすずか)

 

ヒロミ(お笑いタレント)
本名:小園 浩己(こぞの ひろみ)

 

北斗晶(元プロレスラー・タレント)
本名:佐々木 久子(ささき ひさこ・旧姓:宇野)

 

【マ行】

マツコ・デラックス(女装家タレント)
本名:松井貴博(まついたかひろ)

 

松田 聖子(歌手)
本名:蒲池 法子(かまち のりこ)出生名

 

松平健(俳優)
本名:鈴木 末七(すずき す えしち)


松たか子(女優・歌手)
本名:佐橋 隆子(さはし たかこ・旧姓:藤間)

 

水樹奈々(声優・歌手)
本名:近藤奈々(こんどう なな)


ミッツ・マングローブ(女装家タレント)
本名:徳光 修平(とくみつ しゅうへい)

 

宮本亜門 (演出家)
本名:宮本亮次


美輪明宏(歌手・俳優)
本名:丸山 明宏(まるやま あきひろ)
幼名:丸山 臣吾(まるやま しんご)


Mr.マリック (マジシャン)
本名:松尾 昭(まつお あきら)

 

【ヤ行】

山田花子(お笑いタレント)
本名:福島 京子(ふくしまきょうこ・旧姓:渡邉)

 

優香(タレント)
本名:青木 広子(あおき ひろこ・旧姓:岡部)

 

YOU(タレント) 
本名:江原 由希子(えはら ゆきこ)

 

【ラ行】

ローラ(タレント・モデル)
本名:佐藤 えり(さとう えり)

 

【ワ行】

和田アキ子(歌手)

本名:飯塚現子(いいづか あきこ)

 

 

f:id:saewataru:20200826111040j:plain

ちなみに、

最近の女性グループアイドルやジャニーズタレントは、ほとんどが本名です。

コアなファンは別として、世間的にはもはやみな「グループの一員」。

「個人」として認識されてはいないので、凝った「芸名」を考える必要もないのでしょう。

 

一方、

「芸名かと思ったら本名と聞いてビックリ!」の有名人も。

 

米津玄師(歌手) よねづけんし

一青窈 (歌手)   ひととよう

土屋太鳳(女優) つちやたお

横浜流星(俳優) よこはまりゅうせい

松坂桃李(俳優) まつざかとうり

剛力彩芽(女優) ごうりきあやめ

 

などなど。

個人的な好き嫌いは別として、なんだかカッコいいです…

 

病院に行ったら、窓口で「よねづけんしさ~ん」などと呼ばれたりするのでしょうか?

【シンガーソングライター・さえわたるオリジナル作品 No.9 「最後の恋」は「最高の恋」。永遠の愛を誓う純粋ラブソング】「My Shining Star」

オリジナル作品の連載、9回目。


本日のタイトルは

「My Shining Star」

です。

 

主人公は、結婚したてのカップル。

奇跡の出会いを遂げ、結ばれたことの幸せをかみしめています。

灯したキャンドルを目の前にしながら、これを「最後、かつ最高の恋にしよう」と誓い合う二人。

 

「最後の恋」という表現は、歌の世界では別れの場面によく使われます。

しかしこの歌では、逆に「君との恋が人生最後=ずっと添い遂げる」ハッピーな意味で表現しています。

 

「君は僕の輝く星だよ!」など、歌の世界でもないと表現出来ません。

 

永遠の愛を誓う、交じり気なしの純粋ラブソングです。

 

<歌詞>

人波あふれる 都会の中で 君と出会えたこと

運命のほかに 当てはまる ものはない

笑顔も涙も すべてさらけ出したい 

裸で抱きしめ合えば 心の音も伝わる

 

キャンドルに灯したあかりが ほら綺麗だね

未来が両手を広げて 僕らを待ちわびてる

最後の恋にしようね You're My Shining Star

 

流した涙の数だけ 人は優しくなれると言う

逢いたくて逢えぬ時が今 揺るぎない

絆で二人を 固く結び付けてる

永遠約束しよう 君だけ支え生きてく

 

キャンドルに灯したあかりが ねえ滲むのは

涙のせいだね許して 今日は泣かせてくれ

最高の恋にしようね You're My Shining Star

 

これからは ずっとずっと

温もりがすぐ届く 近くにいるんだね

 

キャンドルに灯したあかりが ほら綺麗だね

未来が両手を広げて 僕らを待ちわびてる

最後の恋にしようね You're My Shining Star

最高の恋にしようね You're My Shining Star

You're My Shining Star

 

www.youtube.com

 

 

収載作品リストです。
よろしければ、チャンネル登録お願いします。

 

www.youtube.com

ブログから離れようとお考えのあなた、離れそうになってしまっているあなたへのメッセージ

ブログを卒業しようとお考えのあなたへ

ブログ更新が滞り気味のあなたへ

 

ご訪問ありがとうございます。

今日もお元気でお過ごしですか?

 

お忙しい時間をやりくりしながらの記事ネタ探し。

そして、じっくり時間をかけての執筆・更新、本当にお疲れさまです。

たゆまぬその熱意に、心から敬意を表します。

 

ブログを開設した当初、あなたには何かしら書きたい目的があった。

何らかのきっかけがあったはずです。

 

とは言え、「日々更新」の意気込みを実現するのは、口で言うほど簡単ではありません。

 

投稿に当たっては、何かしら「軸」となるテーマを設定していらっしゃることと思います。

「料理レシピ」

「飲食店紹介」

旅行記

「映画鑑賞」

「スポーツ」

「アウトドア」

「仕事」

「社会問題」

などなど。

それぞれ形は違えど、「自分の得意分野」を生かそうと執筆されているはずです。

 

好きなことを書く・・・

アタマで考えれば、ずっと書き続けられそうなのに・・・

「更新」を阻む「カベ」とは、何なのでしょう?

 

 

書いても書いても、読んでくれる人が増えないからでしょうか?

 

私も1年半ブログライフを続け、530近い記事を書いて来て、毎日同じことを感じています。

 

しかし、本当に「読んでもらえる」だけのクォリティーのある記事になっているのか?

自分の記事の客観的判断は、なかなか難しいものです。

 

また、自分の記事を読んでもらうために、お相手の記事も訪問する・・・

「読み飛ばしはないか?」

「スターの付け忘れはないか?」

そうした「基本動作」がもれなく出来ているか、にも配慮しなければならないと思っています。

 

 

それとも、思ったように「お小遣い」が稼げなくて、モチベーションが下がっているせいでしょうか?

 

時々、輝かしく「アクセス数や収益の発表」を行う記事に出会います。

あれは、「稼げるための指南記事」ではなく、「これだけ読者を集めた。これだけ稼げた!」の自慢記事にしか映りません。

羨望を超えた嫉妬の念が湧いてきてしまいます。

それに比べ、自分は

「こんなに頑張っているのに、なぜおカネに結びつかないのだろう?」と。

 

でも、世の中そんなにたやすい、ウマイ儲け話などありません。

 

「自慢記事」を書いている人は、実はその収益を上げるために、時給換算にしたら普通の仕事をするより何倍もコスパの悪い時間をかけていることだって考えられます。

ある意味、仕事よりつらくて面倒な思いをした結果なのかもしれません。

そうした「裏側の事情」は、記事から読み取ることはできません。

 

「ブログは楽しく接するもの」

そう考えると、そこまでツライ思いをして「おカネにこだわったブログ運営」をする必要が本当にあるのか?とは思いませんか?

 

 

そして、なにより最大の「カベ」は「時間との兼ね合い」なのだと思います。

 

「ブログよりも楽しいことが、ほかに出来たから」

が理由なのでしょうか?

 

ブログそのものが、「自分にとって好きなこと」「書いて読者の方々に読んで欲しいこと」を書く楽しい場だったのではありませんか?

 

「楽しいこと」は、ブログを始める前も始めてからも、もともとあったもの。

それに対する打ち込み方が、ブログによって変わったわけではないと思うのです。

 

せっかくブログと縁を持ったのです。

「楽しいこと」がもし増えたのであれば、ブログを辞めてしまうのではなく、それ自体をブログ記事に反映すれば、ネタだって豊富になる。

グッドサイクルが回り始めるのではないですか?

 

 

そして・・・

「仕事が忙しくなったから」

 

なるほど、これが一番もっともらしい理由です。

「仕事」に限らず、「家事」「習い事」「勉強」も同じ。

 

「忙しいから」・・・

何にでも通用する、非常に使い勝手の良い言葉ですね。

しかし、そもそも仕事は続けて来た中で、ブログも開設されたのですよね?

 

仕事だけに追われる毎日。

そんな日々に「心の潤い」を求めて、時間をやりくりしてブログを始めてみようとお思いになったのではありませんか?

 

時間のやりくりなど、「気持ち次第」です。

「忙しい」は、いつだって体の良い言い訳です。

 

ブログを通して、あなたは多かれ少なかれ「書く、読む喜び」を得てきたはずです。

 

顔は見えないけれど、多くの読者ファンを獲得することもでき、投稿するたびにスターやブックマーク・コメントを受け取り、うれしい触れ合いの機会を持つことも出来た。

 

それは、あなたが「書く時間」をやりくりする努力を重ねて来られたからこそ得られた喜びにほかなりません。

 

そして、あなたが読者との交流を深める中で、つまり「読者訪問」行動を起こしたことで、お相手に「読まれている」という喜びを与えている。

お相手のモチベーションアップにも多大なる貢献をしていらっしゃることも、忘れないでいただきたいです。

 

かく言う私自身も、毎日ありがたくいただけるスターやブックマークコメントに、どれだけ支えられているか知れません。

 

毎日更新していることで、またコメントをたくさん書き込んでいることで、

「書くことに対してムリをしているのでは?」

と心配して下さる優しい読者の方々もいらっしゃいます。

 

しかし、仕事で企画書や報告書を仕上げることに比べたら、「ブログ記事を書く」ことなど、まったく苦にならない、楽しいばかりの作業です。

 

好きなことを書いているだけなのですから。

負担と感じたことなどありません。

それよりも、読者の方々の「支え」がなくなってしまうことの方が、精神的にはるかに大きな打撃です。

 

あなたがやる気をなくすと、あなたの訪問を楽しみにしていた人も、アクセスが減ってガッカリする。

ひとり読者を失って、執筆者のモチベーションもダウンする。

その小さな一歩が、ブログ界全体の悪循環につながります。

 

「アクセスが欲しい」

「読まれたい」

「スターやコメントが欲しい」

根底にある思いは、ブロガー共通だと思います。

 

少しだけ根気があれば、ペースダウンしながらでもブログは続けられるはずなのに、たやすく「卒業」「潮時」なんてきっぱりした言葉を使って欲しくありません。

 

ブログのある生活からいったんリタイアすると、復帰には確実にそれ以上のパワーが必要になります。

 

「時間的に、精神的にちょっとしんどかったけれど、あの時に糸をつなぎ続けていればよかった」

ブログを辞めた口実にした仕事にちょっと余裕の出来たある日。

心にポッカリ穴があいて、「またブログを書いてみようか」と思う時が来ても、かつてのペースに戻ることは、時間的よりも心理的に非常に難しい。

 

その時に後悔しても遅い、ということになりかねません。

 

あれこれ考え出せば「大変なことの多い」ブログライフ。

でも、総合的に見て「書く喜び」はそれ以上にあるはずです。

 

それは、「継続」によってのみもたらされるものだと信じています。

 

長らく積み重ねて来たブログライフによってもたらされる有形無形の財産を放棄して確保した余裕時間を仕事にのみ振り向けることで、真に潤いのある生活が送れるようになるものでしょうか?

 

繰り返します。

時間は「やりくり次第」です。

 

毎日でなくても、1日おきでもいい。

週に1日でもいい。

まずはログインしてみてはいかがでしょうか?

きっと、「時間のなさ」をやりくりし克服した人にだけ与えられる「充実感」が、そこには待っています。

 

明日からも、ぜひ楽しく交流させて下さい。

「~みたいな!」を語尾に付け加える口ぐせ。いったい何を「たとえて」いるのか?と思ったら、意味を持たない「ぼかし言葉」だった

言葉は世につれ、どんどん変わって行くものです。

中でも特に

話し言葉の変化は、目まぐるしいです。

 

毎年発表される「新語・流行語」のような「はやりすたり」のレベルではなく、

「言い回し」そのものがどんどん変わって、そのまま定着しているのです。

 

下記2つのリンクは、ブログ開設初日に投稿した記事。

日本語の変化(乱れ)が気になったことが、ブログを書こうと思ったきっかけのひとつでもありました。

 

ひとつが、もはや完全に日本人の言葉遣いの中に完全に定着「してしまった」・・・

ら抜き言葉」。

 

saewataru.hatenablog.com

 

そしてもうひとつが、

「~とか」の「乱用」とも言える使用です。

現代日本人は、「とか」の2文字を抜きにしゃべることは出来なくなっています。

saewataru.hatenablog.com

 

さらに、この手の変化の一環として最近特に気になるのが、話し言葉における

「〇〇(文章)。~みたいな!」

の付け加え現象です。

 

言葉が変化する時、「要らないものを省く」「長いものを略す」方向に向かうのが一般的、と思っていました。

「ら抜き」は、「食べられる」「見られる」「寝られる」とわざわざ「ら」を入れるのが面倒くさくて、しかも意味が通じるので、自然に「ら」が抜けて行ったもの。

そう考えれば、納得は出来なくても理解は出来ます。

 

長い4文字熟語を2文字に略すケースや、長いカタカナ語を短くまとめた言葉も、たくさんあります。

  • 外国為替⇒外為
  • 行政改革⇒行革
  • アニメーション⇒アニメ
  • エンターテインメント⇒エンタメ
  • あけましておめでとうございます⇒あけおめ

 

そうしたトレンドとは逆行するかのように、

「~とか」の頻発は「なくても通じるのに、あえて2文字を付け足す不要かつ不可思議な現象」

と言えます。

 

「例文」を挙げるなら・・・

「昨日何してた?」の問いに対して、

 

「渋谷で友達と待ち合わせして、映画を見て、そのあとカフェに行ってお茶して、夜はカラオケに行って…」

と言えば済むものを

 

「渋谷とかでぇ、友達とかと待ち合わせとかしてぇ、映画とか見たりとかしてぇ、そのあとカフェとか行ってぇ、お茶だったりとかしてぇ、夜はカラオケとか行ってぇ…」

 

単語や文節の切れ目に、ことごとく「とか」が入り込みます。

こうした言葉遣いを多用する人は、「〇〇だったりとかぁ~」「〇〇してぇ~」のように「語尾を強調して伸ばす」のもセットで口ぐせです。

 

この「とか」とは、何なのでしょう??

 

f:id:saewataru:20200818174740j:plain

 

「~みたいな!」も、「~とか」同様、「なくても通じるのに、あえて語尾に付ける用語」として機能しています。

 

「みたいな」の辞書上の意味は、

「〇〇は、まるで△△みたいなものだ」

のように、あるモノを別のモノに見立てる時に使う比喩の言葉です。

しかし、この「~みたいな!」は、こうした「たとえ」の用法とはちょっと違う。

 

「~とか」の用法と同じ匂いを感じたので、何か共通した呼び名があるのでは?と思ったところ、たどり着いたのが

どちらも「ぼかし言葉」の一種である

という結論です。

 

f:id:saewataru:20200818175219j:plain


「コンビニ・ファミレス敬語」でよく引き合いに出される「〇〇のほう、よろしかったでしょうか?」の「ほう」

「わたし的には、良いと思います」の「的には」

 

なぜ、「ぼかす」のか?

特に意味を持たない数文字を付け足すことによって、物事を「丁寧に、あるいは婉曲に表現している」気持ちになっているのです。

 

きっぱりと本心を言い切ることに自信がない。

断定してしまうと、カドが立つと感じる。

そこで、「~とか」「~みたいな」を付け加えることによって、「ぼかす」のです。

全然丁寧な言い方になどなっていないし、「ぼかす」意味合いがわからないのですが・・・

 

では、「~みたいな!」は実際にどんなシチュエーションで使われるのでしょう?

 

強く言い過ぎたと思った時、ごまかす

  • 将来の目標があるのなら、ゲームばっかりしてないで、もう少し勉強した方がいいんじゃない?~みたいな!
  • あの人のファッション、全然イケてなくて、貧乏くさいよね?~みたいな!

ひとり言を客観化する、何かに擬える

  • なんか最近、面白いことないんだよねぇ。心から笑えてない~みたいな!
  • 家を出たとたんにどしゃ降りになって、会社に着いたら止むなんて。わたしって、ツイテナイ系なんだよね。~みたいな!

演技のセリフのような例え言葉に付け加える

  • ドアが閉まりかけのエレベーターにムリヤリ乗ってくるヤツもいるけど、意地悪く「閉」のボタンを押そうとするヤツもいるよね?「どっちもどっち?」みたいな!
  • ママ、こんなイイ子に育ってくれて、うれしいわ!あなたって、私の天使かしら?みたいな!

f:id:saewataru:20200819175137j:plain

文例は、ほんの一部分。

どんな時にも応用が利く便利な言い回しです。

 

しかし、話を聞かされた方からは、

「それまでの言葉は、ぼかされるほどの単なる冗談だったのか?!」

と受け取られることもあります。

 

自分ではもはや「口ぐせ」として無意識のうちに使っているので、「~とか」同様、言っていることにさえ気づいていません。

しかし、話を聞いている相手の立場を考えた時、「ぼかし言葉」の連発はあまり快適な印象を与えないような気がします。

【懐かしい歌No.92 花の82年組。大器晩成でひとり勝ち?】「少年たちのように」三田寛子(1986)

デビューは1982年。

80年代の音楽を知る方なら、「花の82年組」という言葉も耳馴染みがあるかと思います。

 

 三田寛子も、アイドルとしてデビューしたその中のひとりでした。

 

しかし、この年にデビューした女性アイドルの中で、決してトップクラスではなかった。

saewataru.hatenablog.com

 

その後数年間の実績であえてグループ分けすれば、

 

中森明菜小泉今日子が、ヒット曲の量産数では「2トップ」。

松本伊代堀ちえみ早見優石川秀美は、コアなファンならばそれぞれ1つ2つの代表作は挙げられたとしても、「人と歌が結びついた」ヒット曲をたくさん持っているわけではない「2番手」。

三田寛子は、そのグループにも入っていませんでした。

 

阿木燿子作詞、井上陽水作曲という強力な布陣で臨んだデビュー曲「駈けて来た処女」(かけてきたおとめ)こそ話題になったものの、大ヒットにはならず。

その後、往年のアイドル・南沙織の名曲「色づく街」や、村下孝蔵の代表作「初恋」のカバーをシングルとして発表しますが、やはりオリジナルに勝ることは出来ませんでした。

 

歌手としては、デビュー後約5年、計14枚のシングルまでで活動休止状態になっています。

 

この「少年たちのように」は、その14枚のうち12枚目となったシングルです。

もしかしたら曲調や歌詞からイメージできるかもしれませんが、中島みゆき作詞・作曲によるナンバーです。

 

デビューから4年。

すでに歌番組で歌う姿を見ることも少なくなっていましたが、1回聴いただけで「みゆきワールド全開」。

楽曲の魅力の虜になってしまいました。

 

いくら想っても叶えられない恋心が、痛いほど切々と訴えられている。

「♬恋人ですか さよならですか」

「All or Nothing」のあまりにも極端な問いかけ。

「♬友だちと答えては もらえませんか」

そして

「♬春は咲き春は行き 人は咲き人は行く」

最終的には

「♬惨い別れになる」

なんとも悲しい結末です。

 

J-POPには珍しい3拍子のワルツ。

途中息継ぎも出来ないほど詰め込まれた言葉の数々。

メロディーラインも、切なさ満載です。

 

歌手としての輝かしい実績には恵まれませんでしたが、その後「笑っていいとも!」のレギュラーコーナーを持つや、その天然ぶりが炸裂。

ブレイク以来、女優としての活動も盛んになります。

 

そして彼女の本領は、結婚して「梨園の妻」となってから一気に開花します。

元アイドル、その後の天然キャライメージのタレントが歌舞伎界に。

当初は意外な転身に見えましたが、その後3人の男の子を設けて見事に「役割」を果たす。

 

現在も、デビュー時のイメージを残したまま、かつ若々しい姿のまま、堂々とした存在感で「梨園の妻」と「現役タレント」とを両立させています。

 

上記で挙げた「花の82年組」のほとんどが数年間のみの活躍期間で今や「過去の人」になっていった中、ある意味で「大器晩成の圧倒的な勝ち組」と言えるのではないかと思います。

 

www.youtube.com

「がんばるな。ニッポン」がキャッチコピーのこのCM。テレワーク推進を「働き方改革」の一環と理解する一方、モヤモヤするのはなぜ?

先月から、首都圏エリアで次のようなCMが頻繁に流れています。

今週からは、関西圏でもオンエアされることになっているようです。

全国的には、展開されていないのかもしれません。

 

提供元は、「サイボウズ社」。

システム導入・構築サポート、アプリ開発などを行うIT企業です。

勤務先でも、従業員のスケジュール管理用システムに同社の製品が導入されているため、個人的にも馴染みの深い社名です。

 

ご覧になったことのない方々のために・・・

そのサイボウズ社が提供する15秒のスポットCMが、こちらです。

www.youtube.com

 

震災や災害が起こった時。

被害者を励ます言葉、あるいは当事者目線で勇気や元気を奮い立たせる言葉は、例外なく

「がんばろう!」

でした。

「がんばろう、神戸!」「がんばろう、東北!」のメッセージを、数えきれないほど耳にしてきました。

 

歴史的にも、高度経済成長期からバブル経済期・・・

ニッポンの合言葉は、理屈抜きにとにかくひたすら「がんばる」方向に向かっていました。

それこそが美徳であり、また当たり前の風潮でもありました。

 

そうした中、突如現れた逆説的なコピー。

「がんばるな。ニッポン」。

 

人口の集中する首都圏や関西圏での通勤は、まさに「地獄」状態です。

加えて、このご時世。

そんな「通勤を頑張らせる」状態を放置しておくことは得策なのか?

 

f:id:saewataru:20200825073120p:plain

サイボウズ社のCMは、会社の経営者に対して、

「過酷で『密』を招く通勤が、果たして不可欠なのか?」

「テレワークを推進して、身体的な安全の確保と時間の効率化を図るべし」

のメッセージを投げかけています。

 

このCMを見て、第一印象として

「確かに、混雑する電車に長時間揺られて、会社に着いた時点でヘトヘトになるくらいなら、世の中にテレワークが今後も進めば良いのに」

との考えが頭をよぎりました。

何でもかんでも「猪突猛進」。

「がんばれ!」ばかりだった世の中に投げかけられたこの言葉は、働き方改革のスローガンとも相まって、斬新かつ新鮮に響きました。

 

一方で、このメッセージがすんなり腑に落ちたか?と言えば、そうでもない・・・

何か「モヤモヤ」感が残るのです。

そのポイントは大きく2つ。

 

ひとつめは、

大都市圏に限らず、

「通勤をせず、テレワークで対応可能な仕事が出来る環境にある『該当者』が、果たしてどれだけいるのか?」

という「そもそも」の素朴な疑問です。

 

テレワーク実施の多い業種は、情報通信や研究・専門的なサービス業など、基本的に「デスクワーク」主体でも成り立つ可能性の高い仕事です。

 

日本生産性本部」によるテレワーク実施率の調査では、

5月時点で31.5%

7月時点で20.2%

となっています。

 

テレワークが機能する業種・企業が多い上位20県を見てみると、やはり首都圏・関東地域が多い。

それに加えて京阪神2府1県も多い・・・

 

 

f:id:saewataru:20200825073830j:plain

通勤しなくても仕事が成り立つなら、ムダな体力を使わなくても良いし、往復に要する時間も節約出来て、ハッピーです。

逆に、自宅に家族がいる環境で仕事に集中する難しさもあるとは思いますが・・・

いずれにせよ、テレワークが可能な職種が非常に限定されているのは、紛れもない事実です。

 

そしてもうひとつ、もっと根本的なモヤモヤが、

一見「公共性らしさ」を謳っていながら、しょせんはひとつの民間企業が自社の利益を向上させるために制作されたCMである

という当たり前の現実です。

 

数あるCMの中に、時々「ACジャパン」のCMが流れることがあります。

 

f:id:saewataru:20200825090427j:plain

 

AC Japanとは公益社団法人

公共意識・道徳心を高め、世の中の利益になることを目的とした、「特定の企業の利害が絡まない」CMをオンエアしています。

その内容は、公共マナー・環境問題・親子の絆・自殺防止・いじめ……といった様々な社会問題をすくい取った、メッセージ性の高いものが主体です。

東日本大震災後、各社のCMが自粛されていた時に、やたら「ACジャパン」のCMで空き時間が埋め尽くされていたことをご記憶の方も多いと思います。

 

最初このCMを見た時、一瞬「ACジャパンのもの」かと思いました。

こうした「公共の利益」の一環として、あくまで公共の立場から「働き方改革の一環として、

「テレワークが出来るところは推進させましょう」

というCMだったならば、もう少し素直に受けとめられたのかもしれません。

f:id:saewataru:20200825090637j:plain


 

しかしこのCMは当然のことながら、ひとつの民間企業がテレワークの浸透によって、

自社の手がける「システムという名の商品」をPRしようとする「純然たるコマーシャリズムに則ったメッセージ」だったのです。

 

CM製作者側は、

「100人いたら100通りの働き方」があっていいということ。出社もテレワークも強制であるべきではなく、多様な働き方の選択肢のうちの一つ

と、その意義や公共の利益を述べています。

しかし、根底には「個別企業の利害」が大きく絡んでいる。

と言うより、それが唯一の目的であると解釈出来ます。

 

もちろんどの業種の企業でも、自社製品の拡販を図るべくどんどんCMを打っています。

サイボウズ社のCMも、それとまったく同じごく普通の発想。

自社製品であるテレワークシステムを売り込もうとしている。

「企業の論理」に対して、何ら異議を唱える余地はありません。

 

しかしそのPRの対象は、目に見える1個の商品ではなく、「テレワーク推進」という行為を通じて

「世の中の働き方全般を変革する」

という、社会性のあるスケールの大きな問いかけにつながっている。

これこそが、インパクトある逆説的キャッチコピーとも相まって、心の中に波紋を投げかけている要因かと感じるのです。

 

「がんばるな。ニッポン」

皆さんは、このCMにどのような印象をお持ちになりましたか?

テレワークは賛成ですか?反対ですか?そもそも出来ない状況ですか?

「がんばる」べきですか?「がんばらない」のが良いですか?

「クローズドクエスチョン」の愚問を発するインタビュアー~「はい・いいえ」が自由に回答できないその尋ね方では困ってしまう

すでにご存知のように、質問のタイプには、

「オープンクエスチョン」

「クローズドクエスチョン」

の2つがあります。

 

「オープンクエスチョン」とは…

「はい・いいえ」ではなく、どんな風かを回答者が自由に答えられる質問の仕方です。

たとえば、

  • 明日の会議の準備はどう?
  • アルコール類は何が好き?
  • 趣味は何?

 

<オープンクエスチョンのメリット>

  • 自由に回答出来るので、会話が盛り上がりやすい
  • 想定外の意外なアイディアを発見することが出来る

 

<オープンクエスチョンのデメリット>

  • 回答しにくい内容の場合、答えにつまって話が続かなくなる
  • 親しくない間柄の時には、内容が深く突っ込み過ぎと敬遠されがちになる

 

「クローズドクエスチョン」とは…

回答者が「はい・いいえ」で答えられる質問の仕方です。

たとえば、

  • 明日の会議資料の準備は出来たか?
  • ビールは飲めるか?
  • スポーツは好きか?

 

<クローズドクエスチョンのメリット>

  • 回答が2択なので、答えやすい
  • 質問を重ねることによって、徐々に相手との距離を詰めていける

 

<クローズドクエスチョンのデメリット>

  • 「はい・いいえ」で回答が完結してしまうので、話が続きにくい
  • 聞き手に多様な質問メニュー・テクニックが必要とされる

f:id:saewataru:20200730165130p:plain


 ディスカッションのように、互いが「尋ねる」「答える」の両方の役割を担う場合は、オープン型を主体としながらも、オープン・クローズドの違いをそれほど意識することなく、自由に取り交ぜれば良いと思います。

 

ただし、

インタビューのように「尋ね手」「答え手」がはっきり分かれている場合は、それぞれの違いを意識した上で、対象者からその場に最も相応しい回答を導き出さなければなりません。

f:id:saewataru:20200112090908p:plain

ところが、実際のところは

スポーツ中継でのヒーローインタビューの場面で「クローズドクエスチョン」の「愚問」を連発するインタビュアーを見かけることがあります。

 

よくあるパターンとして、次のような質問が投げかけられます。 

野球選手。

「あの場面で、ホームランが打てると思いましたか?」

サッカー選手。

「残り時間が少ない中で、ゴールが決められると思いましたか?」

力士。

「あの劣勢から、逆転勝ちが出来ると思いましたか?」

 

いずれも「はい・いいえ」の答えを求めるクローズドクエスチョンです。

 

選手たちは、誰しも「勝ちたい」と思って頑張っている。

形勢不利なところを、全力を振り絞って勝った。

 

もちろん、強気な選手であれば、

「はい、一発決めてやろうと頑張りました」

と答えるかもしれません。

 

しかし、たとえば相撲のように上下関係がはっきりしていて、どう見てもたまたま「大金星」がとれたような取り組みの場合に、

「勝てると思いましたか?」

と尋ねられたら、「いいえ」と控えめに答えるしかない

のではないか?と。

仮に「はい」と答えようものなら、「なんだ!格下のくせに思い上がりやがって!」となるのが、「謙遜を美学とするニッポン」の特徴です。

 

俳優や歌手が、何かの賞を受けた場合のインタビューでも、同じ場面が繰り広げられます。

「こんなに素晴らしい賞を獲ることが出来ると思っていましたか?」と。

 

人気商売の彼らは、スポーツ選手以上にイメージが大事。

仮に自信があったとしても「はい、思っていました」とあからさまには回答しにくいものです。

もし「はい」と答えたら、「天狗になりやがって!」と言われること必至です。

 

就職の面接でも、同じような場面に遭遇します。

f:id:saewataru:20200730165526p:plain

面接も、一種のインタビュー。

出来る限りその人の「人となり」を導き出さなければなりません。

 

そこで、「はい・いいえ」だけで会話が止まってしまいがちな「クローズドクエスチョン」は極力避け、「オープンクエスチョン」スタイルを主流にして進めることが重要とされています。

 

基本的には、

「オープンクエスチョン」を投げかけながら、相手が答えに詰まった時のためにいくつか「はい・いいえ」で簡単に回答できる質問を織り交ぜていく

これが、巧みなインタビューだと感じます。

【書評は要らない?】宝島社「VOW」~「読者投稿コーナー」の傑作集の笑える中身

本屋の雑誌コーナーを立ち読みしていた時のこと。

派手な表紙の本が目にとまりました。

 

「宝島社」という出版社は、以前から耳にしたことがありました。

しかし、目に飛び込んで来たタイトルに描かれている

VOW

の文字の意味は、すぐには理解出来ませんでした。

しかも、カタカナで面白おかしく「バウッ!」と書かれている!

 

その3文字の正体は

「Voice Of Wonderland」。

 

同社の雑誌「宝島」に掲載されている「読者投稿コーナー」を単行本化した、半世紀近い歴史を持つ、「立派なシリーズ本」でした。

 

f:id:saewataru:20200822175652j:plain

 

投稿の中身は、「街中の風景写真や新聞記事」が題材です。

 

ところが、それは通常の画像ではない。

主として、次のようなジャンルの「ネタ」から構成されています。

  • 新聞・雑誌・広告等の「誤植」
  • 新聞記事の「面白い見出しや投書」
  • 変わった看板・道路標識・交通標語
  • 面白い「壁の落書き」
  • ユニークな商品名
  • 珍名特集(人名・競走馬名)

 

日常で見かける風景や新聞記事から、「ヘンなモノ」を拾い出し、それに編集者の「ひとことコメント」が付いている、という構成です。

 

ですから、「読み物」というより「写真集」に近い、とも言えるのですが、取り上げられている写真は「文字中心」なので、結局「読んで」しまう。

 

「間違いだらけ」の内容のため、しかもそれがわざとではない「うっかり間違い」のため、思わず吹き出してしまう・・・

「人前で読むのは危険」な本です。

 

 今も印象に残る、代表的な記事をいくつか・・・

 

誤植シリーズ

f:id:saewataru:20200822174009j:plain

逐一説明を付けるのも野暮ですが・・・

 

ピンクレディー」のデビュー曲が「ペッパーつながり」?!

ドクターペッパーだったら、あんなにヒットはしなかったでしょう。

「レッド・チャップリン」や「X(ペケ)」に会えたら、それはそれで楽しそうです。

 

f:id:saewataru:20200822174120j:plain

 「編集部コメント」を上回るひと言が、なかなか見つかりません。

 

「本人」でない「大人」は、コメント文にあるように割高料金になるのかもしれません。

「亀募」とは、いったいどうやって募集すればよいのやら・・・

よほど急いでいたであろうに、「亀募!」

よりによって、逆に「歩みの遅い亀」とは!

「似て非なり」とは、まさにこのことを言うのでしょう。

 

通常、何万文字あるかわからないほど多数の文字で埋め尽くされている新聞。

それでも、広告を含め誤植がないのが当たり前。

逆に、素晴らしい編集能力だと思ってしまいます。

 

f:id:saewataru:20200822174436j:plain

ちょっとした編集ミス?

「手抜き」だとは思いたくありません。

 

それとも、ひょっとして1人でいくつもの「ペンネーム」を持っている人物なのかも・・・  

 

f:id:saewataru:20200822174943j:plain

チラシの誤植。

う~ん、オシイ!

 

これでは「オススメ」されても、500円の診断料でも却ってためらってしまいます。

アップグレードしたら、パソコンが逆にしょっちゅう故障しそうです。

 

街中で見かけた「間違い」

f:id:saewataru:20200822174311j:plain

クルマ用であれ歩行者用であれ、どのパターンもよく見る標識ですが、あいにく「実物」を目撃したことはありません。

 

まぁ、「珍しいから」こそ本になるわけで・・・ 

  

f:id:saewataru:20200822174613j:plain

堂々と幟を立ててしまっています。

しかも、2枚立て続けに!

さらに、その「間違え方」が微妙に異なっている!

後方には「伸ばし棒」が入っていません。

 

これはこれで、別の意味での「集客効果」が望めるかもしれません。

 

面白看板・標識

 f:id:saewataru:20200822175106j:plain

「なるほど!」のひと言です。

ひょっとして、今日で閉店してしまうのかも?

思わず「急がなくちゃ!」と入店してしまう?

店主には、名コピーライターの素質があると思います。 

 

f:id:saewataru:20200822175230j:plain

地方道や山道に「動物注意!」の看板や、それ専門の黄色い道路標識があるのを見たことはありますが、さすがにこれは・・・

 

でも、確かに「注意」はしなければなりません。

 

 

f:id:saewataru:20200822175340j:plain

「ここはいったい、どこなんだ!」と思わず叫んでしまいそうです。

「便利で、住みたい街」にランクイン出来るかもしれません。

  

本当に掲載された(?)新聞投書

f:id:saewataru:20200822175510j:plain

どこの新聞なのかまではわかりませんし、そもそも内容が実話なのかも不明ですが、編集の段階で、よく「採用」になったものだ!と感心します。

  

f:id:saewataru:20200822174231j:plain

クレームを入れておきながら、「結局欲しいのかい?!」吉本新喜劇並みにツッコんでしまいたくなる投書です。

 

実家の本棚に置きっぱなしにしている何冊かを、また引っ張り出して眺めたくなってきました。