好きな音楽活動におカネがからむと、時として音楽が「好きなこと」ではなくなってしまう
これまで記事で触れて来た私の音楽活動には、いくつかのパターンがあります。
そして、その多くは自分からおカネを支払って行う「趣味」の領域を超え、「楽しい良き思い出」だけにとどまらず、かけた時間と労力に応じて逆に報酬が発生するものが多くあります。
ちなみに…
過去記事でまとめていますが、あくまで音楽は「仕事」とは一切無関係です。
まずはヴァイオリン奏者として。
1つめ
オーケストラのステージ活動に携わるもの。
演奏旅行にエキストラとして参加した時には、交通費と滞在中の宿泊費がタダという形で、実質的な謝礼をもらいました。
北海道各地を転々と10泊もするなど、プライベートではとてもあり得ないことです。
2つめ
パーティーのBGM生演奏係のオファーが入れば、拘束時間に応じてやはり相応の謝礼が発生します。
一流ホテルのバイキング料理にありつけるのも魅力です。
3つめ
「ヴァイオリンのセンセイ」としての活動。
教えるのですから、「月謝」を受け取ることになります。
今度は歌作りの分野において。
4つめ
コンテストに応募し入賞すれば、賞金が出ます。
5つめ
テレビ・ラジオに出演すれば、NHKからのギャラが発生します。
6つめ
歌い手としてのステージ出演オファーがあれば、やはり謝礼が出ます。saewataru.hatenablog.com
ここまでは、
「喜んで受けることができる」
「ストレスなく、純粋に好きなことをやって報酬がもらえる」
非常にハッピーな状況です。
残念ながら、演奏旅行もコンテストへの応募もステージも、「その場限りのスポット案件」であるケースが多いですが。
ところが…
7つめ
「歌詞を持ち込まれての作曲・アレンジ・ヴォーカル依頼」だけは、ちょっと状況が違います。
こちらは、継続的なオーダーが現在も入っています。
いざ、発注を受ける。
演奏時間たかだか3分4分の歌1曲を仕上げるのにも、メロディーの構想からアレンジ(コンピューターを使ってのカラオケ作り)・レコーディングに至るまで、相当の時間がかかります。
それを踏まえて、まずこちらから所要時間を世間並みの時給に換算した「決してぼったくりではない」見積もりを提出します。
たいていは、こちらから提示した条件がそのまま通り、「作業開始⇒楽曲制作⇒引き渡し」が進行します。
「瞬間風速」的ではありますが、本業収入を超えることもある魅力的なオファーです。
しかし、すべてがスムーズに運ぶわけではありません。
こちらは「お客様の注文を受ける」立場になるわけですから、仕事同様先方の希望には沿わなければなりません。
ほとんどのケースでは、こちらが音作りをしたものでそのまま納品になるのですが、時に「手直し要求」が発生します。
その際困るのが、「要求のポイントが具体的でないこと」。
どこのメロディー・音符をどのように直して欲しいと具体的に言われれば対応できるのですが、そこは題材が「音楽」という抽象的なモノ。
「なんとなく歌詞のイメージと違うから…」
と言われることが多く、困ってしまいます。
音楽という「感性」の世界で、詞と曲のイメージ合わせをするのは非常に大変なことなのです。
音楽の感性とは、自分の価値観・人生観そのものである面が大きいので、根本的な発想をどのように転換するか非常に悩みます。
それでも、請け負った以上は報酬に見合った作業をしなければならない。
時には本業以上に、時間とストレスがかかることがあります。
「純粋に好き」で行っている音楽活動の一環なのに、おカネがからむことによって、時として好きでなくなってしまう瞬間があります。
「ただ取り組んでいるだけなら、楽しいのに…」
おカネのことを考えて接すると、楽しくなくなってしまう…
それって、このブログにもちょっと通じるところがある…
そんな風に感じることもあります。
ブログを書く・書かないなど、一切個人の自由。
書くのが大変だと思ったら、休むなり辞めるなりすれば良い。
「楽しい」と思える範囲でやればいいのに。
それと同様に、
「シンドイと思うんだったら、そんな注文など受けなければいいのに」と言われそうです。
でも、クライアントは完全にビジネスライクな関係だけではなく、「私を信用してくれて、長年親しく付き合って来た知人たち」である場合も多いのです。
そうした人たちからの頼み事を無下に断ることも出来ない、そんなジレンマも実態としてあります。
これからもチャンスやオファーがある限り、音楽そのもの、そしてそこに関わる人たちを含め、「ブログよりエネルギーを費やすべき人生の大切な伴侶」としてずっと付き合い続けていくことになるのだと思います。