さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

「隣の芝生は常に青い」。華やかさのウラには必ず「陰」があることに気づけば、羨望・嫉妬もエネルギーに変えられる~我が「音楽」人生を振り返って

ニンゲンが抱く最も「根源的な感情」は「嫉妬」

そんな風に感じたことがあります。

一番その人の「偽らざるホンネ」が出やすい部分かもしれません。

 

「あの人、カッコイイなぁ!」

「あの人、ルックスも性格も良くて素敵だなぁ!」

「あの人、仕事が出来て素晴らしいなぁ!」

例示すれば、キリがありません。

誰しも一度は経験することだと思います。

 

ブログ運営も、まさにそれに当てはまるものがありそうです。

「あのブロガーさん、たくさん読者がいてイイなぁ!」

「あのブロガーさん、たくさんブックマークやスターを集めていて、人気者だなぁ!」

「堂々と実績報告記事を書いているくらいだから、さぞ儲けているんだろうなぁ…」

などなど。

f:id:saewataru:20200403164718p:plain

そうした「自分にとって羨ましい状況」を、どう受けとめるか?

 

「ヨシ!あの人を目標にして、自分も頑張ろう!」

と前向きに物事を考えられたら、理想的です。

ただ、それはなかなか難しい!

 

往々にして 

「なぜあの人ばっかり…!それに比べて自分は…」

とネガティブに捉えてしまいがちです。

 

ここからが、私の具体的な「ジェラシーストーリー」。

まさに「若気の至り」の典型の、恥ずかしい話です。

 

誰しも幼い頃、「大きくなったら〇〇になりたい」願望があったと思います。

それが中学・高校~と進むうちに、当然の成り行きとして、その願望は「仮面ライダー」「ウルトラマン」「お姫様」「ケーキ屋さん」のような「夢物語」から、現実的な進路に変化していくものです。

 

継続して読んで下さっている方々ならご存知の通り、私は人生のほとんどを音楽と共に過ごしています。

物心ついた時から、常に隣に音楽がありました。

 

ヴァイオリンを習っていたこと、そこから派生して「はやり歌の制作」に手を出したことがきっかけとなって、音楽がらみで「周囲に注目される」機会が多くありました。

 

小学生の時経験したテレビへの出演。

saewataru.hatenablog.com

 

(これはオトナになってからですが)ラジオへの出演。

saewataru.hatenablog.com

 

ヴァイオリン奏者としてのオーケストラステージも多数経験。

  

「好きな音楽をやって人前でチヤホヤされる」ことが、当たり前になっていた。

いつしか、それを「人生最大の喜び」

と感じる人間になってしまっていたのです。

 

はるか昔の学生時代、歌手のオーディション番組が放送されていました。

saewataru.hatenablog.com

 

自分と同世代の人たちが次々にアイドルとしてデビューし、華やかなステージに立ってファンの歓声を浴びながら歌っている。

「自分より歌がヘタなのに、なぜあんなヤツがデビュー出来るのだろう?」

ルックスやスタイルなどの面で、人気者になれる要素などまったく持ち合わせていないのに、彼らを本気で妬んでいました。

 

その一方で、なぜかプロのヴァイオリニストに対しては、そんな感情は微塵も湧き上がって来ませんでした。

単に「ミーハー」的に注目されたかっただけです。

バカです。

 

一方で実際の自分は、と言えば。

そんなオーディションに関わることなど、まさに「非現実」の極致。

「世間の波」(≒親の圧力)にもまれながら、来る日も来る日も受験勉強の毎日。

ラッキーなことに、大学までエスカレーターの学校に合格は出来ました。

しかし、その時点で明確な「人生ビジョン」が描けていたわけではありませんでした。

 

「赤点」さえ取らなければ無事に進級し、無試験で大学に進学できる。

文系の学部だから、時期が来たら「普通に」就職活動をし、「普通に」どこかの会社員になるのだろう。

「将来」を漠然と受けとめながらも、アタマの中には「音楽」の2文字が常に渦巻いていました。

 

そんな私でも、会社に入り、家庭を持って、「社会人としておカネを稼ぎ、生活することの責任」を背負うようになると、若かりし頃に描いていた「理想の将来像」は、実態が見えていない単なる「憧れ」で、「嫉妬」に根差しただけのものであったことに気づくのでした。

 

f:id:saewataru:20200403173925p:plain

オーディションに合格しデビュー後、ほんのいっときだけチヤホヤされた華やかなスターたちでも、瞬く間に「あの人は今」の主役になっていく。

人気商売は、泡のようにはかないものです。

ずっと活躍し続けられる人は、まさに「選ばれしほんのひと握り」だけ。

テレビ番組を通じて改めて確かめるまでもなく、「華やかさのウラにはとてつもない厳しさや苦労がある」ことがわかってきます。

「隣の芝生は、常に青く見える」のです。

 

そこに気づくと、「人をうらやむ⇒嫉妬する」だけでなく、それをエネルギーにして現実を見据え、人生のバネにしていくことの大切さが理解出来るようになります。

 

おのずと、

「自身と、自分の一番好きなこととの適切な距離感」

が見えてきます。

 

「生活」や「稼ぎ」に囚われずに、「純粋に楽しめる存在」として音楽と付き合う。

それがベストなのだ、と。

心の中でいったん吹っ切れると、「社会人」(一般の会社員)をしながら音楽に関われる環境が、ものすごく貴重で愛おしいものに思えます。

 

「会社内」という小さな世界ではあるけれど、人前に出てパフォーマンスも出来た。

ほんのちょっぴり、チヤホヤもされた。

saewataru.hatenablog.com

 

幼い頃からの「音楽感覚」をベースに、自ら歌を作る楽しさも味わうことが出来た。

saewataru.hatenablog.com

 

自分で作った歌が、ささやかながら「世間」に評価されることもあった。

saewataru.hatenablog.com

saewataru.hatenablog.com

 

そして歌い手として、ソロコンサートのステージに上ることも出来た。

saewataru.hatenablog.com

 

今になって振り返ると、

「誰に対して」「何を」「どれだけ」「なぜ」羨み、妬んでいたのだろう?

と感じることだらけです。

 

ここまで「その時その時」を存分に楽しんで来られたのだから、これ以上何を望むのか?と。

自分で自分に言ってやりたい。

「上等じゃないか!」と。

 

「モノは考えよう」。

まさに、このことです。