「隣の芝生は常に青い」。華やかさのウラには必ず「陰」があることに気づけば、羨望・嫉妬もエネルギーに変えられる~我が「音楽」人生を振り返って
ニンゲンが抱く最も「根源的な感情」は「嫉妬」。
そんな風に感じたことがあります。
一番その人の「偽らざるホンネ」が出やすい部分かもしれません。
「あの人、カッコイイなぁ!」
「あの人、ルックスも性格も良くて素敵だなぁ!」
「あの人、仕事が出来て素晴らしいなぁ!」
例示すれば、キリがありません。
誰しも一度は経験することだと思います。
ブログ運営も、まさにそれに当てはまるものがありそうです。
「あのブロガーさん、たくさん読者がいてイイなぁ!」
「あのブロガーさん、たくさんブックマークやスターを集めていて、人気者だなぁ!」
「堂々と実績報告記事を書いているくらいだから、さぞ儲けているんだろうなぁ…」
などなど。
そうした「自分にとって羨ましい状況」を、どう受けとめるか?
「ヨシ!あの人を目標にして、自分も頑張ろう!」
と前向きに物事を考えられたら、理想的です。
ただ、それはなかなか難しい!
往々にして
「なぜあの人ばっかり…!それに比べて自分は…」
とネガティブに捉えてしまいがちです。
ここからが、私の具体的な「ジェラシーストーリー」。
まさに「若気の至り」の典型の、恥ずかしい話です。
誰しも幼い頃、「大きくなったら〇〇になりたい」願望があったと思います。
それが中学・高校~と進むうちに、当然の成り行きとして、その願望は「仮面ライダー」「ウルトラマン」「お姫様」「ケーキ屋さん」のような「夢物語」から、現実的な進路に変化していくものです。
継続して読んで下さっている方々ならご存知の通り、私は人生のほとんどを音楽と共に過ごしています。
物心ついた時から、常に隣に音楽がありました。
ヴァイオリンを習っていたこと、そこから派生して「はやり歌の制作」に手を出したことがきっかけとなって、音楽がらみで「周囲に注目される」機会が多くありました。
小学生の時経験したテレビへの出演。
(これはオトナになってからですが)ラジオへの出演。
ヴァイオリン奏者としてのオーケストラステージも多数経験。
「好きな音楽をやって人前でチヤホヤされる」ことが、当たり前になっていた。
いつしか、それを「人生最大の喜び」
と感じる人間になってしまっていたのです。
はるか昔の学生時代、歌手のオーディション番組が放送されていました。
自分と同世代の人たちが次々にアイドルとしてデビューし、華やかなステージに立ってファンの歓声を浴びながら歌っている。
「自分より歌がヘタなのに、なぜあんなヤツがデビュー出来るのだろう?」
ルックスやスタイルなどの面で、人気者になれる要素などまったく持ち合わせていないのに、彼らを本気で妬んでいました。
その一方で、なぜかプロのヴァイオリニストに対しては、そんな感情は微塵も湧き上がって来ませんでした。
単に「ミーハー」的に注目されたかっただけです。
バカです。
一方で実際の自分は、と言えば。
そんなオーディションに関わることなど、まさに「非現実」の極致。
「世間の波」(≒親の圧力)にもまれながら、来る日も来る日も受験勉強の毎日。
ラッキーなことに、大学までエスカレーターの学校に合格は出来ました。
しかし、その時点で明確な「人生ビジョン」が描けていたわけではありませんでした。
「赤点」さえ取らなければ無事に進級し、無試験で大学に進学できる。
文系の学部だから、時期が来たら「普通に」就職活動をし、「普通に」どこかの会社員になるのだろう。
「将来」を漠然と受けとめながらも、アタマの中には「音楽」の2文字が常に渦巻いていました。
そんな私でも、会社に入り、家庭を持って、「社会人としておカネを稼ぎ、生活することの責任」を背負うようになると、若かりし頃に描いていた「理想の将来像」は、実態が見えていない単なる「憧れ」で、「嫉妬」に根差しただけのものであったことに気づくのでした。
オーディションに合格しデビュー後、ほんのいっときだけチヤホヤされた華やかなスターたちでも、瞬く間に「あの人は今」の主役になっていく。
人気商売は、泡のようにはかないものです。
ずっと活躍し続けられる人は、まさに「選ばれしほんのひと握り」だけ。
テレビ番組を通じて改めて確かめるまでもなく、「華やかさのウラにはとてつもない厳しさや苦労がある」ことがわかってきます。
「隣の芝生は、常に青く見える」のです。
そこに気づくと、「人をうらやむ⇒嫉妬する」だけでなく、それをエネルギーにして現実を見据え、人生のバネにしていくことの大切さが理解出来るようになります。
おのずと、
「自身と、自分の一番好きなこととの適切な距離感」
が見えてきます。
「生活」や「稼ぎ」に囚われずに、「純粋に楽しめる存在」として音楽と付き合う。
それがベストなのだ、と。
心の中でいったん吹っ切れると、「社会人」(一般の会社員)をしながら音楽に関われる環境が、ものすごく貴重で愛おしいものに思えます。
「会社内」という小さな世界ではあるけれど、人前に出てパフォーマンスも出来た。
ほんのちょっぴり、チヤホヤもされた。
幼い頃からの「音楽感覚」をベースに、自ら歌を作る楽しさも味わうことが出来た。
自分で作った歌が、ささやかながら「世間」に評価されることもあった。
そして歌い手として、ソロコンサートのステージに上ることも出来た。
今になって振り返ると、
「誰に対して」「何を」「どれだけ」「なぜ」羨み、妬んでいたのだろう?
と感じることだらけです。
ここまで「その時その時」を存分に楽しんで来られたのだから、これ以上何を望むのか?と。
自分で自分に言ってやりたい。
「上等じゃないか!」と。
「モノは考えよう」。
まさに、このことです。