そこは「爪痕を残す」じゃなくて「足跡を残す」だろう?…と信じているのだが
言葉は世につれ変わっていくもの。
ですから、何が正しいという絶対的基準などはないのでしょう。
それでも気になることは多々あって、「言葉の使い方」カテゴリーでも時々取り上げています。
そのひとつとして…
開設当初でほとんどアクセスがなかった時期の記事で、「めっちゃ」の氾濫(!)についての記事を書きました。
語源は「めちゃくちゃ」。
つまり「滅茶滅茶にしてしまいたいほど~」との強調だと思われます。
強調の「非常に」の意味で使うのは、関西圏ではごく普通のこと。
東京から転勤して実際に暮らしてみて、初めて知りました。
これまたごく普通に使われるようになっている「ヤバい」の連発も、本来の意味を考えたら「ヤバい状況」です。
でも、そんな言葉の由来を考えるいとまもないほど、これらは日常会話の中に完全に定着してしまっています。
一方、ニュアンスに気を遣い過ぎる(?)あまり、言葉そのものをわざわざ言い換えているかのような不自然な表現も最近耳にします。
その代表例が「におい」と「かおり」の使い分け。
使い分けと言うよりむしろ、「におい」という言葉自体が「臭い」を連想させて(?)NGワードになりつつあり、悪いニュアンスの少ない「かおり」に何でもかんでも言い換えられているような印象を抱きます。
今日の話は「におい・香り」の使い分けに近い話かもしれません。
テレビで、何かのインタビューで今後の抱負を尋ねられた某タレントが
「しっかり爪痕を残せるよう頑張ります!」
と答えたのです。
おいおい!そこは「爪痕」ではなく「足跡」(そくせき)ではないのか?!
と、思わずひとりでツッコミました。
「きちんとした実績を残したい」と言いたかったことは、文脈から十分理解できます。
しかし、そもそも「爪痕」とは災害や不幸ごとなど「好ましくないこと」の痕跡。
「台風による豪雨の爪痕が、今も残されています」のように使われる言葉…
そう理解していました。
「爪痕」は「爪跡」とも書きますが、「痕」は部首がやまいだれでもあるように、本来は好ましくない物事のはずです。
少なくとも、前向きな良い意味でのインパクトという意味では、通常使いません。
いや、使わないはずです。
…と私は解釈していましたが、だんだん自信がなくなってきました。
「ヤバい」は、もともとの意味でなく
「非常にうれしい」
「(良い意味で)驚いた」
時に発せられる言葉として、完全に定着してしまいました。
「爪痕を残す」も、いつしか「痕」が「跡」に変化して、
良い結果の実績報告をしたい時も、とにかく大きなインパクトを残したい、という意味で「残る」方向に行ってしまうのか…