ブログ運営11か月めにして初めて、少し詳しいプロフィール紹介をしてみる
昨日、「海外出張はとにかく大変」の記事を書いたところ、ブクマも含めいたわりの温かいコメントをいただきました。
そこには、
「音楽の記事を多く書いているから、音楽関係者ではないのか?」
「それだけ長期間あちこちに出かけていて、ふだん何をしているのか?」
「さえわたるは、いったい何者なのか?」
をうかがわせるお声もありました。
昨日の記事で書ききれず持ち越しにしたこと。
それは、
「ホームシックになるヒマもなく、自分を見失ってしまうほどハードスケジュールであちこち動き回る…なぜこんなことになってしまったんだろう?」
という思いでした。
こんな生活パターンになったのは、ほんの数年前からでした。
海外出張に関して言えば、3~4年前ぐらいがピーク。
その頃のパスポートの出入国記録。
この時は、7月8月9月と連続しています。
今となっては懐かしい思い出ですが、当時は「地獄生活」の象徴でもありました。
こんなに生活環境が激変したのは、ひとえに
「転職」が原因でした。
その前に、まず触れておかなければいけないこと…
毎日読んで下さっている方々はすでにご存知と思いますが、改めて。
私は「普通の会社員」です。
「ちょっと普通じゃない」のは、そこに「音楽家」としてのプロフィールもわずかに持ち合わせていることかもしれません。
平日は普通に働いている一方、帰宅後あるいは休日を使って、ハタから見れば「趣味」の領域をほんの少しだけ超えた音楽活動を展開している、
そんな人間です。
あくまで「仕事の合間の活動」です。
第一に。
アイコン画像にも載せているように、「ヴァイオリン奏者」としての顔があります。
時々オーケストラの一員としてステージに立ったり、少人数のグループでパーティーのBGM生演奏係をやったり、生徒をとって教えたり、といった活動をしてきました。
第二に。
幼い頃から楽器に触れていた影響で、「無類の音楽好き」に。
そのジャンルはクラシック音楽を超えて、「はやり歌」の世界に飛び火。
テレビで歌番組を見るのが大好きになりました。
加えて、習得した音楽知識で楽曲を自分なりに「分析」することにも惹かれていきました。
そのため、昔のヒット曲に異様に詳しい。
ブログで「懐かしい歌」の連載をしているのはその影響であり、ブログを始めたいと思った一番のきっかけと言えるかもしれません。
第三に。
「ただ聴いているだけでは物足りなく」なり、自ら「歌を作る」活動を開始。
歌詞だけは作詞の専門家から提供を受け、自分は作曲・編曲・歌唱を担当しています。
「日本作曲家協会」の会員にもなっています。
CD制作や配信を行っているほか、コンクールに出場したり、ステージのオファーを受けてソロコンサートを行ったりしています。
時間的にも精神的にも、人生のかなりの部分をこの活動に費やしています。
これによっていくばくかの報酬を得ることもありますが、もちろんそれで食っていけるほど甘い世界ではありません。
それでも、「一生関わりを持っていたい」と思える大切なものを持てたことだけは確かで、それだけでも十分幸せです。
この話は、今後も随時詳しく記事にしていくつもりでいます。
ここで、「転職」の話に戻るのですが…
新卒で入ったのは…
従業員数1万数千人、グローバルな事業展開もしていて、テレビCMも出している。
そんな会社でした。
会社には、若手社員を対象にした「経営大学院=MBAコースへの派遣制度」がありました。
入社5年目の頃これに応募したところ、まぐれで合格。
いったん会社を離れ、2年間会社から学費を出してもらい、かつ給料をもらいながら学生に戻る、そんな経験もさせてもらえました。
転勤で単身赴任になった時には、ひとり暮らし用のワンルームマンションの家賃を8割以上負担してくれる、「お財布に優しい」会社でもありました。
ありがたい環境でした。
一方、組織が大きく人がたくさんいると、上に行けば行くほど「閉塞感」を味わうようになります。
名刺上「マネジャー」の肩書をもらっても、その実態は「名ばかり管理職」。
ある意味、ここの社員としての「上がり」が見え始めていました。
ピラミッドの裾野は限りなく大きく、先端部分はきわめて小さい!
権限や責任を実感できる仕事への期待は、なかなか現実にはなりません。
会社員である以上、いつかは「マネジメント」に関わる仕事をしてみたい。
そこで、社会人としての「大冒険」。
在職のまま、とある転職サイトに登録しました。
すると、1か月ほど経ったある日、サイトを通じてスカウトの話が舞い込んで来たのです。
会社の規模や知名度は下がるけれど、求人票には魅力的なポジションが用意されていました。
自分から「大冒険」の扉を開けておきながら、いざレスポンスがあると、なかなか先に進むには足が竦むものです。
人生でこれ以上悩んだことはないのでは?と思うほど悩みに悩んだ結果…
長年勤めて来た会社に別れを告げる「一大決断」をしました。
もちろん、入社前の面接の段階で、業務内容については十分納得しているつもりでした。
しかしいざ入社してみると、その業務実態は前職と比べてはるかにグチャグチャ。
「組織構築」から始めないと仕事にならない…
「この会社は、それで人が欲しかったんだ」と初めて実感した。
そんな状況でした。
名目上肩書があっても、実質「プレイイング・マネジャー」でなければならない。
前職ではデスクワークの内勤にばかり携わっていたのが一転、自ら現場に出向かわなければならない立場になりました。
その結果のひとつの現われが、突然訪れた「度重なる海外出張」だったのです。
やりがいと共に、心身共に重圧が一気に押し寄せてきました。
一方、出張中でも音楽活動面のオファーは継続して寄せられていました。
そもそも「自分で蒔いた種」。
「自分が必要とされている」
仕事の多忙を理由にして、そんなせっかくのチャンスを疎かにしたくはありません。
精神衛生上も、どんなに忙しくても仕事ばかりに潰される生活にはしたくない!
自分なりに必死に「ワークライフバランス」に尽力。
怒涛の数年間をなんとかクリアすることが出来ました。
その後部署には部下が増え、自ら頻繁な海外出張に出かける仕事からは解放。
音楽活動は、もちろん継続出来ています。
そして昨年3月、少しだけ時間的余裕が出来たところで、これまた生まれて初めて「ブログ」と出会い、現在に至っています。