さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

オンエア中最古?のCM

15秒・30秒という限られた時間の中で、商品やサービスの価値を最大限に認知させる…

CM制作は、まさにアイディアとセンスの凝縮という感じがします。

 

苦労して作られるCMですが、基本的には「消耗品」。

同じ商品であっても、そのPRの仕方は定期的に変わっていきます。

詳しく調べたわけではありませんが、長くても2~3か月くらいで更新されていっている気がします。

 

そんな中、現在オンエアされているCMにおいて、同じ映像で最も古いのではないかと思われるのが、中古ピアノ買い取り「タケモトピアノ」のCM。

2パターンあって、それが連続して流される場合が多いようです。

 

猫の鳴き声から始まり、「ピアノ売ってちょーだい、もっともぉーっとタケモット。電話してちょーだい」と俳優・財津一郎と不思議な衣装を身にまとった4人の女性ダンサーが、軽快なリズムのBGMに合わせてピアノ鍵盤ステージ上で踊る。

そして別のバージョンでは「みんなまぁるく(問い合わせ先のフリーコールナンバーにかけて)タケモトピアノ~。電話してちょーだい」と(歌詞は一緒だが)メロディーの違うややスローな曲が登場。

 

画面の左右が短い。

つまりデジタル放送開始でTV画面が横長になる前から流れていることがわかります。

さらに遡って、どうやら20年以上前、20世紀の時代から使われているらしいのです。

 

制作年月は古くても、オンエアするのには相応のコストがかかることは間違いないのでしょうが、変化の速いこの時代に同じCMをず~っと流し続けていることに、ある種の感動を覚えてしまいます。

 

ソロアイドル史第9章~1979年デビュー組

毎週土曜日に連載中のこのコラム、9回目は今からちょうど40年前(!)の1979年です。

 

その時代に生まれていない方でも、「80年代J-POP」は固有名詞化され、80年代、90年代と固有のトレンドがあったことは耳にされたことがあるのでは、と思います。

やがて来たるべき(振り返ると音楽的には非常に華やかだったと思える)80年代の幕開けを控えての「準備期間」だったのか、この年のソロアイドル界はその後の1983年と並んで、やや「谷間の年」だったと感じます。

 

現在も立派に現役で活動しているこの年デビューの第一人者には、竹内まりやが挙げられるでしょう。

デビュー当時23歳、今もデビュー当時も完成度の高い「オトナの歌」を歌えるシンガーでしたが、時代背景からしてアイドル扱いをされる空気がありました。

デビュー曲「戻っておいで私の時間」はあまり話題になりませんでしたが、2曲目の「ドリーム・オブ・ユー」はサブタイトルの「レモンライムの青い風」でわかるように炭酸飲料のCMソングとなりヒット、次の「September」は今でも毎年9月になると流れる初期の代表作となりました。

続く「不思議なピーチパイ」も化粧品のCMソングとなりヒット、さらにデビュー後10年経っても「駅」「元気を出して」「シングル・アゲイン」など、「オトナが聴ける演歌ではない歌」を残しました。

 

アイドルとしては、作曲家・都倉俊一の秘蔵っ子であった倉田まり子がいます。

本名は坪田まり子ですが、都倉の「倉」をとって芸名にして「卒業~グラデュエーション」でデビュー、3枚目の「How!ワンダフル」がCMソングとして取り上げられたのが話題となったくらいで、アイドル歌手としての活動は5年ほどで終わっています。

 

当時話題だった「スター誕生」出身歌手としてデビューしたのが、井上望

「ル・フラン」でデビューしますが、その後目立った活躍は見られませんでした。

今は、あのモト冬樹の義姉です。

 

楽曲と共に話題になったのは、デビュー曲「私のハートはストップモーション」がヒットした桑江知子

この年のレコード大賞最優秀新人賞も獲得しています。

彼女も倉田同様都倉俊一から楽曲提供を受け、当時19歳ながらアイドルのイメージは薄いバラード曲でその年は注目されましたが、シングルでの活動は4曲目のCMタイアップ曲「永遠(エテルナ)の朝」あたりまででした。

都倉作品でのデビュー、デビュー曲がバラード、19歳でのデビュー、活動期間が短期。

第4章の麻生よう子と非常に似ています。

 

「アテンション・プリーズ」でアイドルデビューした能瀬慶子や、後にタレントとして有名になった川島なお美も、歌手としてはこの年のデビューです。

 

「普通に」おいしい?

昨日の「〇〇すぎる」の延長です。

文字で示すと「普通に」ではなく、むしろ「フツーに」の方が近いでしょう。

 

バラエティー番組での食レポでは「フツーにおいしい」が蔓延、街角インタビューでも一般人が「フツーにかわいい」が連発しています。

 

文脈からすると、おそらく「おいしい」「かわいい」といった形容表現を修飾する、つまり何らかの強調をするために使われているものと思われます。

その意味では、「非常に」の意味合いなのでしょうか?

それなら、今はやり(もはや定着?)の「めっちゃ」を使ってもよさそうです。

 

「うわぁ、これ、めっちゃカワイイ!」

「うん、これ、フツーにおいしい!」

私はどちらの言葉も使わない(使いたくない)ので、それぞれどういうニュアンスがあって、どう使い分けているのかがわかりません。

 

普通、すなわち「標準的に」という意味なのでしょうか?

とすると、「フツーにおいしい」のは「めっちゃおいしい」「すっげぇおいしい」よりレベルが低い「そこそこおいしい」くらいのおいしさになりますが、それだとあえて「フツーに」を付ける意味がありません。

「食べる前からおいしそうと思ってたけど、予想した通りおいしかった」時に使うのでしょうか?

それとも「当初の想定以上に」おいしかったのでしょうか?

 

以前「ヤバい」を取り上げた際は、本来使われるべきでない状況での用法に「日本語の乱れ」を感じましたが、この「フツーに」は、「どんな風に」を自分なりの言葉で繊細に表現できることが出来なくなっている、「語彙」そのものの変貌(=低下)を感じます。

「〇〇すぎる」

形容詞を強調する副詞的表現には、さまざまなものがあります。

たとえば、以前も触れましたが、私としてはもともと関西発と認識していた、「非常に」「とても」を表現する「めっちゃ」は、「むっちゃ」「めちゃくちゃ」などと同様すでに全国区になっていますし、「マジ」も「マジかわいい」など形容詞の接頭語として定着しています。

 

それらと似た心情ながら、ひと味違う使われ方をしているのが、この「〇〇すぎる」という言い方。

 

一番最初にこの表現を耳にしたのは、今から10年ちょっと前、八戸市議会議員となった藤川優里氏に称された「美人すぎる市議」だったと記憶しています。

もちろん最近は男性にも「イケメンすぎる〇〇」のように使われています。

食べ物でも「ウマすぎる」などと使われ始めています。

 

政治家は、政治家としての仕事をきちんとやってもらえばそれで良いわけで、市議が美人であるかどうかはまったく無関係なはずですが、マスメディア側の思惑として、代議士にしては美人が現われた(個々人で当然好みは異なりますが)と評判にしたかったのでしょう。

「非常に美しい」「最も美しい」では表現しきれない、超越した美しさを兼ね備えている、というニュアンスなのでしょうが…。

 

本来「~過ぎる」とは、「食べ過ぎておなかをこわしてしまった」「言い過ぎてけんかになってしまった」のように、しかるべきレベルを抑えられなかった(望ましくない)行為に対して使われる用語のはずです。

 

「非常に美しい」を強調した意味なのでしょうが、何事も「〇〇過ぎて度を超え」てはいけません。

聞くたびに違和感を覚えます。

 

全都道府県旅行記~北海道その2

「その2」としてはいますが、前回述べたように北海道旅行は過去5回。

今日はその完結編です。

  

これまでの訪問は、

1.高校3年での修学旅行。

2.大学1年でのオーケストラ演奏旅行。

3.出張に乗じての日本最北端探訪。

4.日本最東端探訪だけを目的にした旅。

そして、現時点で直近の北海道は、これも出張がらみでした。

 

 行き先は、札幌と函館。

場所は決まっていましたが、時期は2月中であればいつでもOKな状況でした。

これまでの北海道はみんな夏。

真冬の北海道出張は、夏は大好きだけれど寒いのが苦手な私にとっては苦行。

でも、せっかく行くのなら何かしら旅の思い出も作りたい…

「札幌で2月」と言えば、そう、雪祭りです!

 

 出張先もたまたま会場の大通公園のすぐ近くだったこともあり、昼休みを少し長く確保して、雪像の数々をじっくり堪能。

映像や写真でしか見たことがありませんでしたが、身近で見る迫力はさすがでした。

そして、今度は大人になってからの旅だったので、夜のすすき野も心おきなく楽しむことが出来ました。

 

次の訪問先は函館。

通常札幌~函館間は、在来線の特急で3時間ほどかかり、意外に不便です。

この時は仕事ということで、この距離を飛行機で移動しました。

 

札幌の空の玄関口は、市内からは小1時間南方に離れた新千歳空港

実は市内から近い場所にもうひとつ、丘珠空港という小さな空港があり、そこからプロペラ機で函館空港に向かいました。

修学旅行の時にはスルーしてしまった有名な観光スポットも、この時はしっかり押さえました。

 

函館と言えば、第一に函館山からの夜景。

函館山自体は学生時代にも1回上ったのですが、この時は昼間で、十分美しい眺めではあったのですが、やはり夜景の魅力は格別です。

山頂から降りると、函館ハリストス正教会や元町教会など、格調高い教会の数々。

そして、テレビでもよく見る函館の代表的な風景である八幡坂からは、函館港が美しく見渡せます。

近所には、横浜に似た赤レンガ倉庫群も並びます。

 

そしてもうひとつ有名なのが、五稜郭エリア。

戊辰戦争の歴史を感じながら五稜郭タワーを上り、白雪に覆われた星形の全貌を目に焼き付けました。

桜の時期も実に美しいそうです。

 

朝は駅前の朝市散策。

海鮮関係はふだんあまり口にする機会がない私でしたが、やはり地元の食は一味違います。

 

今では北海道新幹線も開通したことですし、鉄道好きとしては今度はぜひ新幹線で再訪したい土地です。

 

バイオリン教師活動

4歳からバイオリンを始めた私は、大学卒業まで18年間5名の先生に師事してレッスンを受け続けていました。

それが、これまでに述べたオーケストラ活動やTV出演等のイベントに関わるおおもとのきっかけになっているわけですが、大学に入ってからは自分自身「習う」一方で「教える」活動もしていました。

通常大学生のアルバイト活動としてよく知られる「家庭教師」。

私も授業の合間に3人ほど生徒を持っていた時期がありましたが、並行してそれより時間を割いていたのが「バイオリンの先生」のアルバイトでした。

 

自分がレッスンを受ける生徒の時は、専用のレッスン会場に出かけていったものでしたが、教師としての活動は相手の自宅への訪問でした。

勉強を教えるわけではないので、学校用の頭を使う必要はありませんし、自宅に習い事の(一応)先生を呼ぶような家庭ですからかなり裕福な環境。

レッスン後には「授業料」のほかに夕食のおもてなしなどもあったりして、名実共に「おいしい」商売でした。

 

就職と共にそんなアルバイトは必然的に終了したのですが、社会人となってから思わぬ形で「バイオリンの先生」役が復活したのです。

 

ネット上でスカイプに接続し、語学のマンツーマンレッスンを行うシステムがあることをご存知の方も多いと思います。

あるサイトで「教師募集」を見つけ、楽器のレッスンコースもあると知って、「ネット教師」に応募しました。

プロフィールやひとことPR、レッスン可能日や料金などの条件を書いて登録すると、それを閲覧した受講者からオファーが届くというシステム。

幸い私にもオファーがあり、空いた時間にWebカメラを通じてのレッスンを行うのです。

 

もちろん運営サイトからマージンは引かれますが、ヒマな休日に好きな楽器にかかわってお小遣いがもらえる…

仕事の関係で長くは続きませんでしたが、こんな形での音楽のふれあいも出来た、そんな話でした。

 

 

 

 

監視カメラの威力

昨年10月渋谷のスクランブル交差点で、ハロウィンに乗じて軽トラを横転させるなど大騒ぎした若者4人が、監視カメラをきっかけに逮捕に至ったという話がありました。

そして、つい先週の痛ましい事件でも、犯人の足取りが駅をはじめ各所の監視カメラで認識されていました。

 

現場付近に設置された何台ものカメラで、当時現場にいた数百・数千の人々の中から個人の足取りを特定する…

気の遠くなる、では済まされないほどの地道な捜査の賜物といたく感心しました。

 

そういえば確かに、電車内や駅、いろいろなお店・コンビニ、あらゆるところに「小さな球体」がたくさん存在していることに気づきます。

 

この話でも明らかなように、監視カメラの悪質な犯罪捜査や事件の未然防止への貢献度は絶大なものがありますが、同時に「自分の日常もカメラに監視されている」という当たり前の現実を改めて思い知らされます。

 

いえいえ、決してやましいところはないのですが、個人のプライバシーの観点で考え「人に見られている」事態を想定すると、あまり気分の良いものとは言えない部分もちょっとあります。

 

もしかして、駅のトイレや銭湯の脱衣所にまで、監視カメラは設置されているのでしょうか?

犯罪の温床になりうる場所と考えれば、あってもおかしくない気もします。

この頃は、ホテルに泊まる機会があると、ついつい客室内の天井・壁一面を見回すクセがついてしまいました(冗談抜きで、です)。

 

ITの世界でも、ユーザビリティとセキュリティのトレードオフは常に問題になります。

セキュリティを厳しくするためにアクセス制限を強めれば、その分使い勝手が悪くなる面があるわけで、犯罪防止のためならプライバシーは無視されてもいいのか?は極論にしても、両者のバランスをどこで確保するのか考える必要もあるのではないか…そう考えたりもします。

 

全都道府県旅行記~北海道

これまでの旅の思い出をどう綴っていこうか…

詳細をすべて記憶しているわけではありませんが、行った先々での鮮明な印象の残る場面について、都道府県ごとの切り口で、北海道から沖縄までお話ししていきたいと思います。

(場合によっては、あとから思い出して「その2その3…」が出来るかもしれません)

 

北海道は、先日述べたように公私含め5回訪れ、面積も広く見どころも多いだけに、思い出もたくさん残っています。

 

北海道については先日「演奏旅行その1~その3」で触れましたので、順番が逆になってしまいましたが、生まれて初めての北海道は、1週間強の長きに及んだ高3の修学旅行でした。

時間を急がない旅ですから、行きは演奏旅行の時と同じく「上野発の夜行列車」。

早朝青森駅に、その後4時間ほど青函連絡船に揺られて函館駅に到着、それからはずっとクラスごとに1台のバスを借り切っての移動でした。

 

修学旅行ですから、場所がどこというよりも、友人と泊りがけで行動を共にしたことの方が思い出深かったりするものですが、それでも北海道の土地柄、今でも忘れられない光景が多数残っています。

 

この時は、観光スポットの多い函館はなぜかスルーして(その後オトナになってから再びじっくり訪れたので、詳細はその時に触れます)、順番ははっきり覚えていませんが、立ち寄った場所としては昭和新山洞爺湖、札幌、阿寒湖、摩周湖サロマ湖、網走の原生公園、野付半島(道東)、釧路などです。

 

なぜか湖ばかりが挙げましたが、特に風景に惹かれたからかもしれません。

特に素晴らしかったのが、国内最高の透明度を誇ると言われる摩周湖

霧の摩周湖」と呼ばれるほど好天に恵まれるのが難しい場所にもかかわらず、この日は珍しく快晴で、それはもう筆舌に尽くし難い美しさでありました。

 

札幌市内は1日グループでの自由行動。

4人で観光タクシーをチャーターして、時計台・大通公園・クラーク像・藻岩山(ロープウェイに上っての夜景は、都会が大きく電飾が華やかな分、有名な函館山からのそれより素晴らしかった…)など駅周辺の観光地はもちろん、運河やガラス細工で知られる小樽や積丹半島まで足を伸ばしたりもしました。

夜のすすき野はさすがに制服姿には敷居の高い場所でしたが、それでも夕食は海鮮三昧のお店を選んだりして、いま思えば高校生の分際でけっこう大胆な行動だったとも思えます。

 

旅行の最後の地であった釧路も、前回の鉄道旅で若干触れましたが、この時は特に観光の時間はなく、東京に戻るために立ち寄っただけでした。

しかし、その「戻り方」がある意味なんともゼイタク。

なんとフェリーに乗っての帰京だったのです。

釧路を昼ごろ出て、東京の到着は翌日の夕刻、所要時間なんと32時間の旅!

もちろんそれまで、そんな長い船旅は経験したことがありませんでしたし、あまり船には強くなかったので正直ちょっと心配だったのですが、そこは修学旅行。

気分が常に舞い上がっていて、寝たいだけ寝るもよし、ひたすら続く大海原の景色を思う存分眺めるもよし(幸いずっと晴れでした)、船内の大浴場でくつろぐもよし。

そんな中みんなでやったのは、裸になって甲板に出てヒマつぶしの「甲羅干し」。

お肌のケアなど気にする時代・年ごろではありません。

一日にして真っ黒こげの出来上がりです。

 

大学時代の演奏旅行、出張に乗じた最北端稚内駅への旅行、ただひたすら最東端の根室駅を訪ねる目的で出かけた旅…

これで、北海道に関しては5回訪問のうち4回述べましたが、ラストの5回目はまた日を改めることにします。

 

 

 

 

ソロアイドル史第8章~1978年デビュー組

伝説の番組、TBS「ザ・ベストテン」が始まった1978年、ソロデビューシンガーは多彩な顔触れとなりました。

 

レコード大賞の最優秀新人賞は、前年11月に「迷い道」(現在過去未来~の歌い出しで当時話題に)でデビューし、続く「かもめが翔んだ日」で知名度を上げたシンガーソングライター・渡辺真知子でした。

当時アイドルと呼ぶには遅い21歳でのデビュー、そもそもアイドルよりニューミュージックに近い範疇でした。

3曲目「ブルー」まではヒットを連続するも、その後1年ほど低迷期が続き、デビュー時の勢いだけかと思われた中、2年後の1980年、それまでとは異なる曲調の化粧品CMタイアップ「唇よ、熱く君を語れ」で再度のブレイクを果たします。

 

また同様にアイドルとしてではないデビューを果たしたのが、「東京ららばい」でシングルデビューした中原理恵です。

19歳とは思えない大人のイメージが先行してヒットを飛ばした一方、「欽ちゃんブーム」の一環である「欽ドン」にレギュラー出演。

シンガーのイメージとは正反対の名コメディエンヌぶりで話題になりました。

 

当時のアイドル路線でデビューし最も実績を残したのは、「スター誕生」からデビューした石野真子でしょう。

デビュー曲「狼なんか怖くない」は、ひとつ前の世代でフォークブームの中心的存在だった吉田拓郎が作曲を手がけた楽曲。

「私の首領」や「失恋記念日」等を経て、1980年にデビュー曲と並ぶ代表作とも言える「春ラ!ラ!ラ!」をリリースしています。

 

そして、第5章でも若干触れた石川ひとみも、この年のデビューでした。

デビュー曲は「右向け右」。

当時はアイドルと言えばルックス重視で歌の上手いヘタはあまり問われなかった中にあって、石野と並び高い歌唱力を持っていた彼女でしたが、代表作と呼べるヒット作にはなかなか恵まれません。

そしてデビュー4年め、11枚目のシングルとして起用されたのが、前回触れた三木聖子のデビュー曲のカバー、「まちぶせ」です。

このヒットを受け、12枚目はまたも三木聖子の3枚目のシングル「三枚の写真」。

同じ歌手の楽曲を2回連続でカバーするという、制作サイドの狙った文字通りの「二匹目のドジョウ」作戦は、残念ながら功を奏すことはありませんでした。

その後、劇団四季の「メモリー」のテーマ曲も発表しています。

 

ソロではないので少し脱線しますが、ジャニーズに「ジャニーズジュニア」がいたのと同様、あのキャンディーズにも「キャンディーズ・ジュニア」という3人組のユニットが存在しました。

その後トライアングルとグループ名を変え、「トライアングル・ラブレター」でデビューしました。

そういえば、「ピンクレディー・ジュニア」ではないのですが、どう見てもピンクレディー人気に乗じたとしか思えないイメージで1977年に「アバンチュール」という楽曲でデビューしたキャッツアイというユニットもいました。

 

ちなみに、この年デビューの男性新人には、「青葉城恋唄」のさとう宗幸がいます。

クールビズの境い目

5月も終わり。

明日から夏服、いわゆる「クールビズ」になる会社も多いことでしょう。

(最近は、すでに5月から始めているところもあるようです)

 

確認すると、2005年環境省の呼びかけでこの言葉が生まれ、省エネ機運も手伝って「ネクタイやジャケットをなるべく着用せず、室温28度でも快適に過ごせる服装の浸透を目指そう」とのキャンペーンが発端、とのこと。

その後「スーパークールビズ」なる言葉も生まれました。

この「スーパー」が何なのか、あまり実感できていませんが…

 

「ネクタイやジャケット必要なし」であるにもかかわらず、ジャケットは着たままネクタイのみを取り去った格好をしている人の何と多いことか!

ネクタイを取れば、首元のあたりは「若干」、ホントにほんの少しは涼しくなるでしょう。

しかし、ニッポンの暑苦しい夏にとって一番の大敵であるジャケットを着ている限り、ネクタイを取った程度ではまったく焼け石に水です。

こうした「ネクタイなしのシャツ&ジャケット」が、クールビズ?として最も中途半端に感じられます。

 

さらにその際着ているワイシャツは、本来ネクタイ着用を前提に仕立てられている白シャツ。

長袖を脱却せず、かつネクタイをしていないこの白シャツ姿が、私には非常にダサくカッコ悪く見えてしまうのです。

TVで見かける政治家に典型的に見られますが、なんともはや…

 

本当にクールを目指すなら、ジャケットなど着用せず、シャツだって半袖・ノーネクタイでかまわないのではないでしょうか?

ただし見た目的に、長袖同様白一色というのはいささかお間抜けな印象があります。

最近はストライプの柄を使ったり、襟をおしゃれにアレンジしたり、色付きのボタンをあしらったり、といったトレンドもうかがえます。

 

「フォーマルな場の服装」に対する意識改革が、まだまだ言葉に追いついていない印象を受けます。

 

最も実害があって迷惑なのが、クールビズに関して一番保守的な考えを持ち、真夏でもジャケット・ネクタイ姿を崩さない連中の存在。

その人がどんな格好をしようと、別にかまいません。

しかし、その格好では当然「暑い」はずです。

だからと言って、自分の体感に合わせて室内のエアコンの温度を異様に低く設定されるのは、非常に困ります。

「ノージャケット・ノーネクタイなどだらしない」とプライドを持ち続けるのは結構。

でもそれなら、省エネにも協力し暑さに耐え忍ぶプライドも同時に持ち合わせて欲しいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

結構です?

この言葉、よくよく考えてみると「Yes」「No」双方の意味で使われるなぁと思い興味を惹かれたので、ちょっと調べてみました。

 

積極的な意味合いとしては、

相手に対する誉め言葉として、「結構なお品ですねぇ」「それはまた結構なことで」などと使われる。

一方、逆に誘いを断る時に「いいえ、結構です」と言ったりもする。

不思議ですね。

 

特に否定の意味で使うと、厄介になることもありそうです。

よくある迷惑なセールス電話に対して「結構です」を使うと、こちらはNoの意思表示をしているつもりでも、相手は乗り気であると勝手に解釈してどんどん深みにはまっていくので、こういう場合は決して使わずにはっきり「興味ありません」「要りません」と言うべきでしょう。

 

また「結構です」は「ご苦労様」同様、基本的には上から下へ向けられる言葉なので、上司や目上の人に対して「結構です」と言うのは失礼に当たることになります。

「かまいません」「問題(異議)ございません」が正しいでしょう。

 

一方、Noの意味の「結構です」に代わって、若者世代を中心に最近急速に浸透しているのが「大丈夫です」。

非常~によく使われています。

本人は気を遣って遠回しに断っているつもりなのでしょうが、「いえ、ダイジョウブです!」と頭ごなしに言われると、「結構」傷つきます。

 

それと、仮に言い換えても積極消極双方の言い方になる点は何も変わっていません。

 

人前で「お義父さん」「お義母さん」?

またまた敬語にまつわるエピソード。

普通のオトナならば、公の場で自分の家族を呼ぶ時、たとえば親であれば「父」「母」と言うのは常識で、いいトシをして「私のお母さんが…」などとは間違っても言いません。

 

ところが、結婚して義理の家族が生まれたとたん、この「大原則」が怪しくなってくることがあります。

 

先日TVのバラエティー番組に、とある有名人が出演しトークを展開していたのですが、そこで義父の話をする時に「ワタクシのおとうさんは…」とやり出したのです。

文字にすれば「お義父さん」なんでしょうが、音声だけなので「おとうさん」です。

それだけでなく、その義父に対して「ワタクシに〇〇して下さってまして~」などと「尊敬語」まで使い出したではありませんか!

 

実の親ならこんなことにはならないのでしょうが、義父母に対してだと、ついつい敬わねばという気持ちが出てしまったのかもしれません。

ましてや、この場合は対象者もおエラい有名人ということもありましたから…

 

会社では、たとえ社長であっても「弊社の社長〇〇は」と呼び捨てにするのは、新人研修の第一歩とも言えますが(それを「研修プログラム」で教えなければならないのも、いささか嘆かわしい気もしますが…)、家族内となるとそこに微妙な心理が生まれてしまうのでしょうか。

 

健在!「~になります」

コンビニやファミレスでの接客用語が「マニュアル敬語」として批判?された一時期があったように記憶していますが、最近はあまり話題にされなくなりました。

従業員がマニュアルに頼らない自分なりの表現を見出した、とはとても思えないので、世の中が「もうそんなもんだろう」と慣れてしまった、というのが実態だと思います。

 

マニュアル敬語の最たる表現として取り上げられていたのが、会計時に「〇〇円『から』お預かり致します」の「から」。

これは、言う側だけでなく、マニュアル作成側もさすがにおかしいと感じた?のか、少し下火になったような…

 

一方、「こちら、〇〇(料理名)になります」の「~になります」は健在。

健在どころか、どんどん蔓延している感があります。

 

文法云々以前の問題として、たとえばファミレスで「こちらハンバーグ定食になります」と言われた場合、「じゃぁ、ハンバーグになる前は何だったの?」「ひき肉から進化してハンバーグになったのか?」と、心の中でいつも軽いツッコミを入れています。

どう考えても「~になる」はおかしいでしょう。

普通に「ハンバーグ定食でございます」で十分です。

 

ところが、この「~になります」が、最近ビジネスの場にも進出していることに気づきました。

 

メール全盛の現代でも、電話は欠かせないツール。

担当者不在で折り返しの連絡先を伝える際、「番号は〇〇になります」と言う人が結構多いのに驚いています。

 

丁寧語を自然に使いこなすのって、本当に難しいですね。

喫煙権?

現在、標準的なたばこはひと箱(20本入り)で500円ぐらいするそうです。

1日ひと箱吸うとしたら、相当な出費で大変だと思います。

たばこに対する世間の目もずいぶん厳しくなり、愛煙家の方々には暮らしにくい世の中になったようで。

 

私は生まれてこのかた、たばこをまったく吸ったことがありません。

かつて一緒に暮らしていた両親・祖父母全員がヘビースモーカーの環境で育ったため、かえって反発心で吸わなかったのか、単に好みでなかったのか。

何かと誘惑の多かった高校時代、クラスメートがこっそり(?)トイレの個室で喫煙していても、まったく吸おうという気は起きずに現在に至っています。

 

たばこが喫煙者自身や周囲に与える影響は、改めてここで述べるまでもないことですが、今このコラムのタイトルを打とうとしたら、「嫌煙権」は自動変換で出てきましたが、「喫煙権」という言葉は一発では出てこなかったため、その点でも分が悪いのかもしれません。

 

そんな中、今何が気に食わないかって…

勤務先では「喫煙コーナー」が設けられ、執務室内は禁煙が徹底されている「常識的な環境」にあるのですが、仕事中なのにたばこと称して頻繁に席を外す連中。

喫煙コーナーはエレベーターを降りた屋外にあるので、1回行くと10分以上不在になることも多く、それが1日何回も繰り広げられる。

あれは「ズル休み」と同じではないのか、と。

流行は作られるもの?

「この春は〇〇がハヤリ」。

〇〇には、主に身に着けるモノに関して、色や素材・形など、あらゆるものが当てはまります。

ファッションにはまったく疎い私の目にも、よく入ってくる情報です。

おしゃれに興味のある人たちにとっては、そこにアンテナを張ることがマストなのでしょう。

 

洋服・言葉・歌…

さまざまなものには「流行(ファッション)」がつきものです。

それ自体、一見当然のことのように思えます。

でも本来は、何かに対して皆が「良い」あるいは「好きではないけれど何か気になる」「気がついたら頭の中をグルグル回っていた」などと感じたものが「意図的でなく自然発生的に」広まっていくことが「流行」。

現在の「流行」が「意図的かつ人為的に」「狙って作られて」いる状況を鑑みるに、どうも順番が逆になっているような気がします。

 

特に服飾の世界では、業界なりメーカーなりが事前に「今シーズンは〇〇を流行らせよう」との協議を行い、それをPRすることによって流行が形成されていくようです。


言葉に関しても、「新語・流行語」が良くも悪くもかつてほどのインパクトを感じなくなっている気がします。

スポーツ(プロ野球?)の世界で語られた、おおよそ野球を見ない人は知る由もない言葉が「新語・流行語」大賞にノミネートされていたりします。

 

歌の世界はその最たるもの。

「歌は世につれ、世は歌につれ」なんて諺(?)がありましたが、それも昔むかしの話。

いまシングルCDが一番売れているAKB48が、CDを出すたびに初週で100万枚超えのセールスを記録しても、歌そのものを知っている人はCDを購入したファンだけ。

個々人の趣味がどんどん細分化されていって、老若男女問わず誰もが「イヤでも耳に入って覚えてしまう」ような「流行歌」はすっかりなくなってしまいました。

 

この「イヤでも」レベルまで到達する現象こそが、本当の「流行」だと思うのですが。