さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

【懐かしい歌No.4】「セプテンバー物語(ストーリー)」児島未散

今回は「知る人ぞ知る」(それもかなり限定的範囲?)シンガー、児島未散(こじまみちる)のデビュー曲を取り上げます。

 

父は俳優の宝田明、母はミス・ユニバース優勝の児島明子というサラブレッドとして、18歳だった1985年に歌手デビュー。

その5年後にリリースされた「ジプシー」を、代表作として知る方は多少いらっしゃるかもしれません。

 

残念ながら、このデビュー曲は大きくクローズアップされることはありませんでしたが(画像が見つかったのが奇跡的でした)、作詞は作詞家界の第一人者であるあの松本隆、作曲は主に80年代、菊池桃子およびオメガトライブの一連のヒット曲や上田正樹「悲しい色やね」杏里「哀しみがとまらない」中森明菜「北ウイング」等、多岐にわたる活躍をした林哲司というスーパーコンビですから、かなり力を入れた制作陣です。

 

タイトル通り、人影が少なくなった9月のシーサイドを舞台に、過ぎ去った夏休みの思い出が切々と語られる詞に「ザ・80年代」の透明感あるメロディーと奥行きのあるサウンドがマッチして、今でも「夏の終わりと言えばこの曲」として、まる覚えの歌詞とともに思わず口ずさむほど。

 

単なるアイドルソングとしてではなく、心に残る楽曲です。

 


セプテンバー物語 - Kojima Michiru

ソロアイドル史第13章~1983年デビュー組

1980年や1982年は、大物アイドル量産の「当たり年」と語り継がれていますが、1983年はその「反動」(?)か、現代につながるアイドルはあまり生まれていません。

 

伊藤麻衣子(現:いとうまい子)は「微熱かナ」でアイドル歌手デビューしていますが、その後ドラマ「不良少女と呼ばれて」がヒット、その後も女優のイメージが強いです。

 

当時ツッパリグループで一世を風靡した横浜銀蠅の妹分、というキャッチフレーズで、銀蠅と同様の曲調「ドリーム・ドリーム・ドリーム」でデビューした岩井小百合

その後楽曲制作者になったとの話がありますが、あまり聴いたことはありません。

 

ボーイッシュな髪型・イメージをセールスポイントに、ホリプロスカウトキャラバンから「ジェームスディーンみたいな女の子」でデビューしたのは、大沢逸美

彼女もその後女優で見た時期がありましたが、今はどうしているのやら…

 

桑田靖子もこの年デビューしました。

前年「少女A」をヒットさせた同じ作家陣による「脱・プラトニック」がデビュー曲でしたが、残念ながら1~2年後には「あの人は今」の仲間入り状態です。

 

現在もタレントとしてTVに出演している森尾由美のデビューもこの年でした。

リリースしたシングルとしては、デビュー曲「お・ね・が・い」、その後小林麻美のヒット曲のカバー「初恋のメロディー」などがあります。

 

それぞれのスタイルでアイドル路線を踏襲しようとした彼女らの中で、今も「現役タレント」として一番の勝ち組と思われるのは、松本明子かもしれません。

当初「♂×♀×KISS」(オス・メス・キス)という刺激的(?)なタイトルの楽曲でアイドルデビュー。

しかし、その後日テレの伝説的番組「進め!電波少年」への出演などバラエティ番組に進出、現在も活躍しています。

 

 

女性アイドルの実績が全般的に低調だったことが奏功してか、この年のレコード大賞最優秀新人賞は、たのきんトリオの「の」=野村義男がボーカルを務めた4人組グループTHEGOODBYEが、デビュー曲「気まぐれOne Way Boy」で獲得しています。

その後10数枚のシングルをリリースしていますが、「た」や「きん」ほどのヒット作には恵まれませんでした。

 

 

 

 

【番組紹介】「サザエさん」の時代考証

「長寿番組」を語る時、「笑点」とともに外せないのが、知らない人はいない(であろう)国民的番組「サザエさん」。

1969年の放映開始から、今年なんとちょうど50年です。

 

家庭内・ご近所・学校・会社を舞台にした「日常のひとコマ」がテーマとして、一貫して取り上げられています。

とは言え、TV化のモチーフとなっている4コマ漫画の単行本シリーズは、終戦後すぐに発表されているものです。

時代はどんどん進んでいく。

それにつれて「日常」も変わっていく。

一方で、登場人物は永遠にトシをとらない設定、という「大原則」がある。

「原作のコンセプトをいかしつつ現代に合わせる」難しさを感じさせる場面がいろいろ出てきます。

 

磯野家は東京・世田谷のあさひが丘に立地。

あれだけの広さの敷地に一軒家、しかも平屋。

今だったらそれだけで大層なゼイタク資産です。

住まいは、玄関だけが突き出た伝統的な作り。

和室ばかり5部屋プラス台所、廊下に置かれた黒い固定電話、長い縁側、その突き当りにトイレ(おそらく和式)がある間取りは、現代のそれとはマッチしていません。

かつて東芝が単独スポンサーだった頃の名残り(?)で、テレビや冷蔵庫など電化製品だけはリニューアルされている形跡がありますが、前近代的な間取りと不釣り合いなところも逆に目立ってしまいます。

 

また、あれだけの構えを持ちながら、磯野家にはクルマがない。

(お隣の伊佐坂家にはあるのに)

さらに、磯野家の家族はケータイを持っていない。

サザエさんの買い物先は、必ず昔ながらの商店街で、スーパーやコンビニは登場しない。

現代にいわゆる「三河屋さん」は、もはや存在しない。

 

等々のムリは生じながらも、「笑点」同様、この番組が終了することはTV局が、否、世の中が許さないのではないか、とさえ思わせるパワーがあります。

何年か経って、ふと忘れた頃になにげなくチャンネルを合わせても、日曜18時半には必ず放送されている…そんな感じがします。

 

 

痩せたい人同様、太りたい人もいる

4月9日のコラムでも触れた通り、私は長身に比してまったく体重が足りていない体型であります。

「足りている」状態を仮にいわゆる「標準体重」とすると、それより10キロ以上少ない計算。

BMIを計算すると18.6、完全にやせ型です。

 

「結果にコミットする」で有名なCMでも明らかなように、世の中「痩せる」ことへの関心は大変高いものがありますが、逆に「太りたい」者の声はあまり聞こえてきません。

私は真剣に「太りたい」と思っているひとりです。

 

身長が高くて「どうしたらそんなに背が高くなれるの?」と尋ねられることはよくありますが、身長に関しては努力でどうこう出来るものではなく、遺伝的要素が大きいですね。

これに対し体重の方は、遺伝も関係するかもしれませんが、その人なりにある程度コントロールできるものだと感じています。

 

幼い頃からやせ型ではありました。

今の身長になって(大人になって)から、今より20Kg近く体重の多かった時期もありました。

それでも、世間の標準からして「太って」はいませんでした。

普通はトシをとるにつれて、いわゆる「メタボ化」していくものですが、お腹が出っ張ってくるどころか、大切な肉がどんどん削げ落ちていくばかりです。

 

特にウェイトトレーニングなど行っていませんし、食事も食欲のおもむくままに「食べまくって」います。

それでも、体重は増えない。

 

ひとつ思い当たる節があるとすれば、仕事や通勤でとにかく「歩く」せいでしょうか。

仕事のある日の歩数は、平均12000以上になります。

あえてウォーキングの時間を確保しなくても、強制的に歩くことを余儀なくされる生活を送ることで、体重が増えずにいるのかもしれません。

 

身体的にどこか悪いところがあるわけではなさそうなので、構わないと言えば構わないのですが、できれば腕や胸など、もう少しウェイトと筋肉が乗っかればカッコいいのに、と常日頃思っています。

「芸人」という言葉は、いつからこんなに定着したのか?

バラエティー番組には「お笑い」が不可欠です。

それを担当する人間の呼び名として、TV界では「芸人」の言葉が完全に定着しています。

歌手・アイドル・俳優・女優等と同列に「芸人」の立ち位置があるようにも思えます。

 

現在「芸人」が大きな話題になっていますが、そもそもいつから「お笑い」の人たちををひとくくりに「芸人」と呼ぶようになったのでしょうか?

そして「芸人」のほとんどは、本来漫才をするコンビです。

ひとりでお笑いをする「ピン芸人」の言葉もあります。

 

この「芸人」枠があふれまくって、ものすごい過当競争時代に入っていると感じます。

特段のお笑いファンではない私でも、たとえば顔写真を見せられたら何十組、いや百以上の名前を答えられるのではないかと思います。

そんな中、冠番組を持ったり番組にレギュラー出演したり出来ている「芸人」は、実に

狭き門を突破した、まさに選ばれし「精鋭中の精鋭」なのだろうと感じます。

 

80年代初頭に「漫才ブーム」と呼ばれる現象がありました。

「漫才」が「MANZAI」に変化しました。

しかし、「ブーム」と呼ばれながら、その時代の主役はツービート・B&B紳助竜介・のりおよしお・ザぼんち、ぐらいであったと記憶しています。

今いくよくるよオール阪神巨人・おぼんこぼん・星セントルイスなどが一緒にされる時もありますが、彼らはそれ以前からコンスタントに活躍していました)

 

いずれにしても、現在「芸人枠」に登場できるのは、片手で数えられるぐらいのごく少数だけ。

完全に「飽和状態」です。

ブームの去った(ブームにも乗れなかった)「芸人」はどんな生活をしているのだろう?などと余計なことまで考えてしまいます。

それが、現在話題の大問題の背景にもつながっているのではないか、と。

 

昔は「芸人」ではなく「漫才師」、一人であれば「漫談師」と呼んでいました。

師匠に弟子入りしてみっちり芸を叩き込まれ、世に出るに当たっては、落語家同様その名字や名前の一部を芸名にもらうパターンが見られました。

 

芸名も、「〇&〇」と呼ばれ「漫才師」であることが一目でわかるものが主体でした。

今は養成学校を経てデビューするのが多いようですから、「漫才師」よりタレント色の強い「芸人」の呼称が一般的になったのでしょう。

 

そんな「芸人」の出番は、ほとんどがバラエティー番組のひな壇コメントゲストか、ロケのメンバー。

「出世」して自分の番組を持ち、そのMCを務めることもありますが。

寄席番組がほとんどなくなったことで、「M-1グランプリ」といった特集番組ぐらいでしか漫才の出番はなく、それも若手の登竜門的な意味合いが強くて、「本職」であるはずの漫才そのものをTVで目にする機会はグッと減りました。

 

「芸人のMANZAI」は、「会話」(しゃべくり)によって笑いを生み出すのではなく、ただスピードとアクションとギャグを織り込むだけ。

その内容も、一方だけがボケて相方は相づちを打つだけ。

観客全体を包み込むのではなく、わかる人間だけウケればOK的な匂いも感じられて、笑いそのものが薄っぺらになった…と言ったら言い過ぎでしょうか。

そういう時代なんでしょうね…

 

ちなみに、個人的に現在一番のファンは…

海原の姓を受け継ぐ上方の名門「漫才師」、海原やすよ・ともこです。

オチのわかっている同じ画像でも、何度でも笑えます。

 

 

 

「消費期限」と「賞味期限」~あまり神経質になると

タイトルに挙げた2つの言葉、最近は明確な使い分けが推奨(?)されているようです。

 

「消費期限」とは、開封していない状態で、かつ表示されている方法で保存した場合、食べても安全とされる期限のこと。
ゆえに、期限を過ぎたら食べない方がよい。
これに対し「賞味期限」とは、開封していない状態で、かつ表示されている方法で保存した場合、おいしく食べられる期限のこと。

ゆえに期限を過ぎても、すぐ食べられないということではない、とのこと。

ですから、「賞味期限」の方が範囲が広い、ということになりそうですね。

ただし、双方とも「開封前の」がキーワードで、一旦開封してしまったら早めに食べたほうが良いそうです。

 

この説明、辞書的には一応理解できるのですが、その食品に表示されている期限にあまりにも神経質になるのもどうかな、と思ったりします。

 

生鮮食品やお弁当・牛乳などのいわゆる「ナマモノ」は、言うまでもなく数時間、あるいはその日のうちに食べ切ってしまわなければならないことは、たとえ期限が表示されていなくても感覚的に理解できます。

一方、缶詰・インスタント食品・調味料・スナック菓子等、一目で長期保存が可能な食品の「賞味期限」に関しては、そこまで厳密に考える必要はないのでは、と思います。

 

もちろん食に関する健康は大事ですから、無神経に食べ物を選ぶのは良くありません。

しかし、期限に対し「潔癖」になり過ぎるあまり、ひいては膨大な食品ロス問題につながっているのではないか、と。

そう考えると、身近な問題として、まずはスーパーやコンビニでムダな買い物をしないこと、ムダなゴミを発生させないことを心がけなければ…

そう実感する昨今です。

 

「~って言うか…」を連発する人

人と対話する時のあいづちの打ち方には、それぞれの個性が出ます。

ひたすら「うん、うん」と黙って聞いてくれる人もいれば、「それはよかったね」と言葉をはさみながら共感してくれる人、「そうなんだぁ。それで?」と先を促してくれる人…

どういう形であれ、「ねぇねぇ、聞いて聞いて!」と自分の話ばかりしようとするのではなく、相手の話に誠実に耳を傾けてくれる「聞き上手」な人は、みんなから好印象を持たれる、そう感じています。

自分もそうありたい、とは思っているのですが、気が付くとついつい自分ばかりしゃべっていたりして…。

特にお酒が入ると口数が多くなってしまうクセがありまして。

あとから反省!です。

 

その中でいつも気になっているのが、タイトルに挙げたフレーズ。

正確に文字に起こせば「~って言うか…」になるのですが、会話ではたいてい省略形「~っつぅかぁ~」的になります。

これを頻発する人を、時々見かけます。

 

本人は通常のあいづちとしてほとんど無意識に使っている、いわばひとつのクセのようなものなのでしょうが、この言葉、実は相手の話を聞かずに(けっこう頭ごなしに)否定して、話を自分の持論の方に引っ張り込んでいく、そんなインパクトを持っているような気がします。

悪気はない反応なのだと思おうとしても、話していてこれが出てくると、それまでの会話のペースが乱されるような気がして、言われた方としてはあまり気分のよいものではありません。

考えすぎでしょうか?

 

【懐かしい歌No.3】「君は薔薇より美しい」布施明

お題によらず、私なりの好きな歌を連載しています。

本日はこの歌。

 

1979年、彼が31歳の時の作品です。

(この映像が発売年のものかは定かではありませんが、短縮バージョンながらシングルと同じカラオケ音源のもの、ベストと思われるものを載せました)

「紅白」では21世紀に入ってからも含め計4回歌われ、歌番組に出演の際もよく選ばれているので、耳に覚えのある方も多いかもしれません。

 

デビューは、彼が17歳だった1965年に遡ります。

霧の摩周湖」や「恋」「積木の部屋」などのヒットを経て、1975年小椋佳作詞・作曲による「シクラメンのかほり」がミリオンヒットとなり、レコード大賞を受賞。

 

他の楽曲でもそうですが、この「君は薔薇より美しい」は特に、彼の伸びやかな歌声と豊かな表現力が存分に生かされています。

彼がいとも軽快に歌いこなしているので気づきにくいのですが、五線譜で分析してみると、おおよそ歌として歌えるメロディー運びになっていない。

つまり、音が大きく飛んだり細かい音符が続いたりリズムが細かく刻まれていたり、とにかくやたら「難しい」のです。

 

歌い出しの「息を切らし~」からいきなり高音に飛んで盛り上がり、16ビートに乗って激しく音が高低を繰り返します。

サビは意外にも(この歌の中では)低音部からこれまた複雑なリズムに乗りながら進んでいくのですが、出だしからこの控えめなサビの導入部に至るまでのすべてが、ラストの「変わったぁぁ~」の最高音での結びを際立たせるために構成されている。

最後に来て「そう来たかぁ。ヤラレタ」感の強い、心憎い演出になっています。

作曲のゴダイゴミッキー吉野が、布施明の歌唱力を見込んで挑戦状を送った、とも思えるハイレベルの曲です。

カラオケの愛唱歌のひとつですが、いつも深呼吸して覚悟を決めて歌います。

 

オリジナルキーはAメジャー(音域も当時の男性歌手としてはかなり高音)、最近のライブ歌唱ではキーが「-2」のGメジャーに下がってはいますが、70代を迎えた今も、その美声は健在です。

10年前の2009年、紅白25回の出場をもって「自分の出場枠を後進の『ポップス歌手』に譲りたい」として潔く勇退したのも、印象的でした。

 

ちなみにこの1979年には、知名度は低いですが「305の招待席」「カルチェラタンの雪」という、いずれもこの曲の底抜けの明るさとは正反対の悲しいバラードの名曲が相次いで誕生しています。

 


君は薔薇より美しい

ソロアイドル史第12章~1982年デビュー組

アイドルの歴史を語る時、「花の」が接頭語に付くほど象徴的だったのが、「花の82年組」、1982年です。

 

厳密には81年デビューながら、賞レース上は82年組に「編入」された松本伊代に続き、次々に女性アイドルたちが世に出ました。

 

以前少し触れましたが、小泉今日子が「私の16歳」でデビューしています。

ただしこのデビュー曲を知る人は少なく、林寛子のヒット作のカバー「素敵なラブリー・ボーイ」を2枚目のシングルとして発表し、こちらの方が知られるように。

初めてオリコントップ10入りを果たしたのが、翌1983年の5枚目「まっ赤な女の子」、初の1位を獲得したのがさらに翌年1984年の「渚のはいから人魚」でした。

そして、彼女の代名詞とも言える代表作が、1985年の「なんてったってアイドル」でしょう。

「夜明けのMEW」「魔女」「木枯しに抱かれて」、また90年代になって最大のセールスを記録した「あなたに会えてよかった」、さらに女優主体の活動となっていた21世紀に至ってからも2013年に(朝ドラ「あまちゃん」の挿入歌)「潮騒のメロディー」が話題を呼ぶなど、とにかくシンガーとしてのヒット曲が多いです。

 

15歳にして「潮風の少女」でデビューした堀ちえみ

一般的に知られている彼女の楽曲と言えば「とまどいの週末」「さよならの物語」「リボン」「東京Sugar Town」ぐらいでしょうか?

そんな中、3枚目のシングル「待ちぼうけ」は、フルコーラス聴きたくなるストーリー仕立てが魅力の楽曲です。

彼女の存在を全国区にしたのは、何と言ってもドラマ「スチュワーデス物語」での「ドジでノロマなカメ」役でしょう。

その後も「子だくさんタレント」として現役です。

(その後の病状が心配されますが…)

 

石川秀美は、デビュー曲が「妖精時代」ですが、個人的に印象深いのは次の「ゆれて湘南」。

85年の「愛の呪文」で紅白出場も果たしています。

今はご存知、デビュー同期の薬丸裕英夫人。

数年前までは夫婦揃って時々メディアにも登場していましたが、最近はその姿を見ません。

 

ハワイ帰国子女としてデビューした早見優も同期です。

「急いで!初恋」がデビュー曲ですが、ブレイクしたのは「2年目のジンクス」をはねのけて翌年1983年に発表された5枚目のシングル「夏色のナンシー」でしょう。

 

彼女らが典型的な「明るく陽気なアイドル」だったのに対し、「陰りのあるアイドル」として一時代を築いたのが中森明菜

デビュー曲「スローモーション」こそ清純派アイドルを思わせるイメージがありましたが、2曲目の「少女A」ではガラッとイメージを変え、その衝撃的タイトルも手伝って一気にトップアイドルとなりました。

「セカンド・ラブ」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ」「Desire」「難破船」「TATTOO」…など挙げてみましたが、まだまだほんの一部。

現役活動中(1990年ごろまで)のヒット曲の数々は、今も色あせません。

 

明菜のデビュー後の活躍で、「聖子派」「明菜派」の言葉が生まれました。

両者のイメージはまさに対照的で、ひと言で言えば聖子の「陽」に対して明菜が「陰」。

それは楽曲の特徴でも表わされており、聖子のヒット作はデビュー曲「裸足の季節」から7年後の「Peral White Eve」まですべてがメジャー、つまり明るい「長調」であるのに対し、明菜はデビューから「事件休業」前のシングル「Liar」までのシングル全てがマイナー、「短調」なのです。

(1988年復帰後の「Dear Friend」が初めて長調のシングル)

また、「赤いスイートピー」や「渚のバルコニー」など、聖子の代表的な楽曲を多く手がけたのが同一作家のコンビ「松本隆呉田軽穂ユーミン)」であることは有名で(小田裕一郎財津和夫なども複数シングル楽曲を提供)、彼らによって「ひとつの確立されたイメージ・路線」が踏襲されましたが、明菜は初期こそ「来生えつこ・たかお」コンビの作品が続いたものの、その後は楽曲ごとに作家を変え、一曲ごとに激しいリズムの曲からバラードまで、イメージの大きく異なるスタイルの曲を紡ぎ続けました。

両者はよくライバル視されていますが、もともと2年後輩の明菜が聖子の大ファンで、聖子に憧れて「スター誕生」に応募したのは有名な話。

私としては、双方とも素晴らしい楽曲を持ち、それぞれに特徴があって、優劣はつけられません。

ちなみに、まったく正反対のイメージであった聖子・明菜双方に楽曲を提供した作曲家がいます。

それがYMOの細野晴臣

聖子の代表曲のひとつ「天国のキッス」「ガラスの林檎」「ピンクのモーツァルト」は彼の作品、一方明菜の紅白初出場曲「禁区」の作曲者も彼です。

 

シンガーとして随一の実績を残した中森明菜が残念ながら「過去の人」になってしまったのに対し、松本伊代堀ちえみ早見優らは今でも「元アイドルのタレント」として画面に出続けています。

そして、今になってタレント括りである意味最も目覚ましい活躍ぶりを示しているのは、同じ年に「駆けて来た処女(おとめ)」でデビューの三田寛子ではないか、と思えます。

シンガーとしての実績は地味でしたが、梨園の妻として3人の男子を設け、自身も歌舞伎とTVタレントをこなしています。

 

これだけの女性アイドルが生まれた中、この年のレコード大賞の最優秀新人賞を受賞したのは…

シブがき隊でした。 

要望を聞いてくれないクイックマッサージ

仕事柄、またこの体型柄、首・肩こりや背中・腰の痛みはもはや持病化しています。

特に腰は椎間板ヘルニアを患い、何年かに一度歩けなくなるほどの激痛に見舞われ、日常生活にも大きく響いて困っています。

 

そんな時はもちろん専門の整形外科に通わなければならないのですが、忙しさが続いてちょっとリフレッシュしたい時、街のクイックマッサージを使いたくなる時があります。

 

最近はお店間の競争で、利用者にとってはありがたいことに料金も水準が下がってきて、ひところは「10分1000円」が当たり前だったのが、最近は「1時間3000円」前後が相場になっています。

驚くほど高額ではありませんが、月に何回も通えるかと言われると正直迷う水準です。

自分にとっては、マッサージに通うことは「ぜいたく」「自分へのごほうび」のカテゴリーに入ります。

 

金額もさることながら、お金を払っただけのサービスがきちんと受けられるかの方が大事です。

ただ、施術者リストからお好みを予約OKと言われても、誰がうまいのか、自分に合っているのか、実際に受けてみなければわかりません。

 

また、初回は「どのへんがおつらいですか?」と言葉では訊いてくれます。

時間が無制限にあれば「全身もみほぐし」を希望しますが、そうもいかない。

そこで、背中(首・肩は自分で手が届くが、背中は届かない)と足裏(単純に気持ちいい)を集中的に、と頼みます。

ところが、5分経っても10分経っても、お目当ての個所に手はまったく触れられて来ず、全然お目当てでないふくらはぎの辺りを分厚いジーンズ越しにひたすらさすっている。

 

確かに、気持ちいいか良くないかと言われれば、気持ちはイイです。

でも、そこは自分でもみほぐせます。

押して欲しいのはそこじゃないんです!

 

そんな時、最近は言いたいことが言える度胸も身に付いてきたので、15分ぐらい様子を見て相手が的外れな時は、具体的に場所をはっきり言うようにしています。

ところが、困ってしまうのはそんな私の注文に対し、「脚をもむと背中もラクになるんですよ」的なウンチクをたれてくる施術者の存在。

確かに専門家に言わせればそういう理屈もあるのでしょう。

でも、そんな「間接的効果」をヨシとするほど、こちらには時間がないのです。

 

自分に合うお店をどう見極めるか…

これって、マッサージだけでなく美容院や飲食店など、どんなところにも通じる話かもしれませんね。

「ちょっといいかな?」は、ちょっとでは済まない

仕事上のコミュニケーションは、改めて言うまでもなく非常に重要な要素です。

デスクワークの場合特に、「いかにうまく話をするか」が仕事の出来栄えを左右するとも言えます。

 

営業の現場で、あるいは大切な会議・打ち合わせなどで、なにかしらよろしくない行為を「やらかしてしまった」場合。

周囲の人が働くフロアで軽く注意、では収拾のつかないケースもまれにあります。

すなわち、「別室に呼んで叱責」しなければならない局面。

 

こうした事態のきっかけに常套句としては使われるのが、タイトルに挙げたこのフレーズです。

友だち同士のなにげない会話で「ねぇねぇ、ちょっといい~?」的に使われるのとは異なり、職場でこの「かな?」が付くだけで、ニュアンスが激変します。

文字にするとそんなに重くない感じもしますが、実際の場面では非常にズシリと響きます。

 

そもそもこの言葉が発せられるのは、内容として全然「ちょっと」では済まされない事態であることがほとんどです。

また、「いいかな?」と言われて「いいえ、今はちょっと…」などとイエスノーが言える状況でもありません。

そう言われるに至る経緯もおおよそ察しがついている場合がほとんどなので、決して良い話ではないという「問答無用感」があります。

 

過去自分自身でこの言葉を使わざるを得なかったこともありますし、言われたことはその何倍もあったかもしれません。

いずれにしても、短いながら「魔のフレーズ」であることだけは間違いなさそうです。

 

 

 

 

 

 

 

メールやLINEがいくら便利でも、そこは「直接」でしょう?

ネットが普及、と言うより完全に日常生活のひとコマとなってから、コミュニケーションスタイルにも大きな変化が生じました。

最も大きな変化は「直接対話の減少」でしょう。

 

たとえば、もはや完全に昔話の世界ですが、たった20数年前、まだケータイのなかった時代、待ち合わせ時の連絡はけっこう手間のかかることでした。

決めていた時刻や場所を何らかの都合で変えなければならなくなった時のために、駅には「伝言板」なる黒板があったりもしました。

今はメールやLINE1通のやりとりで、あっさり懸案解決です。

 

こうした形で簡単に意思疎通が出来るようになった結果として、待ち合わせならばまだしも「大事な連絡が直接話されない」、果ては「重要な約束が簡単に破られる」世の中になってしまったような気がします。

 

プライベートなやりとりでは許されることでも、ビジネスの世界では守られなければならないルールがたくさんあります。

その基本中の基本は、「直接対話」「電話連絡」といったコミュニケーション対応ではないかと思っています。

 

先日会社のパソコンに、見覚えのないアドレスから「ご連絡」と称したメールが送信されてきました。

ウィルス付きでは?と一瞬警戒して、システムの専門家にも相談しつつ中身を開けてみると…。

「本日体調不良により休みます」

との一文が。

 

休むなどと言ったら、「この忙しい時に何なんだ!」と怒られるとでも思ったのでしょうか?

ニンゲンですから、風邪をひくことも、具合が悪いことも当然あります。

休むことを咎めているわけではありません。

しかし、そこはメールではなくて「直接電話連絡」でしょう!

ネットの進化や時代の変化など、言い訳にはなりません。

 

怒りを通り越して、人と人とのつながりはいったいどうなってしまうのだろう?とまで憂えてしまったエピソードでした。

「ありがとう」が言えない

「近頃の若いモンは…」とボヤく内容ではありません。

自分自身の話です。

 

お店で買い物をする時。

デパートでもスーパーでも、飲食店でも美容室でもコンビニでも、「お店」では会計のあと、従業員はほぼ間違いなく「ありがとうございました」の言葉を発します。

それに対して、自分はどう答えているだろうか…

知らず知らずのうちに、無言でやり過ごしてしまっているのではないだろうか?

 

その昔「お客様は神様です」が流行語になりました。

仕事では(特に営業職では)「お客様のために」を常に心がけなければ、商売になりません。

でも、日常生活において自分がお客様の立場になった時、お店側の「ありがとう」に対して無言なのではないか?

だとしたら、そんな態度はいかがなものか、と思いました。

 

本来なら、「買ってくれてありがとう」に対しては「提供してくれてありがとう」とちゃんと返すべきなのでしょう。

まさにギブアンドテイクです。

でも、正直照れくさくてそれをはっきり言えない自分がいます。

恥ずかしいことです。

 

最近、スーパーやコンビニでも、会計の際に最低限「はい」のひと言は伝えるように努めています。

それではまだ不十分なこともわかっています。

髪をカットしてもらった時は、自然に「ありがとう」と言っています。

銀行窓口(特に、椅子に座って手続に長時間かかる場合など)でも、同様に「ありがとうございました」が言えるようになりました。

自分がそう言われたら、うれしいに決まっているから…

 

ちなみに、不思議なもので、病医院にかかった時は例外が起こります。

立場上「お客様」であるはずの患者が「ありがとうございました」と言い、病院側は決して「ありがとうございました」とは言わない。

代わりの言葉は「お大事に」。

やはり、命がかかっていると立場が逆転するのでしょうか。

 

 

なぜ「容疑者」ではないのか?

ここのところ、高齢者ドライバーによる交通事故がメディアに大きく取り上げられています。

突如始まった問題ではないのでしょうが、高齢化社会の世の中で高齢者によって尊い命が奪われる痛ましいケースが多いので、注目されているのでしょう。

 

そんな中、少し前になりますが、87歳になる元通産省のお偉方が事故を起こし、幼い女の子とそのお母さんが犠牲になる痛ましい事故が起きました。

運転者を現場に立たせての実況見分の様子がTVに出ていましたが、おぼつかない足取りを見て、おおよそまともな運転など出来る状況でないことを、なぜ自ら認識し、運転からのリタイアを潔く決断できなかったものかと、やりきれない気持ちになります。

 

それはともかく、この事件の報道では、人の命を奪った(過失致死にせよ)「犯罪者」を「元院長」と「肩書(=一種の敬称)」で呼んでいるのが気になります。

法律上の細かい話はわかりませんが、通常悪いことをしたら、みな「〇〇容疑者」と呼ばれていますよね?

遠い昔、ニュースで犯罪者は呼び捨てでした。。

いつからか、犯罪者にも人間としての尊厳を認めて(?)「容疑者」が付くようになりました。

 

かつて社会的地位のあった人物だけ、なぜ犯罪をおかした後もこうして「肩書付きで崇め奉られる」なのでしょうか?

職業や経歴がどうであれ、人の命を奪った人間なのだから完全に悪質な「容疑者」ではないのかな、と。

(細かい話ですが)「エライ人が事故を起こした」ことをあえて話題として強調したいのなら、「元院長の〇〇容疑者」とすべきだと思います。

あくまで犯人なのですから。

 

これと同列に論じることではないかもしれませんが、かつて国民的アイドルグループのひとりがやはり交通事故トラブルを起こした際、「〇〇メンバー」と報じられていました。

いきなり「容疑者」呼ばわりはなにかしら問題があるとして、報道機関iでの「横並び協定」あるいは事務所側からの圧力でもあったのでしょうか?

私の記憶の限りでは初めての使われ方だったため、別の意味で違和感を覚えたことがあります。

もっと最近、女性問題でグループを脱退した元アイドルの呼び名も、やはり「〇〇メンバー」でした。

不思議な特別扱いですね。

【番組紹介】「マツコの知らない世界」でトーク力の素晴らしさを見た

現在「録画をしてでも見たいと思う」バラエティー番組のひとつが「マツコの知らない世界」(TBS系、火曜日20時57分~)です。

当初深夜番組だった頃は知りませんでしたが、5年ほど前ゴールデンに登場してから欠かさず見るようになりました。

 

大雑把な番組内容は…

マツコ・デラックスが毎週登場するある特定の世界・領域に人生を捧げたスペシャリストとトークを繰り広げる。

ゲストは、自らの得意ジャンルや現在はまっているものをマツコに紹介・プレゼンをするというものです。

 

1回の放送でゲストが2組(基本的に1人ずつ、時に複数)登場しますが、各コーナーは基本的に1対1のトークで進行され、バラエティー番組に必ずといってよいほど登場する複数の「コメント(ひな壇)ゲスト」はいません。

 

トークのみで前半・後半が構成されているのがこの番組の大きな特徴であり、それを成り立たせているのは、ひとえにマツコの話術の巧みさだと思います。

ゲストは(ごくたまに芸能人も登場しますが)基本的に一般人で、マツコより年長者も多いのですが、最初の挨拶の時こそ敬語を使っていながら、気がつくとたいてい「タメ口」になっていたり、時には相手を呼び捨てで呼んでいたり。

それが全然不自然でも不快でもないのが、実に不思議で興味深いです。

ふだんいわゆる「おネエ言葉」でしゃべりながら、時折オトコの面を見せ、スタジオスタッフに対して「お前ら何やってるんだ、コノヤロー!」的な暴言(?)を吐くタイミングも、ある種絶妙で楽しいです。

 

食べ物や食材に関する話題が3回に1回、またはそれ以上の割合で紹介されますが、翌日にはそれが売り切れ現象を起こすこともあるようで、かなりの経済効果を持ってもいるようです。

 

一応1時間番組ではありますが、通常民放の1時間番組が毎時00分から54分まで、CMを含め54分間の枠となっているのに対し、この番組は3分繰り上げの「57分始まり」さらに終わりも10時ぴったりなので6分延長、つまり通常の1時間番組より毎回9分も長い「特別編成」=「特別扱い」なのです。

 

当初マツコ・デラックスが画面に登場し出した時には、よくある「一発屋芸人」と一緒に扱われて、「キワモノはすぐ消える」的な言い方をされていたのが、いまやアンケートをとれば「最もコメント力のあるタレント」に名前が挙がるほどの存在に。

かつての評判はなんと浅はかな見方だったのか、と彼の偉大さを再認識させられます。