ソロアイドル史第12章~1982年デビュー組
アイドルの歴史を語る時、「花の」が接頭語に付くほど象徴的だったのが、「花の82年組」、1982年です。
厳密には81年デビューながら、賞レース上は82年組に「編入」された松本伊代に続き、次々に女性アイドルたちが世に出ました。
以前少し触れましたが、小泉今日子が「私の16歳」でデビューしています。
ただしこのデビュー曲を知る人は少なく、林寛子のヒット作のカバー「素敵なラブリー・ボーイ」を2枚目のシングルとして発表し、こちらの方が知られるように。
初めてオリコントップ10入りを果たしたのが、翌1983年の5枚目「まっ赤な女の子」、初の1位を獲得したのがさらに翌年1984年の「渚のはいから人魚」でした。
そして、彼女の代名詞とも言える代表作が、1985年の「なんてったってアイドル」でしょう。
「夜明けのMEW」「魔女」「木枯しに抱かれて」、また90年代になって最大のセールスを記録した「あなたに会えてよかった」、さらに女優主体の活動となっていた21世紀に至ってからも2013年に(朝ドラ「あまちゃん」の挿入歌)「潮騒のメロディー」が話題を呼ぶなど、とにかくシンガーとしてのヒット曲が多いです。
15歳にして「潮風の少女」でデビューした堀ちえみ。
一般的に知られている彼女の楽曲と言えば「とまどいの週末」「さよならの物語」「リボン」「東京Sugar Town」ぐらいでしょうか?
そんな中、3枚目のシングル「待ちぼうけ」は、フルコーラス聴きたくなるストーリー仕立てが魅力の楽曲です。
彼女の存在を全国区にしたのは、何と言ってもドラマ「スチュワーデス物語」での「ドジでノロマなカメ」役でしょう。
その後も「子だくさんタレント」として現役です。
(その後の病状が心配されますが…)
石川秀美は、デビュー曲が「妖精時代」ですが、個人的に印象深いのは次の「ゆれて湘南」。
85年の「愛の呪文」で紅白出場も果たしています。
今はご存知、デビュー同期の薬丸裕英夫人。
数年前までは夫婦揃って時々メディアにも登場していましたが、最近はその姿を見ません。
ハワイ帰国子女としてデビューした早見優も同期です。
「急いで!初恋」がデビュー曲ですが、ブレイクしたのは「2年目のジンクス」をはねのけて翌年1983年に発表された5枚目のシングル「夏色のナンシー」でしょう。
彼女らが典型的な「明るく陽気なアイドル」だったのに対し、「陰りのあるアイドル」として一時代を築いたのが中森明菜。
デビュー曲「スローモーション」こそ清純派アイドルを思わせるイメージがありましたが、2曲目の「少女A」ではガラッとイメージを変え、その衝撃的タイトルも手伝って一気にトップアイドルとなりました。
「セカンド・ラブ」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ」「Desire」「難破船」「TATTOO」…など挙げてみましたが、まだまだほんの一部。
現役活動中(1990年ごろまで)のヒット曲の数々は、今も色あせません。
明菜のデビュー後の活躍で、「聖子派」「明菜派」の言葉が生まれました。
両者のイメージはまさに対照的で、ひと言で言えば聖子の「陽」に対して明菜が「陰」。
それは楽曲の特徴でも表わされており、聖子のヒット作はデビュー曲「裸足の季節」から7年後の「Peral White Eve」まですべてがメジャー、つまり明るい「長調」であるのに対し、明菜はデビューから「事件休業」前のシングル「Liar」までのシングル全てがマイナー、「短調」なのです。
(1988年復帰後の「Dear Friend」が初めて長調のシングル)
また、「赤いスイートピー」や「渚のバルコニー」など、聖子の代表的な楽曲を多く手がけたのが同一作家のコンビ「松本隆&呉田軽穂(ユーミン)」であることは有名で(小田裕一郎や財津和夫なども複数シングル楽曲を提供)、彼らによって「ひとつの確立されたイメージ・路線」が踏襲されましたが、明菜は初期こそ「来生えつこ・たかお」コンビの作品が続いたものの、その後は楽曲ごとに作家を変え、一曲ごとに激しいリズムの曲からバラードまで、イメージの大きく異なるスタイルの曲を紡ぎ続けました。
両者はよくライバル視されていますが、もともと2年後輩の明菜が聖子の大ファンで、聖子に憧れて「スター誕生」に応募したのは有名な話。
私としては、双方とも素晴らしい楽曲を持ち、それぞれに特徴があって、優劣はつけられません。
ちなみに、まったく正反対のイメージであった聖子・明菜双方に楽曲を提供した作曲家がいます。
それがYMOの細野晴臣。
聖子の代表曲のひとつ「天国のキッス」「ガラスの林檎」「ピンクのモーツァルト」は彼の作品、一方明菜の紅白初出場曲「禁区」の作曲者も彼です。
シンガーとして随一の実績を残した中森明菜が残念ながら「過去の人」になってしまったのに対し、松本伊代・堀ちえみ・早見優らは今でも「元アイドルのタレント」として画面に出続けています。
そして、今になってタレント括りである意味最も目覚ましい活躍ぶりを示しているのは、同じ年に「駆けて来た処女(おとめ)」でデビューの三田寛子ではないか、と思えます。
シンガーとしての実績は地味でしたが、梨園の妻として3人の男子を設け、自身も歌舞伎とTVタレントをこなしています。
これだけの女性アイドルが生まれた中、この年のレコード大賞の最優秀新人賞を受賞したのは…
シブがき隊でした。