「~しておられる」
日本語の敬語表現は非常に奥深いです。
これからも話題にするかもしれませんが、今日とりあげるのは、タイトルに挙げたこの表現です。
動詞を敬語表現にする時には、大まかに3つのパターンがあります。
ひとつ、「~れる」「~られる」。
ふたつ、「お~になる」。
みっつ、「~していらっしゃる」。
ただ、動詞によっては独特の言い回しがあり、上の例にそぐわないものもあります。
たとえば「言う」の敬語表現として、一般的には「おっしゃる」でしょう。
「お言いになる」とは使われません。
同様に「見る」も「お見になる」とは言わず「ご覧になる」が敬語表現になります。
それはともかく、敬語のつもりで「〇〇しておられる」と発言するケースを時々耳にして、そのたびに違和感を覚えています。
「おられる」の「お」は、「お世話になっております」や「〇〇しております」など、自分のことをへりくだる謙譲語の「おる」。
これに尊敬語の「~られる」を付けるのは、どうもちぐはぐな感じがするのです。
そして、この「おられる」は(偏見かもしれませんが)政治の場、あるいはある一定の年齢以上の男性からよく聞かれるような気がしています。
外面的には相手を敬うそぶりを見せながら、「自分の方が上だぞ」の潜在意識を持つ人が、この「おられる」発言の主なのでは?と思うのは、考えすぎでしょうか…?
そこまで番宣⁈
本日でブログ開設50日。
おかげさまで50日連続の投稿です。
さて、TV離れが叫ばれて久しい今日この頃。
ニュースや天気予報など生活に必要な情報を見る(特に注目していなくても、なんとなくTVをつけている、も含め)ことはあっても、ドラマとなるとなかなか積極的には見ない…というのが現状なのでしょう。
その意味では、「ドラマ離れ」と言った方が正しいかもしれないです。
ドラマだって、「作り」さえ良ければ、高い視聴率を生み出すことは出来るのです。
最近でも、何年に1回かは評判のドラマが生まれていますよね?
ここでの「作り」について。
本来ドラマは、しっかりした原作なり台本なりがあって、そのイメージに合う実力派のキャスティングを行うことによって面白さが出てくると思うのですが、今は事務所のごり押しパワーのせいか、まず旬の役者(特に若手)の起用ありきで、うまくもない芝居を見せられるところに、ドラマ不振を招く根本的な問題があるように思えます。
そんな中でも、高視聴率=スポンサーの収入アップのため、ドラマスタート直前のバラエティー番組のひな壇ゲストには、その番組の趣旨とはまったく関係のない新ドラマの主役が「番宣」のためだけに必ず登場します。
「番組ジャック」と称して、朝のニュース(情報番組)から夜まで1日何回も出づっぱりだったりします。
もちろん彼らの目的はドラマPRですから、番組を盛り上げるようなしゃれたコメントを言えるわけもなく、存在意義はまず感じられません。
こうした露骨なゲスト人選、必死なドラマPRは、いったいいつごろから過激になったのでしょうか?
やればやるほど痛々しく、逆にドラマに対する嫌悪感さえ覚えてしまいます。
一方、そうしたバラエティー番組で、彼らの「セリフでない言動」を目にすることで、その人の本当の人間性が垣間見え、好感度アップにつながったり逆にガッカリしたりするケースも。
そんな観点から彼らを眺めるのも面白いですが。
キャッシュレスがこわい…
世の中、どんどんキャッシュレスが進行しています。
決済手数料も安いものが登場しているようです。
世界的に見ても日本はキャッシュレス化が遅れているとかで、政府も「〇〇年までに〇〇%」と数値目標を掲げて推進しようとしています。
確かに、面倒な現金・小銭のやりとりがなくなって便利にはなります。
ポイントをためれば、お得な買い物が出来る。
たくさんのメリットがあればこそなのでしょう。
私ももちろん、クレジットカードは持っています。
カード払いの通販も、かなり活用している方だと思います。
さらに旅行サイトや家電量販店を使おうとすると、その時には専用のカードが必要になり、結果何枚ものカードを所有することにはなりますが…
実質上、カードは1枚しか使っていません。
カードで買い物をすると、当然のことながら目の前ではお金を払いません。
「お金を使った実感がないのに、知らない間にどんどんお金が減っていく」、この感覚がこわいのです。
ポイントも、同じ買い物をするならば、何もないよりポイントが付いた方が当然お得です。
でも、その買い物は本当に必要なのか?
ポイント獲得のために本当に必要でない買い物をしてしまうのは、本末転倒ではないのか?
政府のキャッシュレス化推進の何よりの目的は、国民の消費拡大にあるのでしょうが、それが本当に有意義な消費生活につながっていくのか、考えてしまいます。
時代の変化を個人で変えることは出来ません。
でも、少し大げさかもしれませんが、時代の変化に個人として、自分の価値観としてどう立ち向かうのか、しっかり見極めなければならないと、常々思っています。
ご丁寧!なアナウンス
最近、電車内での駅名案内は、最近録音音声によるアナウンスがほとんどです。
駅名・乗り換え路線のお知らせから英語バージョンまであり、初めての外国人観光客にも安心感を与えていることでしょう。
車掌さんによっては、その録音音声の後さらに肉声でのアナウンスが加わることがあります。
乗客のために、という誠意と親切心であることは十分理解でき、その点は感謝なのですが…。
「そこまで重ねてしゃべらなくてもいいよ」なんて思ったりもします。
そんな時、肉声でのアナウンスが頼りになるのは、何かしらの「イレギュラーな事態」が発生した時。
特に、ラッシュの時間帯など皆が時間を気にし、ストレスフルになる時間帯。
端的に言えば「電車が遅れる」際の情報提供です。
私がせっかちだからなのかもしれませんが、「それ言われても、それって情報として必要か?」と特に思うアナウンスが2つあります。
ひとつは「ご乗車になってお待ち下さい」。
電車が動かない時、「降りてしまう」人が出ないようにするための配慮、なのでしょうか?
たいていの人はヘタに動いたりせず、そのまま事態の推移を見守るはずです。
そしてもっと気になるのが「信号が変わり次第発車します」。
信号が青に変わったら動き出すことくらい、言われなくてもわかっています。
情報として欲しいポイントは、
それが「いつなのか?」
「30秒後なのか、5分以上かかるのか?」です。
それがはっきりしないのならば、いくらアナウンスされてもあまり意味がないように思います。
「ほぼほぼ」
某モバイル会社のCMで、通信料の安さを宣伝するため「ほぼ」がキーワードに使われたことがありました。
この言葉自体は特に目新しいものではなく、以前から日常的に会話でも文章でもお目にかかっていました。
「ほぼ」は、「だいたいその値には近いが、まだその域には達していない」場合に使われる語と認識しています。
限りなく近い「未満」ってことですよね?
この点が、大小どちらに振れても使える「約」「およそ」との違いではないかと思います。
ところが、数年前からここに「ほぼほぼ」が登場してきました。
意味・ニュアンスはなんとなくわかります。
カンタンに言ってしまえば、「ほぼ」が90%なら、「ほぼほぼ」は99%ぐらい?
あるいは、両者の区別はほとんどなくて、無意識に口をついて出ているだけなのかも。
上の世代でこの言葉が使われている感覚はあまりないので、やはりこれも「マジ」「ガチ」「ヤバい」グループの言葉なのかな、と思ったりしています。
北海道大演奏旅行記その3~完結編
この演奏旅行で思い出深いのが、それまでの音楽活動で経験したことのなかった、地元のいくつかの小学校へ訪問しての「音楽教室」でした。
小学生からすれば、楽器の習い事でもしていなければ、オーケストラの生演奏に触れる機会などそうそうはありません。
それぞれの学校で音楽の授業時間帯にお邪魔して、全校生徒が体育館に集合した中、30分ほどのステージを展開しました。
もちろん正式な演奏会ではないので、曲目も小難しいクラシックではなく、教科書に載っているような曲のオーケストラアレンジであったり、それぞれの楽器がどのような音を出すのかソロのデモンストレーションであったり、やっているこちらにとってもなかなか珍しい時間を過ごしました。
子どもたちもめったにない機会を堪能してくれたようでした。
一番楽しく、また驚いたのは、単なる大学生のお兄さん・お姉さんたちなのに、あたかもプロの名演奏者の訪問かとでも思ったのか、教室終了後のふれあいタイムになんと写真撮影やサインを求められたことです。
自分自身が子どものころ、アイドルのマネをして自分のサインをふざけて考え練習していたことが、まさか本番で使える機会が来るなんて。
そして、出演メンバーの中で小学生からもっと多くのリクエストをもらったのが…
「ねぇねぇお兄ちゃん、肩車してぇ~!」の大合唱。
小学生にしてみれば、195cmの長身は、これまで見たことのない大巨人登場に思えたのでしょうね。
道内の主要都市を回ったので、もちろん途中の空き時間にはメジャーなスポットの観光も行いました。
そのうち新たに「旅行記」のカテゴリーを設けようと考えていますが、詳細は折を見てその時にでも触れたいと思います。
出張も含め、これまで北海道には5回訪ねていますが、この時ほど印象深い旅はいまだにありません。
ソロアイドル史第4章~1974年デビュー組
1974年、レコード大賞の最優秀新人賞は麻生よう子「逃避行」でした。
当時19歳の遅いデビュー、そして曲調は本格的なバラードタッチで、アイドルの範疇とは多少異なるかもしれません。
この年アイドルとして注目されたのは、「中3トリオ」と同じ「スター誕生」出身、デビューは彼女らより1年遅くなりましたが、学年は同級生の伊藤咲子。
デビュー曲「ひまわり娘」よりも、3枚目のシングル「木枯しの二人」や翌々年紅白し出場を果たした7枚目の「きみ可愛いね」がセールス的には上回っていますが、イメージは「ひまわり娘」でした。
今や大女優の貫禄たっぷりの浅野ゆう子が14歳でアイドルとしてデビューしたのもこの年でした。
デビュー曲の「飛び出せ!初恋」や2作め「恋はダン!ダン!」などがありますが、ヒット曲としては、2年後の「セクシーバスストップ」が代表作です。
木之内みどり(「横浜いれぶん」「グッド・フィーリング」など)、相本久美子(当初は近藤久美子「初夏景色」)がデビューしたのもこの年でした。
林寛子は子役出身でしたが、歌手としてのデビューはこの年。
デビュー曲「ほほえみ」はあまり知られていませんが、翌1975年、5枚目の「素敵なラブリーボーイ」が代表作となりました。
(7年後、小泉今日子の2枚目のシングルとしてカバーされましたが、林が元祖です)
太田裕美もこの年11月のデビューですが、年末に近かったこともあり、いわゆる賞レースでは75年組とされています。
デビュー曲「雨だれ」から「たんぽぽ」「夕焼け」の3作めまではピアノ弾き語りのスタイルでしたが、これをやめた翌年、4曲めの「木綿のハンカチーフ」が最大のヒットとなりました。
当時「65点の人が好き」の歌詞で知られた「恋人試験」の松本ちえこ、デビュー曲「ボーイフレンド」は話題になりませんでしたが、翌1975年にCMタイアップでヒットしました(と言いつつ、彼女の存在を覚えている人自体ほとんどなさそうです…)。
一方男性アイドルでは、「気になる17歳」や「愛の誕生日」などの作品を残したあいざき進也と、「イルカに乗った少年」の城みちるがツートップでしょう。
北海道大演奏旅行記その2
その前の年、高3の修学旅行も北海道6泊7日の旅だったため、北海道へは期せずして2年連続の訪問となりました。
当時まだ健在だった「上野発の夜行列車」に乗り、「連絡船」で函館へ。
これから始まるさまざまなことを思うと、寝る時間さえもったいない感じで、号車が貸し切りだったのをいいことに、ずっと周囲とおしゃべりに花を咲かせていた記憶があります。
なにせオーケストラですので、総勢80名超の大所帯の移動になります。
「仕事道具」である楽器も大きな荷物で、バイオリンはまだラクですが、コントラバスやティンパニなど、運ぶのにけっこう労力が要るものも少なくありません。
いま思えば、会場の運営や途中の交通機関・宿泊の手配等、周りの方々の準備は相当大変だっただろうと思うのですが、当事者はそんなことはつゆ知らず、長時間の列車の旅を満喫しながら、完全な旅行気分に浸っていました。
小樽・旭川・函館の各地で開かれた演奏会。
収容人数1000人クラスのステージはそれぞれ感動と興奮に包まれ、同窓会的雰囲気のこもった温かい拍手に、なんとも言えない高揚感を味わったのを覚えています。
さらにこの時にはコンサート終了後、行く先行く先で地元の主催者(大学OBたち)の熱烈歓迎イベントがあったりして、その大学出身者でないエキストラの自分も大いに持ち上げられた気分で、覚えたての校歌を一緒に歌ったりして、今までのステージにない経験も出来ました。
そう言えば、普通コンサートはホール、つまり屋内で行うのが通常ですが、旭川ではデパート前の広場で演奏するという前代未聞の出来事もありました。
いま振り返ると、あれはコンサートではなくお店の「客寄せイベント」だったのか、と。
それでも、遠い北の大地ではなにもかもが楽しい出来事でありました。
(つづく)
10人に1人の…
日本人10人に1人と言われる存在…
そう、私は左ききです。
そんなに大層な話でもないのですが、世の中の9割を占める「普通の」右利きの人にはなかなか気づかない不便が、日常生活上あるものなのです。
自動改札機。
カードをかざす(or 挿入する)場所は、必ずゲートの右側についています。
右手で扱うことを前提に作られているので、左手を使おうとすると、カラダを大きくひねらなければなりません。
自動販売機のコインを入れる場所も、右利き用に出来ています。
ハサミやバターナイフ等や刃物も、右利きの人には何の違和感もないでしょうが、実はけっこう使いにくかったりします。
究極なのは「急須」。
最近は急須でお茶を入れる機会はほとんどありませんが、あれってヤカンと違って、注ぎ口と持ち手が90度の角度になってますよね?
あれを左手で使うことを想像してみて下さい。
手前から向こう側にお茶を注ぐことになり、それはもう大変です。
ドライバーでねじを巻く時。
あるいは、電球を取り換える時。
時計まわりに左から右へ回しますよね?
あれも、左手では非常にやりにくい。
そんな中、現在は学校で左利きは普通に容認されているようですが、私が小学校に入った時は、担任の教師から「字は右手で書くもの!」と無理やり直されました。
それまで食べるのも字を書くのも左が当たり前だった子どもにはこれは大きなストレスで、しばらくの間軽い吃音状態に陥るほど。
周囲の目も、「〇ッチョ」(今では一種の差別用語らしい?)と呼ばれたりして、ずいぶん厳しいものがありました。
今は「字は右、お箸や包丁は左」の生活です。
北海道大演奏旅行記その1
先月紹介したNHKホールでの演奏会(4月3日コラム)の出演メンバーは、都内の各大学オーケストラクラブが集まった混成チームでした。
練習中のある日、仲良くなっていろいろ話すようになった他大学の人から、「この夏休み、うちの大学オーケストラで北海道演奏旅行をやるんだけど、バイオリン奏者が足りないので、エキストラとして参加してくれないか」とのオファーが入ったのです。
聞けば、道内在住の大学OB会の主催の下、ホールでのコンサートに加えて、地元の小学校を訪問しての音楽教室も行うという興味深い内容。
しかも、ゲスト出演だからと交通費・宿泊費すべて先方もち、というじゃないですか!
また、滞在中ずっと本番ばかりではなく、移動に伴って自由時間もとれるとのこと。
こんな大盤振る舞いの誘いに乗らないテはありません。
というわけで、大学最初の夏休み、9泊10日の長い長い大旅行がスタートしたのでした。
(数日後につづく)
「気象予報士」はどこへ?
ニュース番組では、必ず天気予報が流れます。
特に朝の時間帯は、同じ番組の中で10分20分おきに放送されます。
時間帯ごとに視聴者が異なることを意識した構成なのでしょう。
画面の片隅に、エリアごとの天気と降水確率・気温が常に表示されているものも多いです。
そういえば、「天気予報」という言葉がいつしか聞かれなくなりました。
たとえばNHKでは、「天気予報」ではなく「気象情報」ですよね?
もはや「予報」するものではない、ということでしょうか?
ここで登場するのが「気象予報士」。
第1回の試験は今から25年前の1994年に行われたそうです。
TVに登場し始めたのはもう少し後でしょうか?
この気象予報士、数ある資格試験の中でもかなりの難関とされています。
しかし、(やや語弊がありますが)晴れて資格を取得した「気象のプロ」に関する天気の詳細な解説が、日常生活にとって果たしてどれだけ必要なのか、と素人の私には感じられるのです。
気象のプロならばプロなりに、人によって異なる予報が出ても良いのではないか、とも思えます。
しかし実態は、どの番組を見ても情報は一緒。
つまり、「元ネタ」は気象庁が発表したモノでどれも同じ、それをどう「解説」するかの違いなのではないか、と。
そして、番組改編期ごとに気象予報士も変わってどんどん新しい人が登場しますが、彼らがアナウンサーのように「会社員」でないとしたら、番組を降板した後どうなるのか、ちょっと気になります。
きっとTVだけではなく、資格を生かせる活躍の場があるのでしょうが…。
個人的には、本日「雨が降るか降らないか」「最低気温と最高気温はどのくらいか」の情報があれば十分です。
週間予報とやらも必ず発表されますが、1週間後のその日になって予報通りだったことはまずありません。
結局直前にならないとわからない。目安にさえならないように感じます。
本当に健康になれる?
「グルメ」と共に、番組で非常に頻繁に取り上げられるのが「健康法」です。
「グルメ」と組み合わされて「〇〇を食べると健康に良い」の流れはもはやテッパンです。
「〇〇」にはさまざまな食材が入ります。
人気番組で紹介されると翌日スーパーからその食材が消える、なんて話もありますから、TVのメッセージが本当だとすればそれなりの視聴者ニーズがあることになります。
しかし、似たような番組がこれだけ増えると
「流行りに乗ってるだけで、独創的な番組企画を考えようという気概があるのかなあ」
という思いの方が強くなってしまいます。
一方、純粋に運動面から健康法・ダイエット法を紹介する企画も、いろいろな面から掘り起こされてもう出尽くした感があります。
ストレッチやスクワット、ヨガ、ウォーキング、スイミング、呼吸法や睡眠法…その種類数知れず。
「1日〇分を何セット、〇週間で効果が出ます」
それだけ続けられる時間的余裕と根気をどう生み出すか?
そちらの方がむしろ気になります。
また、番組ごとに紹介される健康法はみな種類の異なるもの。
たとえば、味噌がカラダに良いと紹介する番組がある。
だからと言って、あまり食べ過ぎたら塩分をとり過ぎではないかと心配する。
それらを全部実践していたら、1日が何時間あっても足りませんし、果たしてイイのかワルイのかの矛盾と闘うことにもなりかねません。
結局、数あるメニューはあくまでも目安で、その中からピンときたものを自分で選ぶしかないのでしょうが…。
少なくとも私には継続する自信がありません。
芸能人のプライバシーその2
前に述べたように、ワイドショーは下火になり、芸能レポーター「突撃取材」の場面をTVで見ることは、過去に比べるとめっきり減少しました。
しかし、週刊誌やスポーツ紙などのメディアが健在なように、芸能人をゴシップの根源として扱う風潮がなくなったわけではありません。
芸能人本人や所属事務所は、レポーターからの「取材を受ける」立場から、「自らの情報を提供する」立場に変わって来たような気がします。
ブログは、彼らにとっても「自己の意思表示」の代表と言えるかもしれません。
また、ワイドショー時代にはあまりなかった現象として、「報道関係各位」と書かれた結婚等報告のFAXがあります。
あれは、芸能人側からの「私を話題にして!」「記者会見で注目して!」というある種の「アピール」ですよね。
自己PRは芸能活動の命ですから、それ自体はわからなくもありませんが、最近気になる(気に入らない)のは、「結婚しました」として、相手の顔をハートマークで隠した画像をアップする現象。
あれは「私を注目して!でもまずい部分は見ないで!」という、見方によっては都合の良いやり方だなぁと思う時があります。
トーク番組のスタジオ収録において、オンエアしては問題のある人物の実名を「ピー音」やイニシャルで隠す手法と同じ発想。
好奇心だけを煽っておいて実体を明かさないので、欲求不満だけが残ります。
もちろん、結婚相手は芸能人ではないのだから、顔が公表されては困る面もあるでしょう。
まぁ、私だって別に相手の顔がどうしても知りたいわけではないのですが…。
でも、相手だって、誰かに強制されたわけではなく「自らの意思で」芸能人を結婚相手に選んだのだから、そのために自分自身が注目を浴びる結果になることも当然覚悟の上で、想定の範囲内なのではないかな?と思ったりもします。
ソロアイドル史第3章~1973年デビュー組
1973年は、前年・前々年デビュー組が「2年目のジンクス」を乗り越えて飛躍しました。
たとえば天地真理の「恋する夏の日」、南沙織「色づく街」、西城秀樹「情熱の嵐」など、彼らの代表作はこの年に生まれています。
また、グループサウンズとして芸歴は彼らよりやや長い沢田研二が「危険なふたり」をヒットさせたのもこの年でした。
さて、この年のデビューは圧倒的に女性優位でした。
前回少し触れたアグネス・チャンは、この年デビュー曲「ひなげしの花」とともに、3枚目の「草原の輝き」をヒットさせました。
しかし、後年語り継がれるのは何と言っても桜田淳子・山口百恵の「同級生・同期デビュー」でありましょう。
この2人はその後数年間ヒットチャート上でデッドヒートを繰り広げます。
両者とも芸能界ではすでに「過去の人」ではありますが、その「伝説度」から言えば人気絶頂期に結婚のためわずか7年の芸能生活に潔くピリオドを打った山口百恵が圧倒的でしょう。
でも、デビュー当初は桜田淳子リードで始まりました。
その桜田もデビューからいきなり売れたわけではなく、初期の代表曲「わたしの青い鳥」が実は3枚目のシングルであることは、あまり知られていないかもしれません。
それでもその年の賞レースには間に合って、レコード大賞の最優秀新人賞を受賞しています。
山口も同様、清純イメージのデビュー曲「としごろ」のセールスは思わしくなく、当時14歳にして「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」という早熟な歌詞が話題を呼んだ2枚目の「青い果実」で本格的なアイドルの仲間入りをしました。
「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」の歌詞が衝撃だった「ひと夏の経験」は翌1974年、5枚目のシングルでした。
同期アイドルには、浅田美代子もいます。
デビュー曲「赤い風船」が大ヒット、その後は「幸せのいちばん星」「じゃあまたね」などの作品を残し、歌手活動はシングル10作、わずか2年間ほどで実質終了していますが、その後女優・タレントとして今でもTVに露出しています。
また、純粋なアイドル路線とは少し異なるイメージでしたが、同期デビューだったのがあべ静江。
現在印象に残っているのは、一般的にはデビュー曲「コーヒーショップで」と、イントロでのセリフが印象的だった2枚目の「みずいろの手紙」くらいでしょうが、その後もTVには出演し続けました。
前年の森昌子の路線でやはり同年にデビューしたのが、石川さゆりです。
デビュー曲が、「せんせい」に曲調の似た「かくれんぼ」であったことを知る人は少ないでしょうね。
「津軽海峡冬景色」(当時19歳)によるブレイクまでは、その後4年かかっています。
デビュー当初はその若さもあってアイドル的な売り出し方をされましたが、そもそもが「演歌歌手」。
今では1年の最後の日にしかお目にかかりませんが、40年以上経ってもその「現役感」はトップクラスと言えるでしょう。
なお、ここでは原則として「ソロ」歌手しか挙げていませんが「時代」を彩った2人組、3人組…まで含めれば、キャンディーズの存在を外すことはできません。
彼女らのデビューも1973年でした。
当初スーちゃんがデビュー曲「あなたに夢中」から4枚めのシングルまでセンターを務めましたが、1975年、5曲目からランちゃんがセンターにチェンジして発表した「年下の男の子」がヒットして、知名度がグッと上昇しました。
活動期間中17枚のシングルを残し、「普通の女の子に戻りたい」「私たちは幸せでした」の印象的な言葉を残しつつ、1978年3月、当時の後楽園球場でのコンサートをもって解散したのでした。
「なので」
前に取り上げた「テンション」や「マジ」「カワイイ」は、正直ポジティブな印象はありませんが、若者言葉から発生した流行という認識はありました。
しかし、今日書く「文頭の『なので』」には、
「気が付いたらある日突然みんなが普通に使っていた」
という「割り切れなさ」と驚きがあります。
これも辞書によれば、
「だから」「~であるから」の意味。
例文「風邪なので学校を休んだ」「故障の原因が明らかなのですぐに直せる」
これは正しい使い方として、自分としては何の違和感もありません。
気になるのが、「補説」として書かれた次の説明。
近年、主に話し言葉で、順接の接続詞のように用いられることがある。
「風邪を引いてしまいました。なので、今日は学校を休みました」
これです。いきなり文頭からの「なので」。
「近年」とありますし、記憶でもたかだか数年前ぐらいからだと思います。
個人的には、この使われ方にいまだ抵抗感があります。
でも、TVをよくよく注目していると、単なる「お飾りタレント」ではなく、れっきとした(?)コメンテーター役の人物や、果てはアナウンサーまで(ニュース原稿以外の会話の場面)この「なので」を普通に使用しているようです。
「マジ」とは別の意味で、もはや完全に市民権を得てしまった言葉なんだなぁ、と最近つくづく思って(憂えて)おります。
では、「なので」がこんなに頻繁に使われるようになる前、同じ状況でどんな言葉が使われていたのか?
おそらく「だから」が最多で、あとは「それで」ぐらいでしょうか?
思い出せないのも、なんだかもどかしいです。