さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

ソロアイドル史第3章~1973年デビュー組

1973年は、前年・前々年デビュー組が「2年目のジンクス」を乗り越えて飛躍しました。

たとえば天地真理の「恋する夏の日」、南沙織「色づく街」、西城秀樹「情熱の嵐」など、彼らの代表作はこの年に生まれています。

また、グループサウンズとして芸歴は彼らよりやや長い沢田研二が「危険なふたり」をヒットさせたのもこの年でした。

 

さて、この年のデビューは圧倒的に女性優位でした。

前回少し触れたアグネス・チャンは、この年デビュー曲「ひなげしの花」とともに、3枚目の「草原の輝き」をヒットさせました。

 

しかし、後年語り継がれるのは何と言っても桜田淳子山口百恵の「同級生・同期デビュー」でありましょう。

この2人はその後数年間ヒットチャート上でデッドヒートを繰り広げます。

両者とも芸能界ではすでに「過去の人」ではありますが、その「伝説度」から言えば人気絶頂期に結婚のためわずか7年の芸能生活に潔くピリオドを打った山口百恵が圧倒的でしょう。

でも、デビュー当初は桜田淳子リードで始まりました。

その桜田もデビューからいきなり売れたわけではなく、初期の代表曲「わたしの青い鳥」が実は3枚目のシングルであることは、あまり知られていないかもしれません。

それでもその年の賞レースには間に合って、レコード大賞の最優秀新人賞を受賞しています。

山口も同様、清純イメージのデビュー曲「としごろ」のセールスは思わしくなく、当時14歳にして「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」という早熟な歌詞が話題を呼んだ2枚目の「青い果実」で本格的なアイドルの仲間入りをしました。

「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」の歌詞が衝撃だった「ひと夏の経験」は翌1974年、5枚目のシングルでした。

 

同期アイドルには、浅田美代子もいます。

デビュー曲「赤い風船」が大ヒット、その後は「幸せのいちばん星」「じゃあまたね」などの作品を残し、歌手活動はシングル10作、わずか2年間ほどで実質終了していますが、その後女優・タレントとして今でもTVに露出しています。

 

また、純粋なアイドル路線とは少し異なるイメージでしたが、同期デビューだったのがあべ静江

現在印象に残っているのは、一般的にはデビュー曲「コーヒーショップで」と、イントロでのセリフが印象的だった2枚目の「みずいろの手紙」くらいでしょうが、その後もTVには出演し続けました。

 

前年の森昌子の路線でやはり同年にデビューしたのが、石川さゆりです。

デビュー曲が、「せんせい」に曲調の似た「かくれんぼ」であったことを知る人は少ないでしょうね。

津軽海峡冬景色」(当時19歳)によるブレイクまでは、その後4年かかっています。

デビュー当初はその若さもあってアイドル的な売り出し方をされましたが、そもそもが「演歌歌手」。

今では1年の最後の日にしかお目にかかりませんが、40年以上経ってもその「現役感」はトップクラスと言えるでしょう。

 

なお、ここでは原則として「ソロ」歌手しか挙げていませんが「時代」を彩った2人組、3人組…まで含めれば、キャンディーズの存在を外すことはできません。

彼女らのデビューも1973年でした。

当初スーちゃんがデビュー曲「あなたに夢中」から4枚めのシングルまでセンターを務めましたが、1975年、5曲目からランちゃんがセンターにチェンジして発表した「年下の男の子」がヒットして、知名度がグッと上昇しました。

活動期間中17枚のシングルを残し、「普通の女の子に戻りたい」「私たちは幸せでした」の印象的な言葉を残しつつ、1978年3月、当時の後楽園球場でのコンサートをもって解散したのでした。