さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

天気予報はそこまで詳しくなければいけないか?「週間予報」は必要?「傘マーク」を付けない「雨予報」?「1か月予報」に意味はある?「梅雨入り宣言」もヘン?

テレビニュースのエンディング近くには、天気予報のコーナーがあるのが普通です。

NHKも含め夕刻の時間帯に何時間も生放送しているニュースの中で、やたら天気予報にかける時間が長い気がしています。

 

明日何かしらの大事な用事があって、天気や気温が気になるような時。

そんな時は、誰しも「今すぐ知りたくなる」もの。

ところが、テレビやラジオには、決まった放送予定時刻がある。

自分が知りたい時に伝えてくれるわけではない。

それまで待っているヒマなどない。

 

しかも、天気に関して知りたいことと言えば、

 

これから雨が降るのか晴れるのか?

降るとしたら午前なのか午後なのか、だいたい何時頃か?

暑いのか寒いのか?

自分に関係する地域の予報さえあれば十分で、他府県の情報など要らない。

スマホ片手に、パッと調べれば瞬時に問題解決することです。

 

一般的な感覚としてはその程度ではないか、と思うのです。

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ところが、どの番組にも気象予報士」なる専門家が登場し、時間をたっぷり使って、細かい天気図やらコンピューター画像やら、やたら詳しい解説を繰り広げています。

 

では、

気象のプロが情報を伝えれば、「当たる確率が上がる」のか?

そんなことは決してありません。

 

気象予報士が気象のプロならば、それぞれの「独自目線」による違った予報があっても良さそうなところですが、彼らの伝える情報ソースはみな同じ。

揃って、気象庁の発表する予報を伝えることになっているからです。

「原稿」は一緒です。

それを、誰がどう分析・解説するか?の違いだけです。

よほどの「お天気マニア」でもない限り、誰もそこまでは求めていないのでは?と思います。

 

1年前にも同様の記事を書き、これまた当たり前のように放送されている「週間予報」が疑問であることに触れました。

saewataru.hatenablog.com

現在は気象分析の技術が向上して、明日の予報が当たる確率は80%以上だと言われています。

それなら、今日時点で「あさって」の予報となると、80%×80%で当たる確率は64%?

同様に考えて1週間後を計算すると、0.8の7乗で約20%になります。

そんなに信憑性の低い情報を、堂々と放送しているのか?!

 

もちろんそんな単純な話ではないのでしょうが…

実際問題として、いざ1週間経ってみて、1週間前に出された予報がピッタリ当たっていることはまずありません

 

台風接近など今後大きな影響が出そうな時は、事前の準備として知らせる意味があるのでしょうが、そうでない限り、月曜日の時点で週間予報として当たる確率のきわめて低い土曜日・日曜日の天気を伝えられても、「参考情報」にもなりえません。

 

もっとひねくれた見方になってしまいますが…

 

けっこうお決まりのフレーズとして、画面上は「くもり」マークを出しておきながら、

「マークにはありませんが、所によりにわか雨が降る可能性があるでしょう」

という言い方がされることがよくあります。

降るエリアがごく限定的な場断だからこそ「所により」であり、降る時間が特定しにくいので「にわか雨」なのは言葉では理解できますが、降る可能性を言葉で言っているのなら、画面に小さな傘マークだけでも出しておいてくれればいいのに、と思うのです。

 

仮に傘マークが出ていて、結果降らなかったら「(傘を持ち歩くのは面倒だったけど)降らなくて良かった」となります。

逆にくもりマークだけで、それを信じて傘ナシで出かけて、局地的でも一時的でも雨にやられたら「なんだよ、もう!」という気分になりそうです。

 

というわけで、私のバッグには常に折りたたみ傘が収納されています。

 

「1か月予報」「3か月予報」と言った長期予報も、時々流れます。

「この夏は全体的に暑くなりそうです」

「降水量は、平年並みかやや多いでしょう」

こうしたレベルの情報が、どの程度必要とされているのか?

週間予報以上に、その意味合いと信憑性に疑問が残ります。

何かしら、実用的に役に立つ場面があるのでしょうか?

 

こうした中で、

一番「予報らしくない予報」だと感じるのが、「梅雨入り」に関する言い回しです。

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「予報」である以上、文字通り「将来の見通しを予測」してこそその真価が発揮されるところでしょう。

梅雨入りを話題にするに当たって、「6月の〇〇日ごろ梅雨入りするでしょう」であれば、その当たりはずれはともかく、なんとなく「予報」っぽくはなります。

 

ところが、ここ数年の気象庁の伝え方は、梅雨入りしてから、つまり「事後」になってから、

「〇〇日頃、梅雨入りしていたと見られる」

のスタンスが主流になっています。

それを言われる頃には、皆が肌感覚として「梅雨」を認識しています。

 

現代の技術をもってしても予測が難しい、ということなのかもしれませんが、昔はこんな言い方を聞いたことはありませんでした。

 

「過去形」であれば、ハイレベルとされる資格を持つ気象予報士でなくても、素人でも言えるセリフです。

「後追い」で状況を報告するのなら、それはすでに「予報」とは言えないように思います。