お店はイヤなら行かずに済むが、電車やバスはお客なのに選べない
飲食店に行くとします。
もし不味ければ、もうその店には行こうとはしないでしょう。
また、接客態度の悪いスタッフがいたらやはりイメージが悪くなって、同じ結果になります。
客は店側の「商品プラスサービス」全体に対して、対価を払っているのです。
逆に、提供する側はその対価を得るべく「企業努力」を重ねる。
そこに「持ちつ持たれつ」が成立するわけです。
ところが、仮にサービス提供に不快感を覚えても、利用者が「お店」を選べないケースがあります。
そう、公共交通機関である電車やバスです。
この鉄道会社・バス会社がイヤだなと思っても、A地点からB地点までの移動にはほかに選べる余地がなく(仮にあっても遠回り)、利用するしかないのです。
「客」なのに「店」を選べない、そんな図式です。
ふだんはそんなことは考えもせず、普通に利用しています。
鉄道やバスの運営会社のサービスに対して、どうこうと意識することもありませんでした。
むしろ、深夜や休日、世の中が年末年始の長期休暇であっても一切関係なく、通常運転をしてくれていることに、感謝の念を抱いていました。
ところが…
ある日路線バスに乗った時のこと。
運転が非常に荒く、態度の悪い運転手に遭遇してしまいました。
乗客に対する言葉遣いもぞんざい。
少しばかり動きの悪いお年寄りの乗客に対して、「早くしてください!」と怒鳴るような言い方をする。
あまりに目に余る態度なので、運転席の上に掲示されている運転手名をメモして会社に連絡してやろうかと思うくらい、不快な時間を過ごしました。
鉄道と異なり、バスという「小さな閉塞空間」でのこと。
余計にやりきれない思いが膨らみます。
しかしそんなことがあっても、移動したい区間を走っているのは、そのバス会社だけ。
イヤなことがあったからと、そのバス会社を利用しないわけにはいかないのです。
1987年に国鉄がJRになった時、サービスの面で利用者としてはこれといった変化は感じられませんでした。
一方、「郵政民営化」された後、郵便局員たちの接客態度は目に見えて変わった印象があります。
窓口での対応の丁寧さを誇る(同時に「慇懃無礼」の代名詞でもある)銀行が「ライバル」になったのがひとつの要因では?と推察しています。
ところが電車やバスには、そうした意味での「ライバル」がない。
サービスの良し悪しは、ひとえに運行会社の「良心」に委ねられている状態です。
それでも利用者としては、安全に目的地に運んでくれさえすれば十分OK。
それ以上ハイレベルのサービスを公共交通機関に求めるつもりはありません。
でも、せめてつかの間の移動時間、快適に気持ちよく利用したいものだと思います。