地縁のあった長岡市。「県内第2位」つながりで、かつて暮らした被災地・石巻市の「3・11」を思う~全都道府県旅行記・新潟県
新潟県、特に新潟市と言えば、仕事で行く出張先のイメージだけでした。
新幹線で途中の駅はすっ飛ばし、新潟駅に到着するやいなやタクシーで仕事場に向かい、日帰りで東京に戻る…そんな慌ただしいスケジュールばかりでした。
駅から歩いて数分のところ。
日本一の長さを誇る信濃川にかかる有名な「萬代橋」があります。
河口近くには、佐渡ヶ島へ向かうフェリー乗り場もあります。
美しい水辺にたたずむ市街地の風景が広がっています。
新潟市は、残念ながら出張先としてのみ。
「旅行」として訪れたことがあるのは、県内第2の都市・長岡市です。
母の生誕地であり、母方の祖父の本家一族は今もこの土地に住んでいる、という話は昔から聞かされていました。
と言っても、彼らと実際に接触する機会はごくわずか。
幼い頃、本家の長男であった祖父の家(都内)に弟・妹や甥・姪(母のおじおば・いとこ)などが訪ねて来て、彼らとはその際に顔を合わせたぐらいの記憶しかありませんでした。
法事の関係で、初めて長岡の地に降り立った時のことです。
駅からお寺に直行、用事が済んだら特に寄り道もせずすぐ戻ってきてしまいました。
めぼしい観光スポットを巡ったわけでもないので、「旅行」とも言えないくらいです。
駅前すぐのところに、「長岡城址」があると知り、ちょっとだけ立ち寄ってみました。
商業施設の傍らに、石碑が1本残っているだけ。
歴史を偲ばせるようなものは、あいにく見当たりませんでした。
この時、親戚一族とは子供時代以来の再会。
一応だいたいの「家系図」と名前は頭に入っていたのですが、顔と結びつかない。
でも先方には、私に対するはっきりした記憶があります。
何十年ぶりに会ったいいトシしたオッサンに向かって
「まぁ、わたるチャン、こんなに大きくなって~!」
と親しげに接してくるのです。
このトシになって、なかなか「チャン」付けで呼ばれることはありません。
話に聞いていた以上に親のいとこ関係は幅広く存在しており、それぞれの配偶者やその子供たちになると、もうまったく判別がつきません。
冠婚葬祭の時ぐらいしか集まらない顔ぶれ。
親戚の付き合いって、案外そんなものなのかもしれませんね。
薄いながらも血縁関係がある彼らではありますが、
「遠くの親戚より近くの他人」
を、一番体感したひとときでした。
ところで、その長岡駅。
新幹線も通っているので駅舎はまぁまぁ立派です。
県内で人口第2位の長岡。
ほかの県もこれまで公私含めて全国多数歩いていますが、共通する特徴は
「県内第2の街の駅前にしては、人通りが少ない」こと!
東京の賑わいに馴染んでいる身からすれば、どこへ行っても「空いている」と思えるのかもしれません。
駅前に商店街はあって、お店もそこそこ営業しているのに、肝心のお客が全然通っていないのです。
これが、「県庁所在地」以外の地方都市の一般的な姿なのでしょうか。
そこで思い出したのが、私が小学生時代を過ごした宮城県・石巻市。
震災の後、「街や母校はどうなっているだろう?」と心配して訪れた石巻。
そう言えば石巻も、一応県内第2の都市ではあるけれど、県庁所在地である仙台との格差は比べ物にならないくらいでした。
被災地となって、その差はさらに拡大。
いまや買い物客は、クルマで通える近郊のショッピングモールに集中し、かつて百貨店や大型スーパーがあった駅前の商店街は、完全に「シャッター通り」と化していました。
明日が9回目の「3・11」です。
それに比べれば、長岡は十分に「大都会」でした。
どの県も似たような感じなのだろうか?と、「地理大好き人間」は分析したのでした。