さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

【200日連続更新を記念?して】再び考える~話し言葉に「とかとかとかとか」とか(!)があふれまくっている件

本日、200日連続更新に到達しました。

 

さて、日常会話で「~とか」が乱用されていることが、個人的に気になっています。

「日本語の変化(乱れ)」に人一倍敏感で、それがこのブログを始めるきっかけのひとつであったと言っても良いほどです。

 

以前も取り上げたのですが、なにせ開設初日の記事でアクセスがほとんどなかった時期だったのと、前の記事では触れ切れなかった点があったので、再び考えてみました。

 

saewataru.hatenablog.com

 

上記リンクの記事の一番のポイントは、「なぜ不必要な個所で『とか』をわざわざはさみ込むのか?」でした。

その典型として挙げたのが、よく聞かれるこのようなしゃべり方。

 

「渋谷とかで友達とかと待ち合わせとかしてぇ、映画とか見てぇ、そのあとカフェとか行ってお茶とかして、夜はカラオケとか行って…」

 

「とか」がなくても十分成立するところに、ことごとく「とか」をくっつけます。

さらに、前回例示できなかったものとして、

「~したり『とか』」「~だったり『とか』」のように、語尾にわざわざ「とか」をつける用法の浸透があります。

「~したり」「だったり」だけですでに並列表現であることは明らかなのに、そこにあえて「とか」を重ねる…

 

こうした話し方は、当初「若者言葉の一種だろう」と軽く考えていました。

ところが、「~したり『とか』」「~だったり『とか』」は、いまや老若男女や地域を問わず(方言でもなく)、きわめて広く定着してしまっていることに気づきました。

また、書き言葉ではほとんど見られず、話し言葉に多く使われる表現であることもわかりました。

しかも、語尾で「…とかぁ~」とまったり強調されて語られることが多いので、聞いていてどうしてもそこに耳が行ってしまうのです。

 

日本語の変化は、「しゃべりやすいように、不必要なものを省く傾向にある」と思っていました。

その一番の例が「ら抜き言葉」です。

 

かつて、小中学校の国語の授業には「文法」の時間があって、そこでは「上一段活用や下一段活用の動詞の可能形には「られる」を付ける」と習ったことを今でも覚えています。

たとえば、上一段活用動詞「見る」「着る」の可能形は「見られる」「着られる」。

下一段活用動詞「食べる」「寝る」の可能形は「食べられる」「寝られる」。

しかし現在、(あくまでイメージですが)これまた老若男女問わず、今の日本人のおそらく99%以上は「ら」を抜いて「見れる」「着れる」「食べれる」「寝れる」と話しています。

いま学校では、そうした授業はもう行われていないのかもしれません。

テレビでも、バラエティー番組に出演するタレントはほぼ100%「ら」抜きの言葉遣い。

発言テロップでは一応「ら」が入っているので、放送局側にはかろうじて「ら」入りが正しい、との良識(?)が残っているようですが、それもなし崩し的に失われつつあります。

いまや「歴史的言葉遣い」とも呼べる言い方を守っているのは、ニュースだけです。

でも、アナウンサーでさえ原稿読み以外の会話時は「ら」抜き「とか」入れでしゃべっています。

 

面倒くさい「ら」は「省略」するのに、なぜ「とか」の2文字をあえて「追加」するのか?

その答えは…

単にしゃべる時の「口ぐせ」「調子合わせ」で、特に深い意味はない。

(その他の詳しい理由は、上記リンクの前回記事で触れています)

おそらくそれが正解なのでしょう。

 

「言葉なんて、通じりゃどうでもいいのさ」と言われてしまえばそれまでですが。

自分なりに「正しい日本語表現」を追求していきたいと考えていますが、その「正しさ」自体もある意味主観的なモノ、かつ時代によってその基準は変化していくものであることも知っています。

 

それでも、自分なりの「こだわり」はずっと持ち続けていきたい、そんな思いもあります。