さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

「とか」の乱用

こんにちは。さえわたるです。

 

日本語の変化。

2つめは、「とか」の乱用です。

TVを見ていると、「『とか』を付けないと会話が出来ないのか?!」と思うくらい、「とか」が大蔓延していますよね?

私たちの日常会話でも、そう感じます。

 

この「~とか」って、何なんでしょう?

 

本来は、AやBやC…さまざまなモノ・事項がある際に、それらを並列して表現する言葉として、「AとかBとかC…」のように使われる言葉でした。

ですから、最低限複数(最低2つ)の並列・比較対象が必要だったわけです。

 

ところが、最近の「とか」は、「単独」の表現に使われ、なおかつそれがひとつの文に何回も出てくる使われ方をしています。

 

たとえば、

「キミは何のスポーツをしているの?」

「陸上、とかです…」

陸上のほかに、サッカーやバレーボールもしているのなら、

「陸上とかサッカーとかバレーボールとか…」

というのならまだわかりますが、

それでもわざわざひとつひとつ「とか」を入れ込む必要が本当にあるのかどうか…?

「陸上とサッカー・バレーボールをしています」

「とか」を使わなくても、十分に、かつ効率的に(!)伝えられます。

 

もっと極端な(そして一般化している)使用例。

「昨日何してた?」

「渋谷とかで友達とかと待ち合わせとかしてぇ、映画とか見てぇ、そのあとカフェとか言ってお茶とかして、夜はカラオケとか行って…」

「とか」が延々と続きます。

 

もはや、無意識の口ぐせなんでしょうね。

 

日本語学者のエラいセンセイ方のご意見として、

「日本人、日本語は『ものごと』をあいまいに表現することを美徳としている。

『〇〇!』と決めつけるよりも、『〇〇とか~』と『表現をぼかす』ことによって、自らの奥ゆかしさを示しているのではないか?」

なんてことを聞いたことがありますが。

 

なぜ「ぼかす」ことが美徳で奥ゆかしいのか?

仮にそうだとして、「とか」を付けて話せばそうした効果が得られるのか?

 

どなたか、教えて下さい…