トシは「とる」ものではなく「重ねる」ものでありたい
小学校入学の頃、自分が「5年生6年生のお兄さんになる」ことなどまったく想像が及ばないほど、1年という月日はとてつもなく長いものでした。
当然、自分が「どう生きていくか」などに考えが及ぶはずもありませんでした。
しかし、そんな1年1年を過ごしていく中で、人はオトナになり、若者からあっという間に中高年・老人になってしまいます。
それでも、自分自身の経験上、仕事を軸にした「日常」に追われているうちは、目先やらなければならないことに必死で、長い目で先のことを思う余裕などありません。
ただ、年月を経るにつれ、次第に「自分の人生は何だったのだろう?」「これからの人生はどうなるのだろう?」と思いを馳せる時期がやってくるのだろう、と薄々感じ始めています。
誰しもトシをとります。
貧富の格差はあっても、時間は万人に平等です。
時間をどう捉えるかで、心境に大きな違いが生まれてくる、そんな気がしています。
過ぎた時間を「トシをとってしまったなぁ…」と考えると、その先にあるのは、絶対に取り戻すことの出来ない過去をネガティブに考える思考ばかり。
逆に「トシを重ねた」と考えると、どんなに悲しいこと・つらかったことも「人生の糧、大切な宝物として積み重ねてきた」と思えるもの。
いつの時代にも、世代間ギャップは根底のところで永遠に埋まらないと感じることがあります。
実際、自分が若い頃、年長者の行動や思考回路がまったく理解できなかった。
それと同様に、今の若い人たちは、自分の価値観や考え方を理解できていないのだろう。
であれば、彼らが経験していない「トシを重ねた分の実績」を、「自分が若い頃感じていた感覚」にプラスアルファして、彼らとの相互理解に少しでも活用していけたら、うまくいくのでは…と。
これからトシをとっていく、否、トシを重ねていくに際しての思いです。