「備え」のある生き方は理想かもしれないが、意識し過ぎると…
毎日のように騒がれる「人生100年時代には、老後の備えが必要」。
若い世代の方々には、内容は理解できても、正直自らのこととして実感できる話題ではないと思います。
お金の備えは、ないよりはあった方がイイに決まってます。
そうした大層な話でなくても、ふだんの生活でも「備え」が大切だなぁと思う場面がよくあります。
災害が起きた時のために、緊急避難道具は準備しておいた方が確かに良い。
もっと日常的な話で言えば…
冷蔵庫の中身が乏しくなったら、早めに買い出しをしておきたい。
洗剤やボディーソープは、常に最低1本は手つかずの在庫を確保しておきたい。
リモコンが切れた時のために、すぐに必要ではないけれど乾電池を引き出しに入れておきたい。
学校の夏休みの宿題は、早めに済ませておかないと気が済まない。
仕事もキリの良いところまで仕上げないと、なかなか帰宅できない。
単なる「モノの備え」ではなく、「生き方・考え方の備え」に話が及ぶと、その人の人生観に関する問題になってきます。
「備え」を行った=気持ちにゆとりを持てたことで安心感を得る。
逆に、常に「備え」がないと気になって安心できない。
ブログで例えれば、
「いったん始めたのだから、毎日更新しよう」
「忙しくて書けない日もあるから、予約投稿を活用して更新が途切れないようにしよう」
「ネタが途切れぬよう、気が付いたらタイトルだけでもメモっておこう」
「アクセスはあるのにスターがつかない。登録読者がひとり減ってしまった。やはりコラムの内容がつまらなかったのだろうか」
そこまで行くと、もはやビョーキです。
そんな性格の持ち主を、世間では「几帳面」と呼んだりします。
生真面目で物事を計画的に推し進める、羨ましい性格などと言われることもあります。
確かに、グータラ・モノグサ・テキトーと称される性格より一見マシなところもあるかもしれません。
でも、几帳面な性格の持ち主は、物心ともに「備え」を重視し過ぎて、「〇〇は〇〇でなければならない」という強迫観念がストレスになりがちです。
テキトーに対処していても、時が解決してくれたり、その時の状況や環境によって、たいていのことは結果的に丸く収まるものだったりします。
だったら、そのプロセスにおいてもあまり深く考えすぎず気楽に構えていた方がずっと素晴らしい。
「いい加減」はネガティブな言葉ではなく、文字通り「良い加減」=「ちょうどいい塩梅」な状態なのかもしれません。