誰とでも同じように接する人間でありたい~「残念なオッサン」にならないために
先月「ありがとうが言えない」という記事を書きましたが、今日の話も根底の気持ちは一緒です。
最近街を歩いていると、シニア層の男性(現役をすでにリタイアしたであろう年代の)の立ち居振る舞いに目が行くことがよくあります。
もちろん、「良くない意味で」です。
自分がそれだけトシをとったせいでしょうか?
定食屋で、自動券売機の扱い方がよくわからないために、店員をカウンターの中から呼びつける。
わからないのは仕方ないとして、その時の態度が「わからないことを教えてもらう」ではなく「客を困らせる機械の方がなっとらん」的に店員を叱りつけるがごとし、なのです。
席について料理の出る順番が違うと「オレの頼んだの、何で来ないんだ?!」と怒り出す。
牛丼と焼肉定食とでは、提供する時間に差があるのは誰だってわかることだと思うのですが…
百貨店や銀行などでも、似たような光景をよく目にします。
そうしたところでは特に、店員はどんな客であっても「お金を落として(より多く預けて)もらうために」何をどう言われても最大限丁寧な接客をしますから、余計に客側のぞんざいな物言いが増長してしまうのかもしれません。
また、電車で席を譲ろうとすると、「ワシはそんなに年寄りじゃない!」と言って、親切心に対して逆に怒り出す。
そんな態度をとる精神状態が、身体的以上に老化現象なのではないか、と。
彼らはきっと現役時代、どこぞの超巨大企業のお偉方だったのか?
それとも、先生(学校の教師)でもないのに「センセイ、センセイ」と周りから持ち上げられ続ける医師・弁護士、あるいは名高い芸術家なのだろうか?
きっと家に帰っても、奥さんを部下のように扱い、奥さんはそれに嫌気がさして、夫と一緒にいることがストレスになり、同性の友人との付き合いばかりを大事にするようになる…
ヘタをすれば熟年離婚も?
私自身、オーナー企業に勤めて、社長はじめ年下の創業者一族に部下として仕えたこともあります。
逆に年上の部下を持った経験もあります。
社会人としての経験は会社員としてしかありませんが、そこで学んだ「理想的な対人関係」とは、どんな組織であれ「相手の身分・立場・年齢の上下に関係なく、常に同じ気持ちで接することのできる人間であること」です。
もちろん、ひと言で言うほど簡単なことではありません。
そんなキレイごとだけで世の中成り立つものでもありません。
でも、上ばかりに媚びへつらって下の人間はヒトとしても扱わない、人によって表裏が異様に著しい、そんな人間たちを会社という「タテ社会」でさんざん見てきて、ふとプライベートな空間に目を移すと、かつて相応な身分を持っていたかもしれない、しかし今はその残骸だけを背負ったであろう人たちが、上に述べたように街中にもあふれている。
そんな状況を見るに、何とも言えない心境にさせられます。
まさに「明日は我が身」「人の振り見て我が振り直せ」です。
「残念なオッサン」にならないために。
心がけ過ぎて悪いことは、きっとないでしょう。