慰問に行ったつもりが、逆に自分が癒されたステージ
当カテゴリーで以前「オーケストラ北海道演奏旅行記」で、正式な演奏会以外にも、いくつかの小学校を訪問しての「音楽教室」を開催したお話をしました。
そこまで大規模ではありませんが、数人のグループで老人施設に「音楽慰問」を行くことが時々あります。
弦楽四重奏の時はその中のバイオリン奏者として、ピアノしかいない場合はソロ演奏で。
小難しい印象のクラシックではなく、誰もが知る童謡・唱歌、はたまた懐メロ曲をアレンジして演奏します。
一方、楽器奏者ではなく歌い手として、同じようなプログラムをこなすことがあります。
聴衆の方々の体力を考慮して、こちらの出番はせいぜい30分程度なのですが、滞在時間はその何倍にもなることが多いのです。
施設に入所されている方々は、ヘルパーさんに伴われての近所の散歩や個室でテレビ、比較的お元気な方であれば食堂での仲間内の会話…
率直に言って「娯楽」の乏しい日常生活である場合がほとんどです。
そんな中、我々の拙いテクニックであっても、外部からやってきて生演奏・生ウタを披露してもらえるイベントは、こちらが想像する何倍も刺激のある「非日常」のようなのです。
行く先々の方々と、特に面識があるわけではありません。
しかし我々が訪問すると、子や孫が訪ねて来たかのように歓迎し、一様に短時間の「小さなステージ」を満喫して下さるのです。
こちらの出し物が終わったあと、ほとんどのケースではそのまま「フリートークタイム」、つまり世間話に移行します。
ですから、本番の何倍もの時間を費やすことになるのです。
とりたてて特別な話をするわけではありません。
たいてい、こちらは皆さんの話を「聞いているだけ」です。
でも、同じメンバーばかりの閉じられた世界では、見知らぬ訪問者との何気ない会話さえも、きっと新鮮な思いにかられるのではないかと思うと、こちらも「人生の先輩」の話に退屈どころか、逆に心揺さぶられる温かいものをいつも感じるのです。
私は幼稚園に入ったばかりの頃からバイオリンを習い始めました。
大人になってからは、自作の歌作りにも目覚めました。
「ライフワーク」なんてカッコいいモノではないけれど、人生のほとんど音楽と関わって来たおかげで、自然に音楽に親しむ環境に置かれてきたおかげで、このような触れ合いの機会にも恵まれる…
相手からのオファーでやっていることなのに、むしろ自分の方がお礼をしたい。
そんな気分にさせられるひとときです。