さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

「江戸っ子」の定義は本当に限定的、まさに「絶滅危惧種」。江戸弁は立派な「方言」

現在の東京在住者のうち、都内で生まれた者は半数以下、過半数は地方からの上京組…

そんな調査もあるくらいですから、東京は各地からの寄せ集めの街とも言えそうです。

 

では、都内出身者はみな「江戸っ子」と呼ばれるのか?

ご存知の通り答えはNoで、「江戸出身が3代続いていないと『生粋の江戸っ子』とは呼べない」。

ここまでは結構知れ渡った話かと思います。

f:id:saewataru:20191109172420j:plain

問題は、その「江戸」の範囲。

江戸時代は、そもそも「東京都」という言葉もエリアもありません。

(当時は今の埼玉県・神奈川県の一部を含めた「武蔵の国」でした)

23区という区分もない。

現在ハイソなエリアとされる山の手地区など、江戸城から見れば超がつく田舎でした。

 

一説によると、「江戸っ子」と呼ぶ際の対象は「日本橋」「永代橋」「万世橋」の3つの橋を結んだ三角形の地帯に限られるとか。

現在の地名では、23区内の千代田区中央区のごく狭い面積に限定されます。

駅で言えば、JR神田駅の近辺。

「おめぇさん、江戸っ子だってねぇ?」

「おぅ。神田の生まれよ!」

まさに、その世界です。

当時は人の出入りも多くなく、さまざまな住人がそこで代々生まれ育ったのでしょう。

 

そんな「江戸っ子」は、明治維新以降の「東京」への改称以降に代をなした住人が「東京っ子」と呼ばれるようになるにつれ、ますます絶滅危惧種的な希少価値となりました。

 

代が変わり、人の出入りが活発になっても、「地元の言葉」は存続します。

いわゆるニッポンの「標準語」イコール東京での言葉、とされがちです。

しかし、隣の神奈川・埼玉・千葉に行くだけですでに「おくにことば」があるように、かつてお江戸の真ん中で使われていた「粋でいなせな江戸っ子気質(かたぎ)」の「べらんめえ口調」も、標準語とは言えない響きがあります。

 

父は、3代は続いていないものの上記の「江戸トライアングル」に近い地域の出身で、話し言葉に「江戸弁方言」が混じっていました。

一番の特徴は、「し」と「ひ」がうまく言い分けられないという点です。

数字の「7」は、「ひち」。

「潮干狩り」が「しおひがり」と言えず、「ひおしがり」になってしまう。

「おいしい」が言えず、「おいひい」になってしまう。

「菱形(ひしがた)」に至っては、発音もできない。

 

それだけならまだイイのですが、笑えない逸話も。

ある日、父と東京駅から日比谷(ひびや)方面に行かなければならない用事がありました。

JRでも地下鉄でもほんのひと駅程度。

でも、急用でしたし、ワンメーター(今のように1キロ420円の区分がない時代)ぐらいの近距離だったので、改札を出てタクシーを。

運転手に「ひびやに行ってくれ!」と告げる父。

私自身は父のしゃべりクセがわかっているので、多少「江戸なまり」が入っていたのには気づいていたものの、正しく運転手に伝わっているだろう、と何の疑いもなく聞いていました。

 

ところが、しばらくするとクルマは目的地と関係ない首都高速の入口に向かおうとするではないですか!

そう、運転手は父の発した「ひびや」を「しぶや」と聞き違えて、渋谷方面に向かおうとしてしまったのでした。

危うく難を逃れることは出来ましたが、言葉が通じにくいとされる青森や鹿児島に行かなくても、都内でも十分「方言」はあると思い知らされた経験でした。