ラジオでメールを読まれて思った。「いいね!が欲しい」一心でSNSの「底なし沼」にはまっていく心理
カテゴリーに「TVに思うこと」を設けていることからもおわかりのように、私はテレビがないと生きていけないほどの「テレビ大好きニンゲン」です。
ネット全盛時代になっても、「ネットがあればテレビは要らない」とはとても言えません。
と同時に、ラジオも同じくらい愛聴しています。
特に、外出予定のない休日。
テレビを見続けると目が疲れますが、ラジオだとゴロ寝しながらでもOK。
まさに「ラジオサマサマ」状態になります。
そんなお気軽さが魅力のラジオ。
もうひとつの特徴は
「リスナーとの距離が近い」ことです。
生放送の番組では、メール・FAXで随時リスナーのメッセージを受け付け、それを番組内で紹介するスタイルが定着しています。
その際、ペンネームならぬ「ラジオネーム」を設定するのも、もはやお約束。
「テレビネーム」という言葉は、聞いたことがありません。
在京ローカル局とは言っても、おそらく何万人の人がラジオを聞いているはず。
リスナーからは、きっと何百・何千の単位でメッセージが送られていることでしょう。
そんな中で、送信した自分のメッセージが読まれるのは「奇跡的な確率」です。
その「奇跡」が起こりました。
ラジオでは、あるニュースに関するトークが行われていました。
たまたま手が空いていたので、暇つぶしにメールに意見を書いて応募したところ、なんと採用!
賞品として、番組ステッカーが後日送られてきました。
もちろん、ステッカーも「記念品」としてはうれしかった。
しかしそれより、自分の主張(というほど大げさなコメントではありませんでしたが)が選ばれ、ほんの数十秒ではあるがオンエアされた。
いささか大げさな言い方ですが、
公に「認められた」。
その興奮の方が、はるかに大きかったのです。
そこで改めて思ったこと。
程度の差こそあれ、人はみな「注目されたい」生き物なのではないか、という現実です。
「認められたい」
「褒められたい」
「チヤホヤされたい」
「自己実現欲求」「承認欲求」などという言い方もされます。
今はSNSで自らのメッセージを発信し、「いいね!」を獲得することによって、その欲求を叶える機会を得ることが出来ます。
某調査での昨年のデータによると、主要メディアの国内ユーザー数は以下の通り。
LINE:8000万人
Twitter:4500万人
Instagram:3300万人
Facebook:2600万人
ネット上を行き交うメッセージの総数は、もはや数えきれない数なのでしょう。
確かに「発信」するだけなら、カンタンに出来る。
しかし、目的はそれだけでは完結しない。
そこからの方が、むしろ重要。
投稿したメッセージに対して、
「いいね!」のリアクションをどれだけ得るか。
ポイントは、この1点にかかっているのです。
そのために、ひたすら発信し続ける。
「いいね!」を求めて。
「自己実現欲求」「承認欲求」を満たすために。
観光地だけでなく、飲食店で写真を撮りまくっている人の姿を見るのは、もはや超日常風景です。
彼らの目的が「写真を訪問の記念として自分ひとりで愛でる」ためでないことは明らかです。
日々の行動を、限りある生活時間を、果ては人生のすべてをSNSに結びつけているようにさえ見えてきます。
そして、それは「いいね!」の獲得数が満足できるレベルになるまで、果てしなく続きます。
ところがその満足度は、一概に数値では測れませんが、永遠に「100%」には届かない。
なぜなら、「分母」である欲求そのものが、「底なし沼」のように無限に拡大し続けるからです。
「沼」の底には、見たことのないとんでもない「お宝」が眠っている気がする。
100いいね!をもらった瞬間、200いいね!がゴールになる。
200いいね!に到達した瞬間、500いいね!が欲しくなる。
目標が充足される率は、ラジオでメールを読まれるよりもはるかに低いことになりそうです。
TwitterやInstagramをイメージして書きましたが…
ブログにも、そのまま当てはまることかもしれません。
果たして、どうなることが本当の「いいね!」なんでしょうね?