【懐かしい歌No.92 花の82年組。大器晩成でひとり勝ち?】「少年たちのように」三田寛子(1986)
デビューは1982年。
80年代の音楽を知る方なら、「花の82年組」という言葉も耳馴染みがあるかと思います。
三田寛子も、アイドルとしてデビューしたその中のひとりでした。
しかし、この年にデビューした女性アイドルの中で、決してトップクラスではなかった。
その後数年間の実績であえてグループ分けすれば、
松本伊代・堀ちえみ・早見優・石川秀美は、コアなファンならばそれぞれ1つ2つの代表作は挙げられたとしても、「人と歌が結びついた」ヒット曲をたくさん持っているわけではない「2番手」。
三田寛子は、そのグループにも入っていませんでした。
阿木燿子作詞、井上陽水作曲という強力な布陣で臨んだデビュー曲「駈けて来た処女」(かけてきたおとめ)こそ話題になったものの、大ヒットにはならず。
その後、往年のアイドル・南沙織の名曲「色づく街」や、村下孝蔵の代表作「初恋」のカバーをシングルとして発表しますが、やはりオリジナルに勝ることは出来ませんでした。
歌手としては、デビュー後約5年、計14枚のシングルまでで活動休止状態になっています。
この「少年たちのように」は、その14枚のうち12枚目となったシングルです。
もしかしたら曲調や歌詞からイメージできるかもしれませんが、中島みゆき作詞・作曲によるナンバーです。
デビューから4年。
すでに歌番組で歌う姿を見ることも少なくなっていましたが、1回聴いただけで「みゆきワールド全開」。
楽曲の魅力の虜になってしまいました。
いくら想っても叶えられない恋心が、痛いほど切々と訴えられている。
「♬恋人ですか さよならですか」
「All or Nothing」のあまりにも極端な問いかけ。
「♬友だちと答えては もらえませんか」
そして
「♬春は咲き春は行き 人は咲き人は行く」
最終的には
「♬惨い別れになる」
なんとも悲しい結末です。
J-POPには珍しい3拍子のワルツ。
途中息継ぎも出来ないほど詰め込まれた言葉の数々。
メロディーラインも、切なさ満載です。
歌手としての輝かしい実績には恵まれませんでしたが、その後「笑っていいとも!」のレギュラーコーナーを持つや、その天然ぶりが炸裂。
ブレイク以来、女優としての活動も盛んになります。
そして彼女の本領は、結婚して「梨園の妻」となってから一気に開花します。
元アイドル、その後の天然キャライメージのタレントが歌舞伎界に。
当初は意外な転身に見えましたが、その後3人の男の子を設けて見事に「役割」を果たす。
現在も、デビュー時のイメージを残したまま、かつ若々しい姿のまま、堂々とした存在感で「梨園の妻」と「現役タレント」とを両立させています。
上記で挙げた「花の82年組」のほとんどが数年間のみの活躍期間で今や「過去の人」になっていった中、ある意味で「大器晩成の圧倒的な勝ち組」と言えるのではないかと思います。