さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

ソロアイドル史第14章~1984年デビュー組

80年代に花開いたアイドルブームは、85年、あの「おニャン子クラブ」の誕生によって「大量生産」時代に突入するのですが、それについては次回第15章にて述べるとして…

 

この年デビューしたソロアイドル、同じ4月に4人の女性アイドルがデビューしています。

まずは荻野目洋子。

デビュー曲「未来航海」は大ヒットには至らず、歌唱力を評価される実力派との呼び声に反してデビュー1年目はヒットに恵まれませんでした。

彼女の名が一気に知れ渡ったのが、デビュー2年目の85年、7枚目のシングルとして発売された「ダンシング・ヒーロー」。

その後「さよならの果実たち」「六本木純情派」などのヒットもありましたが、彼女の代表作と言えば間違いなくこれでしょう。

近年、あの「バブリー・ダンス」の流行で再び脚光を浴びたのは、記憶に新しいところです。

 

同じ4月にデビューしたのが、菊池桃子

デビュー曲は「青春のいじわる」でしたが、実績はいまひとつでした。

荻野目洋子同様、2年目の85年、4枚目のシングルとして発売された「卒業」が初のオリコン1位となり、その後「BOYのテーマ」「もう逢えないかもしれない」「SAY YES」などのヒット曲を連発し、その後3~4年ほどは清純派トップアイドルとして活躍していました。

シンガーとしては、およそ10年後鈴木雅之との異色のデュエット「渋谷で5時」が話題に。

その後は女優に転身、最近ではタレント活動と並び母校の客員教授を務めるなど、「文化人枠」の仲間入りをしています。

 

そして、「伝説のアイドル」となってしまった岡田有希子も、同じ4月のデビューでした。

竹内まりやから楽曲提供を受けた「ファースト・デート」でデビュー。

この年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得しています。

彼女もデビュー曲よりその後のシングルでセールスを伸ばしていくタイプで、代表作となったのが、松田聖子作詞・坂本龍一作曲でも話題となったCMタイアップ、オリコン1位獲得の「くちびるネットワーク」。

同じ週に発売されたのが、今も毎年2月になるとよく流れる国生さゆりバレンタイン・キッス」。

これを抑えての1位獲得で、アイドルとしては絶好調の時期でしたが、惜しくもこの曲が彼女の遺作となってしまいました。

 

現在も演歌歌手として活動している長山洋子も、同じ4月にアイドルとして「春はSARASARA」でデビューしています。

当初から演歌歌手として出る予定があったようで、楽曲もすでに準備されたていましたが、まだ若すぎるとの声で急きょアイドルポップスとしてデビュー。

彼女も当初はヒット曲には恵まれませんでしたが、3年目の86年、洋楽のカバーとして発売された「ヴィーナス」がヒット。

93年には演歌歌手として「蜩」で再デビュー。

いつまでもアイドルのままではいられませんし、民謡出身であることを考えれば、うまい転身であったと思います。

 

男性陣で孤軍奮闘したのが、吉川晃司。

ジャニーズ系から連想されるアイドルというより、若手ロックシンガーのイメージでした。

デビュー曲「モニカ」がヒットして話題を呼び、アイドルとして一時代を築くとともに、その後88年に布袋とのユニットCOMPLEXも話題になりました。

そして現在も、グレイヘアの渋い俳優としての存在感を示し活躍中です。