「イケメン〇〇」「美人〇〇」は、必ずしも「文句なしの褒め言葉」にはならない気がする
女性に対しての「美人」「美女」という言葉は、昔からありました。
最近はほとんど聞かれなくなりましたが、「べっぴんさん」などという粋な表現もありました。
しかし、男性に使う「イケメン」なるカタカナ言葉の歴史は、比較的新しいような気がします。
女性向けに、「イケウイメン」(?)などと呼ぶことはありません。
「イケメン」が登場する前、男性のルックスの美しさを表現する言葉には
「二枚目」「ハンサム」「男前」「美男子」「イイ男」
などがありました。
しかし、こうした言葉を耳にする機会はほとんどなくなりました。
それぞれ微妙にニュアンスが異なり、素敵だなぁと思います。
それが、現在はすべてが「イケメン」に統一されている感があります。
これだけでも、ボキャブラリーの衰退を感じます。
さらに、「美男」「美女」を強調する言葉として、
「絶世の~」
という形容詞がありましたが、これもまた死語になりつつあります。
それに代わる言葉は、「超~」でしょうか。
なんでもかんでも「チョー」をつければ済んでしまう時代です。
同時に「美人すぎる」などという妙な表現も生まれました。
特に芸能人は、なんだかんだ言いながら「見た目」の良さが評価のポイント。
性別問わず、まずは「美しさ」が求められがちです。
特に、新進の若手俳優(男子)が注目され始めた時には、ほぼ例外なく
「イケメン若手俳優」
という「冠」をつけて称されます。
「イケメン」は、もちろん美しさの褒め言葉。
「若手」にしても、若いこと自体がフレッシュな魅力。
ダブル形容詞の称えようです。
イケメン礼賛は、主人公以外にも使用されます。
たとえば、女性有名人が一般男性と結婚を発表する時のコメント。
「お相手は、IT企業に勤務するイケメン」
「お相手は、イケメン青年実業家」
「ロケバスの運転手さん」がイケメンと報道されていたかどうか覚えていませんが、カッコ良さそうなイメージの仕事に就いている人は、どうやら例外なくイケメンのようです!
「イケメン〇〇」と称されるルックスの良さは、注目・評価されるポイントのひとつにはなり得るでしょう。
しかし、
その人の真価はむしろ「イケメン」の後に来る「〇〇」の部分で問われるのではないか?
と思うのです。
たとえば俳優の世界。
「イケメン俳優」と呼ばれる場合。
ドラマや映画の世界で「本当に」評価されるべきは、「イケメン」の方ではなく「俳優」の部分。
その容姿ではなく、「仕事ぶり」。
つまり「演技の実力」です。
ドラマや映画で顔立ちの整った人ばかり集まっても、お話になりません。
ルックスは、ある程度「必要条件」なのかもしれませんが、決して「十分条件」ではないはずです。
先ほどの「IT企業社員」や「青年実業家」なら、ルックスで仕事をしているわけではないので、なおさらです。
女性の「美人〇〇」にも、同じようなことが言えます。
よく使われるのが、アナウンサーに対しての「美人女子アナ」。
アナウンサーはマスメディアに登場するので、ある意味「半・芸能人」のような存在です。
「見た目」が重視される要素が大きい面も確かにあります。
「美しくないより、美しいと言った方がいいだろう!」
と言う人もいるかもしれません。
しかし、アナウンサーに対して本当に求めたいのは、そのアナウンス能力です。
顔が良くても、しゃべりがヘタであれば、アナウンサー失格だと思います。
一時「美人すぎる市議」という言葉が流行りました。
代議士は、芸能人ではありません。
率直に言って、きちんと政治をやってくれれば、容姿など問うものではありません。
自分が重い病気にかかって、手術を受けることになった場合。
言うまでもなく、
ウデの不確かな「イケメンドクター」より、敏腕の「ブサイクドクター」に命を預けます。
褒め言葉のつもりで使われているはずの「イケメン」「美人」。
あまりの乱用ぶりに、その響きがなんだか軽く感じられてしまいます。