【懐かしい歌No.82 シンガーソングライターの初ヒットは他者作品】「輝きながら…」徳永英明(1987)
ここ数年の徳永英明のイメージと言えば、
女性歌手のヒット曲を彼独自のテイストで歌った
カバーアルバム「VOCALIST」
シリーズのヒットによって、ではないでしょうか?
2005年にシリーズ1を発表してから、10年間にわたって計7作を発表しています。
これによって「紅白」にも、その翌年の2006年から10年連続で出場。
その間、自身の持ち歌とカバー曲を、取り交ぜて歌唱しています。
カラオケ屋に行って、「歌手名」で彼のリストを見ると、自身の持ち歌に匹敵するほど、そのアルバムの収録曲が多数出てきます。
当然、オリジナルとはキーもアレンジも異なります。
中には、「こちらの方が自分に合っていて歌いやすい」と思う歌もあります。
ただしこれらは、遡ることおよそ20年、1986年にデビューし、ソロ歌手としての実績あればこその話。
デビューは、少し遅めの24歳の時。
兵庫県伊丹市から歌手を目指して上京後、伝説のオーディション番組「スター誕生」に出るも合格ならず。
その後TBSの俳優養成学校に入り、デビューのチャンスを待つなど、数年の辛抱を経てようやくつかんだ歌手の座でした。
デビュー曲は、彼自身の作曲によって完成した「Rainy Blue」。
コアなファンには評価の高い、切なくも本格的なバラードナンバーの名曲です。
ただし、彼の名を全国区にしたのは、4枚目のシングルである
「輝きながら…」。
当時、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとして広くオンエアされました。
シンガーソングライターである彼ですが、出世作となったこの作品は皮肉にも(?)別の作詞・作曲家によるもの。
自分自身も歌を作れる立場でありながら、自分は歌い手と割り切って他者の作った歌を歌うことに対して、複雑な心情があったかなかったか?は本人にしかわかりません。
でも、歌手としては「まず売れる」ことが先決です。
シングル盤音源では、イントロなしで「サビ頭」メロディーからスタートするのが印象的です。
そして、再びサビに戻ってくる前のBメロ
「♬Don't say good-bye~」
からのフレーズの部分にも、彼特有の高音部の「叫び」のメロディーがふんだんに用意されていて、非常に完成度の高い楽曲構成となっています。
曲調は デビュー曲に似ている感じもするのですが、セールスに大きく差が出たのは、CMソングというタイアップの影響が大きかったのでしょうか。
この曲のヒットがきっかけとなって、1990年にはテレビアニメ「ドラゴンクエスト」のテーマソング「夢を信じて」がヒットし、自身最高の売り上げ枚数を記録。
同年、彼の代表作とも言える(今度は自身の作詞・作曲の)「壊れかけのRadio」が発売されるに至ります。