【懐かしい歌No.74 「夏のお嬢さん」だけじゃない!】「イエスタディ ドリーマー」榊原郁恵(1982)
「自分らしいブログアイコン」に出会えたので、今日から取り入れてみました。
さて、
1976年からスタートし、これまで多数のタレントを世に輩出してきた、今も続く新人発掘オーディション
「ホリプロ・タレントスカウトキャラバン」の第1回グランプリ受賞者。
翌1977年1月1日に、華々しくアイドル歌手としてデビューします。
「元日デビュー」というところに、プロダクションの期待と力の入れようがうかがえます。
以来、すでに芸能生活40年以上。
今でも、現役タレントとしてテレビに出演し続けています。
歌手稼業を続けているわけでもない。
女優に転身して、大活躍しているでもない。
お笑いのセンスに長けた「バラエティータレント」でもない。
ハイレベルな教養を披露する「文化人タレント」とも呼べない。
でも「あの人は今」的な存在にはなっていない。
改めて考えると、実に不思議かつ絶妙なポジショニングに位置しています。
いずれにしても、「現役感を維持しているタレント」であることは確かです。
彼女のデビュー曲が「私の先生」という歌であったことは、ほとんど知られていません。
現在認知されているヒット曲と言えば、唯一「夏のお嬢さん」ぐらいかと思います。
それ以外に彼女のシングル曲を複数挙げられるとすれば、古くからのよほど熱狂的なファンか、私のような「はやり歌マニア(!)」ぐらいでしょうか?
途中「アルパシーノ+アランドロン<あなた」なるユニークなタイトルのシングルもありましたが、それほど大きな話題には結びつきませんでした。
本格的なヒットにたどり着くまでに、デビューから1年半がかかっています。
7作目のシングルにして、ようやく「代表作」と呼べる作品に巡り会えたのです。
80年代に入ると、アイドルからの転身の一環として、ホリプロが初めて手掛けたミュージカル「ピーターパン」の主役に抜擢され、その後渡辺徹と結婚するまで、7年間公演を続けました。
昔活躍していたイメージとしては、この役柄が大きかったかもしれません。
今日掲載した「イエスタディ ドリーマー」。
この曲は、彼女が「ピーターパン」として再び脚光を浴びていた頃、デビューからちょうど5年経った1982年のシングルです。
やはり1月1日に発売されています。
20代に入り、歌い手としてもアイドルからの転換期を考え始める時期。
それまでの「元気印いっぱい」から「オトナ路線」への脱皮を模索する楽曲として制作されました。
イメージチェンジを図った、彼女のディスコグラフィーの中では珍しい、王道のバラードナンバーです。
40年近く前の映像なのに、現在のイメージとあまり変わりがないように見えます。
素晴らしい「現状維持」ぶりです。