さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

ソロアイドル史第15章~1985年デビュー組

この年が、伝統的な「ソロアイドル」時代のひとつの区切りであったと感じる1985年。
それは、アイドルの概念を変えたとも言える「おニャン子クラブ」の登場です。

それまで一種の「高嶺の花」的存在だったアイドル界に「素人っぽさ」「団体行動」の要素がいきなり織り込まれて来たような印象を受けたものです。
それ以前のグループユニットはせいぜい2人か3人、60年代のグループサウンズでさえ5~6人が主流だったのが、いきなり10数名が一斉にステージに上がり、学芸会のごとく歌う…
ファンならずとも興味をひかれるセンセーショナルな変化でした。

ユニットとしてのヒット曲は、デビュー曲の「セーラー服を脱がさないで」(セールス実績以上に話題を呼んだ)が圧倒的で、「およしになってティーチャ―」「じゃあね」とシングルリリースは続きますが、デビュー曲ほど記憶に残ってはいません。
斬新だったのは、(主に翌86年からですが)全体からソロや2人組、3人組などとして「分離独立」デビューをするシステム。
そして、彼女らが交代で1週ずつ瞬間風速的にオリコン1位の座を奪っていく、そんな構図さえ生まれました。

15歳でデビューし、デビュー曲「C」、そして「生意気」「Be-Bop-Highschool」と立て続けにヒットを飛ばしトップアイドルとなった中山美穂
この年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得しました。
90年代に入ってCDセールスが全盛だった時代には、WANDSとともに「世界中の誰よりきっと」をヒットさせるなど長く活躍、その後は女優に転身しています。

一番の対抗馬となったのが、本田美奈子です。
当時18歳と若干年長で、当初からアイドルより本格的シンガーを目指していた模様です(後のミュージカル出演や晩年の楽曲でそれが立証される)。
大人のムードを前面に押し出したデビュー曲「殺意のバカンス」が低調に終わった後、純粋アイドルソングの「好きだと言いなさい」をリリースするなど、制作陣にも迷走が見られましたが、「Temptation~誘惑」のヒットである種方向性が定まり、翌年4枚目の「1986年のマリリン」が代表作となりました。

斉藤由貴もこの年、松本隆作詞・筒美京平作曲のゴールデンコンビによる「卒業」でデビュー。
歌手としては「情熱」や「悲しみよこんにちは」、井上陽水のカバー「夢の中へ」などをリリースしていますが、今は女優としてのイメージが強いです。

アイドルとしての活躍はいまひとつながら、「バラドル」という新しいジャンルを生み出した立役者のひとりが、この年「瞳の誓い」でデビューした井森美幸
30年以上キャラクターがブレることなくTVで活動し続けているのは立派です。

くしくも後に同じバラドル路線で人気を得た森口博子も「水の星へ愛をこめて」でデビューしています。
彼女も、タレントとして息の長い活動を続けています。

彼女らとともに80年代後半のアイドルシーンをけん引したのが、南野陽子
デビュー曲「恥ずかしすぎて」は不調でしたが、3年目となる6作目の「楽園のDoor」で初のオリコン1位を獲得。
以降「話しかけたかった」「はいからさんが通る」をはじめ8作連続、通算9作で1位を獲得、大活躍します。

小林明子が「恋におちて」で大ヒットを飛ばしたのも1985年です。
この年にデビューしたということで新人賞の候補にはなりましたが、そもそもアイドルではなく、「優秀作曲賞」という特別賞(?)を受けています。

おニャン子」からの独立も始まりました。
この年トップでソロデビューしたのが「涙の茉莉花ジャスミン)LOVE」の河合その子
吉沢秋絵も「なぜ?の嵐」で続きます。