ソロアイドル史第16章~1986年デビュー組
前回1985年は「おニャン子クラブ」の登場を取り上げましたが、この年および翌87年は、その余勢を買って、グループからのソロ・あるいはデュオ・トリオでのデビューがまさに「怒涛のように」発生した年でした。
それぞれがセカンド・サードシングルぐらいまではリリースしていきますから、デビュー時のセールスはないにしても、聞いている側からすると「お!またおニャン子か」的な状況になります。
なにせ「ソロで続々」ですし、今と違ってTVでも歌番組全盛の時代でしたから、その勢いは現在の「AKB・坂道」をある意味超えるものでした。
前年の河合その子に続き、新田恵利が「冬のオペラグラス」、国生さゆりが、後年「2月になれば…の定番」として長く歌い継がれることになる「バレンタイン・キッス」でデビュー。
(シングル発売週は岡田有希子の「くちびるネットワーク」に1位の座を譲りましたが、セカンドシングル「夏を待てない」では初登場1位を果たしています)
後におニャン子クラブの「仕掛け人」である秋元康夫人となる高井真巳子も「シンデレラたちへの伝言」でデビュー。
さらに岩井由紀子(ゆうゆ)と組んでのユニット「うしろ指さされ組」のメンバーにもなります。
さらにさらにそのゆうゆが、ユニットとは別に翌年にはソロデビューもするという凄まじさ。
当時グループ内で「W渡辺」として人気を博していた2人。
渡辺美奈代は「瞳に約束」、渡辺満里奈(現:ネプチューン名倉潤夫人)は「深呼吸して」で相次いでデビューしました。
アイドルグループでありながら、唯一「演歌歌手」としての看板を背負ったのが、城之内早苗です。
(AKBで言うところの岩佐美咲の先駆者)
演歌としての(詳しく見ると、楽曲的には純粋ないわゆる「ド演歌」のメロディーラインではないのですが、それはさておき)ソロデビュー曲「あじさい橋」までもが、「おニャン子旋風」に乗ってオリコン1位の座を獲得しました。
30年以上経った現在も、演歌歌手として活動中です。
また、「セーラー服を脱がさないで」ではセンター的ポジションにいた福永恵規(さとみ)が「風のInvitation」で、内海和子が「蒼いメモリーズ」でやはりソロデビューしています。
ソロではありませんが、「私は里歌ちゃん」でデビューした4人組「ニャンギラス」などというユニットも生まれました。
おニャン子以外のアイドルとしては、現在もタレントとして第一線で活躍する山瀬まみ。
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂(松任谷由実)、編曲:松任谷正隆という強力布陣で臨んだ楽曲「メロンのためいき」がデビュー曲です。
作品は王道のアイドルポップス、歌唱力もなかなかと思われましたがヒットには恵まれず、その後彼女はバラドル、あるいはそれにとどまらない一歩進んだタレントとして現在も活躍中です。
さらに、これまた現在もTVで見かける西村知美も「夢色のメッセージ」でアイドルデビューしています。