【懐かしい歌No.48】「序曲・愛」野口五郎(1981)
60年代、歌謡界に「御三家」という呼称が登場しました。
当時人気歌手だった橋幸夫・西郷輝彦・舟木一夫の3人を指した言葉です。
それぞれに代表作と言える大ヒット曲を持っていました。
そして、70年代に突入すると、「アイドル」の名称とともに再び男性人気歌手が揃いました。
彼らは「新・御三家」と呼ばれ、親しまれました。
郷ひろみは、1972年「男の子女の子」で「元祖・ジャニーズ」のイメージを前面に鮮烈デビュー。
「よろしく哀愁」「哀愁のカサブランカ」「Gold Finger'99」など、節目節目で話題作を輩出。
今も紅白で「エキゾティック・ジャパン」を歌い続け、「ザ・芸能人」として現役感の強い活動をしています。
西城秀樹が惜しまれつつ63歳の若さで亡くなったのは、ご存知の通りです。
彼も同じ1972年のデビュー。
彼もまた「激しい恋」「傷だらけのローラ」「ギャランドゥ」など、誰もが知るヒット曲を連発。
1979年に発売された「ヤングマン(YMCA)」は、その特徴的な振り付けと共に、今もCMソングに起用される国民的ヒット曲でした。
野口五郎のデビューは、彼らより1年早い1971年。
同じ「トリオ」で括られていますが、実は西城のデビューのきっかけは野口にあり、西城が野口を「先輩」として強く慕っていた、というエピソードは、当時から知られていました。
郷・西城がそれぞれの個性を生かした「華のある」「派手な」キャラクターだったのに対して、野口五郎は同じ「アイドル」の範疇に組み入れられながらも、3人の中では地味な存在でした。
「新・御三家」の一員として、「オレンジの雨」「君が美しすぎて」「甘い生活」などのヒットを連発してはいましたが、第一線での活躍から30年40年経った現在、一般の人の記憶に残っているヒット曲がもしあるとすれば「私鉄沿線」ぐらいかな、と思います。
しかし、「歌そのものを本格的に聴かせる」という意味では、最も優れた力を持っていた歌い手であったと個人的には見ています。
野口のデビュー曲は「博多みれん」というタイトルからも察せられるように、「演歌」でした。
これが不振だったため、2作目にポップスに転向。
名作曲家・筒美京平の手による「青いリンゴ」がヒットし、アイドル歌手の仲間入りをした、という経歴があります。
1975年の「私鉄沿線」以降、大ヒットと呼べる作品には巡り会えず、80年代に入ると「新・御三家」の中で唯一「紅白」からも落選したことも。
「19:00の街」で再び紅白にカムバックするのは、1983年のことでした。
この「序曲・愛」は、彼のプチ低迷期に発売されていたシングル。
当時20代前半にして、本格的なラブバラードを歌いこなしています。
曰く、本人の「一番のお気に入り楽曲」だとか。
頷けます。
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