「カラオケ100点番組」に思う。マシンが評価した100点の歌は、本当に「心に響く」のか?
最近テレビで、一般人が歌唱力を競う「カラオケバトル」的番組が増えています。
NHKの「のど自慢」とは異なり、真に「歌の上手さ」を争う内容と見受けられます。
出演をきっかけに、プロデビューする人間が現れることもあります。
その意味では、新しいオーディション番組の形なのかとも思います。
このスタイルの番組、これまでは(首都圏ローカルの)テレビ東京の「お家芸」でしたが、最近は全国ネットに広がってきました。
昨晩はTBS系でもそうした番組が放送されました。
その際の出場者の審査基準は、基本的に「点数マシン」によるものです。
カラオケボックスに出かけると、機器によって点数機能の付いているものが多くありますが、原理はあれと同じです。
成果・実績を数値で表わす…
人による漠然とした好き嫌いで判断されるより、数値で示した方が公明正大ではないか?!
確かに一見客観的です。
しかし、それは時と場合によります。
カラオケでの点数をつける基本的なメカニズム。
まずは基準として、楽譜で指定された音程・音の長さ・リズムがあります。
それをどれだけ忠実に、正確に再現できたか、が測定基準になります。
画面上に音の高さ・長さを表わすラインが示され、歌声を出すとそれに合っているかどうかがビジュアルで確認できるようになっています。
それでは、
機械のように完璧にこれらの要素をこなして100点をとった歌は、果たして本当に「上手い歌唱」なのでしょうか?
「上手い」という形容詞自体、きわめて主観的で感覚的な概念です。
100点の歌は、本当に「人の心に響く」歌になっているのでしょうか?
たとえば、歌に感情をこめるため、出だしは抑えめに、サビは声を張って歌う…
歌声にビブラートをかける。
演歌なら、その人なりの「こぶし」を回す。
与えられた楽譜をどう解釈して、どう表現するか…
個々人の微妙なセンスの問題です。
しかし、そういったメリハリやテクニックをマシンの判定に反映することは出来ません。
もちろん、数字・点数で表わすことも出来ません。
ましてや、あえて楽譜上に決められた音符を崩して歌えば、聴いている生身の人間には感動を呼んでも、点数上はマイナス評価されてしまうのです。
歌ならば、まだ楽譜という「目に見える基準」があるから、こうした評価の可能性があるのでしょう。
では、演目が歌でなく「ダンス」だったら、何を評価基準にするのでしょう?
こう踊れば100点、という審査のポイントはどう作るのでしょう?
フィギュアスケートのように、ひとつひとつの動きに細かい基準が作れるのか?
これが「絵画」だったら?
美術作品に対して、マシンで点数をつける客観的な基準があるでしょうか?
構図がどう、色使いがどう、とマシンは判定出来るでしょうか?
毎年行われるM-1グランプリ。
「お笑い」は、どうやって客観的に評価するのでしょうか?
笑い声のデシベルでも測定するのでしょうか?
マシンで判定した100点の漫才が、本当に一番面白いのでしょうか?
芸術・エンターテインメントは「機械で点数をつけられるものではない」。
人の心に届いてこそ、価値が生まれるものだと考えます。
冒頭のカラオケ番組も、本当に競わせるのであれば、M-1のように、また日本テレビ系で放送の「歌唱王~歌唱力日本一決定戦」のように、専門の審査員を置けば良いと思います。
主観が入っても、見方に偏りがあっても大いに結構。
人によって、それぞれの観点で「良い・悪い」「好き・嫌い」の評価があって然り。
それこそが、機械やAIではない、生身のニンゲンだけが持てる「感性」の重要さなのではないでしょうか。