「呼び捨て・〇〇くん/〇〇ちゃん」で呼び合えた、かけがえのない交友関係
幼稚園の頃、友人とは「下の名前+ちゃん、あるいは愛称」付けで呼び合うのが普通でした。
愛称:下の名前が「たか〇〇」であれば「たかちゃん」、「かつ〇〇」であれば「かっちゃん」と呼ばれるように。
私も先生からそう呼ばれて、3年間を過ごしました。
両親や祖父母からも同じでした。
小学校に上がり「上の名前+くん」で呼ばれるようになって、初めて自分の「苗字」の存在を意識したのです。
中高生になると「くん付け」が取れて、同級生の男同士の親しい間柄は「呼び捨て」になります。
部活で先輩・後輩の上下関係に初めて触れたのも、この頃でした。
先輩は当然「さん付け」、後輩の男子は呼び捨てでした。
女子には、後輩でも「さん」を付けていました。
学生時代は、ずっとそうでした。
社会人になってからも、同期入社の連中は基本的に学生時代と同じノリでした。
しかし、年月を重ねて人間関係が複雑になってくると、そうして気安く呼び合える間柄というものは、なかなか構築しにくくなってきます。
たとえば…。
私は勤務先で合併を経験しました。
その結果、相手方の会社の社員と机を並べることになるわけですが、同期入社ということが仮にわかっても、社会人になりたての同期と同じように付き合えるか?というと、なかなかスムーズにはいきません。
また、私は転職を経験しました。
すると、どんなに社会人経験があっても、そしてある程度の職位をもって入社したとしても、「社歴」としては周囲のすべての人たちが「先輩」になるわけです。
部下さえも、社内では先輩になるわけです。
どのようなスタンスで彼らと接するべきか、けっこう悩みました。
「さん」付けの呼び方以前に、人によってタメ口でしゃべるか、敬語を使うか、レベルの問題もありました。
いろいろな人間関係を経験してくると、学生時代(あるいは入社して間もない頃)の、何の利害関係も気にすることなく、遠慮なく「呼び捨て」で付き合えた間柄の貴重さが身に染みてくるのです。
これから公私ともに新しい出会いがあったとしても、もはや「呼び捨て」や「くん・ちゃん付け」レベルまで親しくなることは難しい気がします。
卒業から何年・何十年経っても、幼い頃・若い頃、同じ「昔」を共有した交友関係はかけがえのないものだなぁ、と今さらながらに思うのです。