「職業作詞家・作曲家」が全盛だった時代の歌は、「聴かせる作品」として完成度が高い
ニッポンの伝統的な「はやり歌」では、作詞・作曲・歌唱はすべて「分業制」でした。
作詞・作曲を専門に行う作詞家および作曲家(さらにアレンジを行う編曲家)、すなわち「職業作家」がいて、歌い手は出来上がった楽曲を歌うことに専念するのが一般的な形でした。
40数年前、「フォークソング」の発展形として「ニューミュージック」という言葉が生まれました。
それ以来、そのジャンルに含まれる歌い手たちは、歌唱だけでなく楽曲の作詞・作曲も一緒に手がけるようになりました。
シンガーソングライターの誕生です。
J-POP界では現在も、バンド系も含めそうした「自作自演」が存在感をキープしています。
そして、ソロ歌手でも(アイドルも含め)「作詞のみ自分で行う」パターンは、けっこう多いです。
作曲は一定程度の音楽的知識を必要としますが、作詞は「ことば」なので、文字が書ければ歌詞が書ける(その巧拙は別として)という「とっつきやすさ」があるせいでしょう。
「自分で生み出した言葉でないと、メッセージが相手にうまく伝わらない!」
彼らの主張は、この点に集約されると思います。
確かに、それも一理あります。
しかし一方で、「聴く側がどのようなスタンスで楽曲に共感するか」=相手の立場をも考慮した観点で楽曲を仕上げているか、の観点では、果たしてどうでしょうか?
歌作りもビジネスです。
れっきとしたマーケティングが必要です。
商品である歌を売るに当たっては、「顧客ニーズ」への配慮が大事。
自作のメッセージに「お客様目線」がどれだけ反映されているのか?
発信側の「自己満足」「自己陶酔」になってはいないか?
歌い手という存在を「客観視」して、最も彼らに合うスタイルを第三者的立場から目指し作り上げる(俗に「プロデュース」と呼びます)、そんな見方も必要なのではないか?
そうして提供された楽曲は完成度の高い「作品」となり、後世に残る名曲が生まれる…
自分ひとりで作り続けると、詞も曲もどうしてもワンパターンになってしまいがちです。
現時点で何十年もの「実績」を残しているユーミン・桑田佳祐・中島みゆき・山下達郎といった、シンガーソングライター兼職業作家として他の歌手に楽曲を提供できる人物は、何十年に一人の「稀有な才能の持ち主」であり、彼らの活動は簡単に真似られるものではありません。
「職業作詞家・作曲家」が再び活躍できる時代の到来を、密かに願っています。