【懐かしい歌No.58】「Automatic」宇多田ヒカル(1998)
時は1998年。
1990年代半ばは、どこへ行っても「TK」こと小室ファミリー全盛の時代でした。
ブームを作った彼の音楽性は評価するも、あまりにも巷にあふれ過ぎて、正直食傷気味でした。
そうした環境下で、初めてこの曲を聴いた時の「衝撃」を、今でも覚えています。
イントロを聴いたとたん、てっきり洋楽のHip-hop系の新曲かと思いました。
イントロに合わせて、英語のスキャットも入っているし…
しかも、その発音は「ネイティブそのもの」だし…
すると次に聞こえてきたのは、なんと若そうな女性の「日本語の歌詞」ではないですか!
しかも、「日本人の日本語」でした。
ということは、歌い手は日本人?
当時毎週何本も放送されていたテレビの歌番組に、まだ彼女は出演していませんでした。
あわてて、彼女のMVを探しました。
宇多田ヒカル??
聞いたことのない名前。
小室ファミリーはおろか、それ以前の時代に耳馴染んでいた「ニッポンのはやり歌」の世界にはまったくなかったあまりにも「斬新過ぎる」サウンドが、そこにあるのを感じました。
プロフィールが、だんだんわかってきました。
NY出身。
「自ら作詞・作曲・アレンジ・歌唱をこなす15歳」!!
幼い頃から音楽の動向には詳しいつもりでいましたが、この曲の登場には本当に「心の底から」驚きました。
往年の演歌歌手、藤圭子の娘であることも後にわかりました。
しかし、「親の七光り」でも何でもない!
シンガーソングライターとして活躍する歌い手は、当時から数多くいました。
しかし、15歳にしてセルフプロデュースし、この音楽性を発揮できるとは!
「歌がうまい」だけのローティーンなら、それまでもいたかもしれません。
正直、「歌が抜群にうまい!」という驚きではありませんでした。
そんなことよりも、単にヴォーカル面だけにとどまらない、その「音楽センス」全体が「バケモノ的」でありました。
あの小室哲哉をして、「15歳で作詞・作曲・歌?」の現実に
「僕を終わらせた」
と口走らせたのは、有名な話です。
事実、それ以降の「音楽シーン」は劇的に変化しました。
1998年デビュー組と言えば、ほかに
などがいますが、それぞれ個性の強い面々。
果たして同列に並べて良いのかさえもわかりませんが、皆その後の「時代」をさまざまな形で彩っています。
さて、この「Automatic」。
当時から、「ヨコ文字タイトル」の「はやり歌」はそんなに珍しくはありませんでした。
しかし、日本語で言えば「自動的な」。
そんな単語が、タイトルとして思い浮かぶなんて!
冒頭からメロディーが、日本語の歌詞の「ヘンなところ」で区切って歌われているところにも、耳を惹かれました。
「な・なかいめのベ・ルで受話器をとっ・たきみ」
「く・ちびるからし・ぜんとこぼれおちるメロディー」
「ノリ」先行で、日本語としての言葉の意味はまるで二の次であるかのようです。
事実、まず「コード」を決めて、それにメロディーを乗せ、最後に歌詞を付けたのだとか。
こうなるはずです。
メロディーラインもオリジナリティーのカタマリで、J-POPとして「今までどこかで聴いた」感がまったくありません。
基本は8分音符で構成されているのですが、ところどころ言葉を細かく「たたみかける」箇所があるため、メリハリがちゃんと利いています。
Hip-hopムードにあふれたリズムパターンも、邦楽としては「前例」のないものでした。
コード進行も、然り。
Aメロに付けられたハーモニーからして、それまでの邦楽の世界にはなかった複雑なものばかりです。
そして、Bメロで一瞬だけ短調から長調に転調したか?と思ったら、いきなり
「It's Automatic」
のネイティブ発音によるサビフレーズ。
さらに、ワンコーラスの終わりが、サビの出だしと同じメロディーで結ばれている。
このパターン、ありそうでなかなかない手法です。
曲の印象を強める、心憎い演出です。
2番のあとに繰り返されるサビリフレインに至っては、大事なサビメロディー自体が、ハーモニーだけを残してアドリブの世界に飛んで行ってしまっています。
テレビの生放送で初めて見たのは、「ミュージックステーション」。
3作目のシングル「First Love」の時でした。
その後、結婚・離婚、話題となった「人間活動」による休養、そして復帰。
プライベートでも、その動きが当然注目されました。
しかし、そうやってワイドショー的に追いかけるのではなく、
「ミュージシャンは、性格や言動を問わない」
「誰にもマネの出来ないそのセンスで、クオリティーの高い音楽を提供してくれれば、それでOK」
と思えた、初めての歌手だったかもしれません。
発売からはや22年。
「受話器」や「コンピュータースクリーン」などの歌詞に「時代」が出てしまうのは不可避として、サウンド面での斬新さは現代にもしっかり通用するものがあると思います。