【これでラスト?】ソロアイドル史第18章~1990年代以降
先週のこの連載の最後にも触れたように、70年代当初から幕を開けたソロアイドルブームは、平成の声と共に事実上終了しました。
「アイドル」という言葉自体は現代も残ってはいますが、男性であれば主にジャニーズ系。
グループユニットから派生してソロあるいはデュオでデビューするパターンもなくはありませんでしたが(慎吾ママ、山下智久、中山優馬など)、ごくまれなものでした。
女性の方はより多様化して、歌を歌わずグラビアだけであっても「グラビアアイドル」と呼んだり、TV出演・知名度もないライブステージの活動であっても「地下アイドル」が存在したりします。
90年代後半、1997年にモーニング娘。が「ASAYAN」(テレビ東京のオーディション・ドキュメント番組)をきっかけに結成され、98年に「モーニングコーヒー」でメジャーデビューしました。
と共に、つんく♂プロデュースによる「ハロープロジェクト」なる組織が脚光を浴びることとなり、そこから多くのユニットが所属しています。
後藤真希に代表されるユニットからのソロデビューも含め、メンバーの卒業脱退・加入・シャッフルという斬新な手法を繰り返して、当時話題になりましたが、この連載で取り上げている「ソロ」に限定すると、その後のJ-POP界も併せ「最後のソロアイドル」として孤軍奮闘したのは、「ドッキドキ!Loveメール」でデビューし、後に「LOVE涙色」「桃色片想い」「Yeah!めっちゃホリディ」等のヒットを残した松浦亜弥であったと思われます。
(藤本美貴はソロデビューするも後にモー娘。に加入。真野恵里菜はソロとしての知名度ははあまり上がらなかった)
その少し前、92年に「SUPER MONKEY'S」として、その後ソロデビューし、いまや伝説の歌手となった安室奈美恵がデビューしていました。
14歳の若さでしたが、ブレイクした後彼女はすでに「アイドル」と呼ばれる存在ではありませんでした。
同年代の浜崎あゆみ。
1998年、19歳の時に「Poker face」でシングルデビューし、その後数々のヒットを飛ばし「歌姫」と賛美されましたが、年代的にアイドルでもおかしくないながら、彼女もやはり「アイドル」ではなかった。
同じ年、15歳ながら自ら作詞・作曲した「Automatic」で、まさに彗星のように現われて時代の寵児となった宇多田ヒカル。
当初から年齢を超越して、それまでの時代の「歌って踊るカワイイアイドル」イメージとはまったく異なるポジションにいました。
若手でデビューしても、「アイドル」ではなく「アーティスト」という言葉が一般的になりました。
「おニャン子」から四半世紀を経て、秋元康が再び作り上げたトップアイドル集団「AKBグループ」。
AKB(秋葉原)・NMB(なんば)・SKE(名古屋・栄)・HKT(博多)・NGT(新潟)・STU(瀬戸内)・果てはJKT(ジャカルタ)…の「地名」と、当初AKBの「公式ライバルユニット」だった「乃木坂」プラス「欅坂・日向坂」の「坂道」。
AKBの主要メンバーであった前田敦子、渡辺麻友、柏木由紀、指原莉乃などがソロシングルを発表していますが、おニャン子時代のような「ソロブーム」再び、とはいきませんでした。
今後ソロアイドルが誕生し、注目されることはなさそうです。
個人的には、
「ひとりひとりの、これぞプロの歌手と思える歌声が聴きたい」
「グループならば、ハーモニーの美しさを味わいたい」
と思っているので、誰の歌声か判別できない何十人もの「合唱」=単なるユニゾンではどうも好きにはなれない(ファンになりようがない)のです。
これまで、連載にちょうど良いかと思いアイドルという形でクローズアップしてきましたが、別にアイドルオタというわけではありません。
本当にウマイ歌い手・歌に出会いたい。
具体的な好みは、すでに週末に定期的に連載している動画つき記事をご覧いただけたら嬉しいです。