ソロアイドル史第17章~1987~89年デビュー組
ソロアイドルの終焉は、ちょうど昭和から平成への移り変わりの頃でした。
1987年は85、86年のおニャン子旋風の続編として、工藤静香・生稲晃子・斉藤満喜子による3人組ユニット「うしろ髪ひかれ隊」が「時の河を越えて」でデビュー。
その3人がまたそれぞれにソロデビューしているのです。
後に工藤静香は「禁断のテレバシー」でソロデビュー、その後「MUGO・ん…色っぽい」「嵐の素顔」「慟哭」「黄砂に吹かれて」などヒットを連発。
生稲晃子は翌88年「麦わらでダンス」、斉藤満喜子は「やりたい放題」がソロデビュー曲でした。
また前回少し触れた「うしろ指さされ組」の岩井由紀子も「ゆうゆ」として「天使のボディーガード」でソロデビューしています。
おニャン子以外でのソロデビューアイドルとしては、今なお人気健在の森高千里。
シンガーとして注目され出したのはデビュー3年目の「ストレス」、そして1971年の南沙織のデビュー曲をカバーした「17才」がヒットした頃からでしょうか。
(ちなみに、彼女が「17才」を歌ったのは自身20歳の時。シングルのカップリングのタイトルはズバリ「20才」でした…)
その後、アイドルとしては珍しく彼女自身の作詞により「臭い物にはフタをしろ」「私がオバサンになっても」などユニークな楽曲を発売する一方、「雨」や「渡良瀬橋」といったバラードも発表するなど、露出度の少なくなった現在も幅広い知名度を保っています。
酒井法子も1987年「男の子になりたい」でデビュー。
この年は4枚目の「夢冒険」が多少ヒットしたぐらいで、最大の代表作と呼べる「碧いうさぎ」がヒットしたのは8年後の1995年でした。
1988年は西田ひかるが「ぼくらのセディ」でデビューしましたが、アイドルとして知られるようになったのは3年後の「ときめいて」(紅白初出場曲)や、さらに3年後の「きっと愛がある」などでしょう。
1989年は田中美奈子が「涙の太陽」(1971年の安西マリアの曲をカバー)、田村英里子が「ロコモーションドリーム」でデビューしましたが、レコード大賞の最優秀新人賞を獲得したのは、歌謡曲寄りの楽曲「ふりむけばヨコハマ」のマルシアでした。
ここに、80年代前半までのアイドルブームは末期を迎えた印象がありました。
ソロではありませんが、アイドルのポジションとしてはWINKが88年に「Sugar Baby Love」でデビュー。
3枚目のカバーシングル「愛が止まらない」でブレイク、翌89年、独特な振り付けと共に話題となった「淋しい熱帯魚」がレコード大賞を受賞したのが活動のピークでした。
男性については触れてきませんでしたが、第11章(1981年)で近藤真彦を取り上げて以来、目立ったソロアイドルは現れていません。
アイドルの登竜門であるジャニーズ出身者は、シブがき隊、少年隊、男闘呼組、光GENJI、いずれもグループでのデビューです。
時代は平成へ。
1990年代前半は、いわゆるAVEX系の歌手がヒットチャートを賑わすようになり、そして90年代中盤から後半にかけての数年間はKOMUROサウンドの全盛期。
それを追いかけるように、その後数年アイドルシーンを一時期復活させたのがモーニング娘。を軸とする「ハロプロプロジェクト」でした。
そして現在2010年代に入り、ヒットチャート上は「AKB・坂道グループ」が1位の座を代わる代わる席巻し続け、合間に「ジャニーズユニット」「EXILE系」と「2.5次元系」などが持ち回りで1位を獲得している状況です。